2-6

「どうやら上手くいったみたいだな」

 沼の近くで数人の男たちが魔人の飛び込む様子を見ていた。彼らはズブズブと無様に沈む巨体を茂みに身をひそめながら見つめる。

「なあアキレア、ほんとこんなので魔人を無力化できるのか?」

 ソテツは恐る恐るこの状況を仕組んだ張本人であるアキレアを見つめる。彼はあの夜、魔人の実力を間近で見た一人だ。巨大竜を抑え込む膂力と、一撃で葬った火炎、神にも等しい力を誇る存在がこんな子供じみた作戦で排除できるのかと疑問だったのだが……。

「なーに、作戦なんて単純な方がいいのさ」

 魔人を過大評価しすぎなんだよ、とアキレアは笑い声を上げる。

 アキレアとてあの場で魔人の力を体感した。確かにソテツの言う通り、魔人の力は凄まじい。底の見えないあの力が十全に振るわれれば二〇メートル級、三〇メートル級……いや、大きさに関わらずこの地上に存在するあらゆる生き物を滅ぼせるだろう。何だったら、神樹ですら切り倒せるかもしれないと、彼は冷静に分析している。

 だがな、だからこそ魔人の最大の弱点は余所者なんだよ――アキレアは先の戦いからユーリーの戦闘センスが素人そのものであると見抜いていた。彼女は魔人を動かしているだけで、それは考え無しに武器を振り回しているようなものだ。スケールこそ一撃必殺かもしれないが、その実無駄の方がはるかに多い。魔人に火炎さえ無ければ、状況はあと少しで巨大竜に傾いていたかもしれなかった。

 巨大な肉体に、素人の精神。恨むならそんな余所者を選んだ自分を恨むんだな。使命感に駆られたユーリーが周囲を碌に確認せずに真っ直ぐ向かってくるのは簡単に予想できた。日頃から戦士――とりわけアキレアに苦手意識を持つ彼女には常に頭の片隅に恐怖を抱えている。後はそれさえ刺激すれば……獲物は簡単に罠に嵌ってくれる。

 この作戦に参加したアキレアシンパの数人の戦士たちはソテツ同様、魔人を狩れるだなんて夢にも思っていなかったのだが、それは見事に達成され彼らは驚きの視線で発案者を見つめていた。

「でもアキレア……倒したのはいいけどよ、村のみんなにはどう説明するんだ?」

「魔人がいなくなったとなると大騒ぎになるぞ」

「あ? そんなの『沼に嵌って沈んだ』の一言でいいだろ」

「そんな一言って……」

「じゃあお前はあのデカブツを引き上げられるのかよ」

 アキレアが指差す沼地、そこには魔人の足首が僅かに残るだけで瞬き一つすれば沈み切るだろう。

「あの巨体、重さを誰が引き上げるって言うんだ? 村のやつら総出でも無理だぜ。誰もやりたがらねえさ」

「でも……」

「いい加減腹くくれや! お前たちは何のためにこの罠を仕掛けたんだ! 村から余所者を排除して、メイズの伝統を取り戻すためだろうが!」

「……」「……」「……」

 無駄口がようやく止まったか。アキレアはそう思いながら、彼らの不安げな様子が不満だった。

 魔人なんてもんがあるから腑抜ける……っ――そう吐き捨てながらも彼は内心魔人がもたらした影響の深さに驚いていた。確かに魔人は神樹の根元にひっそりと腰を下ろしては村を見守って来た存在だ。自分もまたあの存在に見守られて成人式をむかえた。魔人は村に無くてはならない伝統的な存在である。その事はアキレアも認めている。

 だが、魔人に許されているのは見守る事であって、過干渉では無い。村の物事は村人が、人間がその身をもって作り上げるものである。とりわけ戦士にとって重要なのは先祖代々受け継がれて来た戦技の数々と家長の証たる武器、そして何よりも己の強い肉体。

 魔人が火炎を噴かずとも、戦士達でとどめを刺せていた。人間は、戦士は弱くない。それなのに今やだれもが魔人に傅き、無様にも知恵を借りる始末。自分自身の力を磨かずに、余所者を通してでしか手に入れる事の出来ない力に憧れる事の何と嘆かわしい事か。

「スイセンには悪いがね……」

 魔人が反応しなかった時、アキレアは心に決めていた。どうせ手に入らないのであれば、いっそのこと破壊してしまうのが一番いいと。

 戦士たちの前からとうとうつま先が沈み切った。アキレアの望む、魔人の力に頼らない元の生活が始まろうとしていた。


「ああ……ああ……」

 地上では無比の力を持つ魔人。その胎内でユーリーは、最も怖れていた自体が起きてしまったと身を震わせていた。

 体長約二〇メートルの鋼の肉体。この世で最も堅いと思われていた竜の骨を上回る密度を誇るとしたら、この巨体の重量はいかほどになるのだろうか。あの豪雨の日、魔人は液状化した地面に半ばからみとられていた。気絶から目覚めた時には陽光と火炎のおかげで湿り気が抜けたおかげで立ち上がることが出来たのだが……。

