18話

 


 蹲り、血塗れに咳き込むセレティナはそれでも立ち上がろうと踠き続けた。


 行かせはしない。


 兄を私から奪わせはしない、と。


 セレティナの強烈な意思を孕んだ瞳が、ギィルを睨みつけた。

 その瞳に、ギィルの刀の切っ先がわずかに揺れる。


 ギィルはその瞳を知っていた。

 それは彼にとっても忘れていた記憶だ。


 十年以上も前、一目見た伝説の英雄の瞳がセレティナに重なって見えたのだ。

 何かを守り通すという強い意思の瞳。

 それは今のギィルにとって最も眩く、嫌いな瞳の輝きだった。


「すまない」


 ギィルは懺悔する。

 それが何に対しての懺悔なのか、彼自身にも分からない。


 ただ、ギィルはその瞳を見るのが堪らなく嫌になった。


 ギィルは刀を振り上げる。

 躊躇はない。


 一思いに刀を振り下ろそうとして---












「セレティナァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァァ!!!!!」


 耳を劈く怒号。

 突如現れたそれは疾風はやての如く二人の間を分かち、ギィルの横腹を容赦なく蹴り飛ばした。


 余りにも、馬鹿力だった。


 比較的上背で筋肉質なギィルの体が、まるで先程のセレティナの様に軽く吹き飛んだのだ。


 受け身を取ることもできず、ギィルはゴムボールの様に地面を跳ねて転がった。



「だ……れ……?」



 セレティナは、痛みに呻く。

 血反吐をひと塊り吐いて、なんとか肘をつくと、ゆっくりと見上げた。





 それは、白銀の戦乙女だった。


 白銀の鎧は真紅のマントを従えて、何よりも高潔に輝きを放っていた。

 身の丈程もある長剣は正義に煌めき、腰まで嫋やかに靡く黄金の髪は仄かに色気立っている。

 そして転がるギィルを映すその群青色の瞳は、激しい怒りに燃えていた。


 そう、その美しい戦乙女をセレティナは知っていた。









「お……母……様…………」


 セレティナの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。





 白銀の戦乙女の名は、メリア・ウル・ゴールド・アルデライト。


 淑女を捨てて戦士となったその姿は、セレティナが一度として見た事が無い母の勇ましい姿だった。










 *









 疾風はやてのメリア。

 傭兵時代、彼女は誰よりも早く戦場を駆ける事からそう呼ばれていた。


 言動は粗暴ではあるが美しく、剣の腕も確かな事もあり、当時の傭兵達の間に於いてメリアを知らぬものはいなかった。

 何より女性の傭兵という事からメリアは傭兵のみならず、多くの人間に知られる目立つ存在であった。


 多くの戦場を巡って魔物を屠り、その日の稼ぎで酒に酔う。

 奔放で猛々しい女、それこそがメリアの本質なのだ。

 そんな彼女を姉御と慕う荒くれ達は後を絶たなかった。


 しかし悠々自適な傭兵生活を送っていたメリアであったが、ある日その男と出会う。


 後の夫となるバルゲッド・ウル・ゴールド・アルデライトだ。




「私と結婚をしてくれないか」


「あァン!?お前みたいなうんこ貴族はとっとと帰ってお上品な便器でクソでもしてろ!」




 ……有り体に言えば、二人の出会いは最悪だった。


 バルゲッドはメリアに一目惚れし、最初に掛けた言葉がプロポーズだった。

 返すメリアは中指を立てた。


 余りにも礼に欠ける二人の邂逅は、バルゲッドの護衛とメリアの子分を交えた大乱闘を引き起こし、それはもう酷いものであった。

 当時の二人を知るアルデライト領民の間では今でも語り草だ。


 孤児として生を受けたメリアは、恵まれた貴族を心底毛嫌いしていたのだ。

 しかし反発するメリアにバルゲッドは頑として譲らず、めげなかった。


 事あるごとに傭兵として雇い、常に彼女を側に置いたのだ。

 メリアとしてはバルゲッドが嫌いだったが、払いがいい仕事であるので無碍にはできず、渋々バルゲッドの側に仕えていた。


 ……そんな二人の奇妙な関係は、意外にも長く続いた。


 周りは直ぐに冷めるだろう困った領主の恋煩い程度に思っていたが、バルゲッドの愛は本物だったのだ。


 バルゲッドの玉の輿を狙う貴婦人も後を絶たなかったが、それらの一切を彼は拒み続けた。


 来る日も来る日も、バルゲッドはあくる事なくメリアに愛を囁き続けた。










「なぁメリアよ」


「なんだよ」


「私と、結婚してはくれまいか」


「また……その話かよ」


「はは、こんな時だからこそだよ」


 その会話は、病室で行われていた。

 その日、将として戦場に立ったバルゲッドは胸元に抉れるような傷を晒してベッドに横たわっていた。

 誰が見ても重傷と、そう捉えられる深い傷であった。


「なあバルゲッド、死ぬなよ」


 メリアの瞳には、大粒の涙が溢れていた。

 下唇を噛み、嗚咽を漏らすメリアにバルゲッドは優しく応える。


「そう言ってくれるのは嬉しいが、自分の死だからこそわかる……私は、死ぬ」


 バルゲッドの表情は穏やかなものだった。

 それは死を受け入れたものにしかなし得ぬ、安楽の笑みだ。


 メリアは、涙を振り切った。

 ゴシゴシと涙を拭うと、今まで見せたことの無い真摯な瞳をバルゲッドに向け、その手を力強く握った。


「バルゲッド!死ぬな!生きろ!生きたらなんだってしてやる……!結婚だって、なんだってだ!だから……だから死ぬなよバルゲッド!」












「え!?!?!?!?!?!?!?!?本当に!?!?!?!?!?!?!?」



「え」




 結婚の承諾を得たバルゲッドは医者がゴキブリレベルと言わしめるほどの生命力を発揮し、死の淵から蘇ってみせた。



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剣とティアラとハイヒール〜公爵令嬢には英雄の魂が宿る〜 三上テンセイ @tensei_mikami

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