2-2

「アキレア……もう……」

「うるせえ! 俺は……勝つぞ!」

「ひぃ……ひぃ……けどよ――いい加減、限界だぜ……」

 戦士たちが交戦を始めて一時間が経過しようとしていた。アキレアの目の前に映るのは鼻息荒い巨大竜と倒れた戦士達。

 サイズが巨大化したとはいえ、竜は竜である。その習性は大きさによって変化するものでは無かったようで、始めこそ戦士たちは巨大竜の動きを見切り、攻撃を当てては相手の体力を削ってきたつもりだった。

 だが状況は彼らにきわめて不利だった。巨大竜の体力は五メートル級とは比較にならず衰える所を知らない。むしろ巨体が放つ圧力に屈し、ペースを乱した戦士から次々に強かな一撃をもらいリタイアしていった。

 アキレア含む熟練した戦士はそんなものには惑わされず、常に適切な距離を保ちながら、陽動を用いた連携技で的確に急所を抉っていった。竜の右目はすでに破裂し、後一撃押し込めば脳を破壊できる。

 しかし、体表を常に水分が覆っているせいなのか相手は息切れ一つしない。始めこそ戦士たちの抵抗に怯えていたものの、アキレア達の体力が限界に達したと分かるや竜も距離を取る事を覚えたのだ。

「グルルル……ゴキッ、バキッ‼」

「うっ……」

 また竜は――眼球のような替えの利かない器官を除いて――栄養を補給することで怪我を即座に回復させる。すでに倒れた戦士達の内一〇人が彼らの全部もしくは一部を食われていた。

 安全な狩りなど存在しない。命のやり取りをするのだから死は覚悟の内。とはいえそんなプライドも目の前で仲間が蹂躙される様子を見てしまえば揺らぐ。ある者は逃げ出し、またある者は逃げた隙を竜に突かれて肉塊へ――今立っているのはアキレア含む五人。

「ソテツ、お前はもう逃げていいぞ……」

「そんな……兄貴を置いて逃げられねえよ……」

「うるせえ! 吐いてるような奴邪魔なんだよ! これ以上足元を崩すな! 目障り何だよ!」

 そんな……、とソテツは弱弱しい声で膝を落とす。長時間にわたる戦闘の疲労と、敵わないストレス、そこにアキレアの一言がダメ押しとなり彼の心は折れた。

 アキレアとて意地悪でそのような事を口にしたのではない。むしろ本心からソテツに逃げて欲しかった。

 この場でまだ戦意を維持出来ている戦士たちは全員、心のどこかで「勝てない」と悟っていた。相手は正真正銘の化け物。戦士としては恥だが、決して逃げた者たちを責めていない。むしろ生き物としては彼らの方が正しいとすら言える。

 それでもアキレア達がこの場に残り続けるのは、巨大な敵と戦う事を心の底から楽しんでいるがため。

 村人を守る義務。戦うと言う伝統。戦士階級を奮い立たせる言葉は数あれど、彼らを何よりもかきたてるのは強敵とぶつかり合う時のスリルだった。竜が跋扈することで生まれた停戦状態。対人を想定して生み出されて来た技の数々は対竜へと進化を重ね、力を振るう興奮は技術の向上と共に天井知らず。精鋭たちは己の技を全てさらけ出せる絶好の機会に酔っていたのだ。

 そんな彼らにとって弱さは罪である。逃げるのはいい。自身の身の丈を把握し、生きていれば後に技術を磨いて復讐を果たせる、潔い行為だ。だが敗北は認められない。死体は状況を荒らすゴミであり、死して尚敵の糧となって身内に災いをもたらすなど考えるだけで虫唾が走る――

「来いよ――」

 アキレアは右の眼窩に向けて得物の切っ先を振り上げた。

 竜の最も鋭い攻撃部位である鼻先の角を刀身に据えた大身槍。鋼すら通さない竜の骨を唯一砕くことが出来る同族の一部。一家の長子に代々伝わって来たそれはすでに彼の一部と呼んでいいほど扱いに習熟してきた。

 他にも竜の骨を武器に使う戦士はいるが、アキレアの槍程見事な物はない。打点を与えられるとすればアキレアが最も可能性が高い。

「グルルルルル……」

「……………………」

 巨大竜の傷口が紫色に盛り上がる。戦士たちの肉は口にした側から相手の血肉へと変換されているらしい。そしてそれが隙だとアキレアは経験してきた。新旧互いの部位が馴染むまでの間、その箇所は僅かに動きが鈍る。相手の傷口の位置は全て把握している。このまま攻め込めば――

「押し切る!」

 一時間の間に相手の癖は見切っている! アキレアはぬかるみに足を取られることなく前進すると渾身の一撃をくり出した。

「グルルル……オッ……オゲエエエエエエエエエ――」

「⁉ 何っ!」

 赤黒い色彩がアキレアを覆う。嗅ぎ慣れた血の匂いに酸味のある刺激臭、彼の眼前に迫るそれは竜の吐瀉物だった。

 もらいゲロで死ぬのかよ――俺もマヌケになるのかとアキレアは自嘲した。

 彼がそうであるように竜もまた学習したに過ぎない。この場で最も力のある人間さえ殺せば残り物など物の数では無い。隙の作り方が分からなかったが、ちょうどそこで落ち込んでいる奴が方法を教えてくれた――

