4-6

 太陽が頭頂部を出した時刻。空を覆う夜の黒が徐々に青く澄んでゆく。それを見る度にユーリーは敬虔な気持ちになる。一日の始まりを告げるこのすがすがしい空気――

「すぅ――――――」

 どれだけ立場が変わろうと、彼女は早朝の散歩の習慣を欠かさなかった。どれだけ人心が離れようと、自然は平等に表情を見せてくれる。

「はぁ――――――」

 爽やかな空気が肺を満たしてゆくと瞳も澄み切ったように感じる。暁の空が徐々に白み、豊かな緑もみずみずしく輝き始めると、彼女はこの時代に目覚めた事を心底幸せに思った。

 メイプルの誤作動でたった一人目覚め、いまだに記憶は全快しない。余所者と蔑まれ、魔人に乗り込んでは良いように使われ、果てには魔人そのものとして怖れられる。メイズの村では中身の濃い日々を送ってきた物だとユーリーは朝焼けの中しみじみと振り返った。

 総体としては苦労した思い出が多い。一時期は魔人に選ばれし者として調子にのって村の生活水準を引き上げてしまったが――結局それは先人の知恵を引用しただけで、ユーリー自身の成果では無い。魔人を動かせるのも旧時代では標準的なブレインチップが入っているからに過ぎない。つまるところ、ユーリーが独力でメイズに貢献できたことは一つも無いのだ。

「だからこそ――」

 太陽は昇り続ける。陽光は村全体を照らし始め、村人を目覚めへといざなう。活気にあふれる村の様子も悪くない。今日も彼らは自身の役目に従って村を豊かに発展させてゆくだろう。

 彼女は思う。自分が自分自身の力で彼らに出来る事は一体何なのであろうか。

「……」

 見上げる視線の先にはナノマシンの滓が取り払われ、本来の外見を取り戻したメイポールと傍らに寄り添う魔人の姿がある。

〈〈オオオオ――〉〉

 地球を人間が住むのに適した環境に再生させる使命を持ったメイポール。それは己の機能に誠実であったがゆえにバイオロイドを生み出し、地球をより快適な環境へと手入れを加えてくれた。バイオロイドを生み出したのがメイポールであり、メイポールを作り上げたのが人類なら、彼らの誕生の責任、その一端はユーリーを含む旧時代の人類にある。人類に、バイオロイドをどうにかする権利はありや――

「よい……しょっと」

 魔人の体躯を這い上って彼女はコックピットへと乗り込んだ。シートに深く腰を下ろし、一息つくとハッチを閉じる前に、そこから見える景色をジッと瞳に焼き付ける。

 コールドスリープ中の予想しない事態とはいえ、命を弄んだ責任はあるだろう。居残り組は間違いなく罪を犯した。

 しかし、親の責任はその子供までもが背負うべきものでは無い。彼らはすでに親の手を離れて生きているのだ。

「だったら――」

 瞳を閉じると同時にハッチを閉める。次に広がる景色はスクリーンが映し出す魔人の視界。多分に情報が重複した科学技術の視界だ。

 親が子に出来ることがあるとすれば見守る事だけ。そしてそれは放任で無く、適切な距離で関わる事を意味する。

 生みの親が自分の都合で子殺しを行う事はあってはならない。であれば行動は決まる。彼女はすでに覚悟を瞳に焼き付けた。自分にしか動かせない魔人を使って、今度こそ人々の守護神としての役目を果たす。それが一人の人間としてユーリーが選び取った選択である。

「来たか」

「……」

 脳に直接響く声。彼女は未だにM・Mの通信システムに慣れない。

 ユーリーの白い機体、それにジークの青い機体はそれぞれ村の外、抉れた大地の下へ到達した。決戦の舞台は村人が巻き込まれない場所という取り決めはどうやら守られたらしい。裏切ることが得意な脱出組にしては機体の居住まいを正すジークの事を、決闘においては誠実だと彼女は評価を改める。

「案外紳士なのね。武装も見せずに待ってくれるなんて。私としてはそのまま負けてくれるとありがたいんだけど」

「M・M乗りは決闘に誇りを持って臨む。お前たちが考える所の裏切りは行わないつもりだ。そちらこそ、目的達成のためには手段を選ばない、みっともない戦いをしてくれるなよ」

