4-4

 確かに地下牢は村の日常においてなんら役目を果たさない。そもそもが村に、この世の中に必要のない人間を隔離する空間である。よほどの事情が無い限り村人がそこを訪れる事は無い。

 例えばユーリーの贖罪と、村で大巫女をやり続ける覚悟を確かめるという動機。

 例えばアキレアの婚約者を慮り、己の中の復讐心を確認するという動機が無ければ――


「アキレア様⁉」

「よう」

 ユーリーと入れ替わるようにアキレアもまた毎朝スイセンの様子を確かめるのが日課だった。戦士階級の代表で無い彼がこの場所に出入りする資格は本来無い。とは建前で守衛に賄賂を与えれば事はすんなり通るものである。地味で退屈な仕事をしている御仁に竜の干し肉と血入りの酒を融通すれば、今や顔を見せるだけで通えるまでになったのである。

「スイセン……」

「だーうー……あははははは!」

 聞くところによるとユーリーの前では多少正気に戻るそうだが、彼女がアキレアに対して反応を返す事は無かった。ユーリーが女官に世話をさせているのか身なりはいいものの、それはすぐに彼女の狂態で乱れてしまう。自慢だった豊かな黒髪もけば立ちそこに理知的な努力家であった面影は消え失せている。

「なんでこんなことに……っ」

 アキレアはスイセンの事を愛していた。スイセンの整えられた容姿は村一番であり、彼女の堅実な努力家である一方、燃えたぎる野心をみなぎらせる二面性も自分の性格に合っていた。気の合う二人はすぐに婚約を約束し、スイセンが大巫女に、アキレアが代表になった時に結ばれようと考えていた。

「あははははは!」

「笑うな!」

 だがその野心も彼女の精神崩壊で崩れ去る。彼は確かにスイセンを愛していたが、それ以上に自分を愛するのだ。

 近年神樹のお告げの内容は農業階級に有利なものに移行しつつある。気候情報は戦士も利用するが、かつては獣が出る方角を占ってくれたと彼は古い戦士から聞き及んでいた。

 三階級は平等である。そんな建前を素直に信じる者はいない。本質的には情報を握る祭祀階級が一位。戦う力を持つ戦士階級が二位であり、畑仕事という博打を行う農業階級が三位なのが戦士たちの主観であった。

 わざわざ育てずとも、獲物を今すぐに狩る事こそ最効率。その主義は今も戦士たちに受け継がれている。

 それがユーリーの巫女見習い就任によりたった一年で農業は目覚ましい効率化を果たし、その傾向は魔人の力がトドメを刺したと言っていい。村の基幹産業は狩猟から農業へと移行してしまった。

 狩猟だけが戦士階級の仕事では無い。村の防衛という誇り高い業務が残っている。

 だがそれも魔人が繰り広げた防衛戦で印象が塗り替えられてしまった事は否めない。巨大竜に、竜の大群を葬り去った火力は到底人間の力で真似できるものでは無い。戦士含め、村人は完全に魔人に怖れ混じりの信仰を抱いてしまった。

 やっぱりあんなもの排除するべきだったんだ――

 アキレアは魔人を沼に嵌める作戦が失敗した事こそ最大の失点だったと後悔していた。あの事件を乗り越えたことを契機に魔人の影響力位はぐんと増していったのだ。おかげでスイセンが下手な操縦をする事が出来たのだが……それは些事に過ぎない。魔人がいてはやはり戦士の邪魔になるのだから。

 だからと言って彼は魔人におもねる気は毛頭ない。今更スイセンからユーリーへ取り入る対象を変えるのは露骨だし、彼女の性格は生理的に合わない。アキレアは力を持っているにも関わらず、常に誰かの表情を伺い、下を向いているユーリーを軽蔑していた。

 となれば選択肢は魔人・ユーリーの排除しか無い。大巫女の座に収まり、魔人の力である種の信仰の対象となってしまった彼女を退けるのは至難の業と言えたのだが――

「我々の祖先とて……過酷な宇宙空……間で必死に世代……を重ねてきた……!」

「自業自得よ! 放蕩息子なんかに私はあげるものなんて無い! 侵略なんて野心捨ててとっとと宇宙に帰って!」

「おいおい……」

 ユーリーが尻尾を出すとすれば誰も入って来ないと思い込んでいる地下牢しかない。アキレアはその場所で彼女がいかがわしい行動を取っていないか守衛に探らせ、とうとう夜間という怪しい時間に入り込んでいる情報を得た。

