2-5

「あれは戦士アキレア。左隣にいるのが戦士ソテツ。その右後方に控えているのが戦士シュロで……」

 魔人の胎内でユーリーはぶつぶつと戦士達の名前を読み上げてゆく。視線と声が重なった瞬間、神器に浮かぶ戦士たちの虚像に彼らの名前が重なるように浮かび上がった。

 彼女が魔人の浮かべる視覚に情報を追加出来る事を知ったのはつい先日の事だった。魔人の肉体で作業を行うと、当然の事ながら人体のスケールの物が遠く小さなものに見えてしまう。パッと見同じでも、細かい違いのある部品を取り違えて作業が滞った時、いきなり分鏡が光るとその能力についてお告げをもたらしたのだ。

 文字の追加は目に映る物であれば基本何にでもつけられる。そこに生物、無生物の違いは無い。戦士との協同は瞬時の連携が命。アキレア以外の戦士の事を碌に知らなかった彼女は今大慌てで彼らの事を魔人に教え込んでいるのだった。

「はぁ……」

 何で私がこんなことを……――戦士と混ざって仕事をする事は彼女の本意では無い。魔人の力を引き出せるようになった今でも、多少マシになったとは言え植え付けられた苦手意識は早々に変えられるものではないのだ。

 それでもこの場に立っているのは戦士階級が魔人を望んだからである。

「お告げの力を祭祀階級と農業階級が独占するのは公平じゃない」

 そう提案したのはアキレアだった。ある日のお告げの儀で彼はいきなりそのように言ったのである。

 巫女たちはお告げの力を独占しているつもりは毛頭ない。神の文字が神器に現れるのは一日に二回。その内容も一方的に送られてくる物であり、実体としては神樹に振り回されているようなものだ。

 農夫たちも若い戦士の言葉がいまいちピンと来ない。神樹は公平にその日の自然を予測している。自然の中で働く我々にとってそれ以上に必要な物は無い。天候関係なしにアホみたいに狩りを行っているのは戦士たちの方ではないか。

 本音こそ口に出さないが――両者共にアキレアが何を言っているのか分からないとその発言を切り捨てようとした。

「いやいや、少なくともおっさんたちは大分楽してきたんじゃないのか?」

 その言葉にサザンカはアキレアが何を言いたいのか思い至った。どうやら戦士階級は魔人の力を自分達にも融通して欲しいらしい。

 アキレアが言う通り、村の農村部は魔人のおかげでかなり発展している。開墾に建物の質の向上、次々に生み出されてゆく農機具……村の生産能力は数十年分一気に進化したと言っていい。

 しかしながらそれは階級間のスタンスが生み出す問題だろう。例えば祭祀階級は神事を神職の手で行うものだと厳格に規定している。魔人の管轄はあくまで成人式であり、それ以外の関わりを禁じている。魔人が神殿に手を加えていいのであれば、各建築物はあっという間に豪華に拡張できるはずなのだが、それをしないのはひとえに彼らのプライドが伝統を守ろうと働いているからである。

 農業階級にはそのようなプライドなんて無い。魔人だろうが道具なら利用する。それまでである。ゆえに彼らが一番に利益を得ているように見えるがそれは結果論だ。人間、誰もが楽に効率よく作業したい物だろう。

 戦士階級の信条は良くも悪くも「強さ」にある。肉体はもちろん、精神の強さも。敵と戦うのに必要な物はシンプルに強者である事。覚悟と力さえあれば外敵はもちろん、竜だって狩ることが出来る。

 それゆえに、彼らは弱者を露骨に侮蔑する。戦士階級の子に生まれて発達が良く無ければ一生後ろ指を指される事もしばしば。同族ですら美学の下煙たがるのだから、それが他の階級であれば尚更、質が悪い。ユーリーはそのいい例だろう。

 今まで散々人の事を馬鹿にしておいて何を今さら。馬鹿にしていたという点において神職も農夫も似たようなものなのだが――その場の三分の二はアキレアの意見に呆れたのだった。

 ユーリーとて同じ意見である。子供にすら劣る運動能力、そのハンデを抱えているからこそ、せめて邪魔にならないようにと距離を取り、彼らの悪意にも甘んじて受けてきた。それをいきなり「力を貸せ」と主張するのは横暴だろう――

