1-2

 村人はその場所を一言で神殿と称するが、当たり前の話内部には様々な機能を果たす場所が区画ごとに分かれている。

 村のまつりごとをつかさどる祭祀階級が住む居住スペース。ユーリーはここで生活している。そして男性の神官・禰宜が働く詰め所。禰宜とこの村の実質的な支配者である大巫女おおかんなぎを補佐する巫女たちの詰め所。そして……

「それでは本日の『お告げ』の儀を始める。スイセン、そしてユーリーの二人は前へ」

「はい!」

「……はい」

 白髪の巫女の声に応えて二人の巫女見習いはゆっくりと顔を上げる。現大巫女、ツゲ。毛髪こそ総白髪であるものの、前天冠によって飾られた頭部に老いの弱さは見受けられない。彼女の瞳は神樹の言葉を余すところなく見つめるために黒々と見開かれている。

「…………チッ」

「……」

 そんな大巫女と変わらない迫力を持つ瞳がユーリーに向けて小さく舌打ちをする。

 ツゲを挟んでユーリーの隣に伏せる少女。彼女も同じく巫女見習いであり、ツゲの孫娘であるスイセンだ。

 ユーリーもまたスイセンの事を横目で見る。背中に扇状に広がる豊かな黒髪。それは世話役の巫女たちの手によって今日も見事に整い艶めいている。ユーリーと異なり巫女装束は彼女の肢体を見事に包み、神前で余計な素肌をさらけ出さない清廉さを出し、大巫女に次ぐ巫女らしさを余すことなく発揮していた。

 その瞳がユーリーに対する嫉妬を隠していない事を除けば……スイセンは間違いなくこの場にふさわしい所作を身に着けていると言えた。

 そんなふうに見つめられても……――

 スイセンの吊り上がった瞳は母娘三代、いやそれよりも長い一族特有のまなざしらしい。加齢のせいで柔らかくなったが、お告げを聞くときのツゲの瞳は肉食獣が飛びかかる予備動作の如く吊り上がる。スイセンを産んだ直後に亡くなった彼女の母親も負けず劣らずのツリ目だったらしい。

 そんな見つめるだけで射貫けるまなざしに、居心地の悪さを感じながらもユーリーは巫女見習いの務めを続ける。お告げの間、神殿で最も豪華で厳かなこの場所は神樹・メイプルと大地が交わる木のうろにしつらえてある。洞と言ってもそのスケールは神樹サイズ、供え物に村の各階級の代表が集まってもスペースは広々としている。ユーリーは再び頭を下げるとまずは大巫女越しに神樹へ一礼、そして背後に控える代表たちに向かって一礼し、再び神樹に向かって一礼――

「「!」」

 そして二人の巫女見習いは同時に一点を見上げた。

 二人の視線の先には祭壇に飾られた長方形の鏡があった。それこそがこの村の神樹・メイプルを祭る神器である「お告げの鏡」だ。

〈ブウウゥン……〉

 巫女たちの視線を受けて鏡が光り始める。表面が均一に、薄い光を浮かべると次には横書きで文字が浮かび上がって来た。

「……」

「………………ッ」

 これこそがメイズの村で行われる一大祭事、お告げの儀である。一日に二度、日の出と日の入りの時刻に行われる儀式は村のこれからを占う重要なもの。巫女が神樹からの言葉をいかに、正確に受け取ることが出来るかで村のこれからが決まる。

「さて……解けたか」

 ツゲの瞳が二人に向けて鋭く向けられる。

「……はい!」

 先に手を挙げたのはスイセンだった。彼女は視線を神器に向けたまま解読を始める。

「本日の天気は……晴れ! 今日の作業……っ、大雨に備えて畑の防……ぎょ? それから……」

「止め!」

「おばあさま‼」

 スイセンのたどたどしい解を断ち切るようにツゲの声がピシャリと響く。ユーリーに向けていたのとは対照的に、スイセンは哀願するように祖母を見上げるも――大巫女の目は彼女を見ていない。

「ユーリー、分かるな」

「……トデ――」

「ユーリー、神の言葉のままでなく、人々に分かる言葉で伝えよ」

「……」

 ユーリーは座したまま村人たちへと振り返る。彼らは神樹と巫女たちに跪きながらジッと静かにお告げの内容を待っている。村の一日を、生活そのものの決定権を握る儀式、彼らの重圧に気後れしつつ、彼女は口を開いた。