 同じ巨人を操る余所者同士、何かあるとは思っていたぜ――会話の内容こそ理解できない事ばかりだが、両者の間で成立しているということは同じ文化圏に属している証である。これでユーリーが青年と同じバケモノであることが確定した。村を脅威から守る戦士の大義名分が生まれたのである。


「――ッ」

 ユーリーが目覚めるとそこは村境の外、ジークと出会った抉れた大地だった。

「確か私は……⁉」

 痛む後頭部を庇おうと腕を回そうとするも動かない。徐々に覚醒する中で、彼女は自分が全身を縛られ、うつぶせに寝かされている事に気が付いた。

「ちょっと、何よこれ!」

「……」

 隣にはジークの姿もあった。彼も彼女同様に拘束されているが冷や汗どころか表情一つ動いていない。相変わらず村人がやることには無関心を貫くつもりらしい。

 このような状況でも涼しい顔が出来るジークをユーリーは羨ましく思う。しかしながら彼女の知識が間違っていなければこれはメイズの村における処刑方の流れの一つだ。はじめに異物を村外へ隔離し、内側を清める。それが済んだ後は――

「よお、お目覚めか」

「あなたは……」

 見上げるとそこにはアキレアの姿が。彼は大巫女の証である前天冠を弄ぶと――

「フンっ!」

「⁉」

 彼女の目の前でグチャグチャに折り曲げた。

「こんな事をして無礼だと思わないの⁉ 私は、あなたは戦士の使命には誠実だと思っていた」

「ハッ! 誰がたぬきに誠実にするかよ。俺たちの事をだましていたくせに」

「何を言って――」

「とぼけるんじゃねぇ‼ みんな! 俺は聞いたんだ! 大巫女を騙るこの女は隣の余所者と同じ魔人を操る一族。村が豊かになった頃を見計らって侵略するつもりだったんだ! 俺達に色々と便利な物を提供したのも侵略後の生活を豊かにするため。俺たちの村自体が収穫されるための牧場だったんだよ!!!」

 アキレアが熱弁を振るう先、村境の防塁には傍聴席のように村人の姿があった。時刻はお告げの儀をとっくに過ぎている。仕事始めの時間に大巫女が現れない。事態を訝しんだ人々を先導したのもまたアキレアなのだった。

「脳筋みたいな見た目で案外鋭いな」

「ちょっと、煽らないでよ……」

「? 私はお前にしか話していないつもりだが?」

 冷静さとは時に他者の怒りを買うものだ。流石に追い詰められたと思うユーリーはもちろん――

「⁉ おい聞いたか! これが奴らの本性だ! こいつらは共謀している。青い男が余所物としかしゃべらないのはその証だ!」

 勘違いも甚だしい。確かに自分はジークと文化的な背景を共有しているかもしれない。それでも自分はコールドスリープから目覚めた旧時代の人間で、ジークは宇宙へ逃げた一団の末裔。お互いは似て非なる存在である。

「女の癖にひょろ長い。男の癖に女みたいな体をしている。コイツらの見た目だって異常の証だろう⁉ 俺は前から怪しいと思っていたんだ!」

 いや、例え事のあらましを懇切丁寧教えた所でどうにもなるまい。アキレアは彼女たちを排除する方向で考えているのだ。どんな事実を提供しようが、それらすべてがこじつけに使われる公算の方が高い。

 ユーリーはこのような状況でも動じないジークの事を羨ましく思う。アキレアの手には処刑用の刀剣が握られている。自分が提供した技術で造られたそれは鏡面のように輝き己の蒼白な表情を映していた。これに戦士の力が加われば二人の首はあっという間に両断されるだろう。医療用ナノマシンの性能を詳しくは知らないが、流石に首はマズいのではないだろうか。それとも他にアテがあるからこそ冷静さを保てるのか――

