第4話 花見
窓から外を見ると、いつの間にか外は薄暗くなっていた。都会の真ん中にある病院は白い壁の中でも外から自動車や何かしらの喧騒が届いてくるので、夕方になっていることに気づかなかった。
あー、本当に疲れたよ。これからお花見?本気でとか思うし。初日からお花見って言われてもちょっと気が引けるよ。スーツ着て、初対面の人たちと花見の場というのを想像すると白ける様子が目に浮かぶ。周りから見ると私は人懐っこく見えるみたいだけど、実際は人付き合いはあまり上手じゃないし。特に今回みたいな人の多い飲み会は、気を遣って喋り続けちゃうんだよね。いつも帰るとげっそり疲れる。
近くの公園って言ってたけど、朝来た時にはそんな桜のある公園なんて見かけなかったけどなぁ。そんなことを考えていたら、もうすぐ予定の19時になる。
「あ、みーちゃん。」
野口の声が聞こえてきた。聞くだけで恥ずかしい呼び名だけど、私が先にのんたんとあだ名をつけたのだから仕方がないと諦めるか。
「そろそろ行く?どこかすぐに分かるかな。」
のんたんは全く気にならない様子で聞いた。
「そうだね。」
と私は答えて病院の入り口を出た。言われた通りに右に曲がった道を100mほど歩くと、1本の大きな桜の木下にブルーシートを敷いてコンロや鍋をセットしている怪しい集団がいた。公園というよりビルの間の細長く、狭い広場。その端っこにポツンと一本だけある桜。「ここで花見ですか⁈ 」と大真面目に引いてしまった。しかもその広場のすぐ目の前には交番がある。
「のんたん、これ、周囲の人は絶対医療者だって思わないよね。警察に何か言われないのかな?」
冗談半分でのんたんに声をかけると、のんたんは別に何も驚いていない様子だ。
「さっきカテ室の人が教えてくれたんだけど、毎年やっているんだって。警察の人も恒例で何も言わないらしいよ。ご近所付き合いみたいな感じだね。びっくりするかもしれないから伝えておくって。」
そう言うことか。これは初めてみたら誰もが引くよね。帰宅で駅に向かうスーツ姿のサラリーマンたちは皆、ちらっと集団をみて通り過ぎていく。この中に入っていくのもなかなか勇気が必要だよ、本当にっ。
でも確かに桜の木は立派で、一本しかないが大きく枝を広げて辺りを淡いピンク色に染めている。上を向いて桜の木を見上げているとまるで薄ピンク色の雪が降ってくるみたい。
うっとりとしていると、全てをかき消してしまうようなじゃみ声が聞こえてきた。すっかりTシャツとジーンズに着替えた『うっちー』こと内山先生だ。右手には一升瓶を抱えている。
「お、池谷と野口。なんだ着替えてくればいいのに。スーツ汚れるよ。」
その通りなんだけどさ、自宅に帰る時間もなかったもの。だいたい初日なのになんでこんなに準備万端なの?この人たち。
「先生方は前からご存知だったんですか?お花見。」
私が聞くとうっちー先生はガハハとまた笑って言った。
「前任から毎年の恒例だって聞いてたからさぁ。ほら酒も持ってきたよ。」
そうだ、T大とJ大からは交代で人が来ているんだった。私やのんたんみたいに別の大学から来るのは特例だって、この前の面談で言われたっけ。
振り向くと、のんたんは検査室の技師さんたちに居場所を作られ座らされていた。のんたんが助けを呼ぶように、私にこっちこっちというように手をこまねいている。のんたんって本当に小動物のような人だよね。仕方がないので隣に座ることにした。
おでんのいい匂いがする。手元に回ってきた器を受け取りはっとする。これはもしや、カテーテル検査の時に使う水入れ(もちろん使い捨てだけど)では・・・。
「あははー。先生、水入れちょうど良い大きさでしょ。毎年これ使ってるんですよ。使い捨てだけど、丈夫なので最適な器なんですよね。」
私の動揺に感づいてか、検査科の女性が言った。
「宮崎です。宮崎かのん。これからは先生がカテ室にくるときにお会いしますね。よろしくお願いね。」
目がぱっちりとしていて見惚れてしまうような美人だが、とてもフレンドリーで好印象だ。ショートカットがよく似合っている。年上の様に見えるけど、肌艶から見ると年下なのではないかとも思う。
「よろしくお願いします。」
私は水入れのことを忘れて返事をした。時々自分は男性なんじゃないかと思うほど、美人は気になるが、男の容姿には興味がない。
「あ、神田せんせー。」
宮崎さんは手を振って向こうから私服でやってきた男性を呼んでいる。モスグリーンのチノパンに薄いブルーのシャツ、さらにはカーキのよくわからない靴。おしゃれからは程遠い姿で神田先生がやってきた。
「これ、差し入れ。僕、今日は論文を書くので忙しいから飲み会は欠席でお願いします。」
そう言ってビールがたくさん入った大きなレジ袋を二つ置いてそのまま去っていった。宮崎さんは笑顔で受け取って、今度はさよならのバイバイをしている。宮崎さんの対応をみていると、神田先生はいつもこんな調子なんでしょうね。なんか感じ悪いんだよね。ロボットみたいに無表情で自分の言いたいことだけ言って、人の話なんて聞かない感じ?あの雰囲気は「僕はT大だから」ってことなのかしら。まぁ私にはどうでもいいけど。そう思いながら私はいつの間にかおでんと一緒に紙コップに入った日本酒を飲んでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます