2-3

「……」

 頭痛、砂塵、魔人……断片的なイメージが浮かんでは消える。ここ数日ユーリーが見る夢。どのような夢を見ていたとしても、目覚める前には必ず割り込んでくる厄介な存在。

 神樹、柱、そしてユーリー……イメージの中には何故か自身の存在が含まれている。いや、だからこそこんな夢を見るのだろうか。

「ううっ――」

 宙を舞う箱、輝く星々、ツゲ……イメージは際限なく膨れ上がり限界を超えた所で――

「―――――――!!!」

 悲鳴を上げる。目覚めは最悪。休むために寝るはずなのに、何で私は疲れているのか。

「……はぁ……」

 不愉快に濡れた寝間着を着替えながら、彼女は個室を与えられた事に感謝した。以前のような雑居房であれば、早起きな自分は同室の女官たちの不興を買っていただろう。

 いつも通り明朝の散歩に出る。

「……はぁ……」

 しかしながら、神殿を一歩出るとそこにはいつも通りでない景色が飛び込んでくる。

〈オオオオオオォ――〉

〈オオオオオオオ――〉

「……」

 神樹と感応するように唸り声を上げる魔人。その巨体は今神殿の敷地で跪いている。

「……はぁ」

 ユーリーは改めて魔人の姿をまじまじと見つめた。

 袖と同じで、魔人の全体像は禰宜に似ていた。ゆったりとした袴に膨らんだ袖口。これだけ見ると神様と言うよりもそのお使いだ。なるほどそれならば魔人が信仰のメインにならなかったのも頷ける。この存在は神樹メイプルのしもべなのだろう。

 だが僕だとしたら頭部の形は奇妙である。魔人も被り物をしているのだが、それは禰宜の冠では無く、ゴツゴツとした鎧兜のようなもので、これがあるせいで魔人が果たして祭神なのか武神なのかが曖昧になる。

 ユーリーは村人が初めて魔人と対面した時の事を思い出す。

 木肌が割れ、真っ白な鋼を露わにした人型。その胎内からユーリーが現れると村人たちは困惑した。ツゲの言う滅びを回避できた事はありがたい。しかし、それを成し遂げたのが寄りにもよって一切期待していなかった余所者……彼らは自分達が失望のまなざしを向けた事を気まずく思い、彼女に何をもって報いるのがいいのか悩んだ。

 そんな事はどうでもいいからユーリーとしてはいつもの日常に戻りたかった。巨大竜を退けられたのだから、それですべてが終わりでいいじゃないか。だが事態は彼女が予想した通りに、いやそれ以上に複雑化してゆく。

 始めに問題になったのはこの魔人をどの階級が管理するかだった。ここで再び魔人の外観が問題になる。この存在は祭神なりや、武神なりや。

 祭神であれば祭祀階級の管轄となる。魔人はこの村が始まって以来人々が成人になるのを見守ってきた。それに神話の時代から神樹と共にあり、魔人が神の使いである事は疑いが無い。これらの慣例はそれなりに説得力があり、神官たちはこれを持って村人たちを説き伏せられると思っていた。加えて――神官たちは自分達が魔人を手に入れれば戦士よりも強く、農夫たちを黙らせられる力が手に入ると下心を持っていた。竜殺しの力を是が非でも欲していたのだ。

 だが武神だとすれば戦士階級の管轄に入ると言えなくもない。村の階級を三つに分けたのは村内の権力の均衡を守り、少数の独裁を防ぐためにある。竜狩りは戦士の本分であるから魔人は石器や鉄器の如く道具として扱うのが道理。何よりも巫女に穢れた血を触れさせないために戦士階級は立ち上がった。その伝統を尊重するのであれば魔人は戦士が扱うべきだ。腹に――これだけの力があれば竜どころか他の村も自分達が制することが出来る――と一物抱えているものの、こちらもそれなりに筋が通った意見ではある。

 この騒動には農業階級までもが加わった。祭神、武神、どちらでも結構だが両者の間で争いが生じるのであれば無関係である我々が引き取った方がいいのではないか。形式はどうであれ、重要なのは魔人が道具であるという点にある。これだけ立派な肉体であれば野良仕事に水害の修繕にできる事はたくさんある。神話より、魔人は村の守り神であるとされている。坊主と野蛮人が争いのために魔人を使うのであれば、いっそ我々が生産手段として利用した方が魔人としても本意ではないだろうか。彼らは巨大竜と豪雨が残した爪痕を癒す手立てを切実に求めていた。

 どの階級も一歩も譲らない。魔人の存在は日常の奥底で封印していた階級間の対立を顕在化してしまったのだった。胎の中で目覚めた時、ユーリーは村の雰囲気が殺伐としている事に驚きしばらくの間出られなかった。

 しかしながら、対立のキッカケを生んだのがユーリーであるならそれを終わらせたのもユーリーだった。

 魔人をどの階級に所属させるにしろ、つまるところ動かせなければ意味が無い。誰が言ったのか今となっては分からないが、この言葉に階級問わず老若男女が胎内に詰め寄った。仕事などそっちのけで魔人の前に行列が出来上がり、まだかまだかと胸をときめかせる様子は一種の巡礼を思わせたが、彼らの願いは信仰などでなく力を手に入れる事。ユーリーが教えたように腰を落ち着け、ひじ掛けを掴むと――期待が失望に一転して魔人を見向きもしない。

 スイセン、アキレア、サザンカ、各階級の代表者もそれぞれの野心を胸に乗り込んだものの、魔人は一切の反応を見せなかった。神器は景色を映さず、立ち上がる事も無い。ツゲすらも魔人は袖にしたのだ。

 最後にユーリーが乗りこむと彼女の証言通りに魔人は反応を示した。

〈オオオオオオオ――〉

 輿以外には人間が一人乗れるか乗れないかのギリギリのスペースに同乗した禰宜は、ユーリーの証言通り胎内に外の景色が浮かび上がると腰を抜かしてしまった。「これぞ神の御業……」と敬虔な心を取り戻し村人たちの中へと戻って行く。

 結論として、何の因果か魔人はユーリーにしか反応しない。ユーリーの意思であれば立ち上がり、景色を見せ、火を吹かせる……この結果は村人たちにとって望ましいものでは無い。村を守って来た存在であるならば、それを受け取る権利は自分達にあるはずだ。それなのにやってきて一年の素性も分からない余所者が力を所有するのか。

 一方で、ユーリーが持つことで力のバランスが取れる事も確かだった。身分こそ巫女見習いであるものの、成人と認められていない余所者。農業階級の言うことを聞き、戦士を怖れる野心とはかけ離れた存在。扱うには強力すぎる力であるなら無能に押し付けた方がいっそ安全である。

 その日からユーリーの仕事に魔人の管理が加わった。職務内容は魔人に関わる事全般。口伝、竹簡や木簡からそれに関わる情報を編纂し、成人式を取り仕切り、必要とあれば魔人を動かして村に貢献する。

 竜退治と昇進に対するささやかな褒賞としてユーリーは個室を手に入れることが出来た。これで人目を一々気にせずに早起きが出来る訳だが彼女の心は晴れやかでは無い。これは彼女を気味悪がる女官たちが部屋を追い出した結果。体のいい追放である。

「……」

〈オオオオオオオ――〉

 木肌に覆われていた時、彼女は魔人の顔が人々を見守る慈愛に満ちたものだと感じていた。素材のせいなのかそのおもてには温かみがあったのだ。

 それが剥離した今、鋼細工の顔面は妙に落ち着き、瞳はボーっとどこかを見つめる無表情。魂が抜けたように冷たい。

 この機械に魂を込める存在こそが私……その重圧に胃が縮みあがるとユーリーは回れ右して神殿から離れて行った。

 心の平衡を維持するためにも散歩だけはしなければいけない。彼女はまだ青い空の爽やかさで肺を満たし、雑念と共に吐きだしてゆく。いかんせん、自分が自由に振る舞える時間は日が昇りきるまでの短い間。だったら楽しまなければ損だ。

「やるぞーーーーーー!」

 嫌な物すべてを振り切るように彼女は駆け出す。

 一日の予定自体はそれほど変わった物では無い。いつも通り散歩をして、お告げを述べて、朝食を摂ったら子供たちの世話、もとい農業階級と共同する。

「もっもっ……すみません……お代わり……」

「……」

 寝室以外にも彼女の習慣が一つ変わった。それは食事の量である。魔人を動かすと頭部に刺激が走る。魔人と精神を同調させている影響なのか、女性の中で痩せているユーリーは乗り込むごとに痩せ、這う這うの体で落下するように降りてくる。ある時は乗り込んだまま気絶し、あと少しで家屋に倒れる所であった。余所者意識が遠慮させていたのだが、これを機に神官たちも安全のためにユーリーに食べさせるようにしたのだ。

