1-4
「見習い様また明日!」
「次は何をして遊ぼうかな~」
「もうお腹ペコペコ」
「あ、お父ちゃんだ!」
「さようなら!」
茜色が空を染める時刻になると村のあらゆる作業が一区切りを迎える。それには子供たちの遊びの時間も含まれているようで、先ほどまで散々ユーリーを振り回していたのが嘘のようにピタリと止み、彼らは三々五々に帰路につく。
「はぁ……はぁ……みんな、さようなら……」
やっと解放された……――。子供とは言え自分の二、三倍もの力がある存在に振り回されれば溜まった物では無い。彼女は人目もはばからずに雑草の上にあおむけで倒れ込んだ。
ため息と共に大きく深呼吸する。肺の中の空気を交換すると疲労が抜け、自然の力を取り込んだように感じるから不思議だなと、夕焼けに飛び込むように両目を見開く。
ユーリーは朝焼けが生み出す湿り気のある空気が好きだが、日の入りの焼け焦げたような乾いた空気も好きだった。一日の始まりと終わりを告げる反対に思える性質に共通しているのは爽やかさ。
村にはいまだに馴染めないが、彼女は村の自然が生み出す生命に溢れた空気が好きだった。人気がまばらになる二つの時間帯。そんなはざまの中では自分は自由に空を見上げることが出来る。誰の顔色も窺わずに自然の、村の一部になったようにさえ感じる。この時間さえあれば自分はまた明日も頑張れる。
「ふう~~~~……」
だがそんな楽しい時間もつかの間。空に紫が混じる頃には次なる憂鬱がやってくる。
「帰って来たぞーーーーーー‼」
「⁉ っ……!」
村境から神殿まで通る大音声。これがたった一人の声であるから驚きだ。
「エッサ! ホイサ!」
「ワッセ! ワッセ!」
「ヨイショ! ヨイショ!」
それに続くように男たちの声が続いてゆく。どの声も先ほどの第一声に負けず劣らずで、先ほどまでの静けさはどこへやら、村中がむさくるしい合唱でいっぱいになる。
ユーリーは泥を払いながら立ち上がると道の隅へ移動した。
「今日も大量だぞーーーーーー‼」
村の平均的な大男をさらに一回り大きくした美丈夫を先頭に、皮の腰巻姿の大男たちが隊列を組んで横切って行く。彼らの体格と衣装、何よりもその声でユーリーは圧倒されながら戦士たち帰ってきた事を認めた。
「…………⁉」
何処か隠れられるところは無いかと首を振るも、周囲には身を隠せるほどの低木すらない、手入れの行き届いた農道。ユーリーは農業階級の人々の努力を賞賛しつつ、これから起こるであろう事態を想像して身を縮める。
「……」「……」「……」
「…………………………」
ばったりと行き会う事態。戦士たちの視線がユーリーに注がれる。テッペンからつま先へ、全身を舐めるような品定め。彼らの肌は露出が多いのと、仕事内容の性質のためか野良仕事の男たちよりも濃い黒に焼けている。ユーリーはそれが人肌よりも獣の様に感じ普段以上の圧迫感を覚えるのだ。
「ハッ! ペッ――」
「ないわないわ!」
「やっせっぽっちめ!」
「弱虫!」
先頭の男が彼女の足元に唾を飛ばしたのを切り口に、男たちはすれ違いざま続々とユーリー悪態をつき始める。
「……ッ……」
この村の中でここまで露骨に余所者を排斥しようとするのは彼らの職域がなせる技か。彼女はバラエティに富む威嚇をいなしながら戦士階級について思いを馳せる。
メイズの村は神樹周辺の多くの村がそうであるように、三つの階級に分かれて運営されている。
政を司り、村の運営や他の村との交渉を担当する祭祀階級。村の生産を担い、畑仕事から建築に至る村内の協同作業を一手に引き受ける農業階級。そして村境を警備し、様々な種類の外的から村人を守る守り手である戦士階級――