「グルアアアアァァ――‼」

 大地を震わす咆哮、それは勝利の雄たけびか。血涙流すまなじりに笑みを浮かべながら竜はアキレアめがけて大口を開いた。

「クソがああああああああああーーーーーーーー」

「やめてええええええええええええええええええ」

〈オオオオオオオオオオ――〉

 鋼同士がぶつかったような鋭い衝撃音と共に死神が去って行く。

 助かったのか――続けて吐瀉物の不愉快な感触が全身を覆うとアキレアは五体満足である事を理解した。ひりつく汚物を拭いながら一体何が起きたのか音の方向へと目を向けると――

「ギゲ⁉ ギャオオオオオオン――!!?」

〈オオオオオオオオオオ――〉

 竜はひっくり返るとその場でのたうち回っていた。見ると左側頭部に生えていた角が折れて畑に突き刺さっている。どうやら先ほどの衝突音の正体はこれだったらしい。

「――何だコイツは……」

 この村の最高の技術を持つ鍛冶師が鍛えた鋼でも傷つけることが出来ない竜の骨。それを見事に破壊した者の正体とは……見上げるとそこには巨大な黒い人影が自分達を見下ろしているではないか。

「やった……の?」

〈オオオオオオオオオオ――〉

「……余所者……なのか?」

 巨人から拡声されるユーリーの声に戦士たちは戸惑った。夜目に慣れた彼らはこの悪天候でも景色の詳細が見える。形状が若干異なるもこの村で巨大な物体といえば魔人像を置いて他にはない。伝説通り魔人は村を救うために立ち上がったのだろうか。

 だからと言って安心はできない。いや、むしろいっそう気を引き締めなくてはいけない。巨人に宿っているのがユーリー――いや、彼女でなくとも戦士で無いのであれば誰だって論外だ。竜はデカイだけでは太刀打ちできない。骨を折れたのはまぐれ当たり。素人が戦ったとして何になると言うのだ。

「グルァアアアアアアアアアアアアアア!!!」

 皮膚組織と異なり、骨は多少補給した所で再生するものでは無い。骨折が頭部に近い部分であれば尚更その痛みは雨水程度で慰められるものではないだろう。最早竜の視界に戦士たちの姿は無い。己を辱めた相手に復讐を果たすべく、魔人へと襲い掛かる!

「きゃっ!」

〈オオオ――〉

 魔人の腹部への突進。強かな一撃がユーリーを襲い前後不覚に陥る。

「グルルル……ギ……?」

 だが竜は手ごたえを感じない。魔人の肉体は鋼鉄よりも堅いのか傷一つついていない。渾身の一突きはただ相手に尻餅をつかせただけに終わる。

「グルルル……ギャア!」

 ならばと竜は隙だらけな腕にかみつき、振り回して引きちぎろうと前進する。赤黒いだ液混じりの鋭い歯列が露わになると右腕に向けて閉じ込んでゆく。

「!――⁉」

 噛み応えは抜群だが、かみ砕くことが出来ない。むしろ加減を間違えれば自分の歯が負けてしまう。

「ちょっと……何するのよ!」

〈オオオオオオオオオオ――〉

 反撃とばかりに魔人の左拳が振り下ろされる。頭部に走る衝撃、それはこの生き物が生まれて始めて恐怖を覚える一撃。脳天が割れると思しき攻撃を受け、竜は初めて怯えを見せた。

「ギャオ、ギャオン」

「……効いてるの?」

 巨大竜が離れるのと同時に魔人は立ち上がった。ユーリーは魔人の腕を何度かグーパー開かせながら、この巨体に秘められた力を見定める。

「いけるなら!」

〈オオオオオオオオオオ――〉

 大地を抉りながら魔人が駆ける。その巨体が生み出す力に恐怖し、逃げ出す竜の尻尾を掴むと持ち上げ、腹部を思い切り地面に叩き付ける。

「ギヤアアアアアアアアア!!!」

「「「おわあああああああ!!!」」」

 鈍い一撃が大地を襲い、ぬかるみが一帯に拡張する。ただでさえ悪い足場が振動で液化すると戦士たちの両足は膝まで沈んで行った。

「オゲェ……」

「はぁっ!」

 グロッキー状態の竜の背に馬乗りになると、魔人は相手の肉体をやたらめったら殴り始める。再び広がる鋼同士が鳴る衝突音。音と共に地面も揺れ、一帯の沼地化はとどまる事を知らない。

