16話

 




 眼前に映る可憐な少女の手に握られたナイフが、ウォルダムの筋肉質で丸太のように太い首にいとも容易く食い込んでいく。

 ウォルダムにはまるでその光景が、どこか他人事のようなものにさえ思われた。


 痛みは無い。


 ただ、経過していくナイフが己の頚動脈を断ち切ったのだというのは本能で理解する。首筋が、少し遅れて火に炙られた様に熱を持った。


 次いでウォルダムが目にしたのは、ぱっくりと割れた己の首肉から噴き出した血の飛沫。

 心臓の拍動に合わせて赤が飛び、狭い路地裏を鮮血に染めていく。


「ちくしょう……」


 ウォルダムの低い声が唸り、巨体が埃を大きく巻き上げながら地面に伏した。

 そして僅かな痙攣の後に、ウォルダムは絶命した。







「ほう……」


 それはギィルから見てさえ、ほんの一瞬の出来事だった。


 ウォルダムの巨腕がセレティナを捉えたと思った刹那、彼女は霧の様に巨腕を擦り抜けてウォルダムの首筋を断ち切った。


 あんな小さな小娘がどういう芸当だ、とギィルは舌を巻いた。そうして本能が、激しくセレティナは危険だと警告する。



「お前、何者だ」


「…………」



 セレティナはそれに応えない。

 彼女はナイフにべっとりと付着した血糊を拭い、に備えて粛々と牙を磨いている。


 ギィルはゾッとした。

 小さな少女の瞳の奥に、何も揺らめくものが見出せないからだ。

 人は己の手で命を絶った時、様々な感情に激しく動揺するものだ。

 それは例えば罪悪感だったり、悲しみや怒り……千差万別ではあるが、人は誰しも死というものに心が揺さぶられる。


 しかし、セレティナにはそれが見受けられない。

 まるで日常動作の一つをこなしたと言わんばかりに、群青色の瞳はただ真っ直ぐにギィルを捉えていた。

 ギィルは、そんなセレティナが余りにも歪で不気味な存在に思えてならない。『アヤカシ』という、人の姿に化けると言われる怪物を連想した。



「兄を返せば」


「あぁ?」


「兄を返せば、今なら見逃して差し上げましょう。……そしてもうこの様な事は二度としないと誓いなさい」



 ナイフの切っ先を向け、セレティナは問う。

 子供を叱る様な、少し厳しい口調だ。


 ギィルの目が、僅かに細まる。

 そして、


「いや……」


 鞘から刀を抜き出した。

 ギィルの意思は拒絶。

 東洋から伝来した特殊な得物が、銀色に煌めいた。



「そうですか……」


「俺にも多少のプライドというものはある。小娘相手に逃げちゃおれん。それに、俺は結構強いぞ」


 言うや否や、匂い立つ様な剣気がギィルから発せられる。

 ピリピリと肌を弾くそれは、強者しか纏えぬ気迫。


 セレティナは直感する。

 ギィルは強い、と。


 セレティナは僅かに腰を落とし、ナイフを逆手に構えた。その一挙一動に油断は一切感じられない。


 ギィルとセレティナの瞳が交差する。

 季節はもう秋だというのに、ねっとりとした空気が僅かに熱を帯びてセレティナの肌に纏わりついた。


 緊迫、焦燥……そういったものを孕んだ静寂が、僅かに流れる。


 合図は無い。


 ただ、どちらとも無く足を踏み込み命の奪り合いが始まった。


 刀とナイフが重なり一合、甲高い音を路地裏に響かせた。



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