4-5

 馬鹿にされる事と無視される事、どちらがましなのか。これは人類が抱く疑問の中でも解が分かれる難問と言える。

 ユーリーも出来ればどちらも受けたくない不愉快な物だと理解している。それでもあえて選ぶなら「馬鹿にされる」方を選ぶ。

「ユーロⅤではパンが主流だ。コメは珍しいな」

「うま、うま」

「……」

「お代わり!」

「スイセン、お野菜残してる。ちゃんと食べないとお代わりはメッ、です」

「やー!」

「ユーリーよ、自分もオカワリとやらだ」

「米櫃はそこ。自分で盛りなさい」

「痴呆の世話は焼くのにか⁉」

「うわああああああ~‼」

「ちょっと大声出さないで! スイセンが怯えてるじゃない……。ほら、あの人は白くてひょろいだけで私達と変わらないから安心して……。

 まったく……それだけ元気ならご飯くらい盛れるでしょ。ほら自分でやる!」

「自分はシャモジとやらが苦手だ……」

 言葉通りジークのしゃもじを握る手は震えている。ぎこちない動きで、コメを潰すような勢いで飯を抉るとなんとか茶碗に盛った。だが合点がいかないのかユーリーの盛り付けと見比べてはどう改善しようか悩んでいる。

 すっかり風景の一部と化してしまった……。ユーリーは神殿の大巫女専用の部屋で三人が生活するさまを持て余し大きなため息をついた。

 アキレア殺しの一件で出来た溝、ユーリーはそれを埋められるとは思わなかったし、埋める努力をしようとも思わない。

 彼女と魔人、それにメイプルのお告げによる生活水準の向上はすでに一定の限度を迎えていた。これ以上の貢献、例えば第二次産業の振興のかじ取りを行おうとすればメイズの規模では到底足りない。周囲の村を巻き込んで、それなりの期間が必要になる。

 ユーリーの発案を、今の村人はすんなりと聞いてくれるだろう。彼らには魔人の恐ろしさが身に染みている。例え理不尽に感じる命令でも自分達に脅威が向けられるよりはマシだとしぶしぶ協力するだろう。ところが余所から労働力を引っ張るとなれば話は別だ。神の如く怖れられているとは言え周辺の村々は魔人、とりわけユーリーの人格を侮っている。下手に交渉を持ち出しても相手にされないし、最悪戦争が始まる。ユーリーはこれ以上人間同士の分裂を見たくないし、メイズを守るために魔人を使うことも避けたい。それを使えば間違いなく自分の王国を拡げられるが――独裁者になるくらいであればスローライフを満喫する方がマシだった。

 そうなると、今のユーリーが村に貢献できる事はほとんど無いのである。お告げの神器・メイプルと直結したタブレット端末には、この一帯で普及している象形文字が表示できるようにプログラムを修正した。大巫女の神秘は広く開放され、村の日常祭事であるお告げの儀は彼女抜きで回っている。

 また、分鏡・小型タブレットもいくつかお告げの間から発掘し、少なくとも各階級の代表はメイプルの周囲で情報を取得できるようになった。

 村から大巫女・ユーリーの重要性は急速に薄れつつある。それは彼女自身が意図した物であり、必然であった。即物的な村人が欲しいのはすぐに役立つ情報であって彼女自身では無いのだから。

 それら巫女の特権を売り払って彼女が手に入れようとしたのは時間だった。お告げの儀を執り行うメイプルの洞には、インフラの内側に侵入するための入り口がある。数千年単位に及ぶ老朽化で立て付けはかなり悪くなっているが、二日に一回は内部に入れる。これだけ痛んでいれば自分ひとりが誤作動で解凍されたのもむべなるかな。システムの再起動や修復に時間がかかるために一階の一部しか利用できないが、ユーリーが望む範囲の情報を手に入れるには十分だった。

「これがテラフォーミングインフラシステム・メイポールの全貌……」

 世界樹神話と世界再生を理念に建造されたメイポール、それはまさに人類の英知を結集して造られた巨大インフラだった。

 ナノマシン技術を応用して生み出された生体金属は柱の体表から浄化用のナノマシンを散布し、大気と地上の汚染を修復した。地中に埋められた基礎部分からは根を張り、土壌を内側から浄化したり、地殻にまで伸びると地形そのものまでコントロールし始めたりと、星の環境に大規模に干渉している。メイポールが本格的に地球を操作できるのに数百年はかかるが、その効果は現在の地上が証明している。ユーリーは当時自分がこれほどまでの物を作っているとは予想しておらず、その成果としてメイズの村ができた事に大きな誇りを感じた。