「やってくれるんだろうな!」

「っ……ひぃ……!」

 それでも言うことを聞いてしまうのは彼女の性格である。魔人を操れるからと言ってそれは自分自身の実力では無い。乗り込んでいる時は無敵かもしれない。でも……生身の、それこそ寝込みを襲われでもしたら竜よろしく肉と皮と骨に解体されてしまう……。自身と魔人、それぞれの能力を一歩引いて考えられる賢さと臆病な心がアキレアの闘気に屈した時、ユーリーは戦士階級の要求をのみ込んでしまったのだった。

「よし! 出かけるぞ!」

「「「オ――――――‼」」」

「お、おー……」

「魔人! 声が小さい!」

「えっ……おっ、おーーーーーー‼」

 拡声よりも大きな男たちの声に呑まれながらユーリーは魔人を動かし始めた。

 戦士たちが参加を求めたのは普段行う竜の狩り、そのサポートである。

 巨大竜の一件で失った一〇人の精鋭、彼らの穴を埋めるべく彼らは歳若い戦士たちの訓練に磨きをかけてきた。今日はそんな若手のデビュー戦。見習いたちに万が一の事が無いよう周囲を観察し、必要とあれば手を差し伸べるのがユーリーの仕事である。

「本当に私必要なのかな……」

 男たちは掛け声を出しながら隊列を組み、一糸乱れぬ動きで駆けてゆく。新人とは言え一五歳の成人を迎えた彼らの肉体は立派で、戦士たちの間に溶け込んでいるように見える。判を押したような戦士の群れ。負ける要素が見つけられないとこぼしながら、彼女は魔人で追いかけてゆく。

 狩に出かけるのであれば魔人の巨体は邪魔ではないか。魔人は姿を隠すのに大がかりな準備が必要だし、足音も大きすぎる。動物の視点からすれば、目に耳にうるさい存在だ。素人なりに彼女は考え、珍しく反論したのだが――

「普通の狩りはそうだが、竜が相手なら別だ」

 アキレアはそう切り捨てて、とにかく「ついて来い」としか指示しない。村の外はユーリーにとって未知の領域。水源が近いのか足元の緑が増えてゆく。掛け声はあっという間に森にたどり着き、獣であれば何が飛び出してもおかしくない状況に彼女は思わず身震いした。

「よし、ここで待て」

 ユーリーは森の入り口で魔人を止める。戦士達も流石に森の中を巨体で荒らしまわる事はしたくないらしく、ユーリーのサポーターとしての仕事はこの地点からのスタートになる。

「合図は覚えているだろうな!」

 アキレアは魔人に向けて筒を見せた。筒の中には煙立ちのいい草木が詰められている。新人がピンチに陥った時……もしくは一〇メートル級のような脅威が現れた時、これを使って狼煙を上げる。それを確認次第魔人が突入し、事態を解決する。両者の間には単純だが効果的な取り決めが交わされていた。

「はい!」

「それじゃお前ら行くぞ! 今日は魔人様がついているんだ! 腹ぁくくれ!」

「「「オッス!!!」」」

 ユーリーには理解できない唸り声をあげながら男たちは森の中へと入って行く。

「だから逆効果……って訳じゃ無いのか……」

「出たぞ!」

「追いかけろ!」

 いきなり飛び出して来た戦士二人と二メートル大の竜一匹。彼らが森の外へ全速力で駆ける様子を見ながら、ユーリーは新人たちと受けたの竜退治のコツを思い出していた。

 竜の最も危険な習性は「人型を最優先に狙う」所だ。

 見た目通りのこの肉食性の生き物は普段水辺で大人しく潜み、小型の動物を捕食して生活している。所が視界に人型、両腕を垂らして二足歩行する生き物を見た瞬間に豹変、身をひそめる冷静な面を捨てて全力で相手を滅ぼそうと動く。

 人間の何が竜を憎しみに駆り立てるのか理由は分からない。だがその習性があるからこそ、戦士たちは逆に目立つことで食料をおびき出せる……ユーリーの目には追われる戦士たちの方が今にもかぶりつかれるように見えて気が気じゃない。今にも手を伸ばしたいが、合図が出ていないと自分に言い聞かせてその手を抑える。