ツゲが大巫女に就任してからの数十年、隣接する村々の間で諍いは起きていない。本来であれば村境は二十四時間体制で管理されるものなのだが……毎朝ユーリーがそこまで気楽に散歩できる程度にこの世界は平和だ。
しかしながら、人型の敵が存在しなくとも別の脅威は身近であった。
「……ヒイッ……ッ」
男たちから逸らしていた視線、その視界にある物が飛び込み思わず悲鳴が漏れる。
罵倒と掛け声の合唱に揺られるように巨大な物体が戦士達によって運ばれる。
力なく、だらりと垂れた四肢と、地面に引きずられている長々とした尻尾。体長は尾を含めずに五メートルはある巨大生物。それこそが今の戦士たちの最大の敵である竜だ。
ユーリーは改めて竜の姿を見つめる。トカゲを何百倍にも大きくしたような外観自体十分に異様だが、毒々しい紫色で全身を染め上げる鱗に、頭部に側頭部に二本、鼻先に一本とそれぞれ長々と生えた三本角、それらの特徴を初めて見た時彼女は気絶してしまった。
この世の物とは思えない巨大生物・竜。噂によればこの生き物が幅を利かせていることで侵略を計画する場合では無いとか。
戦士たちの仕事は村の脅威の排除。日の出と共に村境を越え、発見次第根こそぎ狩りつくす。彼女の目の前には一匹、また一匹と竜の死体が運ばれてゆく。それだけで眼前の戦士たちが数々の死闘を繰り広げてきた猛者だと知ることが出来る。
極限の環境で生きている彼らにとって唯一の価値観は腕っぷしの強さ。そこに男女や階級でさえもが無差別。ゆえに村一番の非力であるユーリーは嘲笑されるというわけだ。
感情を露わに反応してくれる分だけ彼女は戦士達の事がきらいでは無かった。一方で鋼を思わせる上裸は見るだけで暴力を連想させる。
同じ村人であるにも関わらず、何故戦士たちは体格が良いのか。一説によるとそれは竜の肉が関係しているらしい。竜の肉は村の重要なタンパク源であり、栄養価も高く、なんと味も絶品らしい。この肉を幼少から食べる事で肉付きが良くなり、竜と戦える力を得られる。今の自分達があるのは勇気ある祖先が仇敵を屠り、肉を口にしたおかげである。その故事と習慣が戦士達の骨子であり、ゆえに彼らは何よりも村の伝統を重要視するのだ。
祭祀階級の所属となっているユーリーは幸か不幸か未だに竜を口にした事が無い。神官、とりわけ巫女ともなると血や肉といった穢れを口にする事は禁じられている。それに神樹同様ユーリーは竜の存在が記憶に無かった。知らない、気味の悪い生き物なんて食べたくないのが本音だった。
竜を口にした血統にあらず、村の者でも無いのに神の言葉を軽々しく操る。伝統の外側にいるユーリーの存在を戦士たちが気にいるはずが無い。両者の溝が埋まるはずなど無く、出会えば戦士たちは巫女を直接傷つけないギリギリのラインで彼女をなじり、ユーリーもまた腕で彼らに敵わないと分かっているので顔をそむけて甘んじて受ける。
子供たちと遊ぶ時は場所を誘導しないといけなかったのに――後悔先立たず、ユーリーは竜の行進が過ぎ去るのをひたすらに待つ。
流石に巨大な物体を担いでいる以上、彼らの速度はユーリー並みに落ちている。その気になれば彼らを追い越して神殿に戻れることもできるが彼女はそれをしない。
恐る恐る視線を隊列の先頭に向ける。自分に向けて真っ先に唾を吐きだし、嘲笑した青年。彼こそが戦士階級の若い長であるアキレアだった。下半身こそ竜の皮というオーソドックスな格好であるものの、上半身には後ろからでも分かるほどに竜の骨で造られたアクセサリーで自身を飾っている。視界に入る者すべてを威嚇する瞳でもう何体も竜を狩り、単独での撃破数は老兵のそれをとっくに超えているとか。
