健太のとある休日

 気付くと時計の針は、午前10時を4分ほど過ぎてた。


 朝霧の中に押し込まれたようなボンヤリとした意識の中で、思い出すと確か8時25分だったはず、間違いなく。


 今のところ毎週日曜日は必ず休みになっていたが、土曜日はイレギュラーなため昨日も夜の九時までつばさを預かっていた。


 香織はここ最近の忙しさの疲れからか、時折お迎えの時に冴えない表情を浮かべていた。


 けどつばさの笑顔を見るとたちまちその表情が解れて、香織の表情が春の息吹に吹かれたつぼみの様にほころんだ。


「…んんー、っと。よく寝過ぎた、かな」


 布団の中で、伸びをする。腹を天井に突きだし身体を反る、曲げた肘を伸ばし拳を頭上に突きだす。


 一連の流れで脚も、太ももの付け根からつま先までを伸ばし、切れるギリギリまで伸ばされたゴムの様に身体全体を伸ばした。


「痛っ、てててってー!」



 そんな無理をしたせいか、右足の裏の筋が急に固くなり薬指を思いっきり引っ張られる痛みが土踏まずの辺りに走った。


 俺は痛みに耐えられず飛び上がった。


 年齢はまだ20代だし見た目よりも若く見られる。ただ運動不足なこの身体だけは、危険信号を足を攣るという形で俺に示している。


 気持ちよく背伸びをすることを身体が許してくれない。


 遠慮がちに縮こまった背伸びじゃ、筋肉はより固まるってものじゃないか?それ位は大目に見てほしい。


 右足の裏の筋を擦さすりながら、愚痴をこぼすが、今はそれを掬ってくれる相手も居ない。


 俺以外の人なら、休日をもっと楽しく上手過ごすんじゃないだろうか。


 それを糧に苦痛の一週間を耐え、仕事に臨むんだろう。仕事が生き甲斐だなんてバカらしい。昔の俺ならそう思ってた。


 でも今の俺は手のひらを返すように、真逆だった。


 休日なんてものは退屈そのもので、時間が過ぎるの事を耐え忍んで過ごす自分が居た。


 流石に寝過ぎた。これ以上は、布団の中で時間を潰せる気がしないな。


 お腹もすいたし、パンでも焼くか。


 適当に朝食を済まして、俺は気晴らしに出かける事を決意し布団から起き上がった。


 十一時半には自宅を出て、横浜に向かうバスに乗った。


 電車に乗ればものの二十分で着く行程も、今は暇を持て余しているので、なるべく時間が掛かるようあえてバスを選んだ。


 忙しい人からすれば、『なんて贅沢な時間の使い方なんだ』と言われそうだが、自分の人生をいかように使うのかなんて誰にも口出しは出来ない。


 けれど、今の俺には、そんな贅沢な時間すら、出来る事ならば早送りをしたい。


 バスに揺られながら車窓を流れる景色をボンヤリ眺めていると、あれほど寝たのにまた眠気に襲われる。


 バスに乗るのも久しぶりで乗り過ごすまいと必死に目を見開く。目的地の横浜は終点だからそんな心配は本来いらない。


 こんな事に神経を使うくらいならつばさを家に連れてきて欲しい、そう香織にお願いしたいくらいだった。


 けど香織の仕事の活力源がつばさだと、俺は理解してる。つばさ無しじゃ俺も香織もダメなんだよな。



―――二人を邪魔をするようなことはしちゃ、いけない…。




 信号待ちで、歩道をいく親子連れの家族が見えた。手をつなぎ仲良く話しをしてる家族の様子は、俺の孤独感をさらに増大させた。


 家族との思い出はそれほど多くなかった。公務員として働く父親と、パートで出稼ぐ母親は俺が小学校時代から共働きをしていた。


 一人っ子の俺は学校から家に帰れば誰も居ないのが当たり前。家の鍵を首にぶら下げる『鍵っ子』だった。


 まわりの友達にも鍵っ子は多くて、ランドセルを放り投げてすぐさま遊びに行くことが鍵っ子たちの日課だ。そんな時代だった


 両親は休みともなれば平日の疲れを癒すために、自宅でつかの間の休息を取っていた。


 ホタルの思い出も、そんな休日の風景でついこの間まで忘れていた。


 仕事も落ち着き両親と離れて暮らすようになり、いまは年末に帰省するくらいだ。


 親もと離れて暮らし始め、もう四年程が経った。