 一方で、その誇りを素直に喜べない事情も知ってしまう。

「メイプルは……何でこんな事を……」

 画面を前にユーリーは体を震わせる。彼女にしがみつくスイセンもまたおぼろげながら恐怖を覚え一層身を寄せる。

 その場に立つジークだけが悠然と画面をスクロールさせては情報を閲覧してゆく。

「なるほど――理に適っているじゃないか。地球を人間が生活する場所にするためにはつまるところ人間が必要だというだけの話だろう」

 ナノマシンは廃棄物を浄化すると同時にメイプルの体内へ収容し、リサイクルを行う。資本主義の名の下、再利用を敬遠されていた大量のゴミは徹底的に分解されるとプログラム通りに地球を次なるステップに導く。

 メイプルは浅い地下に生体プラントを製造した。灰色に荒廃した地上をかつての自然あふれた水の惑星にするために種々の微生物、植物、動物を生み出し、成長を促進させてゆく。続々と繁茂する緑の環境。地上はすっかり汚染から脱却し、地上に緑が帰って来た。どんな動物でも自然を謳歌できる環境。そしてそれが整い、満を持して製造されたのがバイオロイド・つまりは人型の労働力たる村人である。

 メイポールは自然をただ回復させただけでは人間が住めないと判断を下した。緑が繁茂する環境は地球にとって都合がいいかもしれないが、人間が文化的な生活を送るには野性味が強い。庭は荒れているよりも整っている方が見栄えが良いのである。

 メイポールは眠りについている人類が目覚めた後も快適に過ごせるように庭師を用意した。それこそがバイオロイドの製造理念である。どれだけハードな労働にも耐えられる屈強な肉体に、勤勉な作業能力と、繁殖能力。ブレインチップは入れられず、知能の一部は制限されているものの、人間とほとんど変わらない姿をした彼らはインフラが命ずるままに大地を耕し、人口を増加させると耕作範囲を広げ、一つの文化を生み出すまでになった。

 それが神樹・メイプルの信仰であり、メイズを代表とする周辺の村々が奉っている。例え直接的な信仰が行われずとも、彼らには神樹を見た瞬間大地を手入れするように刷り込まれている。これだけ巨大な物体、文化が後退した世界で遮る物は無い。バイオロイドたちは今日も余分な獣を間引き、大地を耕し、計画を練り、子供を産み育てる。

 村人の手が入っている箇所はそうでない箇所と比べて生活の利便性が段違いである事は周辺を飛んだユーリー自身が身に染みている所だ。誰だって竜が跋扈する森の中で暮らしたいだなんて思わないだろう。メイプルにはいくつか武器が搭載されているが、それにだって限りはある。旧時代人は過酷な生存競争を潜り抜けてきたかもしれないが、科学の加護の無い環境でのサバイバルは畑違いだ。

 だからって……よりにもよって人型なんて……――人間同士の分断、その醜さを目撃してきた再生組、そんな自分達が奴隷を生み出したとなれば穏やかでいられない。

 ユーリーはこの情報ばかりはスイセンに見せた事を後悔した。メイズの巫女である事に誇りを持っていたスイセン、そんな彼女に自分達が奴隷の末裔だと知らせる事は、たとえ痴呆の状態でも見せるべきでは無い。狭い空間に押し込めるよりは、村ではいない物同士外の空気を吸わせた方が元気になるかもしれないという心遣いが裏目に出てしまったと、彼女は激しく公開した。

 そんな中で積極的に情報収集に励むのはジークである。頑なに村人を無視する彼にとって村に関する情報源はユーリーだけだったが、ここにきてメイプルという巨大な情報センターにアクセス出来たのだ。ユーロⅤと旧時代のシステム間にギャップは少ないのか、ジークの指は慣れた手つきでコンソールパネルを打つ。行き詰った時はユーリーの手を借り、彼女もまた彼の手つきから操作方法を思い出すとしぶしぶ情報解析を手伝う。裏切り組に自分達の蓄積を明かすのは癪だが、彼の手を借りなければメイプルの復旧に自身の記憶の手掛かりを探すことは不可能だ。

 こうしてユーリーの日々はメイプルの再解析というライフワークに費やされる事になった。村人はお供え物とばかりに朝夕の二食を配膳してくれる。それ以外の時間をメイプルにこもるか、プリントアウトした未解析のデータを部屋に持ち出しにらめっこするかで一日はあっという間に過ぎる。知れば知るほど、時間をかける程に、三人と村の溝は深まるばかりであり、同じ村にいながら両者が交わる事は不可能に近いと彼女は思いつめるようになっていく。

