剣とティアラとハイヒール〜公爵令嬢には英雄の魂が宿る〜

三上テンセイ

プロローグ

エリュゴールの災禍

 

 英雄と謳われる騎士は、空を仰ぎ見る。


 東の紫から西のだいだいに緩やかにグラデーションしていく、美しい夕暮れの空だった。

 肌寒く澄んだ空気と日没の早さは秋の訪れを予感させ、田舎生まれの騎士は南瓜の収穫に僅かに思いを馳せる。


「空とはかくも美しかったものなのか」


 こうしてゆっくりと空を眺めるなどいつ以来だろうかと騎士は微笑む。それは剣に身を捧げてきた彼にとって、珍しく穏やかな時間だった。


 騎士はその美しい空模様をしかと心に刻み込む。


 きっとこれが、彼が生涯で最期に見る空なのだから。







 そうして彼は美しい空から絶望の地上に目を移す。


 黒だ。目の前には黒が視界いっぱいに広がっている。


 墨で塗りつぶされた様な黒は目を凝らすと僅かに蠢き、意思を持ってこちらに行軍してるのが分かる。


 百万を超えると言われる魔物の大行軍スタンピード

 どの歴史にも無い死の大軍勢が、既に目と鼻の先までやってきている。





 騎士は大きく息を吸い込んだ。

 冷たい空気が肺に滑り込んでいく。


「聞け。戦士達よ」


 鷹揚に振り返り騎士は叫ぶ。

 低く、心地の良い声色だ。

 眼前一面に広がる二十万を超えるエリュゴール王国の兵士達は彼の、英雄の言葉に耳を傾ける。


「我らは死ぬ。この戦で死ぬ。貴殿らが英雄と謳うこの私とて屍を晒す事になろう。この戦は絶望だ。試練の神アディルの残酷さに身が震えるほどにだ」


 一人一人の心に刻み込むように、騎士は言葉を紡ぐ。


「しかし私は誇らしい。右を見よ、左を見よ。ここに集うのは絶望を振り払わんと恐怖を超え、命を燃やす星々の煌めきだ」


 声音の端々に力が漲り、聴衆達の表情に希望の灯火が宿る。


「貴殿らの背に負うものはなんぞ。貴殿らが守るべきものはなんぞ。臆すな、怯むな、光を絶やすな。我らは王国を守護するつるぎなり!前のみを向き、その気高き魂を示せ!」


 騎士が天を衝く様に剣を掲げた。

 そして湧き上がる歓声。

 自身を、そして隣人を鼓舞する戦士達の咆哮は瞬く間に伝播していき、全軍に勇気が漲っていく。


 騎士は頷く。

 なんと気高く、頼もしい兵士達か。

 さりとてその一人一人にあったはずの未来は、ここで潰えるのだ。騎士の瞳に憤りと悲しみが同居するが、それに気づいた者はいなかった。




「行くぞ」


 騎士の檄が飛び、二十万のエリュゴール王国の兵達が巨大な波となって巨大な黒とぶつかった。


 騎士は剣を振るう。

 銀色が閃き、無数の黒の中に赤を飛ばす。

 彼は腹底にまで響く咆哮を上げながら、目の前に映る黒を次々と切り飛ばしていく。


 その姿は正しく一騎当千。

 その姿はどうしようもなく英雄だった。


 騎士は…オルトゥスと呼ばれる優しき青年は瞳の奥で命の灯火に次々と薪を焚べる。


 死んでも良い。

 この戦だけでいい、と。

 オルトゥスは全てを振り払う力を望んだ。


 どうしようもない絶望の中で、彼の脳裏に映るのは一人の男だった。剣を振るう事でしか己を見出せなかった自分を認め、あまつさえ騎士の爵位を授け、汚泥に塗れたオルトゥスを光の下へ連れ出した男。命を賭してでも守ると誓った王の姿だった。


 負けられない。

 一匹たりとてここを跨がせるわけにはいかない。


 私は誰だ。

 そうだ、私は王と、そして王国を守護する鋼の盾なり。


 優しき青年は、そうして修羅となる。












 英雄と謳われる騎士は、空を仰ぎ見る。


 流星の駆ける満天の星空だった。

 オルトゥスは風流に疎いが、なんとなく秋の星座がそこにあるんだなと思った。


 静けさが辺りに満ちる。

 怒号、悲鳴、剣戟……戦を思わせる音は既にそこに無く、風が草原を撫でる音のみがオルトゥスの耳を擽る。


 魔物と人間のかばねの入り乱れるこの地にて、終戦を祝福する様に一際大きく月光がオルトゥスに落ちる。


 オルトゥスは僅かに笑うと、その地に伏した。全身から血液と共に魂が垂れ落ちる感覚に身を委ねる。


 疲労感、次いで眠気。


 オルトゥスは微睡みの中で自分の死を暖かく迎え入れていく。


 護れたのなら、良い。

 自分は、成し遂げられたのだ。


「……王は、……自分をよくやったと褒めてくださるだろうか。……それとも、私の死をお怒りになるだろうか」


 痛みは無い。

 体が冷え、死を纏う感覚が巡る。


「……王が導いていくこの国の行く末を、その傍で……見届けたかった」


 目端に一粒の雫を湛え、オルトゥスは星空に手を伸ばす。


 そう、今年にも王の第一子が産まれるのだ。

 男子おのこ女子おなごか、どちらにせよ一眼でも見たかった。それが、彼にとっての心残り。


「……できる事なら、来世でも、王の…、そして……御子のお側に……」


 言葉は続かなかった。

 伸ばした手は、何を掴むでもなく垂れる。


 そうしてオルトゥスは死んだ。

 眠るように、穏やかな表情だった。










 後に『エリュゴールの災禍』と呼ばれる歴史上稀に見る大戦は、大陸最強と謳われる英雄オルトゥス率いる二十万の兵士達の目覚ましい活躍によって百万の魔物が退けられるに至った。


 壮絶な戦果を挙げ死を遂げたオルトゥスは、今日こんにちでも吟遊詩人に最も歌われ、讃えられる英雄として有名なのは記憶に新しく、二十万の英霊とオルトゥスに捧げる鎮魂祭は十年を経た今でも毎年開かれている。



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