 親父は口うるさくて何かにつけて俺の心配をしてくれているらしい。そんな父親の言動を、母親が密かに漏らしてくれる。俺はそんな両親に感謝してる。


 親父は人格者だ。初対面の人でも旧知の中でもその人物がどんな人なのかを常に考えていた。


 それがどんな粗暴な人間でも対応は変わらなかった。


 世間を揺るがすほどの猟奇的な殺人事件のニュースが、質素な我が家の食卓を賑わせ「こいつが死んだ方がよかったんだ」と俺が言うと、親父は『何か理由がある、それは本人しか知りえないことだ』と頭ごなしに犯人を罵るようなことはしなかった。


 俺は冗談で「俺がこんな事件を起こしたらどうする?」と訊ねた。


「まずはお前をブッ飛ばす。鼻っ柱をへし折って、それから話を聞く」と嘘とも本気とも取れないような淡々とした口調で話していた。


 ようはそんな親父だった。



 幼少の頃から、大人しい性格の俺を、親は心配していた様子はない。


 健全ならそれでいいと、それだけど幸せじゃないかとも言っていた。


 女装をする男性が健全かどうかは分らないけど、生きていたら男女の違いは、両親にとっては些細なことなんだだと感じた。


 学生時代に差別的ないじめを受けてた頃、両親に相談したことがあった。


『そうか。健太はみんなの中でしっかりと存在してるんだな。良い事じゃないかどんな形であれ認められることは』


 そう俺を諭した。


 今になれば、なんとなくわかる気がする。ただ当時の俺には、あまりにも理不尽で見捨てられたという気持ちしかなかった。


 心も体も未熟な子供にその精神論は、運動部の体罰は愛のムチなんだ、と言ってる様にも聞こえた。


 あの時から俺は、自分から逃げていた。もっと父親の話す事に耳を傾けていたら、もっと変わっていたのかも知れない。


 信号が青に変わり、バスは動き出した。歩道をいく家族を追い越し遠ざかっていく。


 あとで電話でもするか、と俺は心に決めた。



 横浜に着いてから30分が経った。思ってたより電話が長引いた。


 電話よりも顔を出せと叱られ、盆には帰る約束をした事でなんとか解放された。


 実家に帰るにしても、話していない事が山ほどある。仕事に関して聞かれたがその辺は曖昧にして答えておいた。


 帰るまでに話を整理しておかなきゃな。それは横浜に着いてまで考えることじゃない。今はとりあえず気晴らしをしよう。


 今日の目的は、横浜に香織が手掛けるブランドの直売店がある。興味もあったので一回覗いてみようと決めていた。




 休日の横浜はやはり人出が多い。身体がぶつからずに、すれ違うにはギリギリだった。


 どんなにドリブルの上手いサッカー選手でもここをすり抜けるには無理だろう。


 男性の平均身長から10cmも低い俺は、人混みにスッポリと隠れてしまう。


 その人波に流されることなく目的地にたどり着くには、適当なビルを目印にして、それを目標に歩くのがコツだった。


 人波を避けて進む、時折、人の腕と自分の肩がぶつかる、そしてまた進む。


 俺は、いつもと少し違う感覚に気が付いた。すれ違う人たちは俺を避けることをしない。


 影が薄いとか視界に写らない、という訳じゃない。




 ―――そう言えば女装してないんだった。



 そこで俺は、自分が女装をせずこの場所に居る事を自覚した。


 自分で言うのも変だが女装している時の俺は可愛い女の子だった。同性の男なら視界に入れば見てしまうのは自然な事だととも思ってた。


 視覚的に認識してもらっていた事で、他人と俺とがぶつかることはなかった。


 それこそが俺の女装の最大の目的だった、が今じゃそんな事に喜びを感じる事も無くなっていた。


 どんな形であれ人に認識されることは良い事だと親父が言ったが、流石に女装して喜んでる俺がいたことには驚くだろう。


 確かに人に認識されていないことが嫌だった。男としての自分を見てもらいたかった。


 俺の存在価値は乏しい、そうやって自己評価を下げていた。



 自分を変えてみようと、チャレンジしたのが女装だった。どうせ変わるのなら性別を変えた方がいいと安易な考えだったけどなかなかどうして思っていたよりも良い出来栄えだった。


