15話
「おい」
「へぇ?」
ギィルが呼びかけると、大男は心底間の抜けた声をあげた。
なんだか分からない、と言った様子の大男にギィルは分かりやすく地面に転がるそれを指差した。
矢だ。
大男が肩に担いでいるイェーニスの矢筒から落ちた矢が、点々と路地に続いている。まるでそれを見た人間に、イェーニスが自分はここにいるぞと訴えかけるように。
「おっと……いつのまに」
大男は太い指で剃り上げた褐色の頭をボリボリと掻いて舌を打つと、イェーニスを乱暴に地面に放り投げた。奇妙に意識の無いイェーニスは、為すがままに地面に転がった。
「おい、お前起きてるのか」
大男の低い声が唸る。
投げ出されたイェーニスは僅かに
「くそっ。痺れ薬の効果が切れていないなら、矢を落としていたのは無意識の行動か?面倒な事しやがって」
毒づいた大男は
……追手が気になるならあまり大きな音を立てるなよ。
頭まで脳筋かこいつは、とギィルは溜息をひとつ吐くと煙草に火をつけた。
「ウォルダム」
ギィルが大男……ウォルダムに呼びかけると、ウォルダムは分かりやすく背筋を伸ばした。
「大きな音を立てるな。うるさくて敵わん」
「へ、へぇっ!申し訳ねぇ!」
「いや大声も出すなよ……」
呆れるギィルに、ウォルダムは更に小さくなった。
図体は馬鹿にでかいのにそそっかしいやつだ、とギィルは嘆息を吐くと、
「とりあえず少年を担げ。時間が惜しいし追手もこないとは限らねぇ。こんなとこでモタモタしてる場合じゃ---」
言って、途中で言葉を断ち切った。
---なんだ?
ギィルの全身の毛穴から汗がどうしようもなく噴き出した。
何か途轍も無く大きい気配がこちらにやってくる、と第六感が激しく警鐘を鳴らした。
ギィルの喉がごくりと、僅かに鳴る。
「何か、とんでもない化け物がくるぞ」
「……追手ですかい?」
「多分な」
気をつけろ。
その一言を最後に、二人は言葉を顰めて来た道の角を注視する。
ウォルダムは腰を落として拳を掲げ、ギィルは腰に差した刀の鯉口を静かに切った。
緊迫を孕んだ静寂が、路地裏に流れる。
……鬼が出るか蛇が出るか。
気配が近づき大きくなるにつれて、数々の修羅場を潜り抜けてきたギィルの鋼の心臓が紙風船を潰す様に収縮する。
それほどの、気配だ。
最悪やばくなったら一人で逃げるか、と算段を立てたところで---
「ご機嫌よう」
---それは現れた。
鬼でも、蛇でもない。
現れたそれは意外にも、未だあどけなさを残す小さな少女だった。……しかしその少女は『普通の』少女ではない。
ひたすらに美しい少女だ。
腰まで湛えた
純潔を示す
つんと通った鼻筋に、桜色に潤む唇。
まるで初雪の様な滑らかな白肌。
その全てが美の極致に至り、昇華し、彼女をこの醜い浮世から僅かに乖離させている。
ギィルとウォルダムは先程の緊張も忘れて、少女の立ち居姿にただただ目を奪われた。
「そこに転がっている少年は私の兄なのですが……」
薬が効いて僅かの反応も見せない少年を一瞥すると、少女の形の良い控えめな唇が言の葉を告げる。
春の雪解け水の様に透き通った、綺麗な声だった。
天使の声とはこういうものなのかもしれない、とギィルは僅かに息を飲んだ。
「……どうやら
少女はにこりと微笑んだ。
そこにはまるで警戒の色が無い、ように見える。
そんな少女を前に、ウォルダムは粘質な笑みを顔に貼り付けた。
「いやいやそうはいかねぇ。すまないがこの兄ちゃんにはこれから働いてもらわなきゃならねぇからな」
「働く……」
「そうだ働くんだ。もしかしたらもう家に帰れねぇかもしれねぇ大変な仕事さ。なんてったってこれから奴隷になるんだ、可哀想にな」
少女の笑みは、崩れない。
「つまり私に兄を引き取らせてはくれない、という事ですね?」
「そうだな。そして……あんたも奴隷になるのさ!」
悪く思うな!と、
言うや否やウォルダムが少女に突進する。
只の一足で……
薬液を染み込ませた布を手に、ウォルダムの巨体が少女に重なりそして---
---ウォルダムの首筋から噴水の様に赤が噴き出した。
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