石崎 香織 面会
「それはどういうこと……」
「それは本当なん……」
仙波さんと健太さんが同時に言葉を口にした。言葉の途中で二人は見合い、健太さんが顔を伏せたのでどうやら発言権を仙波さんに譲った様子だった。
「それは、いったいどういう事なんですか?」
さっきの質問に「いったい」という言葉を足し、より強い疑問を投げかけてきた。
仕事の時でも見せたことのない仙波さんが、ひどく狼狽している。大阪に新規出店へのディスカッションを兼ねた出張の際の、あの余裕たっぷりで自信に満ちていた仙波さんがつばさの精神的な、もしくは肉体的特異性を聞いて驚きを隠そうともしなかった。
一体全体どうなっているんだ、と叫び出しそうだった。その落ち着きのなさに、どこか私は安心感を抱いた。血の繋がりもないのに、これほどつばさの事を気にかけてくれる彼に、やはり私は心の平穏を求めているのかもしれない。
「まだ、そうと決まった訳じゃないんです。先生も成長の過渡期には良く有る事だって言ってもいました。ただ……」
「ただ?」仙波さんが訊きかえす。「ただ……」言葉に詰まる。恐らくその先をつぶさに話せば、仙波さんも健太さんも自己嫌悪の沼に突き落とすことになる。
動機ときっかけとなった二人が、精神的な負担や迷いを生み出すことなくつばさの事について伝えるのが、難しかった。
いや、本当は自分が一番責任を負わなきゃいけないのに、無責任な私は二人に押し付けようとしてるんじゃないか。現実から目を背けたくて、逃げてるだけ。
「俺が全て悪いんです、つばさの前で女装なんてしていなければ、今もつばさは平穏な毎日を過ごしていたはずです。自分の生活が不安定になっていくことが怖くなって、女装ならバレないかもって妙な自信があったんです」それが間違いでした。と健太さんは頭を下げ、「すみませんでした」と熱を込めて謝罪をした。突然のことに私たち三人は驚きを隠せず、見合った。
ただ、誰一人として健太さんの罪をかばわなかった。仕方のないことだ。と半強制的に納得をせざる負えないような雰囲気が、私たちを包んでいた。
人類が文明発展、つまり生活の豊かさを求めた結果、温室効果ガスを大量に発散させた。その結果、地球で温暖化が進んでいる。
人類はこの現状を予見できなかったがために、異常な気候との共存を強いられている。そう、それは仕方のないこと。
健太さんもまた然り、まさか自分の女装がつばさのセクシャリティーを変えてしまうとは思わなかったはず。そして私はそれを受け入れなくちゃいけない……。
「責任が、取れるの?」京子が健太さんに訊いた。
傍から聞いていると、京子が健太さんの子供を妊娠したかのような物言いだと、私は場違いな考えが浮かんだ。
責任のとり方とはいったいどんな方法だろうと、私の頭に疑問が浮かんだ。
「警察にでも突き出しましょうか」仙波さんは本気とも冗談ともつかない言葉をつぶやいた。
「それじゃつばさに対しての責任を果たしたとは言えないんじゃない?」京子は俯いたままで立ち尽くす健太さんをちらりと見やり、皮肉を零した。
確かに、その通りかもしれない。今朝から、一連の出来事に私は動揺しっぱなしで、騙されていた事への腹立たしさが身体の中で充満していた。
膨れ上がった不満を吐き出すこともできず、負の連鎖なのか、つばさが倒れた。
いま、その敵かたきを前にしても、気の抜けた炭酸のように、私の中で膨れていた不満は身体の外へと出ていってしまった。もう当たりちらす意欲もない。
考えるべきことは、つばさの今後のことと、私たちの気持ちの折り合いだから。
「それはおおいに構いませんが、香織さんだって被害者です。精神的な苦痛はそう簡単に癒えるものではないでしょう。それと、健太さん。君も良く知ってのことだと思うけど、"例のいたずら電話"は君の仕業ではないのかな?」
