3-2

「ユーリーを正式に次期大巫女に任命しようと思う」

 一日の締めくくりとなるお告げの儀、その終わりでツゲはいきなりそう宣言した。

「ちょっと、ツゲ様⁉」

「おばあさま⁉」

 ユーリーとスイセンを筆頭に静謐だった儀場に動揺が走る。とりわけ戦士たちは竜の一撃をまともに食らったように開いた口が塞がらない。中には無礼にも大巫女の正気を疑い獲物を睨みつける殺気を露骨にぶつける。

 その一方で沈黙を守る人間が三人この場にいた。

「……」

「……」

「……」

 祭祀階級からは大巫女の補佐役たる神官長、農業階級からは代表のサザンカ、そして戦士階級は現指導者でアキレアの父親であるヒイラギが平伏し、ツゲの意思への恭順の意を示した。

「親父! 正気なのか!」

「息子よ、口を慎め。ここは神聖なメイプルの胎内だ。この場では争う事を禁じられている」

「俺は争うつもりは無え! むしろ争いの種を蒔いているのは大巫女じゃねえか! あんなクソガキを次の代表に選ぶなんてイカレてやがる!」

「口を慎めと言っている! 戦士の使命を忘れたか! 我々の役目は村の人々を守ることであり、無駄口を挟む事では無いぞ!」

「はっ! バカバカしい。そいつは村の人間じゃねえ。戦士の伝統に則るのならむしろ排除すべき存在だ。そんな奴が首に据えられれば災いをもたらす。もうすでにあらゆることが魔人に狂わされている事をここにいる全員が知っているはずだ!」

 そうだろう! アキレアは立ち上がると、その場にいる一人一人に目配せした。自分が言っている事は間違っていない。三階級の、村の伝統がこのままたった一つの異分子に壊されていいのか? 伝統が満ちるこの場所でならみんな正気に戻るに違いない。アキレアは戦士の狩りの伝統に従ってウォークライを上げると拳を構えた。戦士たちよ、自分に続け。

「……」「……」「……」

「おい……どうしたんだよ……」

 だがしかし、追随の雄叫びは上がらない。儀場はかえって冷静さを取り戻したかのように静謐さを取り戻してゆく。

「ふふ……」

「⁉」

 一人無様に構えるアキレアをツゲは笑みをもって迎え入れる。撫でるように向けられた視線にたじろいだ時、彼は一つの可能性に思い至った。

「あんた……まさか……」

 勝負はツゲが意思表明した瞬間に決まっていたのである。

 彼女とて自説をいきなり訴えれば狂人扱いは免れない。能力があるとはいえ、やはり素性の分からぬユーリーを村のトップに据える事は長年村を治めてきた大巫女にとっても難事であろう。神樹の下、互いに身を寄せ合って来たメイズだからこそ伝統の力は強く働く。極端な話、巫女見習いの身分でもお告げを解く事は十分に可能。であればスイセンを伝統の証として大巫女に据え、ユーリーとの二枚看板にした方が順当に思える。

 ところがこの数か月の間に伝統の力は大きく揺らいだ。魔人が村人に施した様々な力、それはすでに村人に不可逆の影響を与えていた。伝統は生活習慣に根付いた重要な物である。一方で、一度上昇した生活水準を引き下げる事も難しい。外交に、建物に、生活に、狩りに、魔人が国力の底上げに貢献した事は火を見るよりも明らか。そしてその力はユーリーがいる限りにおいていくらでも引き出せる。一つの限界を迎えても、それを打ち破る爆発力がある事をユーリーは二度の危機で証明済みだ。

 手にした力に反してユーリーの心根が「優しい」事も大巫女の推挙に繋がる。良く言えば献身的、悪く言えば押しに弱いユーリーは、村人がどれだけ彼女に悪意をぶつけても危機が迫れば手を差し伸べる事を感覚的に理解していた。そこにつけ込む事は――現につけ込んでいるのだが――良心の呵責を覚えなくもない。しかしながら、最善手である事も確かなのだった。

 加えて――これはツゲの意思では無く村人側の危惧なのだが――彼らはスイセンと、彼女の婚約者を自称するアキレアの二人の野心を警戒していた。スイセンの神事に対する努力に、アキレアの戦士としての強さは村の誰もが尊敬のまなざしで見ている。若い二人は間違いなく次世代を率いるにふさわしい実力を持っている。