 道ですれ違う男の視線が明らかに俺に向くのが分かる。この時に、『あぁこれが選ばれた人たちだけが感じる事の出来る羨望の眼差しか』と強く感じた。


 そんな視線を送ってくる連中の中には、俺を男とは知らずに声を掛けてくる奴もいた。


 そんな奴に限って人を外見でしか判断できなそうな男だった。


 その時はバレちゃまずい気持ちと笑いを堪えるのに必死なって走って直ぐに逃げたことがある。


 俺は胸がすくような爽快感を味わってた。『男だよ! バーカ!』なんて汚い台詞を吐きそうなのも必死で堪えた。


 かく言う俺も、同じなんだけどな。


 ただ単に、同性から受けたいじめを、形を変えた嫌がらせで、仕返ししたかっただけだ。今に思えば。




 今は、女装をせず人前に出て歩きたい。誰かに認識して貰いたいとも思わなくなった。


 随分と変わったな、自分。


 いや、一人だけ該当者がいた。その人には本当の自分を知ってもらいたい。


 頭の中に浮かぶ、二人の笑顔が、俺の孤独感をまた蒸し返した。




 ―――休日って本当に、つまんねぇ。




 目的のビルまでは10分ほどで着いた。屋上に緑色をベースに文字が黒く縁取られた大きな看板が据え付けられている。


 太陽はすでに頭上を通り過ぎて西の方へ傾いていた。


 途中、気分が悪くなって壁にもたれ掛った俺は、慣れない人混みで人酔いをした。腹の辺りから込み上げてきそうになる物をなんとか押しとどめてやり過ごした。


 これだけの混雑は花火大会以来だったな。


 身長が低い分、目の前で揺れる無数の人の頭と、得も言えぬ圧迫感が酔いを誘発させた。


 お酒も飲まない俺が、休日の真昼間から他人に酔わされる始末。人はどうして混むと分っててこんな場所に出てくるんだろう。


 そんな場所にのこのこ出てきておいて何言ってんだか、つくづく休日ってのは最悪だ。


 緑の看板のビルを目の前に、胸のあたりにわだかまる気持ち悪さを、胃に押し戻しビルの中に入った。




 ビルの中はいたって普通で、アパレル系やアクセサリー、貴金属にCDショップが立ち並び、横浜にはこの手のテナントビルは無数にあった。


 香織の経営するブティックailecreationエルクリエーションは4階のフロアの一角にあった。


 ショーウィンドウの中には空間の際に紫を基調に美しいグラデーションのアサガオの造花を飾り、中央に立つ大人と子供のマネキンを際立たせる演出をしていた。


 母親が子の手を引くような、そんな風に見えた。いや、当事者から言わせてもらうと俺とつばさの後ろ姿だと思う。


 着付けてあるのは、間違いなく香織が俺にくれた浴衣だった。


 麻織りの白生地には、薄紫と薄紅色のアサガオが佳麗に数輪の花弁が広がっている。


 雨露に濡れるアサガオの艶やかさを上手く編み込み、むしろ着物に近い、品のある和装に仕立てていた。


 対となる帯にも薄紫のグラデーションで施されて、腰にうちわを差し込んでいた。


 子供のマネキンは、頭の後ろにお面が被せられていた。




 あの日、花火大会を三人で見に行ったときに香織が不意に後ろから写真を撮った。


「いい画が撮れた」と満足そうに言っていた事を思い出し、この為だったのかと今更ながらに理解した。


 どんな時でも商売のアイデアを模索している事は商人としては優秀だし、ケチをつける気はない。


 でも女でない自分がモデルとなっていることに多少の違和感がある。


 ついでに言うとつばさのマネキンも何故か女の子として作られていてちぐはぐ感だけが俺の中に残った。




「こちら新作の浴衣ですが、いかがでしょうか」


「えっ」


「ずーっとご覧になっていたので、お気に召しましたか?」




 落ち着いた雰囲気のお姉さんから突然話し掛けられ、長い事ウィンドウを眺めていた事に気付いた。


「そんなに長く見ていましたか」「えぇ、もうそれは凄く。だから嬉しくてお話しさせて頂きました」


 馴れ馴れしい対応の割に口調が丁寧なので嫌な感じが全くしなかった。


 むしろ好感が持てて話しているのが楽しいと思えるような女性だった。




「この子供の方のモデルが知り合いの子に似てて、見てました」


「あら奇遇ですね! 私もモデルになった子を知ってるんですよ」