「いたずら、電話?」
「知らないことはないだろう。なんせ君が一番に気付いたのだから。相手の喋った内容が、その日の香織さんの服の色と同じだ、ということにね」
「そ、それは違います!」
「違うもなにも、良く見ていなきゃ気付かないことじゃないのか? 注意深く、観察しなきゃ、気付かない。そう思いませんか?」ふいに仙波さんが京子に同意を求めた。
「で、どうなの?」と、我かんせず、そのまま健太さんへ受け渡した。責任論を唱えた帳本人が、二人のやり取りに無関心な様子をみて、私は驚いていた。
「香織さんは、洋服の色に気を遣ってたんです。俺に、明日はどんな色がいいかな、とか何気ない会話をしてたことがあったのを、思い出したんです」
「そうなの?」京子の退屈そうだった目の色が変わり、子供のような好奇心をもった目の輝きに変えて、私に訊ねた。
確かに、覚えがある。数回ほど、みなみさんにアドバイスを乞い、実践してみせた。
「う、うん。まぁ」
「なーんだ、じゃあ白ね。潔白よ、潔白」
「ちょっと、待ってくださいよ。そんなにあっさりと彼の言い分を受け入れるんですか? 彼のこれまでの行いを考えれば、火を見るより明らかでしょう」
京子とは打って変わり、納得のいかない、まるで駄々をこねる子供のようにジェスチャーを交えて、仙波さんは必死に抗議をした。
そんな二人のやり取りを遠巻きに、私は未だにうつむき黙り込んだままの健太さんを見た。天井からLEDライトの光が壁の色と同色の白い光を放っている。
反射する光が空間に広がりを与え、影をつくる場所を奪う。健太さんの俯く顔には、逃げ遅れた影が集まったかのように、どんよりと、暗く静まっていた。
三ヶ月前、彼女と初めて会った日を思い出していた。春の名残惜しそうな涼風が吹いていたその日、私とつばさはみなみさんに出会った。
緊張した面持ちで、新社会人の入試面接をしているような緊張感すらあった。
そんな緊張のかげにも、梅雨の雨にうたれても、内に秘めた強さと華やかさをたたえた花のように、瞳は輝いてみえた。
六月にはペチュニアの浴衣を身に着けて、夏を感じさせる湿気と人たちの熱気の中で、打ち上げ花火を三人で見た。
あの日、みなみさんに零した私の恋愛談をどんな気持ちで聞いていたのだろう。
はにかんだ笑顔でつばさと写真にうつったみなみさんが、自然体に見えたのはどうしてだろう。
記憶の片隅で、生き生きとしている彼女に、もう会えない。となぜか悲しんでる自分がいた。
性格すら偽りきれる人ならもっと前からボロが出てたはず。私なんかでも気付けたんじゃないかな。
熟と自分が嫌になる。男と分かれば、すぐに相手の嫌な所を見つけだし大仰な理由をつけて嫌いになろうとする性格が、いつまでも直らない。
せっかく仙波さんと出会って変われると思いはじめていたのに、私は根本的に何も変わっていなかった。
「彼は、女装をしていたんですよ! 気色が悪いと思いませんか!」語気を強めて仙波さんが苛立った。
「せ、仙波さん。落ち着いてください」彼らしくもなかった。私に宥められるほどムキになったのは、知る限り初めてだった。
「俺のことなら、そう思われてもいいです。俺のことなら」健太さんが耐えかねたように、零した。
「もし、つばさのためを想って云っているのなら、それも理解します。けど、だけど、つばさの事を理解してあげるなら、気色が悪いだなんて、言わないでください。もし本当に性同一性障害だったら、仙波さんはつばさが女の子の洋服を着ることを気色が悪いと思うんですか」
――忘れてた。
身体の中から湧きあがる衝動をおさえようとしているのか、ギュッと握りしめた健太さんの拳が、小さく震えていた。
それが怒りなのか悲しみなのか、私には分らない。ただ、仙波さんを見据えたその瞳は、いつものみなみさんの瞳だった。
