第21話「死にぞこない」

 あれからどれくらいの時が経ったのだろう。


 儂が体を起こすと、全身からバキバキと乾いた音が鳴る。


 痛みはもう感じることもないが、相変わらず耳障りな音色だ。


「ユーディーン・オルゴノットともあろうものが、この体たらく。

 なんて無様なのだ」


 そう、儂はあらゆる差別なく、区別もなく、えり好みせず、私情を挟まず、この国に住むすべての「人」を守った守護神ユーディーン・オルゴノットだ。


 ……もう、それも何年も昔のことだが。


「あ、おじいちゃん起きたの?

 今日は、おいもがたっくさんのスープよ」


「やあシェリー、それはすべてお前がお食べ」


「だーめ!

 おじいちゃんには体力を取り戻してもらわないといけないんだから!」


 そうか……お前には儂がまだ、ユーディーンに見えるのだな?


 なら、見せてやる……痛ぁ!


 思い切り立ち上がろうとしたら腰が……くそっ、身体の言うことがここまで利かなくなるとは本当に情けないものだ。


 大丈夫、これくらいならまた横になればすぐに元に戻る。


 そう……すぐにな。





 ――


「よう、シェリー!

 これから舞台を見に行くんだが一緒にどうだ?」


 おじいちゃんの残した食事を片付けていると、幼馴染の男の子「リック」がやってきた。


 前はよく遊んだけど、最近目つきがいやらしくなってきてなんだか嫌な感じ。


 口調もすっかり変わってしまって、いったい誰なのかもうわかんない。


「おい、何してんだ!

 さっさと俺の馬車に乗れよ!!」


 うわ、でた。


 この辺りに最近引っ越してきた悪ガキ「ロナウド」だわ。


 こいつとリックが付き合うようになってからというもの、リックは以前とどんどん変わっていく……もちろんダメな方に。


 もう付き合うのはよしなさいって言ったでしょ?


 これ以上こいつみたいになったら許さな……なにすんのよ!!


「え?

 だってロナウドが女の胸に触るのは挨拶だって……」


 そんなわけないでしょう!?


 本当にどうしちゃったのよ、あんたは劇団に入っておじいちゃんの後を引き継ぐって、そういったじゃない!!!


「それは無理ってもんだぜ。

 だって、お前のじいさんもう死んでるじゃねえか!」


 そういってロナウドがおかしそうに笑う。


 絶対許さない……リック、私はあなたを一生軽蔑する。


「笑ったのはロナウドだぞ!?

 僕は笑ってないじゃないか!?」


 なら、そいつを今すぐぶん殴って!!!


「で、出来るわけないだろ?」


 何でできないのよっ、このいくじなしっ、もう二度とうちに来ないで!!!




 ……やっちゃった。


 おじいちゃんの面倒を見るようになってからも会いに来てくれたのは、リックだけだったのに。


 でも、あれだけは許せない。


 私のおじいちゃんはまだ死んでなんかない。


 今はただ休んでいるだけ。


 ぜったいにまたあの舞台の上で……。


 ぽろりと涙が落ちた。


 その先を何となく見てみると、昔リックにもらったおもちゃの指輪が輝いていた。


 昔と違って小指にしか入らないのに、つい薬指に入らないか試してしまう。


 やっぱり入らない。


 ……ねぇリック、あんたは本当にもうあの日の約束を忘れちゃったの?


 一緒におじいちゃんの舞台を見たとき、あなたとっても感動してたじゃない。


 お願いリック、もう一度あの時のあなたに――



「お邪魔するよ。

 おじいさんの具合はどうだい?」


 あ、ドールマンさんこんにちは。


 さっきまで起きてたのだけど、もう寝ちゃったみたい。


 私がそういうと、少し寂しそうな笑顔をこちらに向けて話し始めた。


 ドールマンさんが経営している劇団の財政状況がもう立て直せないところまで来てしまったという。


 代わりの役者は見つからないし、ここら辺でもう劇団をたたもうと思っている?


 そんなっ、嘘でしょ!?


 私の目の前は真っ暗になった。


 だってそうでしょう?


 おじいちゃんが体を悪くしてから、他の劇団は全部おじいちゃんなんて最初からいなかったかのように私たちの前から消えてしまったんだもの。


 最後に残ったのは一番新しいドールさんの劇場だけ。


 友達と遊びにも行かず節約したお金も、余分なお金は全て看病に使ったから貯金なんてない。


 髪も肌もどんどんボロボロになっていくけど、それでもあの日の約束のために私はどんな苦労もいとわなかった。


 なのにおじいちゃんは立ち上がることもできず、今頃リックは軽い女を探してナンパでもしてるんだろう。


 もう嫌だわ……え、いい話って何?


 新しい路線の劇団を作って、そっちの収入で元の劇団を存続させる計画がある?


 え、嬉しいけど、何で私にそんな話を……私が役者に?


 無理よ、おじいちゃんと違って私は素人。


 そんなことできるわけが……これを着て踊ればいいだけ?


 いえ、衣装を渡されても私は、何よこれ!!


 なんで所々に穴があいて……こ、こんなもの着れるわけないでしょう!?


「おいおい服も自分で着れないのか?

 じゃあ、俺が手伝ってやるよ」


 そういう意味じゃなくて……え、なんでロナウドがここにいるのよ!


 まさかと思って辺りを見回すけどリックの姿はない。


 よかった……


 って、何安心なんてしてるのよ。


 目の前ではドールマンとロナウドがいやらしい目で私の身体をなめ回していた。


 こいつらハナからグルだったのね。


 出口は……だめっ、重たそうなスーツケースで塞がれてる。


 少しでも手間取ったらきっと捕まってしまう。


 だけど、裏口からなら……!


