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巫女見習いの仕事はお告げの儀以外にもあるのだが、その内容はほとんどが神の文字に対する習熟が占める。細かい祭事に関しては正式に後継者に選ばれなければ教わらないし、ツゲ自身些事に関しては禰宜と女官に丸投げする事に一切悪びれた様子が無い。
「大巫女の仕事は人々と交わり、声を聞き、神樹と繋げる事。神殿で引きこもっていては瞳が開かれぬよ」
それこそがツゲの大巫女としての方針であり、それは二人の見習いにも実行に移すようにとまなざしが物語っていた。
孫娘の立場だからか、スイセンは今日も祖母の言葉を無視して辞典を引いては神の文字の習熟に努めている。彼女が村人の前に姿を現すのは戦士たちが狩りから帰る時分で、ユーリーはその態度が熱心なのか不良なのか計りかねている。
となれば大巫女の手前、彼女の顔に泥を塗る訳にはいかない。大巫女にその孫娘、両者のプレッシャーから逃れるようにユーリーは村へと下りてゆく。
「ああ、アンタかい。今日も頼むよ」
「! はい……」
ユーリーが日中決まって訪れるのは農業階級が住まう一角にしつらえた集会場だ。そこでは朝食を終え、野良仕事に向かう人々でごった返している。
「じゃあ見習いさん、俺達出るから。ちび共のこと頼むぜ」
続々と大人たちがはけてゆくと、集会場の中央には子供たちの姿が。
「ユーリーだ!」
「見習い様だ!」
「ヨソモノだ!」
「あは、あははは……」
「「「遊ぼーーーーーー!!!」」」
十歳前後の子供たち十数人がユーリーを取り囲むと一瞬で彼女をもみくちゃにする。あちこちに引っ張られながら鬼ごっこ、おままごと、戦士ごっこなどと子供たちのやる気で頭の中が反響する。
どうしてこんな事になったんだろう……。ユーリーは子供たちの小さな体躯にされるがままになりつつも、意識を一年前に飛ばしてゆく。
「アンタが大巫女様の言っていた見習いさん? アタシたちの仕事を手伝ってくれるって?」
「はい! よろしくお願いします!」
漂流当時のユーリーはとにかく村に馴染もうとやる気をみなぎらせていた。ツゲの恩義を返すべく、自分が出来る事は一生懸命に働くこと。村人と協同すれば自他共に余所者意識が消えるはず。そう考えた彼女はまず農業階級の人々の仕事を手伝おうとしたのである。
ところが――
「はぁ……はぁ……はぁ……」
「お嬢ちゃん……体力無さすぎるよ」
「そんなへっぴり腰じゃ仕事にならないよ」
「す……すみません」
お手伝い初日、ユーリーは大男たちに囲まれながら盛大に腰を抜かしていた。
ユーリーの観察が間違いなければ、メイズの村の成人男性の背丈は平均一八〇センチを超え、体格も筋骨隆々、運動能力もユーリーの何倍も優れていた。例えば、ユーリーが早朝三〇分かけて下る散歩道を彼らは三分前後で駆けてしまう。ユーリーが一作業する間に彼らはその抜群の身体能力で一〇こなしてしまうのだ。
いくら作業の質が同じだとしても――農業は共同作業である。ユーリーのペースは彼らにとってありていに邪魔でしか無かったのだった。
こんな調子じゃ戦士階級の仕事なんて……そうだ! 野良仕事が駄目なら内職は! ユーリーは村の婦人たちと共に針仕事や炊事の手伝いなどにも奔走した事もあった。しかしながら、結果は同じ。仕事の内容の覚えが早く、質も悪くないのだが、ユーリーは彼女たちに比べて決定的にスタミナが足りない。
女たちは悩んだ。自分達よりものっぽ――ユーリーの観察では村の女性は成人しても背丈は一五〇を越えずに小柄だ――で男に近いたっぱをしているのに、腕の速さは女以下。大巫女さまの認める才能以外は使い物にならない。だからって、巫女見習いを邪険に扱うのは神罰が下りそうで……考えれば考える程に目の前の才能ある
