17話
セレティナは、弱い。
言ってしまえば当たり前だ。
非力で、脆弱で、病に弱い、只の十歳になったばかりの小娘なのだから。
剣ダコの無い柔らかな掌。
筋肉をまるで感じさせない滑らかな肢体。
そして決して争いを連想させないその美貌。
ギィルは何度かの打ち合いの中でセレティナをつぶさに観察し、結論を下した。
この娘は今までに殺し合いはおろか、激しい運動をすらした事が無いのだ、と。
セレティナは、戦士の持つ肉体のそれとは余り
にかけ離れている。
---ならば、何故だ?
何故ギィルの振るう刃は、一つとしてセレティナに届かない?
産まれながらにして高い戦闘能力を持つ
ギィルは嵐の様な剣戟の中、その悉くをナイフ一つで捌ききるセレティナにある種の恐怖……いや、畏敬すら感じていた。
大人と子供、男と女、そしてナイフと刀。
その如何ともしがたい決定的に開いた差を、この美しい少女は一足で飛び越えて、ギィルと今正に対峙している。
前述したが、セレティナは弱い。
そもそも、セレティナの筋力程度ではギィルの一撃を受け止める事さえ敵わない。
本来一方的な蹂躙をまるで決闘たらしめているのはそう、
英雄が、英雄である理由。
人々の希望となる
常人には決して到達できぬ剣の
ギィルの刃が振り下ろされる。
セレティナはそれに這わせる様にナイフを当てがった。
そこに力は不要。
あくまでナイフの腹を滑らせる事で、魔法の様にギィルの刃の軌道が変わって空を切る。
それが、瞬きの内に何度も行われる。
正に、神業だ。
まるで示し合わせた演舞の様にセレティナは僅かな淀みもなくナイフを走らせ、ギィルから振り下ろされる刀の悉くを弾き返した。
---俺は今、何と戦っているんだ。
ここにきてようやく、ギィルは己の死を肌身に感じていた。
全身の汗腺から嫌な汗が噴き出し、心臓が無様に高鳴り、口内が粘質な唾液に侵される。
一方的に攻撃を捌かれるということは剣士にとって、それだけ剣の技術の差に開きがあるという事を指し示す。
ギィルは自分の剣に対して、決して少なくない自信を持っていた。
若かった傭兵時代には剣聖と持て囃され、大きな
かの『エリュゴールの災禍』を経験し、生き残った数少ない歴戦の戦士でもあるのだ。
それが、どうした。
目の前の、この小娘はなんなんだ。
まるでギィルが培ってきたその全てを否定するように、セレティナが大きく立ちはだかる。
こ、殺される。
俺はこの小娘に殺される。
ギィルの脳裏に過るのは、先程絶命したウォルダムの姿。
脳内が、恐怖に侵される。
恐怖に縛られれば自然、剣の冴えも鈍る。
セレティナの瞳は、その一瞬を決して見逃さない。
ギィルの刀を振り払うと、返す刃で---
---ゴホッ
ギィルの頭に一瞬の余白が出来る。
眼前のセレティナは、苦悶に表情を歪めていた。
一つの咳。
セレティナのナイフの軌道が意図せず歪み、速度を失う。
ギィルの足が、脊髄より早く動いた。
革靴の底がセレティナの鳩尾に深く突き刺さる。
ひしゃげた蛙の声で呻き、セレティナの華奢な体は面白いくらいに吹き飛んで、硬い石壁に激突した。
ゴムボールの様にバウンドし、セレティナは地面に激しく転がった。
……それは、ギィルにとってもあまりに意外な結末。
地面に這い蹲るセレティナは、痛みに呻きながら激しく咳き込んでいる。内臓がやられたのか、時折血を嘔吐いていた。
ナイフは遠く手を離れ、力無く転がっている。
可憐な少女が晒すには、余りにも痛々しい姿だった。
「俺は……、勝ったのか」
いや……生き残ったが正しいか、とギィルの全身から疲労が込み上げた。
掌はまだ、恐怖に震えている。
セレティナとの剣戟の中で、強烈に彼を蝕んでいた死の気配はもう無いというのに。
ふぅ、ふぅ、と呼気を整え、ギィルは刀を握り直してセレティナを見据える。
---ここで殺すべきだ、この化け物を。
ギィルは汗を拭うと一歩、また一歩と、蹲るセレティナに歩み寄った。
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