 両者はタイマーをセットし、開戦の合図まで精神統一を行う。この戦いにそれぞれの陣営の未来がかかっている。嫌でも強張る体を深呼吸でやわらげ、その一方でいつでも動けるように手足を定位置に……。

〈ビーッ!〉

「「!」」

〈オオオオ――〉

 先に動いたのはユーリーの魔人である。魔人は右腕を振り上げると相手に向けて極大のレーザーを放った。

「素人が!」

 ジーク機は翼を展開させ、その一撃を華麗に回避する。高出力機である魔人に対し、高機動機であるジーク機にとってこの程度の動きは朝飯前。ジークは大技で出来た隙を狙って魔人に向かって飛び込もうとする――

〈オオオオ――‼〉

「⁉」

 が、動きを読まれていたのか再びの回避。先ほどまでジーク機がいた箇所は左腕による砲撃が通過している。

 厄介な……――回避先にはすかさず砲撃が放たれる。これが通常のレーザーであれば反撃に転じる事はたやすい。だが魔人が放つレーザーはその太さ、攻撃範囲が広く回避先が絞られる。レーザーの乱発という単純な攻撃が自身を追い詰めている事実にジークは歯噛みした。

「だが――」

 それだけのレーザーを乱発すればエネルギーはあっという間に目減りする。隙が出来るとすればそのタイミングだ。ジークの美学としてはM・M同士のがっぷりよっつで勝負したいところだったが、これも戦略の一つ。回避に専念し、機会を待つ。

〈オオ――……〉

「今だ!」

 翼のバーニアをいっぱいに吹かし、ジーク機は出涸らしになった魔人へと飛び込んでゆく。手のひらからサーベル状にレーザーを収束させ、白い機体を貫かんと腕を伸ばす。

「ふふっ――」

「!!?」

 違和感を覚え、機体を一転急上昇させるジーク。次の瞬間魔人の体躯は光り輝き再び砲撃をくり出した。

〈〈オオオオ――〉〉

「その機体、メイポールと繋がっているのか⁉」

 メイプルと魔人とを繋ぐ光のへその緒。電力の放射による急速充電は彼の予想外の機能だった。

「卑怯だと思わないでよね!」

 乱発される極大レーザーの群れにジーク機は再び追い詰められてゆく。

 ユーリーはエンジニアとしての勘からジーク機の傾向を掴んでいた。おそらくは宇宙空間における移動に優れた高機動機。重力環境でそのスピードがどれほど減殺されるか分からないが、どう見積もっても魔人より速いだろう。接近戦に持ち込まれればM・M同士の戦闘に不慣れな自分は間違いなく不利。であれば常に一定の距離を空けておく必要がある。

 その答えがレーザー戦略た。魔人にはメイプルによる忌まわしい充電機能が備わっている。自分を化け物に近づかせ、ひいてはユーロⅤへと電波を送信させるキッカケとなった機能を使うことは気分が良くないが、それで勝てるなら本望である。

 乱発しているようで魔人のレーザーはジーク機の回避パターンを予測し、相手が自分と最も距離を取る回避ルート以外を潰すように放たれている。ジーク機は魔人と充電の規格が異なる。自慢の機動力はどれだけ保つだろうか。相手が動きを止めた時こそユーリーの勝利である。今度は彼女が相手を追い詰める番だった。

「なるほど……確かにその機能は予想外……」

 ジークは魔人の狙いが徐々に精度を増している事実に震えていた。

 普段こそ人道主義を掲げ、争いを回避しようとするユーリーであるが、その身に爆発力を秘めている事をジークは身をもって理解している。

 相手が戦士で無いからと油断できない訳か……――

 フットペダルを踏み抜き上昇するジーク機。太陽を背に機体の四肢が大の字に開かれる。

「……?」

 先ほどまでの動きからいきなりの無防備とも思える動作への切り替え。そこに違和感を覚え砲撃の手を止める。

「はぁ……はぁ……降参してくれる気になった?」

「まさか。お前こそ息が切れているぞ」

「でも……今のあなたなら一撃で撃ち抜ける」

「確かに、推進剤は心もとないな――」

 そう言いながらジークはあるプログラムを起動させた。

〈キイイイイイイイイイイイイィィ――〉

「⁉」

 突如として震え出す青い機体。逆行相まって幾重にもぶれる像と共に鋭い音が周囲に広がる。これにはユーリーはもちろん、メイズだけでなく広範囲の人々の聴覚が掻きまわされてゆく。