「本日の天気は晴れ。普段通り午後の雨が降る。しかし雲の塊が近づいている。雨は夜も降り続くので注意せよ。大雨で畑が崩れる恐れがあるので柵を作り、守るべし」

 ユーリーはよどみなく、神の文字でつづられたお告げを翻訳して見せた。ツゲはその様子に満足すると右手を挙げ、人々に持ち場に付くように退席を促した。

 緊張が解け、やるべきことが決まった村人たちは早速お告げを伝えるために続々と儀場を出て行く。その場に残るのは後始末を行う三人の巫女たち――

「……っ‼」

 何でまたアンタが。堰を切ったようにスイセンの表情が大きく崩れると、双眸で射殺さんとばかりにユーリーを睨みつける。

「……」

 ユーリーはツゲに助けを求めるように視線を逸らすも、大巫女はすでに淡々と後片付けを始めていた。

 これがどこの馬の骨とも分からないユーリーが巫女見習いという村の中枢に食い込む立場に立っている理由――彼女はお告げの解読能力が一頭抜きんでているのだ。

 きっかけは村で初めて目覚めた時にツゲの前天冠に刻まれた神の文字を解読した事だった。神の文字は門外不出。代々メイズの巫女の家系で伝えられてきた物で、この伝統が他の村に漏れた事も無い。加えて、ユーリーは神の言葉を用いてツゲと会話する事も出来た。本来その領域に立つには長い年月をかけての習熟が必要なのだが、ツゲが測った所ユーリーの能力はすでに大巫女と同じ、いやそれ以上の語彙を習得していると判断された。

 神樹のお告げを自然に理解できる能力。それを買われてユーリーはここにいる。なぜ自分にそのような力があるのか、彼女自身気味悪く感じているものの、後見人となってくれたツゲに、村の人々の役に立てばと朝夜お告げを翻訳してきたのだが――

「……チッ!」

「スイセン! 神前でなんと不敬な!」

 祖母の警告など耳に入れず、スイセンは板張りの床を鳴らしながら出て行った。当てつけとばかりにユーリーの側は踵で大きく鳴らす。弾けるような音と振動、何より込められた怒りに当てられ、ユーリーはその場で彼女の震える背中を見つめるので精いっぱいだった。

「……いつもあの子の怒りを一身に受けて済まないと思っている」

 ツゲは作業の手を止めてユーリーの側に腰を下ろした。そこに大巫女としての厳しい表情は無く、まなじりが下がり祖母としての表情が浮かんでいる。

「ユーリーよ、お前のせいとは言わないが、あの子は亡くなった母親の分まで血族が築き上げてきた大巫女の地位に就くことに執心している」

「……」

 ユーリーは横目でツゲの顔をみた。すでに点のようになっているスイセンの背中、そこに注がれる祖母の視線には憐れみが込められている。

「あの子は勉強熱心で、儂の同じ時分に比べると熱心に神の文字を学んでいる。その努力は確かに評価に値するが……本来巫女の仕事は血のつながりで決まるものでは無い。いかに神樹の思し召しを理解できるか。その一点に尽きる――」

「……」

 ツゲの視線がユーリーに向けられる。そこに込められているのは期待と畏怖。毎朝向けられるこの視線からユーリーはもう何度も逃れようとしていたのだが――

「ユーリーよ。お前の事は儂が全力で守る。だから、その神に愛された力を余すところなく村の者たちのために使って欲しい。

 儂はあの子の母親を救うことが出来なかった……。それはひとえに儂の神樹と繋がる力が未熟なせい……。

 だがユーリーよ! お前であればお告げを自在に読み解き、引きだすことが出来る! その力でどうか……どうか村の……あの子の力になって欲しい……」

 彼女の両肩に老婆の両手が乗せられる。懇願するその手つき、両肩に伝わる感触が日々弱くなっている事が、逆にユーリーを固く縛り付けている。

「……」

 ユーリーとしてはアイデンティティを失っている自分をここまで引き立ててくれたツゲに恩返しをしたいと思っている。

 しかしながら、彼女の期待に十全に応えるとなれば今のところ――その進路は彼女の立場、大巫女を受け継ぐことに他ならないだろう。

 ユーリーの脳裏にスイセンの顔が浮かんだ。記憶の中の彼女は全てユーリーに対して苛立ちを隠していない。

「何でまたアンタが」

 ――私にも……分からないよ……。

「……はい、ツゲ様。私は、私に出来る限りの事をします……」

 ユーリーは喉元まで出かかった本音を飲み込むと、代わりにいつも通りの返事を返した。

 大巫女を継ぐとも、継がないとも言えない曖昧な返答。大巫女には失礼を承知で、しかしながら立場の弱いユーリーには精一杯の行動。

「……ありがとう」

 それから二人は無言で儀場の片付けを行った。もう一年続けてきた作業、その気になれば大巫女の存在を無視して作業に没頭できる。

 ユーリーが考えるのは決まって一つの事。

 この能力を持った私は、一体どこから来た何者なのだろう……。

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