「お米……美味しい……」

 食べた分働く。午前中は魔人に関わる知識の習熟。ツゲと担当の神官の指導の下、ユーリーは初めてこの村に関わる歴史を学び始めた。

「本当はお前が大巫女になってから伝えようと思ったのじゃが……」

 その言葉を彼女と神官は「とんでもない事を……」と胸の内に仕舞ったのだが――生徒としてのユーリーは優秀であるといえた。巫女の口伝の数々と、神殿の有職故実、煩雑と思える知識の束を彼女は大地が水を吸うように覚えていった。そして単に覚えるだけでなく、二人が投げかける問いかけに対する慣習の解釈も見事であった。これならばどのタイミングでもその部署の神職に成れる。神官は「大巫女こそとんでも無いが、彼女の事を部下として今すぐにでも相応の役職を与えたい」、とツゲの慧眼に感服した。

 昼が過ぎると農業階級との交流の時間である。

「……よし」

 ひじ掛けを握りしめ脳天に意識を集中する。魔人を立ち上げると彼女はそのまま村へと下りてゆく。

「魔人さまだー」

「でっけー」

「動いてるー!」

 魔人を追うように駆けつける子供たち。ユーリーは魔人の腕で彼らに手を振って挨拶を返した。

 農業階級が主張した通り、魔人は農夫として優秀な存在だった。巨大である、それだけで作業が捗ると彼女はは思えなかったのだが――

「それでは見習い様! よろしくお願いしますよ!」

「はい!」

 サザンカが声を張り上げ、ユーリーが魔人の拡声で返す。

 魔人は材木を手に取ると身をかがめて器用に立て付けを始める。

 先日作成した柵のおかげで洪水による田畑への被害は少なかった。ソレよりも深刻だったのは建物の雨漏りである。スコールが降り、高床式で水害に慣れているつもりだったのだが、各建築物は意外にも老朽化が激しく、とりわけ倉庫群はあの大雨がトドメを差してしまったらしい。

 全ての建物を一気に直すには時間も人手も足りない。貯蔵を守る事も重要だが、今の畑を放置してはその先が保たない。そこで彼らはダメ元で魔人に作業させてみることにしたのだ。

「神樹様……」

 分鏡が光り作業内容を浮かび上がらせる。同時に、その内容が胎内の神器にも浮かび上がる。神の御業で作られたもの同士だからか、魔人はユーリーの翻訳を介す事無くお告げの内容を理解する事が出来た。そしてそれは一体化した彼女の意識にも共有されるとよどみなく作業が始まる。

「……ふぅ」

 魔人の鋼の指は人間の何倍も太く、無骨に見える。しかしながらその手仕事は想像次第でいくらでも繊細に動かす事が出来た。集中力が試されるものの、材木を切り、釘を打ち付け、藁を葺き――通常男手総出で一ヶ月程度掛かる作業が半日で終わるのだ。一週間もすると村の建物はすっかり真新しく若返ったようになった。

「魔神様―! こちらもお願いします!」

「はーい」

 細かい作業は勿論、力仕事だって軽々とこなす。

 魔人と農夫は荒れ地に入る。農夫はその場所の日当たり、水源までの距離などさまざまな要素を考慮し、ユーリーに向けて土地に目印を付けた。

「よい……しょっと!」

 その場所へ魔人の腕が伸びる。指先が地面を掻くと土が盛り上がり、硬い大地が耕されてゆく。

 メイズの村は順調に人口を増やしていたのだが、それは同時に食料問題を浮かび上がらせた。ユーリーがやってきた事でこの一年、収穫は伸びたのだが・・・・・・農夫達は既存の畑で先を賄えられるのか不安を感じ始めていたのだ。

 開墾もまた人手がいる作業。いずれやらねばと歯痒い思いを丁度感じていた時、魔人はまさに救いの神と言っていい。

「ふうーー……」

 肉体的な作業は全て魔人が請け負っているので彼女が感じる疲労は僅かなものである。とはいえ魔人との一体化でを使っているし、何よりも自分の手で何かを造り上げる達成感を味わっている。ユーリーは久しぶりに「心地のいいため息がある」事が楽しく、胎内ではしゃいでいた。