「へー、この子の名前は?」マネキンを指さして聞いた。「つばさちゃんです」と店員さんはにこやかに答えた。


「やっぱり」とつい口を滑らせそうになる。




「贈り物にも最適ですよ。大切な人に贈られたら如何ですか?」


「僕に大切な人が居るように見えますか?」


「だって、あんなに長く見て頂けたから。誰かを思い浮かべてたのかなって」


「えぇ、つばさちゃんですね」俺は恥ずかしくなり誤魔化すように返した。


「はい、つばさちゃんです」と言って、ふふふと店員さんが笑ってくれた。


「この柄になってる花はアサガオですよね。こんな色のアサガオもあるんですね」


「和名ツクバネアサガオ、学名ペチュニア。主にガーデニングとかで見かける事が多いですね」


「え? 小学校の時に育てるアサガオと違うんですか?」


「うん、違います。って私も最近まで知らなかったんですけどね」とまたふふふと笑った。


「どうして普通のアサガオじゃないんですか?」


「ペチュニアの花言葉が素敵なんです。ご自分が大切に想っていらっしゃる人に、この浴衣を贈ってもらいたいと願って私どもの社長が立案したんです。このマネキンのモデルも社長の一人っ子で、自分の子に対してその気持ちが強く表れた形なんです」


「その、ペチュニアの花言葉、って?」


「それは……『あなたと一緒なら心がやわらぐ』って意味です」彼女は内緒話をするように顔を近づけ、耳元で囁いた。




 誰かに聞かれたらまずい内容でもないのに、どうしてそんな事をしたのか判然としない。ただ分かったことはいい香りがしたことだった。


 優しくて心地の良い、花の香りにも似た匂いだった。




 ペチュニアの花言葉を、香織はどんな想いでつばさに伝えようと思ったのだろう。


 香織もつばさも、今は幸せなのかな。その幸せのお零れを、俺は頂いてる。


 二人にとってはあげてるつもりは無いだろうけど、俺自身が今の生活が充実していて満足のいくものだった。


 だからという訳じゃないけど、俺はその場で浴衣を二着、買う事に決めていた。




 この年になって初めて自分の為にじゃなく、誰かの為にプレゼントを買った。


 子供の頃に友達の誕生日会でノートやシャープペンなどをプレゼントしたことはあったけど、その資金はどこから調達したかと言えば、母親の財布の中からだったし値段も二桁違かった。


 どうせ二人に贈る物なら、別の物にした方が良いはずなのにすんなりと決めてしまった。


 正直、店員さんに乗せられたと言っても過言じゃない。香織のつばさに対する想いを聞かされちゃ、買わない訳にはいかないし。


 あの花火大会の日、つばさが俺と同じ色を着たがっていた事を思い出して、朱色に染まる浴衣を買った。




 ―――喜んでくれるかな。いや、絶対に喜んでくれるはず。




 俺は片手に大小二つの浴衣が入った紙袋を携えて、同じビル内をウロウロしてた。


 お店の鑑賞という目的を、浴衣の購入というそれ以上の収穫で達成し、そのまま帰ってしまうのも勿体ないと思いブラブラと当てもなくCDショップを見て回っていた。


 店内ではロックバンドの曲が流れ出し、小気味の良いドラムとベースが脈拍とシンクロするように波打っていた。


 俺の好みは概ねロックで、近頃は趣味に合う音楽もなくて昔の曲を聴きかえすほどでしか、音楽に興味を持たなくなってた。


 10代の頃に聴いていた音楽は、魂に降り注ぐ火粉のようで、その熱い歌声とメロディーに酔っていられた。


 歌詞の意味が解らなくても、感じられるエネルギーがそこにはあった。


 今は10代の時ほど音楽に感動することは無くなったが、歌詞を理解できるほど身近に感じられる歳になったんだと自覚してる。




 今も昔も贔屓にしているミュージシャンのアルバムを手に取って、当時の世相を蘇らせていた。


 高校時代、特に華々しい思い出があるわけもなく、それは社会も同じで世界情勢の不安から経済が混とんとしていた。


 年々増え続けていた倒産件数や失業率のニュースは数年後、社会に飛び立とうとしている俺たちを不安を駆りたて、『こんな風になりたくなかったらもっと勉強しろ』と未来を担う若人たちを煽り立てるためのニュースだと思っていた。