――いつも、つばさの事を見守っていてくれていた、真剣な眼差しを、私は忘れてた。
「正直、自分のことはどうでもいいんです。みなさんの気の済むかたちで責任は取ります。だから、もう……つばさに会わせて頂けませんか」
その声は、清涼だった。清々しさと覚悟の滲んだ声だ。もうどうにでもなれ! とヤケクソになった訳でもなく、ただただ淡々と、滔々と、私や京子それに仙波さんの気を害することなく配慮のこもった言葉だった。
その時、向かいの引き戸が開く音がした。みんなの視線がそちらへと注がれる。中から出てきたのはつばさよりも少し年上の男の子だった。
「ママ、トイレ行ってくるね」と室内の奥に座る母親らしき人物に声を掛けた。
母親はスマホに夢中なようすで、画面を見据えたまま、「うん」と頷いたのだろう、頭がすこし上下に揺れた。
すこし不満げな表情でこちらに向きなおり、私たちの集団に気付き、今度はおどろいた表情をみせた。
「こんにちは」驚きのさなかにありながら、初対面の大人にたいして、『こんにちは』と挨拶ができる男の子の素養の良さに、私は感心した。
子供が誰かに挨拶したことに気付き、母親がスマホから慌てて視線をはずし、バックの中へスマホを押し込んだのが見えた。
ちらりと、バツの悪そうな顔でこちらを窺った。相手が先生や看護師でないことに安堵したのか、今度は不可解な顔でかるい会釈をこちらへと投げてきた。
「こんにちは」
健太さんが両ひざに手を当て、視線を男の子の高さにあわせて、挨拶をした。
「ちゃんとご挨拶ができて偉いね」その声は男の子だけでなく、部屋の中の母親に聞こえるくらいのしっかりとした声量で、それを意識していたかのように男の子の後ろへと視線をおくり母親へかるい会釈を返した。
戸惑いの中、私の心の奥底で『怒り』と『希望』がある一か所を目指して渦を巻いた。なぜ初めから健太さんとして私たちの前に現われてくれなかったのか。その途中でもいいからどうして女装のことを切り出してくれなかったのか。先程まで影のある表情をしていた健太さんは鳴りをひそめて、いつの間にか優しさと自信を満ちた表情に変わっていた。
もし初めから健太さんとして接していたら、私は警戒はしなかったかも。いや、たぶんそれは違う。きっと私は健太さんの嫌な部分を見つけ出して否定をしていたと思う。いまの健太さんを否定できないのは、みなみさんの存在があったからだ。
『みなみさん=健太さん』つばさにはどちらも存在していてどちらが本物でどちらが偽者という解釈はなかったんだ。自分の身近にいてくれる存在が、つばさにとっての本物だから。
もう迷いは無かった。今なすべきことも、やるべきことも答えが、出た。
「中に入りましょ」恥ずかしさと、歯がゆさで身体が震えそうだった。これから、私はつばさと健太さんの秘密だった関係を目の当たりにすることとなる。
二人の秘密が公然となったいま、私はどんな反応を取ればいいのか分らない。
病室に入りピンク色のレールカーテンを私は開いた。つばさは目を覚ましていたのか仰向けになり、ボンヤリと窓の外を見つめていた。北向きの窓からは日光は差し込まず、澄んだ青空と高層ビルだけが見えていた。
「つばさ、起きてたんだ」
「うん。あれ? 京子おばさんも仙波さんも一緒にきてくれたんだ」つばさは私の後ろにいる二人に目をとめた。
「つばさ、痛いところはない?」京子が聞いた。
「うん」
「つばさ君、ブレスレット壊してしまって、ごめんね」仙波さんはサイドボードの上に置かれた、器に目を配った。私のブレスレットをつばさに渡したけど、誕生日のプレゼントなのだから、と押し返された。
私はしかたなく、千切れてしまったブレスレットのビーズたちを、ガラスの器に入れ、ベットの横に置いておいた。
「……うん」