「……っ!」

 ひじ掛けを握りしめると魔人は両袖から火を噴いた。しかしながら水中では熱が分散し、推進力が得られない。周囲の水分が蒸発するも、空いた空間にすぐさま水が補充され、視界を泡立てるに過ぎない。

 もがけばもがくほど汚泥やら竜の尻尾が絡まって、かえって身動きが取れなくなる。ユーリーの努力をあざ笑うかのように沼地は魔人の肉体を沈めてく。

「こんなのって……」

 ゴオォォン、と音を響かせて魔人はうつ伏せのまま水底に定着した。視界に広がるのは一面の茶色。どうやら完全に動きが止まったようだ。

「深すぎるわよ!」

 これじゃ沼じゃ無くて湖よ! 彼女は自分が定義の違いに文句が言えるだけ余裕がある事に気付く。今のところ胎内の隙間から水が入り込む様子は無い。この空間さえ無事であれば、何か考え付くはず。

 一方で、状況が追い詰められている事に変わりは無い。この際水深が浅かろうと深かろうと関係ないのだ。桶一杯の水でも赤ん坊と年寄りは溺れることが出来る。彼女には珍しく泳ぎには自信があるのだが、魔人を泳がせるには浮力が全く足りない。魔人の肢体は水と泥とに完全に沈み切っていた。

「はぁ……はぁ……」

 ユーリーは改めて胎内を見渡す。初めて乗り込んだ時、内側に広がる景色のおかげで広々と感じていたその場所は今や一色に塗りつぶされ、圧迫感しか覚えない。さらに外が水中であることを想像するだけで……極小の空間で隔絶され――

「どうしよう……どうしよう‼」

 自分が助かる見込みを必死になって考える――魔人が消えた事に始めて気づくのは戦士達だ。彼らは助けてくれるだろうか。いや無理だ。流石の戦士もこの深く竜だらけの沼に潜る事は自殺行為だと理解している。泳ぐのも、水面に船を浮かべるのも「食べてくれ」と言っているようなものだ。そこまでのリスクを負って魔人を助ける義理は彼らに無いだろう。

 戦士が駄目なら村人たちはなおの事無理だ。ひょっとしたらメイズの村を挙げて助けを寄越してくれるかもしれない。だとしても魔人の重量を持ち上げるのに何人分の力が必要になるか……。蜘蛛の糸が垂れてきたとして、魔人には掴んだ瞬間に引きちぎる力がある。

 巨大竜の力を借りる事は出来ないか。竜は視認した人型を襲う。その習性を利用して、竜がぶつかって来た等の衝撃を浮力に変換出来れば……これも駄目だ。巨大竜がいるなら沈んだ直後に反応があってしかるべし。それにそんなに多くの巨大竜がいたらメイズの村なんてとっくに滅んでいるだろう。今まで目撃証言が無かったことからすると、あのサイズは数十年に一度の化け物サイズのはずだ。

「………………」

 思いつく限りあらゆる想定を思い浮かべるも、そのすべてが重量の問題で行き詰る。

 私が選ばれたから……心中しなきゃいけないの……⁉

「はぁ………………っ……――!??」

 盛大にため息をついた時、彼女は異変に気付く。

 空気が……薄い……。

 呼吸を絞りながら、ユーリーは可能性に思い当たる。沼の水、一滴すら入り込まない密閉空間。それは空気すらとして行き場の無い空間に閉じ込めている事にならないだろうか――

「……っ……っ……っ」

 呼吸を絞ればそれだけ生きながらえる事ができる……。水、泥、虚像、神器、胎内、輿、ユーリーの意識は徐々に徐々に狭められてゆく……。

「はっ……はっ……」

 息をひそめて、ここでジッとしていれば時間は稼げるかもしれない。でも……あとどれだけ待てるの……? 待つだけじゃ遅すぎる。掴まないと……そうだ! 掴まないと――

「ン――――――――――――――――!!!!!!!!!!」

 彼女の意思に応えるように魔人は四肢を振るい、もがく。手指には水底をボロボロと掴む感覚と、足先には水中を掻く感覚が伝わり、脱しようともがいている。だがどの動きも浮上にはつながらず、全体は沈んだままだ。

「ン――――――――――――――――!!!!!!!!!!」

 それでもでたらめに魔人を動かし続けるのはひとえにユーリーが追い詰められているからだ。一歩引いた冷静さ、そんな長所も死が差し迫った状況で発揮できるはずもなく、白んで来た意識の中、呼吸を萎めるのも忘れてがむしゃらに輿の上をのたうち回る。