 魔人の活躍はそれだけにとどまらない。

「♪~~」

 鼻歌交じりにユーリーが向き合ったのはあの一〇メートル級の竜の骨格。

 巨大竜は魔人が倒した後、戦士達によって解体作業を施された。竜の素材で加工がしやすいのは肉と皮。肉だけで言えば前日に狩った分と合わせると保存のための作業が追いつかない程の大収穫である。ユーリーは魔人を通して、彼らが虫にたかる蟻の様にあっという間に骨だけの姿にしてしまった事をありありと思い出せる。

 ところが、取り残された骨はどうしようもない。鋼をも弾く強靱な骨格。一~五メートル級でそれなのだから、一〇メートル級ともなれば村一番の屈強さを誇る戦士でも手に余る。竜の骨は決まって村はずれにあるゴミ置き場に積まれ、今や数十の塚が出来ている始末である。

 でも今は魔人がいる。ユーリーはかねがねあの骨を利用出来ないか考えていた。戦士達が蓄積させた大量の骨。これらを全て利用出来るのであればゴミが宝の山に大変身をする。

 アキレアの槍の様に加工品が無いわけでは無い。加工が難しいという点さえ除けば骨は鉄を超える優秀な素材である。ユーリーは意を決して戦士達に骨を引き取れないかどうか頭を下げに行った。

 アキレアを筆頭に嫌がらせを受ける事を覚悟していた彼女だったが、意外な事に引き渡しはあっさりと決まった。解体作業に追われている事、優秀な戦士を一〇人も失った事等、戦士階級がごたついていた事もあり、余所者なんて構っている暇が無いのが現実であり、持て余していた巨大なゴミを引き受けてくれるのならばと二つ返事で譲ったのである。

 これとは別に、戦士には獲物を一番に仕留めた者が優先権を得る習わしがある。余所者であろうと巨大竜を仕留めたのはユーリーである。その事実は揺るがない。彼女に黙って竜を解体した事は伝統を重んじる戦士達の矜恃に関わる事だったのだが……ユーリーが都合良く骨を望んだ事で罪の意識を相殺したのだった。

 理由はどうあれ、ユーリーは骨を手に入れる事が出来た。材料さえ揃えばこちらのものである。

 指先に意識を集中して、狙い通りに骨を折り、繊細な箇所は砲撃を収束させてピンポイントに切断してゆく。材料が揃うと神樹から設計図をいただき、頭に浮かんだ像を通りに指を動かす――

 魔人が最初に組み立てたのは骨の鍬だった。メイズにも製鉄文化が存在するが、原料となる鉄の生産量は芳しくないし、鉄器の多くは戦士たちの武器になってしまう。木の鍬は手入れの行き届いた畑であれば通るが、荒地でははなはだ不利だった。そこで竜の骨であれば魔人程ではないが堅い地面にも刺さると思い、ユーリーは肋骨をベースに十数本の鍬を作り上げたのである。評判は上々でサザンカは仕上がりの良さ、実際の作業効率の双方に感動して思わず唸ったほどであった。

 他にも組み立てを行った中で彼女の最高傑作は骨製の釘だった。小型竜の骨を砕くことで量産できるそれのおかげで魔人は建物の修繕作業を手早く行えるようになったのである。立て付けも向上し雨漏りの心配は当分起きないだろうと、左官たちもその出来栄えに感心した。

 魔人が畑を耕し、物を作り、人々と共同する。神話さながらの光景の中、当事者たるユーリーはこれ以上無い充実を味わっていた。太く武骨な指が自身の細腕と重なると、泉のような想像力のまま動いて物を生み出す。動かせば動かしただけ魔人との同調は精度を高め、彼女は今や元の肉体よりもその巨体を動かせるようになった。

 またユーリーは自分が「何かを作る事」に夢中になっている事に驚いた。これまでは誰かに請われるまま分鏡からお告げを引き出していたのだが、魔人をきっかけに今では自分が神樹を質問攻めにしている。

 ひょっとしたら私は元いた村で手仕事を担当していたのかもしれない――だからこそ自分は農業に親しみ、農夫たちと交流してきたのだなと、自身の行動を振り返って行く……魔人は仕事の充実だけでなく、彼女自身の正体、その輪郭を浮かび上がらせたのだった。

 魔人に関わる疑問は尽きることが無い。しかしながら即物的な人間が多いメイズ村の総意としては「それが便利であるなら何でもいい」。始めこそ困惑を持って迎えられた巨体だったが、今や魔人は村人にとって――ユーリーにとってはとりわけ無くてはならない存在として村の風景に馴染んでいった。

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