「っ――!」

 砲撃を放つ魔人。しかしながら苦し紛れの一撃が命中するはずもなく、ジーク機は空中で華麗に回避を決めた。

「……音響兵器?」

 音こそ止んだものの彼女は疑問に思う。先ほどの音が兵器であるならば、聞いただけで人間を失神させる威力があるはずだ。それなのに、あれだけ広範囲に響いたのにも関わらず困惑しただけ。猫だましならもっと他に使いどころがあるはず。ジークの狙いはどこにあるのか……。

〈警告。多数の適性体がこちらに接近しています〉

「⁉」

 魔人のモニターに重複して広がる多数の警告表示。魔人と視界を共有し、その先を見つめると――

「なんで⁉」

 土煙を上げながら迫りくる群れ。その影を見間違えるはずはない。彼女はその異様に怯え、一方で打ち滅ぼし、果てには道具として利用してきたのだから。

「雨でもないのに……」

 もたげる三本角。ハーメルンの笛の音に導かれて迫りくるのは竜の群れだった。

「さてと」

 燃料の節約と高みの見物を兼ねてジーク機は大地に立つ。

 ジーク操るM・M〈ゾルダート〉。ユーリーの予想通り、この機体は上下左右の無い広大な宇宙を駆けるための高機動仕様となっている。その機動力をもってゾルダートは資源になり得る小惑星を発見したり、他の宇宙船に対しての威嚇行動を取ったり……場合によっては収奪、殲滅を行って来た。

 宇宙という過酷な環境において戦闘の用途に用いられがちなM・Mであるが、その本来の様とは人型の作業用ロボットである。兵士ゾルダートなどといかつい名前が付けられているが、宇宙仕様のM・Mの本質は手足の生えた人工衛星だ。孤独を強いる宇宙環境において信号の受信・送信機能は見えない命綱・生命線である。

 ジークはその機能を戦闘に応用したのだ。ユーリーが解析できないと投げた資料、そのいくつかはゾルダートのコンピューターによって復元され、彼はその情報を基に今日この日まで準備をして来た。

 そもそも「竜」とはどのような存在か。脱出組であるジークは村では当たり前になっているその存在に強烈な違和感を覚えていた。外見こそトカゲを巨大化したような生き物であるが、このような生物はデータベースに存在しない。

 回復後の地球環境はメイポールの制御下にある。このインフラは環境の浄化だけでなく、解凍後の人類が快適に生活しやすいように付加価値をつけるためバイオロイドを生み出してしまうほどの強烈な性能を誇る。そんな優秀な柱が人型を認識しただけで対象に襲い掛かる巨大で獰猛な獣の存在を許すだろうか? 余分な獣を間引くなら人間が存在するだけで充分だ。人類があえてこのようなペットを飼う理由は無い。

 いや、逆に存在を許されているのだとしたら……その観点で情報を解析した結果ジークは竜の正体にたどり着いた。

 竜はやはりバイオロイドと同じくメイポールが生み出した人工生物であった。そしてそれは「バイオロイドを滅ぼす」ために生み出された存在であった。聡いメイポールは旧時代の人類が目覚めた時、バイオロイドたちと衝突する事をあらかじめ予測していた。それゆえに地球の耕作が終わった後、主たちが目覚めるための最後の掃除を行うために竜を製造していたのである。

 しかしながらメイポールにとっていくつか誤算があった。一つは自身の老朽化により竜は幼体の早い段階でプラントを出た事。予定サイズの竜は一〇メートル級を標準としているが、結果この世界で見られるのは大きくても五メートル級。よほど条件が揃わないと狙った個体は誕生しないのである。

 二つ目はバイオロイドの身体能力。彼らは世代を重ねる事でその能力を強化させ、小型竜であれば逆に倒せるまでになってしまった。肉食がその傾向をさらに高め……村人にとってそれは確かに厄介な存在であるものの、その恐怖は日常の範疇を越えない。

 最後の誤算は対立を引き起こしたのが脱出組であると言うことか。ジークはゾルダートで解析した竜のバイオメトリクスを基に笛を生み出した。本能を凌駕する命令は乾燥という命にかかわる弱点を忘れさせ、白い人型めがけて瞳を血走らせる。あらかじめ配置していたもの、周辺から笛の音に導かれたもの、何十何百という竜が今、村境に結集しようとしていた。