「お前のじいさんの部屋ってそこか?」


 私が全力で裏口まで走ろうとした瞬間、ロナウドが口を開いた。


 そうだ……おじいちゃんを置いていけない。


 こいつらが腹いせに何かしたら、それこそ本当に死んでしまいかねない。


 ……結局私の人生って何なのだろう。


 おじいちゃんを守って、約束を守って、だけど私のことを守ってくれる人なんて一人もいない。


 もう好きにすればいいわ。


 その代わり、ちゃんとお金は払いなさいよね。


 あんた達どうせ慣れてるんでしょうから……せめて気持ちよくして欲しいわ。


 あとはもう、どうでもいいから。


「へっ、お前みたいな女に金?

 むしろこっちが払って欲しいくらいだ!」


 ……


 何よ、それ?


 あんたたち、どれだけ私を惨めな気持ちにすれば気が済むのよ……!


 お金が払えないならもう帰って……きゃ!


「うるせえ」


 何こいつっ、力強すぎ、これ……むり……リック、ごめん……!!


 え、何で私いま謝ったの?


 大体あいつがこいつらを連れて来たっていうのに。


 いえ、ドールマンが来たのはその前だっけ?


 はぁ、痛いし苦しいのはもう嫌。


 わかったからせめて優しく……


「シェリーから離れろ!!!!」


 え、あれってリック?


 ……そんなわけないかぁ。


 あいつはもう変わっちゃったんだもの。


 だけど、もし本物なら最初はあなたがいいな。


 早い者勝ちだから頑張りなさい……よね。


 息苦しさに負けてしまった私の意識は、ここで途切れた。




 目が覚めると誰もいなかった。


 そう、もう気が済んだってわけね?


 あはははは……あはっ、あ……はぁ。


 もう死のっかな。


 あ、そしたらおじいちゃんの面倒が……って、私こればっかりね。


 初めての後は歩けないっていうけど、実際は大したことなかった。


 される前と変わった感じがしない……てっ、誰よこんなところにごみを捨ててったやつ。


 大きなごみは捨てるのにお金がかかるっていうのに……リック?


 え、嘘でしょ!?


 目を開けて!


 お願い目を開けてよ!!


 なんでこんなことに……なんで……ま、まさか?


 私は来ていた服を急いで脱いで身体のチェックをする。


 変な跡はついてない……と思う。


 ブラもホックがしっかり止まったまま。


 下着の中も……湿ってない。


 助けてくれた?


 誰が?


 だってリックはもう変わって……なかったの?


 そういえば……いつもあいつ、ロナウドと私の間に遮るように立っていた気がする。


 私を守ろうとしてくれてたの?


 なのに私はそれに気づかなかったのね?


 ……


 大丈夫、私はもう目が覚めたわ。


 こんなところで私は死なない!


 あなたのことも死なせない!


 たとえ体を売ったって絶対すぐにポーションを買ってくるから……きゃん!


 あ、ごめんなさいっ! 慌てていたから外を確認せずにドアを開けてしまって……。


 あの、大丈夫でしたか?


 え、何で慌てていたかって……あ、ちょっと待って勝手に入らないで!


 知らない女の子とメイド服を着た女性が勝手に家に入ろうとする。


 あれ、このメイド服って確かオルガノット家の……って、入っちゃダメだってば、もうっ!


 この忙しい時になんなのだろう、あ、でももし本当にオルガノット家の方ならお金を貸してもらえるかも。


 ね、ねえあなた達……え?


「いたいのいたいのとんでけー!」


 え、えっ、えっ?


 何をしてるの、そんなところ触ったら怪我がひどく……。


「ん……ここは……?」


 嘘っ、意識を取り戻したの!?


「ああ、……ああ?

 いや、うん……そうだと思う」


 ふふっ、何よそれ。


 自分のことも分かんないの?


「自分のこと……そうだ。

 僕は何もわかっていなかった。

 君に振り向いてもらうのに楽をしようとしたんだ!」


 ちょ、ちょっと落ち着いてってば!


 話なら後でいくらでも聞いてあげるから、それより二人にお礼を……


「いいや、聞いてくれ!

 辛い稽古なんてしなくても、女の扱いならまかせとけって。

 あんな奴の口車に乗せられて……

 僕は君の心に、もう少しで一生消えない傷をつけるところだった」


 リック……、ま、まあ年頃の男の子なんてそんなもんよ。


 やることしか考えてないってことくらい、私だって聞いたことあるもの。


「いいや、僕が愚かだった。

 誓う、もう二度と楽なんてしないと、君を傷つけたりしないと誓う!

 絶対に一流の役者になって、君のおじいさんのような男になるから!!!」


 リック……。


 あなたなら、きっとなれるわ――


「いや、それはどうじゃろうな。

 少なくとも儂の目の黒いうちは……簡単にはいかんぞ?」





 ――


 やっぱりおじいちゃんが演じる「ユージーン・オルガノット」は最高ね。


 あら、拗ねないの。


 あなたが演じる若き日のユージーンも素敵よ。


 ちょっと女性の役者に触りすぎだったけどね。


 ぷっ、うそうそ。


 ……あ、ほら見て!


 男性俳優部門はおじいちゃんが一位だけど、若手俳優部門ではあなたが一位よ!


 おめでとう、リック……え、この指輪って、え、えっえっ?


 夢みたい……、私をあなたのものにしてくれるのね?


 ええ、そうね約束だものね。


 でもね、もう一つの約束のことは忘れてね?


 今夜あなたに一生消えない傷をつけてもらえなかったら、今度こそ死んでやるんだから!

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