苦肉の策が子供たちのお世話係だった。まだ子供の時分であれば、彼らの身体能力はユーリーの三倍程度に過ぎない。大人としても、まだ仕事も教えられないような遊ばせざるを得ない子供の世話を押し付けられるのであればそれに越した事は無い。
「いえー! 次はユーリーが鬼」
「まって……ごほっ……みんな……速すぎるよ……」
「ユーリーが遅いんだよ」
「そうそう。ほら! 鬼さんこちら♪」
「ま、まって……!」
そのような経緯を経て、ユーリーは今子供たちと遊んでいるのであった。
幸いな事に彼女は子供たちに好かれていた。最も、彼女にしてみれば愛玩動物や家畜の類の扱いだと自覚があるのだが……関係が悪いよりはマシだと思い、これも村のためだと雑念を捨てて動ける仕事に感謝していた。
「みんな……待って……」
「見習い様」
「!」
呼び声に彼女は足を止める。
振り向くとそこには神殿でいつも顔を合わせる農業階級の代表・サザンカの姿が。
短く刈り込まれた毛髪にそれとは対照的な無精ひげをいじりながら、彼はユーリーを見つめる。お告げの間のかがり火と異なり、燦々に輝く太陽の下ではこの地域特有の褐色を農作業でさらに赤く日焼けした彼の顔を陽気に照らす……はずなのだが、彼の思慮深さを象徴する深い黒の瞳は日の光を吸収していると思わせるほど、ユーリーの顔に狙いを定めて瞬き一つせずに見つめている。
「な……何でしょうか……」
このままでは穴が開きそうだ。ユーリーはサザンカの視線から彼の手元へと視線を逸らした。
「それは……作業具……?」
「効率的な柵の作り方をうかがいたく参りました。スコール以外の大雨は滅多に降らず、長老の記憶によると一〇年前に柵の造りが甘かったことが原因で収穫が激減したとのことですから」
「分かりました、それなら……」
ユーリーは首元にかけていた鏡を手に取った。お告げの間の祭壇に置かれた神器、それを二回り小さくした大きさのそれは彼女がツゲから預かった分鏡と呼ばれる小型の神器である。
本体が村全体の事を予言するのに対し、分鏡は神の言葉で願いを伝える事で日常様々な問題に対する神の知恵を借りることが出来る。
ユーリーは早速分鏡に対して「頑丈で、効率のいい柵の作り方」が無いか願いを口にした。
〈ブウウゥン……〉
「出ました! みんなー‼ 集まってー‼」
「なになに?」
「またヨソモノが変な事するの?」
「僕たちの出番だ!」
子供たちは勝手知った様子で騎馬を組むとユーリーを乗せた。その構図を、慣れないな、と思いながらもサザンカは畑に向かって駆け出す。そしてそれを追うように子供たちも駆ける。
ユーリーは揺られる自分の姿を滑稽に思いつつ、これが最速の移動手段だと何度も心に言い聞かせる。本来であればサザンカに背負ってもらうのが道理なのだろうが、巫女の立場で成人男性に触れる・触れさせる事は外聞が憚られる。だからといって彼女が村人と並走する事は能力的に不可能だ。だが乗る相手が子供たちであれば、遊びの延長という事にすれば大丈夫だろうと悪知恵を働かせたのである。
実際のところこの神輿ごっこは子供たちに好評で、彼らは騎乗のユーリーを揺らしたり、急ブレーキをかけたり、飛び跳ねたりして……騎馬を組んだ状態であるにも関わらず器用に彼女で遊んでいた。現場に到着する頃には自分の足で走った時と同じ程度にユーリーはぐったりとしているのだが、そこは「勤めを果たすためにスピードを重視したのだ」と己を言い聞かせる。
彼女たちが畑に到着する頃にはすでに農業階級の男たちが整列してお告げを待っていた。サザンカと同じく、褐色の肌をさらに赤黒く日焼けさせたむくつけき大男の群れを前にすると、ユーリーはどうしても気後れしてしまうが、そこは勤めであるのだからと、できるだけ手元の鏡を見ながらお告げの解説を始めてゆく。