「これを見てもまだ奴隷の権利を守りたいと思えるか!」

 竜の思想設計のデータと共に、魔人のモニターにジークの勝ち誇った表情が表示される。隠された事実に驚愕するも表情に出す暇は無い。レーザー砲は今、迫りくる群れから自身と、それに村を守るため、絶え間なく放つ必要があった。

「これは私達の一対一の決闘! 村を巻き込むなんて正気⁉」

「何の話だ? 自分はそちらの機体がメイポールの力を利用しているように環境を味方につけたに過ぎない。はぐれた竜が村を襲うのは責任の外だと思うがな」

「卑怯者‼」

 ユーリーは今すぐにでもジークを機体ごと蒸発させたかった。消耗作戦は間違いなく成功している。相手が地面にいることが何よりの証拠だ。おそらく数発ぶち込むだけでジーク機は回避能力を失う。そうなれば彼女の勝利だ。後は袖口を突きつけて彼からユーロⅤの通信コードを聞き出せばいい。

 そう、この戦いにおいてユーリーはもう一つ不利な点を持っている。相手はユーリーを殺してもいいが、ユーリーはジークを殺せない。ゾルダートの破壊までは出来るが、ジークを生かしておかなければ交渉の意味が無いのである。

 単純に勝ちを取るならユーリーは今すぐにでも大群を無視してゾルダートに集中するべきだ。作戦通り砲撃を放てば相手はすぐに音を上げる。

 ところが村を人質にされては彼女それを無視できない。この決闘はバイオロイドの生存を賭けた戦い。村人を一人でも巻き添えにすれば、それは彼女のプライドに大きく関わる。

「そこが隙なんだよ!」

「⁉――」

 ゾルダートは手のひらからレーザーをサーベル状に収束させると魔人に迫る。魔人も袖からレーザーの大剣を生み出しては攻撃を受け止めるも動きは精彩に欠ける。竜にジークに二面作戦が出来る程ユーリーはまだ戦闘経験が足りない。

「もらったぁ!」

「うわああ!」

〈オオ――〉

 もう一方の腕からもサーベルを生やすとゾルダートは魔人の胸部を強かに切り裂いた。魔人にとっては生まれて初めての傷、M・M同士の命のやり取りに驚愕するばかりだ。

「コックピットは腹部だったか。まあいい、続けて――」

 左腕を魔人の腹へと向けたとき、ジークは猛烈な違和感に襲われ動きを止めた。

 同時にメイプルはへその緒を伸ばし魔人へ電力を供給する。すると胸部の傷はみるみる再生し、体表には瘡蓋のような滓が残るばかりに。それが剥がれると傷一つ無い真っ白な装甲が露わになる。

 あの機体……全身がナノマシンで出来ているのか⁉――

「!」

 今度はジークが驚愕する番であり、その隙をユーリーは逃さない。魔人は右腕を持ち上げると間髪入れずに砲撃を放つ。ゾルダートの左手は瞬く間に蒸発した。

 何が卑怯だ。そちらもとんでもない物を使っているじゃないか――魔人に関する情報はゾルダートの処理能力を持っても解析出来なかった。よほど周到に暗号化されているのか、老朽化でそもそもデータが壊れているのか。少なくとも彼女たちは機体に秘められた能力をほとんど把握していない。

「だあああああああああ!」

「――っ……」

 だとしてもユーリーにとっては目の前の事実で充分だった。即死さえ免れれば接近戦は恐ろしくない。魔人はバーニアを噴かすと砲撃で竜を掃討しつつ、大剣でゾルダートを押し込んでゆく。ゾルダートも負けじと竜をけしかけ、再生が手間取るように大きな部位を切り裂こうと奮戦するも、魔人の放つ圧は尋常では無い。

「これだからルーキーは……っ――」

 再び発揮されたユーリーの爆発力を前にジークは小手先の傷しか与えられない。M・Mにおける戦闘能力は母船において十指に入る実力であったがその自信も目の前の脅威に粉砕された。屈辱ではあるものの、彼は機体を大幅に後退させ笛のコントロールに集中する。