 自分達の仕事が命を弄んだ事実に心を痛めるユーリー。道具は道具だと割り切り、欠片も罪悪感を覚えないジーク。村人に対する見解が真逆な二人。そんな彼女たちが共同作業を行っていれば当然破局は免れない。二〇〇〇年前から続いてきた対立が再燃するのは必然だと言える――

「よし、バイオロイドを滅ぼそう――」

「……は?」

 ユーリーは耳を疑った。言葉が出ないとはこの事か。彼女はため息が出るよりも先にジークの襟を思い切り掴んだ。

「ごめん、よく聞こえなかった。もう一回言って!」

「だからバイオロイドを滅ぼすと言っている」

「――っ!」

 気づけば彼女はジークに平手打ちをお見舞いしていた。あれだけ暴力を忌避していた自分がとっさにこんなことが出来るのか、衝動的になった事に恐怖と悔恨を覚えつつも、毅然とした態度で詰め寄っていく。

「あなた……自分が何を言っているか分かっているの?」

「もちろん。お前も気づいているだろう。メイポールの稼働は限界に達している。どれだけ解析に励もうとも情報は引き出せず、上階にすら上がれない。ナノマシンの自己修復機能があるとはいえ保って十数年か。

 あの蛮族たちを放し飼いにできる期限が迫っている。信仰の対象を失えば奴らが勤勉である保証は無い。それにユーロⅤの人民が入植するにあたってバイオロイドがいたら手狭なのだよ。我々の人口ではあの第三メイポールが回復させた範囲を満たしてしまう。生き残るべきは奴隷では無く人間である事は当然だろう」

「それはとんでもない傲慢だわ! 確かに道具として生まれたかもしれないけど、彼らはもう生きているの! 生まれ変わった地球で、人間として生きているの。それを生まれの違いで虐殺するだなんてあなた達は旧時代からの愚かな行為を繰り返すつもり? 流石は差別主義者の末裔ね!」

「その道具を生み出したのが環境派だと言っている! 機械がやった事だからって責任を逃れるつもりか? 地球は確かに回復したが、インフラの無い箇所はまだ十分とは言えない。もしわれわれが降り立てばそこの神樹も直せるし、お前たちの予定通りの数のメイポールを追加建造して地球再生の手助けを行える。資源が限られているのであればより優れた者が生き残るべきなのは言うまでもないだろう!」

「そうやってまた分断を引き起こして……私達がどんな思いをしてきたのか……よくもそんな事を――」

 二〇〇〇年分の激昂は普段の彼女からは想像できない動作を引き起こさせる。ユーリーは衝動に導かれるまま、襟から手を放し、それをそのまま首へ――少女の細腕からは信じられない力で締め上げ、ジークの頭部を壁に叩きつけてはその隙に足を払うとそのまま床へ、馬乗りの姿勢に持ち込み一層力を込め始めた。

 ナノマシンの性能は未知数だが、傷と異なり酸素を断てば手出し出来まい。どす黒い圧力に飲み込まれるまま褐色の十指は白い首筋を狭めてゆく。ジークも反撃に出たかったが、彼女の鬼気迫る表情に圧倒されたが最後金縛りに遭ったように体が動かない。

 相手が女であり、蛮族の中でスポイルされたと侮った――今更後悔しようも彼の意識は白んでしまっている。ここで形だけでも謝れば、彼女は手を緩めるかもしれない。だがそれを行わないのは彼の傲慢さがなせる業と言えるだろう。下手に抵抗するよりはナノマシンによる回復に賭ける。私刑に遭った時同様、優れた自分が滅びる事は無いと、双眸は相変わらず自意識に輝いている。

「――――ッ!!!」

「うっ………………」

「嫌――――――――――ッ!!!!!!」

「!??」

 声にユーリーの手が緩まる。

「ごほっ……――!」

 その隙にジークは彼女を蹴ると体から引き離した。

「「……」」

 ユーリーにとっては邪魔者、ジークにとっては救い主である声の方向へ二人の顔は同時に向けられた。

「いや……もう……いやなの……」

「……スイセン……」

 そこには涙ながらに二人を見つめるスイセンの姿があった。知性が回復し、ジークの計画に恐れを感じたのか、それとも憎しみに駆られるユーリーの圧力にただ恐怖したのか……。

