2章2話 シェイプストーン

 煙突から黒い煙を吐き出しながら、ゆるやかな丘陵を貫いて汽車が進む――。


 列車の揺れる音と窓から吹き込む風が心地よい。



「デイジー。気が済んだら窓を閉めてくれ。煤が入ってくる」


 読書中のルーセントが、ちらりと窓の方を見て眉間にシワをよせた。


「あ、ごめん。汽車に乗るのが久しぶりで、つい……」


 最後に乗ったのはセントラルの孤児院に入る時だろうか。

 デイジーが幼かった頃の記憶は、あまり覚えていない。


 外の景色をひとしきり堪能したデイジーは、窓枠についてしまった黒い煤の粒を、手のひらでさっと外に払い、ガラスの窓を押し下げた。


 ルーセントの古馴染みである姉妹から依頼を受け、二人は列車に乗ってシェイプストーンに向かっていた。


 依頼された色を調合するためには、ルーセントの師匠・セーブルにレシピを教えてもらう必要があるという。


 セーブルが隠居しているシェイプストーンという町は、デイジーたちが暮らすヒルベリーからそう遠くない。順調に行けば夕方には工房に戻れそうだ。


 しかしなぜ列車なのだろう。

 デイジーはここまでの道中、聞けなかった質問をしてみることにした。


「あのさ、セーブルさんの家まで裏口の扉で飛んでいけないの?いつも仕入れの時は扉使っているのに」


 向かい合いの席に座るルーセントは、本に視線を落としたまま小さく首を振った。


「今はもう出来ない。あの扉でどこかへ飛ぶには、まず目的地と工房の扉とを【結ぶ】必要がある。目的地との物理的な距離にもよるが……。扉をしばらく使わないでいると、土地との【結び】が切れて扉が開かなくなる」