 涙、鼻水、だ液、汗……顔面の穴と言う穴から体液を迸らせながら、ユーリーは一つの事に集中する――死にたくない! 魔人様のおかげでやっと少しだけ前を向けるようになれたのに……生きがいを見つけられたのに……こんな狭い場所で惨めに死にたくない! 助けなんて待てないし要らない。沈んでいる原因が魔人なら、浮上する方法だって魔人は持っているでしょ⁉ だったら……だったら……――

「後で心中してあげるから! 沼底なんて吹っ飛ばしなさいよ!!!」

 ありったけの息を吐きながら、両手両足が輿を叩く。いくら頭で足掻いた所で無駄だと分かっていても、生きようとする意思は止められない。黙って死ぬよりは潔く思いをぶつけた方がいい。今まで主張出来なかった意思表示も魔人にだけは素直にぶつけられる。それがユーリーにとって最後の救いとなる。

「……――」

 酸欠を迎え、今度こそ本格的に意識が白んでくる。もはや指一本動かせる気力も無い。

 体液でのっぺりと張り付く閉塞感。最後の最後まで締まらないな、と今生の別れを悟りだしたその時。

〈ブウウゥン……〉

「――……⁉」

 胎内に文字が浮かび上がる。薄れゆく意識の中、かすんだ文字を解読するのは容易では無いものの、神の言葉が表音文字ゆえに、慣れ親しんだユーリーは反射的に解読をした。

「ひ……しょ……う……」

〈オオオオオオォ――〉

 唸り声を上げると魔人はいきなり水底を滑り始めた。猛烈な振動が胎内を襲うと途切れかけた意識が無理やり覚醒を促される。

 推進力は足元から頭部へと向けられている。視界に広がる景色は徐々に軟泥から淵を形作る硬質なものに変わり、魔人の半身が持ち上がる――

〈オオオオオオォ――〉

「……‼」

 視界が沼から森へ、さらに地上を越えて空へと広がる。

 魔人の巨体は水底を飛び出し、今空に浮かび上がっていた。

「……飛んでいる……」

 同時に胎内へ空気が補充された。酸欠間近だったユーリーは一命をとりとめたのだったが、彼女は呼吸する事も忘れて景色に見入っていた。

 これが魔人の力……魔人に秘められていた人間を守るための力……。

「うっ――」

 あの日以来の脳への痛みが彼女を襲う。不意の痛みに頭を抱え、今度こそユーリーは新鮮な空気で肺を満たした。

「……はぁ……」

 落ち着きを取り戻すと、再び景色を堪能すべく両目を見開いた。その時である――

「……緊急解放措置?」

 神器は虚像の景色の上へ大量の文字情報を上書きしてゆく。それと連動するように――先ほどの痛みよりもマシなのだが――ちくちくと脳へ痛みが走る。ここに記された事を覚えるようにと魔人に急かされているようで物見遊山どころでは無い。ユーリーは飛翔に関わる項目に素早く目を通すと、魔人を森の目立たない場所へと落下させた。

「ほんと、何なのよこれ……」

 それらの表示はどうやら魔人の取り扱いを記しているらしい。文字と図解、それに動く画という見たことも無い表現が視界を埋め尽くしてゆく。慣れ親しんだ歩行の動作、輿の各部の名称、そして未知の情報がどっさりと……。

 命の危機を脱し、一息つきたい所だったのだが、過保護な魔人はこれ以上ユーリーが危機に陥らないように勉強する事を望んでいるらしい。虚像――画面は無いように関する一定の習熟度を達成しないと閉じる事の出来ない仕組みだ。

「勘弁して……」

 せめてもの幸いは自分が死んでいると思われている事。目の前に広がる画面がどれくらいあるのか予想がつかないが、彼女は少なくとも一日はかかると予想した。

 このまま帰ってもどうせ脱出方法とか質問攻めにされるんだろうし、だったら少しでも魔人の事を説明できるようにしよう。

 アキレアにすごまれ、沼で溺れかけ、お次は詰め込み教育ときた。せめてもの救いは最後が得意分野である事。散々な一日だと悪態をつきながらもユーリーは情報の山に目を通していく。

 少なくとも魔人だけは何があっても自分の事を助けてくれる味方だ。それが分かっただけでもいい事だよね。

 日が沈み、森が西日に照らされ始める。内部はすでに夜闇に見まがう闇が立ち込めるも胎内は変わらずに明るい。そのためか彼女は景色の変化に気付かないままひじ掛け――アームレイカーの溝に指を滑らせて課題を解いてゆく。

 すべての画面が消えた時には日が昇り、半日が経過していた。そこから休憩と称して眠りにつくと日はまた沈み始める。結局彼女が村に戻れたのは事件が起きて一日が過ぎた夜中だった。

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