 たちまち竜の群れに全身を覆われる魔人。体表から高圧電流を流し込み、感電死させては

振り払う。しかしながらすぐさま覆いかぶさる群れを前に移動の自由は無いも同然。

「しまったな……」

「これじゃ……」

 キリが無い――ユーリーは決闘とは短期決戦とばかり思っていた。例えば村の戦士たちの戦いは常に短期決戦。見合った瞬間から技の読み合いが始まり、一歩踏み出した瞬間どちらかの必殺の一撃が相手を打っている。ユーリーは自身を戦闘のプロだと思っていない。だがM・Mという強力な兵器同士がぶつかり合えば、結果がどうであれ――流石に一瞬よりは長いだろうが――長くとも一〇分程度で終るものばかりだと思い込んでいたのである。

 ところが強大な兵器はあらゆる資源の投入を促す。メイプルから放たれる電力、修復の度に盛り上がる生体金属・ナノマシン、命を散らす竜の群れ、ゾルダートの笛が絶え間なく響かせる音波――お互いが画策した消耗による短期決戦の見込みは地球環境が保有する莫大な資源によって意図しない長期戦になだれ込んだ。ユーリーは自身と村になだれ込む竜の対応で手いっぱい。ジークもまた集まりすぎた竜のコントロールが思うようにいかず攻めあぐねている。

 このままでは千日手。互いに決定打を欠く展開がどれだけ続くか。群れの体表はとっくに乾燥しその目に生気は無い。笛の音だけが彼らを虚しく突き動かし、死の行進を歩ませる。

 掃討を続けるなかで流石にユーリーの中にも竜に対する同情心が芽生え始めた。今まで幾度となく村に損害を出して来た憎むべき獣。しかし彼らの誕生はメイプルが関わっており、それはつまるところ自分達居残り組に関わる事。未だに恐怖があるものの、だからと言って無為に命を奪う事は良い気がしない。

 この世界にどれだけの竜がいるのか分からない。ひょっとしたら目の前の群れで全てかもしれない。彼らを掃討すれば後はゾルダートを倒すだけ。それまでおんぼろなメイプルは保つのか。ひょっとしたら力を温存した相手の一撃の方が速いかもしれない……――

「それじゃダメ!」

 彼女の両足がフットペダルを強く踏み込む。

〈オオオオ――‼〉

 同時に両足のスラスターを吹かし前方へ飛び出した。

「痺れを切らしたか!」

 真っ直ぐ飛び込んでくる魔人に向けてゾルダートはカウンターを仕掛けるべくサーベルを構えた。

「⁉ 何ィっ?」

 ところが魔人はゾルダートに飛び込むのではなく、機体の側を真っ直ぐ横切りその場を後にした。

「逃げるのか?」

「まさか。あなたの土俵で勝つ方がもっと良いって思っただけよ!」

 懸命にバーニアを噴射させる魔人。充電を全て推進力に使用しているのか、そのスピードは確かに高機動機に迫るものがある。

 挑発とは……自分を誘っているのか?――村を巻き込みたくないというのであれば彼女の行動は理に適っている。だからと言って魔人に無限の再生能力と砲撃能力を与えるメイプルの側を離れる事はそれを大きく上回るデメリットではないか。突拍子の無い行動にジークは面食らうものの思考をすぐさま戦士のそれへと回転させる。

 ゾルダートにはすでにこの地域一帯の地形データを読み込ませてある。魔人が向かった先は戦士階級でなければ滅多に足を踏み入れない水の豊富な森だ。

「どうやら本当に死ぬ気らしい」

 村境で息も絶え絶えに乾燥しきった竜を見下ろしながらゾルダートもまた森へと飛ぶ。

 虎穴に入らざれば虎子を得ず。笛を持つゾルダートにとって有利な環境に飛び込むとなると相手は相当な考えがあるらしい。程度はどうであれ罠の可能性が高いだろう。

 だからと言ってジークは怯まない。彼も戦いの長期化で神経をすり減らすよりかはスッキリとした幕引きを望んでいたのだ。

「ほらどうした! もう追いついたぞ!」

「……」

 ゾルダートはあっという間に、手を伸ばせば触れる距離まで迫った。こちらも挑発とばかりにレーザーの指向をサーベルから砲撃に切り替え、魔人の体表に傷をつけてゆく。

「……」

 対するユーリーは口を閉じ、頑なに森へと機体を飛ばす。装甲に穴を穿たれようと、切り裂かれようと、背後からいくら嬲られても前進を止めない。

「ちっ……」

 これほどまでに彼女を突き動かす衝動。目指す場所にはこの状況をひっくり返すだけの相当な何かが存在するとでも言うのだろうか。もしや彼女もまた自分と同じように情報を秘匿しているのか……魔人は人型を保っているものの白い装甲はすでに見るも無残に引き裂かれている。己の分身たるM・Mをこれだけ傷つけられたというのに沈黙を守るユーリーにジークはいい加減痺れを切らしていた。

