3-3
「ユーリーの任命は次の成人式で正式に発表する」
ツゲの判断は妥当なところだろう。
メイズの村人がその年の一五歳を迎える成人を盛大に祝う儀式。この祭事に参加することで子供は正式に村の大人、村の一員として迎えられる。
ユーリーはすでにお告げと魔人で村へ多大な貢献をしている。一六歳である彼女が今更成人式に参加する事をユーリー本人は気後れしていたが、形式・伝統がバカにできない事は村にやってきて散々体験してきたことである。
成人式の期日は次の満月が出る頃。成人式を担当する役職であるユーリーにとって忙しい一か月が始まる。
と身構えたものの、有職故実に従って作業はパターン化されているし、魔人と村人の身体能力のおかげで神輿や祭儀場といった物理的な準備はあっという間に整ってゆく。作業途中で自分の成人式を自分自身で用意する気恥ずかしさを感じる程度には心に余裕があった。
「ふふっ」
初めて与えられた役職、そしてその晴れ舞台を成功させる作業にユーリーは存分に熱を燃やしていた。
一方で――
「スイセン様遊んでー!」
「あっちにね、でっかいカブトムシがいるんだぜ」
「かけっこ、かけっこしよう!」
「そうね、じゃあカブトムシがいる樹まで競争よ!」
負けないぞー! と子供たちの眩しい声にスイセンの微笑が混ざる。
「……」
無邪気な顔で駆けてゆく小さな体躯、その後にこれまた同じように無邪気な顔でスイセンが続くのをユーリーは未だに受け入れられないでいる。
成人式の作業は拘束時間が長く、今までのように子供たちと遊んだり、村人の要望を聞いたりする時間が取れない。大人の方は事情を理解してくれるものの、子供たちは構ってくれる余所者が忙しくする事を快く思わなかった。
どうしたものかと悩んでいた時、颯爽と現れたのがスイセンだったのである。
「うふふふ」
「あははは」
平素は引きこもって神の文字の習熟に努めていた彼女が一体どういう風の吹き回しか。今更祖母のように方針転換をしたのだろうか。あのような出来事のせいでユーリーは反射的に構えてしまったのだが――
「ほら、捕まえた」
「スイセン様はえー」
「流石巫女様だぜー」
この数週間、スイセンが子供たちに癇癪を起こした様子は無い。分鏡を用いたお告げも、ユーリーほどではないにしろ十分に勤めを果たしていると評判が聴こえる。
きっとこれが本来のスイセンなんだ――
怪力乱神、それはあの閉塞的な空間が生み出した極端な面に過ぎない。本来の彼女は人当たりが良く、物事を如才なくこなす麗人。
子供に好かれる人間に悪い人はいない。しばらくするとしこりも消えてユーリーは成人式の準備に集中することが出来た。
そうしてあっという間に時間は流れ、当日を迎える。
「うわー……」
「これは酷いのう……」
神殿の縁側からユーリーとツゲはやるせない気持ちで景色を眺める。
下に分厚く広がる灰色の雲。そこからは特大の雨粒が大地を射貫くように降り注ぎ、神殿の玉砂利は水の中に埋まっている。これが村内であれば足元は泥水になっている所だ。
畑は大丈夫かな。ユーリーは現実逃避を始めていた。
お告げでも確かに、例年にない豪雨が接近しているとあり、村はそれに備えてきたつもりだ。神樹と魔人がもたらした技術によって酷い雨が降ってもある程度は影響を緩和できるように田畑は整えられている。
だが成人式はそうもいかない。人間が参加する晴れ舞台、いくら慣習によって定められた開催日があるからといって、誰だってこんな豪雨の中祭事をやりたいとは思わない。
幸いにして式自体は満月が浮かぶ夜間に行われるのだが、それまでに豪雨が収まる保証は無いし、降りやんだとして儀場のアレコレは雨水のダメージを免れない。
「お前、持ってないな」
「すみません……」
天候は人間一人がどうできるものではないが、それでもユーリーは申し訳ない気持ちでいっぱいだった。自分の初めての仕事、禰宜と女官たちのと初めての共同作業、魔人が村を、成人を迎える人々見守るという平和を象徴する晴れ舞台。その出だしが豪雨である。
あまりの雨量に何もする気が起きないのか見下ろす村々には煮炊きの煙すら上がっていない。いや、上がっていたとしてもこの雨で消されているだろうか。篠突く雨は視界はもちろん、生活の音もすら飲み込んで鬱屈した雰囲気を広めていた。
そしてもう一つ、豪雨には苦い意味合いがある。
「行ってきます」
「頼んだぞ」
ツゲに一礼してユーリーは一人豪雨のなかへ飛び込んだ。砂利道はそれなりに駆け足で進めたが、神殿を越えて土になると指先がからめとられる。自身の動きの鈍さに彼女は魔人の苦手分野を連想して苦い表情を浮かべた。
巨大竜の侵攻をきっかけにメイズの村は雨に対して過敏になっていた。元来この土地はスコールはあれど、豪雨や嵐と言った気候に縁が無かった。それがこの一年で降り続いているのだからそれだけで神経をとがらせている。そこに水を得て活発になった竜が攻めてきたとすれば鍛えられた戦士でも対処は難しい。対抗する術を持たない村人は奴らに見つかるまいと建物の中で息をひそめている。
豪雨の中、パトロールを請け負うのもユーリーの、魔人の仕事だった。小型が数匹の侵入であれば戦士階級の領分だが、流石の彼らも巨大竜に対して無謀に挑戦するつもりは無い。魔人を基点に陣を敷く。それが戦士階級とユーリーの取り決めだった。
「よい、しょっと」