 公務員だった親父を持つ俺に対して、お前は安泰だなとなじる同級生すらいた。


 そんな時代だったせいか、音楽にも高揚感は感じられず、どことなく暗いイメージを持っていた。


 けど聴きかえしてみると、現実的で実直で泥臭い歌詞でその時代を生き抜くために作られた歌だったんだなとも思えた。




「あれ、健太?」




 唐突に後ろから女性に声を掛けられ、手に持ったCDを危うく落としそうになった。


 振り向き声の主を見ると、混とんとした高校時代が蘇った。




「やっぱりけんちゃんだ! ひっさしぶりじゃん、元気だったぁ?」


「あぁ、まあボチボチかな。武井さんは相変わらず元気そうだね」




 俺をけんちゃんと呼ぶ彼女は高校時代の同級生で三年の時にクラスメイトだった武井だ。彼女は率先して俺をイジメていた一人だ。


 武井とは10年近く顔を合わせていなかったが、当時の印象と変わらず黒髪のショートヘアが似合う女性だ。


 武井を見るだけで条件反射のように身体が強張った。俺の身体を緊張の針がチクッと刺してるようだ。




「あんたのその手に持ってる袋って、エルクリエーションのじゃない?」


「ご名答です」


「もしかして、自分で着るの?」


「まさか、不正解です」


「だよねー、いくら女の子っぽかったってだけで、そこまでいっちゃたら流石に引くわぁ」




 武井は遠慮なく過去の俺を掘り起こしていく。その事に悪びれることもなく、事実確認をするようで俺には居心地が悪い。


 過去を変える事は出来ないし、彼女の記憶を変える事も出来ない。もちろん俺の過去も変わらない。


 だけど、昔の自分と今の自分は同じじゃない。




「そんな狭い視野じゃ社会で大成はできないよ」


「はぁ?」


「背が低くて女の子っぽくても、それは個性だから。少数派、マイノリティー」


「そうやって自分は特別だって思い込んでるんだ?」


「自分を特別だって思ったことは無い。ただ誰かを特別だって思える人は居るかな」


「それはその人へのプレゼントってこと?」




 それとは、俺の右手にぶら下がる紙袋を指さしていたようだ。


 そうだ、とも言いきれず、無言で彼女を見ていた。




「ふーん。私には言いたくないのね。まっ良いけどさ。健太が成長したって事だね」


「こんなに大きくなりました」


「背丈はなんにも変わってないけどね!」




 武井は自分と俺の頭上で掌を行き来させて、互いの身長差を分りやすく示した。


 余計なお世話だと叫びたい。武井は俺よりも数センチ高い、高校時代は同じくらいの身長だったのに俺よりも背は伸びたらしい。




「武井さんは今は何してんの?」


「私は看護師。でも内科病棟でおじいちゃんおばあちゃんのお世話ばっかり。看護師っていうよりも介護士ね」


「それでも誰かの役に立ってる」


「そうよ、私は白衣の天使」


「古いよ、それは」


「そうでも言ってなきゃ、やってらんないもん。いつかは先生と結婚して仕事を辞めるけど」




 なるほど、武井の人生プランはすでに婚活期に入っているらしい。結婚に重きを置くわけじゃないけど、幸せな家庭を築きたいと勝手な幻想を抱くこともある。


 それはここ最近になってより多くなっていた。


 好き嫌いのでいうと、やっぱり嫌いな部類に彼女を置いてしまうが、結婚に関しては同意できた。




「子供は好きなの?」


「もちろん、じゃなきゃ結婚なんてしたくない」


「それも狭い視野だけど」


「あんたは、子供好きなの?」


「もちろん、じゃなきゃ保育士なんてしたくない」


「へぇ、保育士なんだ。じゃあ保母さんってわけね」


「あぁなるほど、まぁ当たらずとも遠からずって感じかな」




 確かに香織の前で女装をするわけだから、俺を保母さんと言ったことは的外れではなかった。


 妙に納得した気分だ。武井の言葉が俺への当てつけだと分っていたが、怒るほどのことじゃない。


 それは武井が大人になり言葉に刺々しさが無くなったからでもある。




「あんた、変わったね」


「むしろ変えられた、かな」


「誰に?」


「俺を認めてくれる。少数派、マイノリティーかな」



 店内に流れるBGMが変わった。アイドルグループの曲だ。


 キャッチ―なフレーズと、リズミカルで単調なメロディーはスッと頭に滑り込んでくる。


 好きではないが、陽気な感じはわりと時代にマッチしてるんじゃないか。


 今の自分なら、この曲も好きになれる気がした。


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