 だからなのだろうか、彼らは力を持て余し、時折生き急ぐような態度を取る。スイセンの癇癪にアキレアの尊大な態度……スイセンが大巫女となり、その傾向が加速するとなれば取り返しのつかない事態になるのではないだろうか。それこそ二人が自ら伝統の枠を破壊して周辺の村と無益な戦争を引き起こす事も予想できなくはない。

「大巫女の仕事は人々と交わり、声を聞き、神樹と繋げる事。神殿で引きこもっていては瞳が開かれぬよ」

 ユーリーが表でがむしゃらに働く一方で、ツゲは村の幹部はもちろん、市井の人々と交わって政治活動に専念していた。長年村に恵みをもたらして来た大巫女の話を聞かない者はいない。あとはユーリーがもたらす利益と、彼らが内に秘める不安を煽れば――ツゲの後継者計画はこの一か月で大幅に前進したのであった。

 ツゲとて苦手な分野があり、戦士階級の敷地に入る事は気が引けたが――上下関係が厳しい性質上全員を説得しなくとも幹部クラスの数人を説得すれば事足りる。その結果が先ほどのざわめきに現れたものの、ヒイラギの一喝で収まったところを見るに見事に王手をかけられたようだ。

「………………っ」

 スイセンでなくともアキレアは歯ぎしりをしたい気分だった。狩りでは無敗の実力を誇っていた実力もこの場では無力に等しい。ユーリー程度ものの数秒で殺せる自信があるも、流石の彼も信用を失うリスクは心得ている。

 力自慢のようだが、政治も立派に力だよ。ツゲの微笑は己の勝利を確信していた。少なくとも、今この場で何をしても大巫女の決定を覆す事は出来ないだろう。生まれて初めての黒星に、拳は行き場を失いアキレアは膝をついた。

「ギリリッ――」

「⁉」

 戦士の陥落を受けてもう一つの懸念事項が動く。

「アンタさえいなければアアアアアアアアアアアアァ!!!」

 鬼のような形相を浮かべたスイセンがユーリーへと飛びかかる。アキレア程ではないにしろ、虚弱なユーリーが相手であれば彼女の力でも十分に捻ることが出来る。神器の壇上という巫女だけが上がれる位置。幸か不幸かスイセンの場合憎い相手が手の届く場所にいるのだからその機会を逃すわけにはいかない。理性をかなぐり捨てた衝動が獲物の首へと伸びてゆく。

「止めんか!」

「⁉ グッ――」

 両者の間に割り込んだのもまたツゲであった。この老婆のどこに力が秘められているのか、彼女はユーリーを庇いつつ、孫の腹部に向けて腰の入った見事な後ろ回し蹴りを入れたのである。

 予想だにしていない反撃にスイセンの体が吹き飛ぶ。唯一の身寄りに裏切られた、その事実に衝撃を受けるも憎しみは止まらない。

「ギリリッ――」

 這ってでも殺す! この場にそぐわない強烈な視線。巫女見習いの乱心にさすがの村人たちも危機を覚え、無礼を承知で彼女を抑え込む。

「離して! アイツ……アイツさえいなければ……!」

「お孫様、落ち着いて下さい!」

「アンタたちはそれでいいの⁉ あんな余所者に自分達の未来を預けるなんてプライドは無いの!」

 平時であればそれなりに聞けたかもしれない言葉も激昂した状態ではかえって逆効果だった。ツゲ同様、インドアの仕事に従事しているはずの巫女が発揮している思わぬ身体能力に村人たちは抑え込むのが精いっぱいで話など聞いていられる状態では無い。

「止めんかと言っている!」

「ギリリッ――」

「己自身の姿を見るといい。そんな醜い姿で人々をまとめられると本気で思っておるのか!」

 鏡を見なくともスイセンは自分がいかにみっともない姿である事を理解している。神聖な巫女服をはだけさせ、手入れの行き届いた母親譲りの長髪を振り乱し、双眸を殺意で血走らせている。巫女として、女として醜態をさらしている事をスイセンは自覚しているつもりだった。

「だって……――」

 両親を失ったスイセンにとってツゲだけは裏切らない存在だと心のどこかで思っていた。ところが――祖母もまた人間に過ぎなかった……。村人コイツらと同じで魔人の力に目がくらんでいる!