 あの生態は本当なのかな……――

 胃が縮む思いで命がけの追いかけっこを見続けるユーリー。草地を抜け、地面がむき出しの土になった所で事態は変わる。

「グルルルル……ルル⁉」

 竜は四足の勢いを失い、もつれると動きが固まって行く。

「今だ新人!」

「でやああああああああああ!」

 新人戦士の槍が竜の左目に突き刺さる。勢いそのまま穂先は脳天にまで届き、竜の動きが完全に止まる。

「やればできるじゃねえか!」

「うらあああああああああ!」

 男たちは揃って勝利の雄たけびを上げた。それを見て彼女はようやく胸を撫で下ろし、背もたれで一息をつく。

 竜が水辺を好むのには切実な理由がある。この生き物は乾燥が極端に苦手で、生命を維持するために体表を常に水分で満たす必要があるのだ。この傾向は体格が大きくなればなるほど強まる。一〇メートル級が生息地から村にまでやって来られたのはあの日の数十年に一度と言える豪雨が原因であると戦士たちは分析していた。

 見た目こそ凶悪で、実際力もあるのだが、その弱点さえつけば狩れない事も無い。戦士たちはあえて危険に身をさらすことで竜をおびき出し、頭に血が上って脱水状態になったところを総攻撃というパターンで狩を行って来たのだ。

 いや……理屈は分かるけど……――森で、草地で、荒地で、周囲のいたるところで戦士たちは雄たけびを上げる。逃げ切れば安全という竜の生態と習性、それらを見事に把握した戦術であると言えるが……これほどまでに「言うは易し。行うは難し」を体現した狩猟法は無いだろう。

 戦士たちの狩りの様子から、ユーリーは大名行列のような成果を連想した。理詰めとは言え脅迫するように自分を呼んだのだから、魔人としてこき使われるものだと思っていた。しかしながら新人育成は順調で、その巨体が割り込む余地は無い。むしろ魔人が暴れる事で不必要に森を荒らして、狩りの邪魔になったらそれこそ一大事だろう。

「ほっ……」

 特にやることはなさそう。そう結論づけるとユーリーは分鏡を手に次の開発作業の構想を練り始めた。

 戦士の雄たけびと竜の悲鳴は絶えることなく周囲に響く。若干の騒々しさを感じつつも発明の糸口が掴め、魔人の手で再現できるか遊び始めたその時――

〈しゅうううううううううう――〉

「⁉」

 魔人の耳が彼女に異変を知らせる。音の方向へ視線を向けるとそこには危険を知らせる狼煙が焚かれていた。

「森のはずれ、あんな所で⁉」

 たたらを踏み、目標地点まで魔人を走らせる。合図中は狩を中断し、魔人の邪魔をしない段取りになっている。彼女は森の中へ飛び込むとそのまま真っ直ぐ駆け抜けた。鋼の体躯は草地を抉り、木々をなぎ倒し、森の環境を激変させるが人の命に代えられない。魔人があるのは人を守るためだと使命に燃えながら奥へ奥へと進んでゆく。

「沼から巨大竜が!」

「こっちに向かってくるぞ!」

「ヤベえ!」

「⁉――」

 戦士たちの悲鳴に魔人は一段と加速をかける。仮に一〇メートル級前後の竜が現れたとなればそれを倒せるのは魔人をおいて他は無い。ユーリーは真っ直ぐに狼煙を見て懸命に魔人を走らせる。

「絶対に、殺させない!」

 森林を抜け、眼前に沼が広がる。巨大竜が身をひそめるには絶好のポイント。一撃で終らせるために腕を上げ、火炎を充填させると――

「倒す!――……⁉」

 魔人の膝がガクンと揺れる。バランスを崩すとそのまま前へと、魔人はつんのめった姿勢で勢いよく沼の中へ飛び込んでいく。

「ちょ、ちょっと――」

 回転する視界の中、魔人のつま先に焦点が合う。そこには草木に絶妙に隠された岩が鎮座しており……魔人はどうやらあれに躓いたらしい。

 だが原因が分かった所で事態は解決しない。勢いは相変わらず前方にかけられており、空中で方向転換させるには沼地は近すぎた。

 落ちる――次の瞬間、巨大な破裂音と共に魔人の視界は濁水に呑まれた。

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