「そんなに楽になりたいなら‼――」

 ゾルダートの右腕が大きく振り上げられる。展開されるサーベル。それは魔人の右足へと狙いを定め――

「一気にケリをつけてやる‼」

 振り下ろされる――

「――‼」

 その瞬間、魔人は反転して足を胸部で庇った。ゾルダートは胸部を串刺しにするとズブズブと腕を埋めてゆく。

「何っ⁉」

「今だ!」

「⁉」

 魔人の胸部がゾルダートの腕を飲み込むように再生を始める。ジークは慌てて腕を抜こうとするも、残った電力を総動員しているのか追いつかず、抵抗虚しく手首はすでに一体化を果たしてしまった。

 同時に両機はバランスを崩して真っ逆さまに落下を始める。落下の先は――

「沼(プラント)だと⁉」

「……」

 金属の水槽と評したかつて魔人がおぼれた沼。それこそがユーリーの目的地だった。

 彼女は知らなかったのだが、その場所はメイプルが生み出した地下実験施設の一つであった。何らかの手違いで露出したそれは不完全な竜を生み出し、今では森の緑を支える水源となっている。

 この情報を知るのはまた後の話。そんな事よりも彼女にとって今重要なのはこの沼がM・Mを溺れさせる程度には深いという事実だ。

「なああああああああ‼」

「……っ!」

 水しぶきを上げて両機は水面に飛び込んだ。両腕を失ったゾルダート、下敷きになって飛び込んだ機体には攻撃方法も動きの自由も無い。

 そんな機体を魔人は強かに打ち始める。ここぞとばかりに両腕を修復させ、ため込んでいた力を解放させると打つ、打つ、打つ!

「ううっ……この程度!」

 かつてユーリーがしたのと同じようにゾルダートも両翼のバーニアを吹かして脱出を図ろうとした。

「ふんっ!」

 その動作は魔人の拳によって打ち砕かれた。高出力機である魔人は水中だろうと地上と変わらない動きを維持し、着火の直前で片翼を砕く。バランスを崩したゾルダートは虚しく湖中を掻く。その動作も鬱陶しいとばかりにもう片翼も砕かれた。

「止めろ! 止めろ!」

「……」

 いくらコックピット周辺の装甲が頑丈だろうと、その衝撃までは殺せない。胸部を中心に降り注ぐ拳の連撃にジークは無抵抗のまま揺さぶられ続ける。宇宙戦闘では体感する事の無い衝撃の数々に彼の感覚は許容を越え、徐々に追い詰められてゆく。

「止めろ――!」

 それはさながら釣鐘の内側。魔人は武神と化し、ただひたすらに胸部を打つ。その度に不愉快な反響音が内側で響き――

「あっ――」

 モニターにひびが入った。0.0数ミリの隙間。M・Mとて完璧では無く、空気漏れなる現象が起こる可能性はある。そのため宇宙戦においてアストロスーツは着用を義務づけられている。

 ところが今、両者を覆うのは真空空間では無く大量の水。隙間からは勢いよく水が噴き出し彼の顔を濡らす。

 ジークはパニックになった。周囲はM・M二台でいっぱいになる程度の沼で、水圧もコックピットを脅かす程では無い。しかし初めての水中戦、絶え間なく揺さぶる衝撃、「敗北」の二文字を目の前に彼の神経は摩耗してしまったのだ。

「止めろ! 止めてくれ!」

「……っ」

 拳が打ち付けられる度にひび割れは広がって行く。もはや生きているモニターは無い。続々と広がるひび割れからは水鉄砲が飛び交いコックピットの底は濁り始めている。

「そうだ! おい! この機体が無ければユーロⅤと通信は出来ないんだぞ! このような攻撃に意味は無い!」

 ガツン! と返答は拳で返って来た。とうとうハッチが歪み、五センチ大の隙間から勢いよく水が流れ込んでくる。

 ユーリーとてジークを殺す気は毛頭ない。確かに彼の言うことはもっともであり、M・Mの中枢たるコックピットを失えば交渉相手との通信方法を失うだろう。

 とはいえそれは魔人で代替できる程度の事。技術力にどれだけの差があるか不明だが、魔人がゾルダートを圧倒出来ているのならギャップはそこまででは無い。例え魔人が役不足だろうと地上には電波塔代わりのメイプルがあるのだ。極端な話ジークさえ殺さなければ状況はなんとでもなる。

