第3話 ニックネーム
あっという間に昼になった。堺先生に捕まると長くなるから、話を切ってきちゃったけど、新人の様子をもっと観察してもよかったかな。それにしても、花見なんて、全くカテ室の連中は本当に大騒ぎが好きだよなぁ。論文の途中だから早く家に帰りたいんだけど。そんなことを思いながら僕が食堂に向かうと、新人の2人が仲良さそうに食事をしていた。本当にあいつら今日初めて会ったのか?と思うほど楽しそうに話していて、さすが私大だと思ってしまう。
「あ、神田先生!」
野口が僕を呼んだ。
「こんにちは。池谷先生だっけ。2人仲良いね。前から知ってるの?」
そんなわけはない事は分かっているけれど、とりあえず話しかけてみた。世間話が苦手な僕はそれ以外の話題を見つけられないし、こいつらとは人種が異なりすぎて共有できるものがあるように思えない。
「神田先生、初めまして。あ、先程お会いしましたね。野口先生とは初対面ですが、妙に居心地がよくて一緒にご飯を食べようってなったんですよ。」
「そうそう、僕も居心地いいなーって思ってたんだ。」
池谷の話を嬉しそうに同意する野口は女子のようだ。というより小動物系? 今まで見たことのないタイプであるのは間違いない。
「野口先生に『のんたん』ってニックネームをつけたんですよ。神田先生はどう思います?野口の『の』もあるけど絵本のノンタンになんか感じが似てません?ほわーんとした印象!」
池谷が笑って言っている。その感覚が全く理解ができずに(野口が動物のキャラクターに似ていると言うのは理解できるが)いると、野口が続いて言った。
「ひどいんですよ。ノンタンとか言って。まあいいですけど。池谷先生は美衣だからみーちゃんって呼ぶことにしました。僕だけあだ名なんてちょっと恥ずかしいので。」
「あー、やめたほうがいいと言ったんですけどね。絶対似合わない。」
池谷がクールな表情で話すのを見て、全くその通りだと思う。一見フワフワ女子に見えるが、発するオーラが女王様的である。みーちゃんの雰囲気はかけらもない。話に乗せられてしまったが、世界が違いすぎて、僕の居場所じゃないと感じるものの、なんだか居心地がいい空間である感じがするのは気のせいだろうか。
とりあえずこの場は逃れようと、
「まあ、2人で楽しそうでよかったよ。ここの研修、最初は嫌になる人の方が多いから。じゃ、食事が終わったら1時ごろ4階病棟集合で。のんたん。」
呼んでみるととてもしっくりくる呼び名で笑ってしまった。
買ってきたお弁当を食べようと医局に戻ると、今日から来た、僕より上の学年の先生方が集まっていた。医者の世界では学年は絶対的なものであり、今日からこの病院に来たとしても上としてみなされるのだ。僕の方が賢いのは間違い無いのに。実力社会では無いのが本当に馬鹿らしい。
もらった名簿を見てみる。大きい方から順に高見沢先生、井澤先生、内山先生だ。僕の記憶は勉強や仕事に関してはとてもよく機能するが、人の名前だけはなかなか覚えられない。僕の中で興味のないことだから省かれてしまうのだろうと思っている。
「あ、神田くん。堺先生は瞬太って言ってたけど、瞬太でいいのかな。」
スティッチのような人間離れした内山先生が聞いてきた。
「僕の名前は瞬太ではなく、瞬なんですが。」
全く失礼だと僕は思う。
「知ってるー。でもみんなニックネームで呼ばれてるよ。井澤先生は洋ちゃん、高見沢先生はタカミー。呼びやすい方がいいでしょ。なんとか先生とかってかたっ苦しくない?」
ガハハとスティッチは笑って言った。
「では神田でいいです。」
僕は言った。だいたい普通に先生付けで呼ぶのに何が問題なのか。僕はあまり馴れ馴れしくもされたくないし、なんでみんなこんなに呼び名をつけたがるのか意味がわからない。これまでこんな事あったっけか。なんだか、たったの半日で空気が変わってきているのが恐ろしい。
「神田かぁ、じゃあカンちゃんね。神田のかん」
かんちゃんだって?滝壺の中に突き落とされていくような感覚に襲われた
「うっちー、いい名前つけたなー。かんちゃんか。」
とタカミーこと高見沢先生が言った。なんなんだこいつらは!ほんとやめてほしい。どう見ても僕のイメージじゃ無いだろう。
毎日正確にことの運ばれていく病院での僕の生活が崩れていく気配がする。妙な冷や汗が出てきて、僕は自分の焦りを表面に出さない様にするのが精一杯だった。
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