1.騎士になりたい公爵令嬢
1話
秋が深くなった。
窓の外の中庭を彩る
秋は良い。
南瓜や栗、銀杏などが取れるし葡萄もたわわに実る。エルイットは垂れる涎をぐいと拭うと、大好物の秋の実りに思いを馳せる。彼女は若鮎もかくやという未だうら若き乙女であるが、何分花より団子を好んだ。
「……いけない。急がなくちゃ」
エルイットは緩んだ頬をぴしゃりと叩くと、表情を引き締めた。しょうもない食べ物の妄想で仕事を疎かにしている場合ではない。
品の良い漆黒のメイド服に身を包んだエルイットは仲秋の寒さにぶるりと身を震わせながら、永遠とさえ思われる長い廊下をひたすらに歩いていく。
エルイットがアルデライト家に奉公を始めてから丁度二年。ある程度の歳月をこの屋敷と共に刻んだが、この屋敷のだだ広さに慣れる事は決して無かった。何せ屋敷の端から端まで踏破しようと思えばおよそ半刻程もかかる。それでいて内装は荘厳にして華麗。広く作られた屋敷とは言え、注意深く歩かなくてはいつ調度品の類にぶつかり破損させるか分からない。目の前にでんと置かれたこの巨大で華美な壺などおよそその値打ちは計り知れず、割ってしまった時の事を想像した彼女はそれだけでゾッと青褪めた。
だからこの巨大な屋敷で働く侍女達は、速度と安全性をバランス良く兼ねた歩法を要求される。エルイットもその丁度良い塩梅を二年の奉公の中で自然に身につけた。
エルイットが仕えるアルデライト家は公爵家であり、公爵の爵位をもつ貴族の中でも最も高名と謳われている。それ即ちエリュゴール国内に於いて王族の次に権威を持ちうると言われる名家ということになり、他の貴族とは圧倒的に格が違う事を指し示す。となればこの屋敷の嘘のような大きさにも頷けるだろう。
エルイットはアルデライトに仕えられる事にいくつもの幸福を感じていた。ただの田舎娘がこのような華美な世界に、侍女とはいえ身が置けること。給金の手当てが厚く、実家に少なくない仕送りを送ることが出来ること。そしてもうひとつ……。
「失礼します」
目的の部屋に立ち止まり、幾許かの緊張と期待を孕みながらエルイットは恭しく扉を開いた。部屋に入ると、何度も見たはずのその聖画のような光景に思わず息を飲む。
部屋の窓辺に、物憂げな表情を湛えた少女が佇んでいる。落陽を受け、窓の外を眺めるまだあどけない少女の姿にエルイットは心を奪われ心臓がきゅうっと収縮する感覚を覚えた。
---月の精霊。
二年前、エルイットがその少女を見たときに呟いた言葉だ。
眼前に映る少女はひたすらに美しかった。
金糸の様な黄金の髪は腰の程までに嫋やかに流れ、スラリと伸びた手足はまるで白磁の如く。群青色の瞳は何物にも代え難く純潔を示し、小ぶりな唇は妖しげに桜色に潤んでいる。
美しい、という言葉でさえ陳腐にさえ思わせる程の美貌。
『傾国の』
---違う。
『神聖な』
---違う。
『蠱惑的な』
---それも違う。
エルイットでは、その少女を讃える言葉は見つからない。高名な吟遊詩人でさえ、彼女の美しさを歌として形取る事は叶わないだろう。
およそこの浮世と隔絶したような可憐な姿見るたびに、エルイットは心を奪われるほかないのだ。
そうしている内に少女がエルイットに気づくと物憂げな雰囲気を霧散させて、形の良い目尻を下げて微笑んでみせた。
その少女の名はセレティナ。
セレティナ・ウル・ゴールド・アルデライト。
エルイットは、この麗しき公爵令嬢に仕えられる事を至上の喜びに感じているのだ。
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