「……っ!」

 必要なのは圧倒的な勝利。相手の精神を完全な形で屈服させない限り交渉は有利に進まない。ジークの心を折る、彼女にとってただそれだけの話。

「あ……あ……」

 水面はシートの膝まで上昇している。例え空間が水で埋まろうとアストロスーツが守ってくれるのだが、彼の中に大量の水に囲まれた経験は無い。例え脱出出来た所で泳げず、周囲を竜に囲まれた沼から生還する事は不可能に近い。揚々と吹いていたハーメルンの笛が死神の足音になるとは一体誰が想像できようか。

「頼む……止めてくれ……」

「……」

 左側面のモニターが大破し、水に変わる。ジークは完全に水没した。

 ゾルダートに生きている部分はもはやない。中枢たるコックピットが死んだのである。彼にはもう機体の指一本すら動かせないのだ。逆転の一手など存在しない。唯一出来ることがあるとすれば負けを認める事……。

「くうっ……」

 ハッチはとうに歪んでおり、非電源の脱出装置も機能しない。彼が生還を果たすにはユーリーに助けを請わねばならない。だがそれは彼のプライドに反する事。世の中には負け方というものも存在する。

「分かった……負けを認めよう。ユーロⅤの調査員たるジーク・フリーデンは敗北を認め、交渉の窓口になる事を約束する」

「……」

 返答はまたも無言の拳。ただでさえ狭いコックピットがその一撃でさらに狭まる。

「何故攻撃を続ける! 分かった! そちらの意向を脚色なく伝える事も約束する。居残り組の権利を全面的に認める! これでどうだ!」

 三度の衝撃。コックピットは最早棺桶程度の余裕しか無い。

「これ以上は最早無意味だろう。本格的に死んでしまう! 何だ、何が望みなんだ⁉ 一体何がお前を突き動かす」

 衝撃が収まる。これは「考えろ」と言われているのか……。一転して訪れた静寂に胸をなでおろすも、生殺与奪の権利は相変わらず魔人にある。ご機嫌を取るため、生き残るためには言葉を間違えてはならない。

「……まさか……奴隷の権利まで約束しろと言うのか」

 無言だが、拳は来ない。意思表示は「肯定」だ。

「無茶を言うな! 何度でも言う。ユーロⅤの人間は道具を人間扱いしない。そちらが勝手に作った物であるなら尚更どうでもいいと思うぞ」

 ヘルメットが壁を強かに打つ。四度目の一撃は動作を許さないほど空間を狭めた。

「お前がバイオロイドの生き死に責任を感じているのならお門違いだ! 奴らの製造はメイポールが勝手に判断したのだろう! 大巫女の責務とやらも役目を終えたお前には関係ない話だ! それなのに……――」

 さらなる衝撃。ユーリーは空間をスキャンでもしたのか、ジークの余裕を寸分の狂いなく詰めている。彼は最早動けない。あと一撃受ければヘルメットが割れるなり、手足を潰されるなりで確実に死ぬ。

「――何故こだわる!」

「そうだね――」

 大巫女。それはメイズの村の頂点。たった一か月の在位の記憶を振り返り、思わず笑みがこぼれる。

 その前は魔人で巫女見習い。さらにさかのぼれば余所者か。ジークの言う通り村での生活にこだわる理由は無いのかもしれない。所詮自分は旧時代の人間。この一年で与えられたのはかりそめのレッテルに過ぎない。偽物の人間に囲まれて、偽物の女王として君臨する。それは正しい人類にとって間違いなく滑稽に映るだろう。

 だからと言ってユーリーはそのすべてが偽物だとは思わない。村には村の生活があり、それは今も生き生きと輝いている。そしてその営みのなかで彼女もまた生きてきたのだ。全てが順調だったわけでは無い。差し引きすればうつむきがちだった一年半。しかし、挫折も、充実も全てその場所で培ってきた。自身の血肉となった経験は何事にも代えがたい本物である。