「おわっつ! おおっ! おい余所者! 下手くそな戦い方をするな‼ 俺達を殺す気か!」

「殺す気――⁉ ってそんな事言われても」

 ユーリーとてやりたくて沼地を拡げているわけでは無かった。

 戦士たちの行進と共に、彼女は竜の死体をいくつか見てきた。そのどれもが急所を鋭い物体で貫かれており、目の前の巨大竜もまた右目を失っている。この生き物はどうやら内側を破壊しないと致命傷を与えられないらしい。

 魔人にも武器があれば――ユーリーは魔人の目で肢体を確認する。魔人の体は角ばっているように見えてその先端はどこも丸みを帯びている。見た目は打製石器よりかは磨製石器に近い。素材は分からないが、鋼をここまで見事に細工できるとしたらそれは神の御業なのだろう。

 いっそのこと戦士たちの武器を借りて突き刺してみるのはどうだろうか。いや、無駄だろう。魔人の手に彼らの武器は箸やつまようじの様な物。細かすぎて扱える気がしない。となれば残された選択肢はこの身でぶつかる他ない。幸いなことに魔人の肉体は竜の骨よりも頑丈で、打撃は有効だ。少なくとも痛めつける事は出来る。

 とは言え打撃にも限界がある事をユーリーは悟っている。魔人は動くだけで人々に被害を出し、何よりも液状化が進むことで竜に与えるはずのダメージが大地へと拡散してしまう。彼女はすでに魔人の手から有効打を感じなくなっていた。

「どうすれば……」

 腕を掴んで引きちぎってみようとする。脱臼には成功したようだが生き物の皮は固く、容易でないように思える。眼窩から脳を掻きまわすか? 指先が脳に届く自信が無い。ならば首を絞めて……いや、この生き物には鰓も生えている。首根っこを押さえた程度で絶命するとも思えない――

「おい! 早く殺せ! いたずらに刺激していると反撃されるぞ!」

「でも……これ以上出来ないのよ!」

「はぁ⁉ 魔人だったら何か力があるんだろう! もったいつけてないでやれよ!」

「そんな無茶な……」

 これだから戦士で無い奴らはダメなんだ……。アキレアたちはそれぞれの得物を支えに泥の中を進む。幸いなことに魔人は竜を抑え込む力がある。動きさえ止まればあとはこちらのもの。四人で急所を掻きまわせば今の竜であれば容易に殺せる。

「ああもう! 何か武器は無いの!」

 アキレアの言う通り竜は抑え込む魔人の腕の中でビタビタ跳ね始めている。まな板の上の鯉としては活きが良すぎるのだ。

 均衡が崩される――それだけはマズい。何とか致命傷を与えねばと焦れば焦る程に思考は纏まらない。

「あーもう‼」

 癇癪を起したユーリーはひじ掛けを手放すと両こぶしで殴りつけた。

「――っ……ん?」

 拳に広がる痛みと共に再びの頭痛。魔人が彼女に呼びかけるときの合図――

「これで……」

 神器の虚像の視界が魔人の右腕をフォーカスする。腕には禰宜の袖のようなだぶついた体積が存在していた。その箇所に神の文字で〈砲撃〉を示す単語が重なる。

「終ってーーー!」

 袖口が開く。高熱を帯びた光線が走ると竜の首は胴体と切り離された。

「うわあっ――」

「なんだありゃ……」

「熱いぞ!」

「……………………」

 熱波が沼地を焼き、水蒸気が噴き上がる。足元に広がるぬるく堅い感触……あと一歩近づいていたら自分達もただでは済まなかったのではないか。不快に広がる湿度の中、断末魔を上げる暇も与えずに竜殺しを済ませた魔人を見て戦士たちは冷や汗をかく。

「はぁ……はぁ……」

 生まれて初めて生き物を殺した。自分の……魔人の手で……。握りしめるユーリーの手。そこにあるのは村を救った達成感でも敵を倒した満足感でも無い。「何故自分が」という疑問だった。

 この世のあらゆる生き物よりも優れた体躯に身体能力、火を噴く袖。そのどれもが自分の身の丈に合わない。魔人を動かすのに適した人間がもっと他にもいるのではないだろうか。自分は何か取り返しのつかない事をしてしまったのではないだろうか。戦士たちがそうであるように、彼女もまた自分がしでかした事の大きさに恐怖を感じていた。

「あっ鼻血……」

 ポタポタと落ちる赤い水滴。それを見た瞬間猛烈な頭痛がユーリーを襲う。

 身の丈を越えた力の反動。それを自覚した瞬間に彼女は気絶した。魔人はその動きを律儀にも反映させ、同じようにくずおれる。

「……終わった……んだよな」

 戦士の一人がアキレアへと向く。

「………………………………」

 雨が止み始める。これならば他の竜がやってくる事も無いだろう。状況は間違いなく一区切りした。

 星明かりが村を照らし出す。これだけを見ると平和な日常が戻って来たようで腰を下ろせる気分になれるはずなのだが――

「クソが……」

 気絶したユーリー含め、その場にいる誰もが思った。これだけで終わらない。魔人の存在は何か決定的な物を書き換えてしまった――と。

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