「最後に慈悲をやる。何か言い残した事はあるか」

 瞳と刀身がギラリと輝く。そこに浮かぶ狂気を見れば何を言っても無駄だと一目で分かる。ゆえに誰もが動けない。

 舞台はアキレアの独壇場。唯一動ける彼は刀剣を振り上げ、狙いを彼女の首筋へ定めた。

「――ない……」

「はぁ?」

 何を言っても無意味なのであれば、言える事は限られている。

「良く聞こえないなぁ?」

 例えそれが相手を喜ばせる結果になろうとも――

「死にたくない‼」

 輝きが振り下ろされる。自分の死に顔はツゲと異なり醜いものになるだろう。瞳を閉じて覚悟を決める。せめてもの救いは終わりが一瞬である事か。

「うっ……――」

「……」

「……」「……」「……」

 ところが……覚悟した瞬間は訪れない。不気味なほどの静寂。蛇に睨まれた蛙のように誰もが息を飲んでいる。

「えっ……」

 瞼を開くと同時にユーリーの脳が熱く弾けた。魔人が起動するときに発生するその熱。乗り込んでいない今何故その感覚が走るのか――

「……⁉」

 見上げた先にあるはずのアキレアの姿が無い。代わりにあるのは何かを握り込む魔人の左腕のみ。

「おまえ、あのM・Mに生体認証をしただろう。高級なマシンにはパイロットに何かあった時、バイタルデータに合わせてオートで動くのさ」

 当然のことだと相変わらずつまらなそうな表情でジークが答えた。その言葉通り彼のM・Mも背後から迫り、巨大な手で器用に拘束を解いてゆく。

 技術に見蕩れている場合じゃない! 仮にそれが本当だったら――

 ユーリーが感じた恐怖は「命の危機」である。彼女の脳裏には今にも刃を振り落とそうとするアキレアの姿が刻まれている。もしそれを素直に解釈するのであれば……。

〈オオオオ――〉

「止めて!」

 魔人の拳が握りしめられる。悲鳴ごと潰されたのか、隙間からは血が滴るばかり。せめてもの救いは終わりが一瞬である事か。その表情を確認する事は不可能だろうが。

 機械は素直で加減を知らない。その事実を村人たちはユーリーよりも深く理解していた。アキレアが反旗を翻したところで何もしなかったのも彼の野望が砕かれる事が火を見るよりも明らかだと断じているからである。

 あの威容を見よ! 我々に向けられる赤色の双眸を! 魔人は語る。主に逆らうものに命は無い。

 神官も、農夫も、戦士も、老若男女階級問わずすべての村人が大巫女の前に跪いた。我々はあなたに逆らいません。魔人・ユーリーの前で無礼を働きません。

 そして彼らは何事も無かったかのように立ち上がり、背を向けるとそれぞれの日常に戻って行く。後ろ姿はこう語る。だからこれ以上村に厄介な物を持ち込まないでください。大巫女の範囲で村に関わって下さい、と。

 再びアキレアが原因でユーリーの立場は確固たるものになった。しかしながらそれは彼女の望む形とは真逆である。魔人は彼女に自信を与えてくれた。そして同時に誰からも怖れられる強大な力も――

〈オオオオ――〉

 血の滴る指がユーリーへと伸びる。魔人もまた青い仲間がしたように主の拘束を解こうとしているのだろう。

「止めて!」

〈ォ――〉

 ピタリと止まる魔人。いや……目の前のM・Mはただの機械だ。神のお使いが選ばれし巫女を助けたのではない。かつて当たり前だった技術を脳に持つ一般人のリモコンで既定の動作を行ったに過ぎない。

「縄、解かないのか?」

「……」

 ユーリーは力なく首を横へ振った。

 もう何もかもどうでもいい――ユーリーは自分が余所者である事を自覚していた。そして、それが今最悪の形で証明されたのである。村を守るからこその魔人であり、自衛のために仕方ないとは言え村人を殺してしまった今、彼女が村の一員として元の関係を取り戻すのは不可能だった。

 自分が魔人を遠ざけようとも、登録は解除されない。魔人の双眸はユーリーを守るために監視を続ける。その結びつきを怖れない村人はいない。

「そうか」

 ジークは手慣れた様子で彼女の拘束を解いてゆく。解し終え、自由にすると彼女を抱え、あろうことか村の中へと入って行く。

「なあユーリー、あの設備は何だ? 貝塚にしては奇妙な物が捨てられているようだが」

「……」

 この男にはデリカシーが無いの……。いま彼女が求めているのは一人でいられる時間だった。村からも、魔人からも離れた場所で精神の回復を図る事。当然その対象にジークも含まれている。

 しかし、すべてを終わらせにやって来たのがジークならば、自身の同類もまたジークその人なのである。ユーリー自身も村に終わりを持ち込んだその先兵に過ぎない。

 村はツゲの政治学に倣い大巫女が逐一手を入れずとも運営できる。ジークの手の中彼女は異邦人になった気分で彼の質問に答え続ける。嫌がろうにも、自分の仲間は彼以外いないのだから……。

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