巫女装束にたっぷりと水分を含ませたまま彼女はコックピットに乗り込んだ。湿気で充満する屋内、上昇する温度とへばりつく衣服が不快指数を上昇させるが――
「除湿開始」
慣れて手つきでアームレイカーを操作すると胎内は心地よい空気で満たされる。コックピットは空調機器が充実しており、冷暖房の調節はもちろん、適切な湿度まで操作が出来た。あっという間に衣服を乾かすと彼女は魔人のさらなる機能を展開させる。
「レーダー起動」
一口に村と言ってもその範囲は広い。移動はともかくとして、ユーリーの視野は限られている。魔人のカメラ機能で視界不良をある程度補えても、人間由来の限界は簡単に覆せるものでは無いのだ。
そこで活用するのがレーダー機能である。魔人に登録した特定の属性が、設定範囲侵入時に警報を鳴らす哨戒兵器。音が鳴り、画面に映るレーダー図の地点に行けば対処できる便利機能は情報のタグ付けの次にユーリーが重宝している機能だった。
「竜と追いかけっこなんてしたくないけど、準備するに越した事は無いや」
設定を終えると彼女はそのまま成人式の儀場へと向かった。本来であれば戦士たちと共に村境で防衛に当たるのだが、戦士の顔を立てるなら第一陣は彼らに譲る方がいい。それにユーリーには竜よりも成人式の方が重要だった。農夫では無いが、自分が生み出した儀場がどのような被害を受けているのか確認したくて仕方がないのだ。
「おお」
かつて魔人が埋まっていた神樹の根元、その場所は濡れそぼっているものの豪華に飾り付けられていた。念のため毎日の作業の終わりに布カバーを掛ける習慣も相まって被害は最小限。後は魔人が覆いかぶさって雨よけになるだけで充分持ちこたえられそうである。
「止まないかなぁ……」
止まない事には警戒の解除も成人式もままならない。コックピットの中は快適であるものの、待機時間はどれほどになるのか――
「ふわぁ……」
一定間隔で落ちてゆく雨粒。単調なそれを見ているうちにユーリーへ睡魔が襲い掛かる。魔人と出会ってこの一か月間、密度の濃い日々を送って来た彼女には珍しくゆったりとした時間。警戒中に寝てはいけないと思うも、良く効いた空調とふかふかのシートのダブルパンチは、疲労の蓄積したユーリーを駄目にするのに十分もかからない。
まぁ、何かあったら警報を出してくれるし……少しくらいなら……。
「すぅ……」
魔人は覆いかぶさる姿勢のまま動きを止めた。傍から見るとバランスの悪い、滑稽なポーズを取っているのだが、幸いにしてこの悪天候、指摘するものは誰もいない。少しだけ、なんてありがちな言葉と共に彼女の意識は夢の世界へと溶け出していった。
「……」
「…………」
「………………」
「……………………」
〈ビーッ! ビーッ! ビーッ!〉
「⁉……――」
ブザーの音で跳ね起きる。慌ててレーダー図に目を通すも、そこに竜の反応は無い。
「誤作動⁉」
レーダーはあくまで目安。脅威が実際に近づいているかどうかはつまるところこの目で確かめるしかない。ユーリーは視覚と聴覚の同調率を高め、近辺に異常が無いか確かめた。
「……遠くじゃない、凄く近い!」
魔人の上体を上げさせ構える。水の中、雨粒と異なる跳ね音を聞くと素早く後ろへと振り向いた。
「!……え?」
視線の先には濡れそぼった女性の姿が。相手が人間だった事に彼女はひとまず胸を撫で下ろしたが、前髪をへばりつかせながら必死で近づいてくる様子を見てただ事じゃないと悟る。
「大丈夫ですか!」
もしかしたら本当にレーダーが故障していたのかもしれない。マニュアルが分かったからって魔人は目覚めてまだ一か月そこらしか経っていない。機能不全はむしろあって然るべき、呑気に寝ている間に取り返しがつかない事態になってしまったのでは――ユーリーは大急ぎで彼女へ近づき、魔人を跪かせるとコックピットを解放した。
「乗って下さい! 話は移動しながら聞きます。一体何があったんですか!」
もう一度除湿モードをフルに稼働させる。冷えたであろう体を温めさせ、女性に落ち着いてもらい、話を引き出す。とにかく今できる事を全力で。ユーリーは前のめりに顔を出す。
「貰ったぁ!」
「⁉ うっ――」
と同時に猛烈な一撃が彼女を襲う。側頭部を強かに打ったそれは握りこぶし大の岩。血がこびりついているのを見るとその威力がうかがえる。
「な……なんで……」
倒れ込むユーリーに目もくれず女性は真っ直ぐにシートを目指して腰を下ろした。
「ふーん、こういう機能もあったのね。悪くないわ」
速乾機能が働き、女性は居心地良さそうにくつろぎ始める。豊かな黒髪が軽さを取り戻し、前髪をかき上げると――
「スイ……セン……」
ぼやける視界の中、必死に焦点を合わせる。格好こそ村娘のそれだが首から上は間違いなくスイセンだ。
「アンタがいけないのよ」
そう言うとスイセンはコックピットからユーリーを放り出す。雨水が傷口に染み、一瞬痛みが広まるも彼女の意識は急速に白んで行く。
「じゃあね」
「待っ……て……」
待てと言われて待つ奴があるかと、スイセンは応えずに腹部を閉じ、魔人を村境へと向かわせた。
一人取り残されたユーリー。彼女を襲うのは冷たさと混濁と疑問。
スイセン、あなたはどうして――……。
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