 祖母が大巫女という役職から解放される事を願っている、それを理解しているつもりで本質まで読めなかった事をスイセンは後悔した。

 度々終末思想を口にする大巫女。その有終の美を禅譲で飾る事を彼女は本気で実行したのである。

「スイセンや、孫娘であるお前に儂の本心を告げなかった事は謝る。だがこれで分かっただろう。窮地で冷静さを失う人間にまとめ役が務まるはずはない。神樹の御前で狼藉を働いた事は本来罰則ものじゃが……お前の立場に免じて今日のところは許してやる」

「くっ……」

 プライドの高いスイセンにとって憐れみを向けられる事以上の屈辱は無い。大巫女の宣告を受けて彼女はようやく怪力乱神を解く。

「……アンタは……アンタは本当にそれでいいの! 人に請われるまま大巫女を……いやそれだけじゃない! 魔人として、自分の無い空っぽの器として使い潰される事をユーリー‼ アンタ自身は納得しているのかって聞いているのよ!!!」

「⁉ っ……」

 思わぬ流れ弾を受けてユーリーは言葉に詰まった。彼女とて、村人に良いように使われている面がある事を理解している。自分が大巫女の座に就くことは未だに想像できないが、仮に就任したとなればその傾向は確たるものになるだろう。神樹のお告げに、魔人の操作、それらのすべてが彼女を通して村に還元される。

「でも……それが巫女の本質でもある……」

「!……っ……」

 ユーリーはお告げと魔人の力を人間には過ぎたものではないかと常々考えていた。天気予報一つとってもその気になれば誤報を広めて村内を滅茶苦茶にできる。いわんや魔人であれば直接的な被害をもたらすことが可能だ。

 ツゲがお告げを正確に解読する事にこだわるのは権力の暴走を止めるためではないだろうか。どんな内容であれ、神樹の言葉を広く解放してしまえばあとは村人たちが考える事。そこに巫女の意思が挟まる事は薄くなる。

 三階級の、村のバランスを守るためには大巫女の無私とも言える境地が必要なのである。自分がはたしてそこまで行けるのかは分からないが、少なくとも魔人の恐ろしさだけは身に染みている。この世で唯一無敵な存在を押さえつけておくためには、同じく唯一の乗り手である自分が魔人の魂にならなくてはならない。

「……」

 ユーリーは儀場を見渡した。もちろんながら中にはまだ納得していない者がいるが、彼らの瞳は彼女が大巫女の座に就くことに期待している。

 彼女は立場にこだわる人間では無い。村人たちの役に立てるのであれば余所者と呼ばれ続けても平気である。

 だが、立場を得る事で達成できることがあるならば――

「……やります」

「ちょっ――」

「その言葉は本当だな」

 儀場は再び静まり返る。今やだれもが巫女見習いの余所者が何を選択するのか息をひそめて待っていた。

「本当にそれで……メイズの村の役に立てるのなら、大巫女の仕事、全うさせていただきます!」

 目覚めて初めて大それたことを言った。口に出した言葉が本当に自分の物なのか、ユーリーは浮足立った気持ちで周りを見る。

「……」「……」「……」

 それに応えたのは三階級の代表たちだった。彼らはツゲに向けたものと同様に、ユーリーに向けて頭を垂れて恭順の意を示す。

「嫌ああああああああ――――――!!!」

 用は終わったとばかりに代表たちは続々に去っていった。後に残されたのは頽れるスイセンの悲鳴。

 いたたまれなくなったユーリーも同様に儀場の外へと駆けだした。不気味なほど巨大な月、神殿から見下ろす村の景色は儀場の激しさとは切り離されたかのように静まり返っている。スイセンにとって唯一の救いはメイプルの胎内が防音に優れ、醜態を広くさらさない事か。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 どっ、と汗が噴き出す。アキレアの殺意、スイセンの憎悪、ツゲの計略……人間という生き物が本気で悪意をぶつけようとするとあれほどまでに姿を変えてしまうのか。ユーリーは初めて触れたそれぞれの極限を振り返って身震いする。

 大巫女になればこんなものでは済まされない。自分は常に彼らの思惑の中心に据えられる。魔人を操れるのであれば尚更……。

「でも……」

 覆水盆に返らず。神前での発言は取り消せないし、無責任な事もしたくない。初めて触れた人間の悪意、ツゲの手前スイセンの事を悪く言いたくないが……少なくともあの場において彼女は間違いなく権力を握らせてはいけない存在だった。

「やるしかない……」

 新調してもらった巫女服、少なくともこれに見合う程度に動かなければいけない。

「……」

 月を見上げる。月光のささやかな光に誓うのは何とも心細いが、それでも彼女には今ここで決意を固める必要があった。

 もうただの余所者では、子供ではいられない。村の一員として役目を頂いたからには……これからは巻き込まれるにしても、全部、自分で決める。

 村人は床に就く時間、ユーリーは存分に月に向かって咆えた。己の決意を表明するために声が枯れるまで、震えが止まるまで何度も、何度も……。

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