「だから……」

 アームレイカーを握りしめる。敵を焼き払った腕。村の発展を促した手。アキレアを握りつぶした手のひら――部位はユーリーの動きと連動して握りこぶしを作る。

 水流が動作を描く。暗所に押し込められたジークにも魔人の動作が意味する所が理解出来た。ここで答えを間違えれば鉄拳が飛ぶ。そしてそれは彼一人にとどまらず、たとえユーロⅤのすべてが敵に回ろうと止まらない――

「……謝って」

「……え……?」

「あなたが無視してきた人たちに、あなたが殺した戦士に、あなたが私に殺させたアキレアに……村のみんなに謝って!」

 それは彼女の足跡を肯定する事であり、彼のプライドを引き裂くことだった。

 ただ一言、謝るだけでいい。簡単なはずのその行為は時に立場が、時に感情が難しくする。平時のジークであれば「道具の機嫌を取るくらいなら死んだ方がましだ!」と吐き捨てるだろう。

 ところが現状彼に選択肢は無い。自慢のゾルダートはスクラップ同然。M・M乗りとしての自信も、決闘を申し込んだ時の威勢も同様に砕かれた。彼自身も冷たい棺桶の中身動きが取れないでいる。

「うう……」

 ひょっとすると殴られて一瞬で死ぬ方がましかもしれない。一番恐ろしいのはこのままの状態で放置されて、スーツの酸素が尽きるまで放置される事。

 助かるためには――

「うっ……うう……」

「……」

 潮目が変わる。何かがジワリと近づく感覚がジークを襲い、パニックは極限へ。

 謝れと言うのか? 浅黒い蛮族の女に? 地球に残された劣等種の末裔に?――ちっぽけなプライドがジークにささやく。だが生存本能は正直だ。どれだけ頭で否定しようとも、体は今も狭い中をじたばたともがいている。

「……る」

「……はい?」

「だから謝ると言っている……」

 ゴウ、とさらなる水流が迫る。

「分かった動きを止めてくれ! 分かったよもう! ちゃんと謝るから! 謝るから!」

「……」

 水流が止まるがもはや一刻の猶予も無い。どんな大儀を掲げようと結局人間は生きる事を止められない。その結果祖先は地球を脱出し、残された一方はありえないと思われていた地球再生を果たした。ならば自分が取る行動も決まっている。

「自分が悪かった! ごめんなさい! だから、許してくれ……自分をここから出してくれ――!!!」

 ジークの四方を水流が襲う。激しく音を立てながら棺は上昇を始める。いつの間にか水位は下がり、動きも自由になる。

「ああ……」

 コックピットは殻が割れるように裂け、ジークは露出した。見るとそこは魔人の手のひら。見下ろす景色は緑が広がる広大な大地。

「ああ……」

 機体もプライドも奪われ、ジークは裸にされた気分だった。もはや彼に残されたのは己の身一つ。だからだろうか、彼は放心の中、広がる景色に感じるままになっていた。

〈オオオオ――〉

 水底から大空へ。頬に滴る水滴を輝かせながら魔人は太陽を見上げる。光は金属をやわらげ表情を生み出す。魔人が浮かべたそれは満足げな微笑み――

「はぁ……」

 ため息とは長い付き合いである。村にいた頃もそう、おそらく旧時代の地下生活でもそうだったに違いない。一度出来た癖はなかなか治るものでは無い。

 しかしながら癖だからこそ、その人の感情を雄弁に語る。ユーリーが吐きだしたそれには彼女が歩んできた人生の中で最大の壁を乗り越えた事に対する充実が含まれていた。

 ユーリーもまた満足げに微笑む。今や彼女は魔人の魂として機体を望むがままに掌握していた。見る者にある種の恐れを抱かせる人機一体。今この場に彼女に敵う者は存在しないだろう。

 スイセン……みんな……私、やったよ……――

 魔人は再び大地に降臨した。だがその視線は大空、遥か彼方に向けられたままだ。

 彼女の満足は終わらない。今は一つの関門を越えただけ。次なる課題は空を越えた先の宇宙にある。だからこそ俯かずに宇宙そらを見上げるのだ。

 風が魔人の水滴を掃う。それは濡れた頬を乾かすようであり、大地から彼女に向けられた声援のようでもあった

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