つばさが浮かない顔をしながら返事した。自分を、『君』づけで呼んだことになのか、ブレスレットが壊れたことを改めて言われたことになのか、私には分らなかった。
「どうしたの、つばさ」京子はつばさのしょげた様子が気になり、心配そうに声を掛けた。京子にも詳しく話していなかっただけに、つばさが落ち込んでる理由を分かっていなかった。
何も答えないつばさに、重たい雰囲気が病室内をつつんだ。
私は振りかえり、つばさから仕切りのカーテンに遮られた死角で出るタイミングを窺っている健太さんをみた。視線が交わると、私は小さく頷いた。
京子と仙波さんも私たちのやり取りに気付き、つばさのベットから二歩ほど退いた。
「つばさ……大丈夫か?」
「けんた、さん? 健太さんっ!!」相部屋だったら間違いなく迷惑だろう大きい声が、重苦しかった雰囲気を吹き飛ばすように部屋の隅から隅まで響いた。
「色々とゴメンな、倒れたって聞いてたから、心配してたんだ」
「つばさ、もう大丈夫だよ! 元気だから!」つばさはバンザイをして元気さをアピールした。あまりに勢いがついたせいか、頭を打った痛みにすこし顔を歪めた。
「ほら、やっぱりまだ痛むんだろ、無理するな」嬉しさ半分、寂しさ半分といった顔で健太さんはつばさの頭を優しく、なでた。
つばさは上げていた両腕を水平に下ろし、「けんたさん」と呼んだ。見ているこっちが恥ずかしくなるような、ハグのおねだりだった。
照れくさそうに健太さんは腰をかがめて、ベットに座るつばさの背中に腕を回した。お互いの頬をすり合わせ、耳に吐息が掛かったのか、つばさはくすぐったそうに首をひねった。
「ブレスレット壊れちゃった」
「また作り直せば元に戻る」
「直らないもん」
「約束する。健太さんが、必ず直すから。それまで健太さんのブレスレットをつばさが付けててくれ」ハグを解き、健太さんは自分の手首に巻かれたブレスレットをつばさの手首に付け替えた。
大きいはずのブレスレットは、何故か手首にすっぽりと収まった。初めからつばさの手首に合わせて作られていたかのようなサイズだった。
「いいか、健太さんの大事なブレスレットだから、大切にしてくれよな」
「うん!」微笑むつばさの頭を、スッキリとしたような笑みで、健太さんはなでていた。
「良かったわね、つばさ」
「ママ、つばさ早く帰りたい」
「一応、色々と検査があるから、今日はお泊りよ」
「えー」
「今日はみんなに忙しいところをわざわざ来て貰ったから、今日はもう帰ってもらうわね。つばさ、キチンとさよならして」
「はーい。健太さん、京子おばさん、仙波さん、さようなら!」
「じゃあママはみんなを送って来るわね」
私たち四人はつばさに見送られながら病室を出た。
しっかりと扉が閉まるのを確認して、健太さんが口を開いた。
「あの、あの……。色々とご迷惑おかけしました。今日は、ありがとうございました」謝ったり、お礼をいったりと、変な言い方だったけど、気持ちは十分に伝わった。
「ううん、来てくれて、ありがとうね」
「彼は僕が送ります。車で来てるので」仙波さんがもう一仕事の大変さを悟ったかのように、ため息をにじませて健太さんの送迎役を買ってでた。
「いえ、自分で帰ります」
「大丈夫だって、煮て食おうとなんかしない。安心しな」
「いや、その、怯えてるとかじゃなくて、これ以上、ご面倒をお掛けするのは失礼かと」
「この期に及んで、まだそんなバカなこと言ってるのか君は。生まれ変わったんなら、過去を悔やむよりも、今を生きろ。ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと行くぞ」
「え? あ、はい」
いつもらしからぬ仙波さんの兄貴的な振る舞いに、京子と私は、噴き出しそうになるのを必死で我慢した。
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