「いや……いやなの……」

 彼女の口は多くを語らない。一見すると乱れた黒髪も、着崩れた巫女服も、普段と変わらないように見える。だが握りこぶしを震わせ、必死に二人を見つめる様子からは痛々しいまでの悲しみをにじませている。

「……」

「……」

 泣く子には勝てない――二人は一転して冷静になると床へと座り込んだ。少なくとも、スイセンがいる前では闘争心をむき出しに出来ない。

 だからと言って問題が解決したわけでは無い。ジークが手を出そうと出すまいと、ユーロⅤが接近している事実に変わりない。仮に彼一人殺したところで事態を訝しんだ調査員が追加投入されるだけ。最悪本隊がたどり着いてしまえば彼我の戦力差は圧倒的なものだ。メイプルの加護があるとはいえ魔人一機で覆せるほど彼らは甘くないだろう。

「なるほど、分かった。確かに我々の要求……それに祖先がやって来た行いが傲慢である事は認めよう。地球の扱いに関してはそちらに分がある。それは間違いない」

「……」

「……」

 女子二人の圧力を前に、ジークは咳払いを一つつき、居住まいを整える。意外なことに彼は正座で座ると背を真っ直ぐに伸ばし、真剣なまなざしでユーリーを見つめた。

「バイオロイド――村人に対する非礼もひとまずは謝る。だが我々にとって彼らが道具である事実は変わらない。私一人の価値観を変えた所でユーロⅤ全体が揺るがない事はそちらも想像に難くないだろう」

「……それで? いきなり謝って何が言いたいの? 謝ったって、信頼を取り戻すのはその何百倍もの努力が必要だって分かるよね」

「もちろんだ。先祖代々の『傲慢さ』が暴力で変わるとは自分も思えん。我々は相変わらず劣るものを見下すし、そちらは生きるためにあらゆる手を尽くす。その関係はおそらく変わらないだろう」

「……」

「だが――ユーロⅤと事は可能だ。価値観を変えられないのであれば、相手の価値観の上で妥協点を探る。居残り組の代表としての権利を主張すればもしかしたらユーロⅤが荒事に出ない可能性もある」

「……」

「条件次第では自分がそちら側とユーロⅤの窓口になる事を約束する。これが調査員としての妥協だ。どうだ、悪くないだろう」

 多少誠実になったとはいえ、やはりジークの言葉は脱出側の傲慢な態度が抜けきっていない。彼一人が窓口になった所で果たして背後にいる何百、何千の人々を説得できるのか、その保証は一切無い。

 しかしジーク一人殺したところで衝突を避けられないのであれば本隊と直接交渉する方が平和的ではある。一方的な暴力にうんざりしているユーリーにとって彼の提案は野蛮な選択肢にはるかに勝ると思わせた。

「……はぁ……分かったわ、その方向で行きましょう。私はメイズの、現地球の管理人としてユーロⅤとの交渉を望みます。

 ……で、交渉に際する条件は何なの?」

「ふん、M・M乗りであれば交渉の方式は決まっている」

 ジークの瞳がギラリと輝く。ユーリーはその瞳を知っている。戦士たちが己を震わせ、獲物に差し向ける攻撃的な瞳。それが意味するところは――

「ユーリーよ。自分、ジーク・フリーデンとのM・Mによる決闘を申し込む! そちらが自分に勝てばユーロⅤとの交渉チャンネルを開く。ただし自分が勝った時はこちらの無条件での入植を認めてもらう。その際奴隷たちがどうなろうが口出しは一切無用。これでどうだ!」

「……っ」

 どこまでも傲慢。相手が勝った場合すべてが手に入るにも関わらず、ユーリーが勝った場合は交渉のテーブルに付けるだけ。知っててそう言っているのか、青年の表情は「これ以上無い最高の舞台だ」と瞳を輝かせているのだから始末に負えない。

 だが――

「受けるわ。私は勝つ。勝って私達の誇りを守ってみせる」

 両者は立ち上がり握手を交わした。

 戦わなければ守れない。戦わなければ得られない物もある。余所者から大巫女、荒神と様々な立場を体験した事で、彼女の中で「戦う」という選択肢が培われたのだ。

 今まで魔人として様々な逆境を乗り越えてきた。今回だって奇跡を起こす――

 ユーリーの瞳にもまた輝きが迸る。そこにはかつてのうつむきがちだった少女の姿は無い。誰かの意のままに動くのでない、己の意思で運命を選び取った一人の人間としての決意が刻まれている。

 二〇〇〇年と一年数か月、遥かな時を経て再び出会った兄弟たち。その対立に今、一つの終止符が打たれようとしていた。

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