ユーリーとアキレア、二人の相性は特に最悪だった。これは伝統云々では無く、生理的なレベルで噛み合わないと言っていい。力を前にすると怯むユーリー。身内だろうと弱さを認めないアキレア。ユーリーはお告げの儀でよくも毎回彼が暴れない物だと感心するほどにアキレアに怯えきっていた。
反対に、スイセンはアキレアと仲がいいらしい。噂によれば両者の婚約は決まっており、若くした亡くなった母親と同じ道を辿らないようにツゲに黙って肉を口にしているとか……。
「……はぁ……」
行進が去り、彼女はようやくひと心地付けた。肺の中は重苦しい空気で詰まっており、爽やかさを取り戻そうにも空気は冷え切っている。紫色の宵の口、いい加減走らねば夜のお告げに間に合わない。
「……」
人を見ると怯える。心が安らぐのは周囲に人がいない間だけ。村の生活サイクルの隙間でしか生きた心地がしない、そんな生活に彼女自身嫌気がさしているのだが――いかんせん問題は複雑に絡まっており、ユーリーには独りでそれらの要素を解きほぐせる気がしない。
私もあれくらい大きければ……もしかしたら……――
見上げた先には帰路である神殿とそこから伸びる神樹の姿が。日の入りの時刻ともなると温かみのある木肌も陰に覆われ黒々とした鉄柱の如く、今にも自分に倒れてきそうな圧迫感を彼女は覚える。
それから逃れるように視線を西へ、僅かばかりの日を浴びてボウっと浮かび上がる像を見つめる。
神樹のふもとには神殿の他にももう一つ重要な物が埋まっていた。樹のこぶのように盛り上がった約一〇メートルある座像。木肌同様温かな微笑みを湛えたそれは村人から「魔人様」と呼ばれる神樹に次ぐご神体だった。
伝説によれば魔人は世界が混沌に包まれていた頃に神樹と共にやって来たらしい。神樹が混沌より生み出した人間を守る使命を帯びた巨人。今は休みに入っているのかジッとこの世界を見守っている。
メイズの村では魔人は信仰のメインでは無い。スケールの差と西側という立地のせいか彼の存在は隅の方に追いやられているのだった。魔人像が活躍するのは一年に一度、村の一五歳の成人式の儀式の時だけ。去年は余所者であるということで参加できず、スイセンの成人を見ていただけで終ったのだが……ユーリーは何故かあの像に親近感を覚えていた。
同性より少しだけのっぽ。普段は碌に慮られないのに必要な時だけ持ち上げられる。いつもジッと下ばかり見ている……などと負のイメージを重ねるのは罰当たりだろうか。こみ上げる笑いを抑えながら、ユーリーはいい加減帰路を走る。
彼女がもう一つ、マイナスで安らぐ要素を挙げるならば魔人像には心が無い。感情の薄い村人と異なり、あの存在はユーリーがいくら不敬な事を考えても微動だにしない。魔人像は物であるのだから当然なのだが、人型をみて心が安らぐのは後にも先にもそれを見上げているときだけだった。
いっそ私の事も守ってくれればいいのに――
不意にそのような考えが浮かび上がると彼女は即座に否定した。
神を祀る職に就いているものの、ユーリーの思考は現実的だった。メイプルが村のアレコレをお告げで解決してくれる、生き生きとした即物的な神であるのに対して魔人は沈黙を守っている。ひょっとすると魔人像は本当に木のこぶで、誰かが悪戯に彫っただけでそれに尾ひれがついて伝説の一部に加わっただけなのかもしれない――
「ふふっ……」
たとえそうだとしても、魔人像は今ユーリーの心を慰めるものとして役立っている。それだけで充分だ。そう結論付けると彼女は視線を神殿へ、一日の最後の務めを果たすべくさらに勢いをつけて道を駆けた。
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