「――以上です。よろしくお願いします」
「よし、始めるぞ」
「……」
「……」
「……」
サザンカの合図で男たちは作業を始める。土まみれの武骨な拳であるにも関わらず、男たちの作業は器用で繊細で素早い。ユーリーも自分は呑み込みが早い方だと思いつつ、あらゆる作業において彼らに敵わないのではと思うほど、小一時間もすれば柵の基礎がまだ青い作物を覆っていった。
サザンカが代表するように、農業階級の人々は寡黙ながら勤勉な人々が多い。彼らはただじっと手を動かしては、時折不明な部分を彼女に解説を求める程度の、最低限の会話だけで作業を進めてゆく。
子供たちに村中を引きずり回されるせいか、ユーリーは村の様々な噂を耳にする。例えば、サザンカは家族の前でも仕事の事、生活に関わる必要最低限の事しかしゃべらず陰でダンマリと呼ばれている、とか。
彼が極点な例ではあるものの、他の男たちにも似たような傾向がある事をユーリーは観察してきた。日常では今の子供たちのように仲間内でふざけて遊んだり、飽きて寝転んだりと感情をさらけ出して動く。
この村では夜間の明かりが松明の炎しかない。それを使えばある程度視野を確保できるのだが、広範囲の畑を照らすとなると万が一火災が引き起こされた時に取り返しがつかない事態になる。彼らは虫や不要な植物を焼く時など必要以上に火を使わない。作業は日の光が出ている時間に限ると厳格に決めていた。
そのためか、野良仕事の間彼らは一分一秒を無駄にしないよう作業に集中するため雑音というものが少ない。これが女たちの田植え仕事になると時折歌の一つが聴こえてくるのだが――
「……はぁ……」
一糸乱れることなく順調過ぎるくらいに進む作業。二時間経つ頃には柵の大枠が完成し、あと三〇分しないうちに完成を目撃できる。お告げには作業は一日がかりだとあったのだが、僅かな鉄器と石器の粗末な工具ながらも彼らはあっという間に防雨防風対策を施した柵を仕上げた。
「やっと終わったー」
「ユーリー遊ぼう!」
「仕事なんてつまんない」
「……うん」
彼女とて、子供たちの事をうるさいと思わない事は無い。しかしながら、無反応よりはマシだと思っている。
すべては神樹のお告げのおかげとは言え、村の財産を守る手助けをしたのだから一言「ありがとう」と飾り気の無い言葉でいいから欲しい。それが彼女の本音だ。
だが、大人たちは柵作りを終えると何事もなかったように野良仕事に戻る。子供たちがふざけてあかんべーと茶目っ気のある表情を向けても無反応。仮に彼女が同じことをしても彼らが反応する事は無いだろう。
大人たちに必要なのはあくまで「お告げ」で、それを解説する自分は本質では無いのかもしれない。でも、皆ツゲ様には表情を見せている――ユーリーは文字を映さなくなった鏡に自身の姿を映す。自分もまた彼らと同じ褐色の肌、黒い瞳、短く切りそろえられた黒髪を持っている。外見上、自分が分かりやすく異物では無い。
この村の人間は大人になると人形の如く無反応になり、機械のようにひたすら作業する手ごたえの無い人格が芽生えるのだろうか。それとも、それは彼らが自分だけに――余所者に見せる冷淡な一面というだけなのだろうか。
「ヨソモノ! 早く!」
「……う、うん」
同じ余所者でも感情が露わな分マシか、と自嘲しながらユーリーは子供たちに手を曳かれてゆく。少なくとも、ここには自分の事を認識してくれる小さな存在がいる。それだけを支えに今日も朗らかな喧騒の中へ混じってゆく。
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