2-1
「――――うっ……」
背中に鈍い痛みが広がる。意識が途切れない所を見るに、どうやら死損なったらしい。柔らかい感触を覚えながらユーリーは再び魔人を見上げる。
「ん?……柔らか……い……?」
全身に走る違和感を探るべく、ユーリーはゆっくりと辺りを見渡した。
「……これって――」
視界の高さから、彼女は自分が地面に落下していない事に気付く。ちょうど魔人の腹辺り、天気さえ良ければそれなりに村を見渡せる絶好な位置。
だったらこの布団みたいに乾いた柔らかい地面は何なのだろう。場所が場所なら木の皮に激突しているはず……。
「……これは⁉」
恐る恐る半身を起こすと、彼女は自分が椅子のようなものに座っている事に気が付いた。形状は、大巫女が他村と交流する際に使用する輿に似ている。ひじ掛けの先に五本指が収まる溝があり、村人が走っても踏ん張りが効く特製品。かつてツゲに同行した際に、体力で劣る彼女が乗せてもらった記憶が苦々しく思い出される。
なんでいきなり椅子が現れたの……? 突拍子もない出来事による衝撃でユーリーは冷静さを取り戻してきた。
椅子の周囲には球状の壁が広がっており、ぽっかりと開いた先には魔人の視線と雨が降り注いでいる。椅子から立ち上がり、壁から這い出すと――
「おお!」
足元には魔人の両足が組み敷かれていた。理由は分からないが、どうやら自分は突然開いた魔人の腹の中に納まって滑落死を逃れたようだ。
この中にこもっていれば少なくとも自分だけは助かる。などと不遜な事を考えられるまでになったユーリー。安心し、村のどんな柔らかい生地よりも居心地がいい椅子に深々と身を預けると――
〈ブウウゥン……〉
「⁉」
壁中に淡い光と低い音が広がる。
〈ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――〉
「今度は何なのよ‼」
見上げると、魔人像の顔面が大きく割れている事に気が付いた。顔だけでは無い、今や魔人像全体が大きくひび割れ、全身を震わせている。胎内のユーリーはあまりの衝撃にひじ掛けを思い切り掴んで事態をやり過ごそうとした。
〈オオオオオオオオオオ――〉
「⁉」
それが引き金になったのか魔人は脱皮を始める。神樹との繋がりを断ち切り、上半身が解放されると両手を大地へ。踏ん張りを付けて下半身を浮き上がらせ、両足で大地を踏みしめてゆく。
「ちょっと、待って!」
見下ろす一〇メートルの視界。残り滓を豪雨で流しながら魔人は立ち上がった。
「伝説は……本当だった……」
魔人の胎に輿があるのは予想外だったが、結果はどうあれ伝説の魔人が復活した。ヤケクソが起こした奇跡、勤めを見事に果たした事にユーリーは喜びたい所だったのだが……。
「目覚めたのはいいけど……これからどうすれば……」
ユーリーは視界の高さから魔人の背丈が二〇メートル前後だと予想した。巨大竜が一〇メートルだとしてスケールの上では勝っている。この巨体であれば魔人は村の脅威に対抗できるだろう。
しかしながら彼女はどうすれば魔人が動くのかさっぱり分からなかった。何故像が立ち上がったのか、これは神樹の木肌を削って作った座像だったのではないか。何故胎の中に分鏡製の鏡で敷き詰められたような部屋があるのか。疑問は尽きないが今必要なのは魔人を動かす方法と戦わせる方法だ。
「熱っ――」
ひじ掛けの溝に熱が走る。痛みが指先から脳を貫いた瞬間、外の視界が壁に遮られる。
閉じ込められた――と思うと視界がクリアに開かれてゆく。
「これは――」
胎内が閉じると分鏡は一枚の鏡となり、淡い光が豪雨の景色へと変わって行く。狭いはずの空間が、普段と変わらない外のような開放感。しかし触れると鏡の感触が返ってきてこれが虚像である事に気付く。鏡を通して魔人の視界を共有しているような……ユーリーは奇妙な感覚に包まれる。
〈名前を教えてください〉
景色に神の文字が重なる。
「ユーリー‼」
ここはお告げの間などでは無い。彼女は即座に、神の言葉のまま自身の名前を叫ぶ。
「――――――ッ!!!」
再び指先と脳へ痛みが走る。続いて全身が輿へと押し付けられ……広がる圧迫感、それに耐えると彼女は駆け出していた。
「これは……」
輿の上でユーリーは己の感覚が魔人と重なるのを感じていた。ひじ掛けの握り具合で両腕が動き、足元にあるたたらのような板を踏むことで両足が動く。夜中なのに、雨粒一つがくっきりと浮かぶ青白い視界。胎内が揺れる度に大小感覚のズレを覚えるも、彼女の意識は魔人を乗っ取り、大きな足取りで村境へと突き進む。
「……いける!」
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