 人が通わなくなってしまった道は、やがて草木に覆われて見えなくなってしまう。

 それと似たような感じで、土地と扉とを結んだ道が薄れてしまうという。


「そっか。どこにでも自由に行ける訳じゃないんだね」


 言われてみると今まで何回か裏口で飛んだ場所は、すべて定期的に訪れる場所ばかりだった。


「そうだ。師匠の所にしばらく行っていなかったからな……。シェイプストーンへの扉は開かなくなっていた」


 依頼主のライラたち姉妹が暮らす町との【結び】も、行き来しないうちに消えてしまったという。

 ライラも工房の所在地を探しあてるのに苦労したと言っていた。



 工房の緑の扉、あれがセントラルと繋がっていて本当に良かった。

 デイジーはそう改めて思った。



 あの雨の日、ルーセントに拾われなければ今でもセントラルの路地裏に独りでいたはずだ――。



「……」


 急に静かになったデイジーを訝しんで、ルーセントが読みかけの本から顔を上げた。灰色の瞳は今日の空と同じ色をしている。


「どうかしたか?」


「ううん、なんでもない!あの青い花ってセーブルさんが作ったんだね」


 塗り直しを依頼されたヒナゲシに似た青い花。

 花は摘みたてのように瑞々しいけれど、決して枯れないように絵の具で力を与えられていた。


「ああ。あれは師匠があの姉妹のために、お守り代わりに作ったものだ。まぁその時いろいろと忙しくてな、師匠から詳しい調合の仕方を聞きそびれてしまった」


 そこで急遽、シェイプストーンに向かうことになったのだった。


「でも、レシピを教えてもらうだけなら、手紙とかで良かったんじゃないの?」


 そうだな、と小さくため息をつきながら本を閉じたルーセントは、車窓から見える景色に目を移した。


「それとは別に必要なものがあるから、直接師匠を訪ねることにした」


 遠くを見つめるルーセントの瞳に、わずかに迷いの色が浮ぶのを、この時のデイジーは気づいていなかった。



 ◇◇◇



 シェイプストーンは北方の海と山に囲まれた町だ。


 古くから鉱物の採掘が盛んで、町を囲むようにそびえるキリア山からは、工芸品に使われる石がたくさん採れるという。

 そんな石の町に着いた二人は、ところどころ岩肌がむき出しになった荒々しい山を眺めながら、麓にあるというセーブルの家を目指して歩く。


 ヒルベリーの町よりずっと小さなこの町は、道行く人もまばらだ。まだ日が高いので、鉱夫たちは山に入っているのだろうとルーセントが言う。


 そのまま道なりに町の中心地から離れると、急な勾配の坂道が増えてきた。

 平地に慣れている二人には厳しい道のりが続く。

 会話する余裕もないので無言でしばらく歩き続けた。


 ようやく見えた山の麓は、黒々とした針葉樹の森になっていた。

 その森を背後に背負って、セーブルの暮らす家がぽつんと建っている。


「……ここだな」


 息を荒くしながら、ルーセントはいつになく深く眉間にシワをよせる。


「ルーセント、大丈夫……?」


 歩き慣れないものの、もともと体力には自信があるデイジーは、足を止めてルーセントの息が整うのを待った。


「余計な……お世話だ」


 そう言いながらも、結構息が上がっている。

 ここ最近、仕事にかまけて工房にこもりがちだったルーセントには、もう少し運動をさせた方がいいかもしれない。


「セーブルさんはここに一人で住んでるの?」


「……ああ。早くに奥方を亡くした師匠は、私が工房の主人を引き継ぐと、すぐにこの町に隠居を決めた。あの家はもともと師匠の別荘で、夏に奥方とよく来ていたらしい」


「そうなんだ……。ちゃんとお家に居るかな?」


「事前に【鳥】を飛ばしておいたから、本人に連絡はついているはずだ」


 ルーセントの言う【鳥】とは、蔓でできた鳥型の魔道具だ。


 銀のゼンマイを巻いて使用する。

 ゼンマイが回っている間しか飛べないので、飛距離は長くないけれど手紙を送りたい相手の元まで飛んでいってくれる。

 使う度に魔力を含んだ水を飲ませないといけないが、重宝する道具らしい。


「工房を発つ時に飛ばしたから、手紙はだいぶ前にこちらに到着しているはずだ」


 そう言ってルーセントは家の入口に立つ。扉のドアノッカーに手を伸ばそうとした時、突然扉が内側から開いた。


「!」


 驚いて二人が動きを止めていると、髭が豊かな白髪の老人がにゅっと顔を出した。

 緑の石がはめられたループタイには、ルーセントのピンと同じ蛙の意匠が彫られている。


「よく来たなルーセント。それから、初めましてお嬢さん。とにかく中へどうぞ。ちょうどお茶の時間だ、一杯振る舞おう」


 そう言って先代店主のセーブルは、空いている方の手で室内へ入るようにうながす。

 デイジーたちを交互に見て、セーブルは白い髭を揺らしながら微笑んだ。


「……!美味しい。これって……」


 案内された部屋の中。

 セーブルの淹れてくれたお茶は、驚くほどルーセントのものとそっくりだった。


 デイジーが驚いていると、正面に座っているセーブルと目が合った。老人はいたずらっぽく片目をつぶる。


「工房で淹れるものと同じ味がするだろう?同じ茶葉を使っているんだ。それにルーセントに淹れ方を教えたのは僕だからね」


 心なしか部屋の内装も工房のものとよく似ている。

 ダークブラウンに統一された木製の家具、壁紙の色、長い月日を工房で過ごしたセーブルにはこの方が落ち着くのかもしれない。

 工房と少し違うのは、部屋のあちこちに飾られた不思議な模様の入った石の置物だ。交流しているこの町の住人が、趣味で作ったものらしい。心なしかデイジーの持つ笛の模様に似ていた。


 セーブルのお茶を一口飲んだルーセントは、ゆっくり味わうように嚥下してから、そっとカップを置いた。

 デイジーに目配せしてきたので、すかさず鞄から小さな包みを取り出してセーブルに渡す。


「突然訪ねてすみません。これはルフナさんから預かってきた軟膏です。関節痛に効くらしいですよ」


「おお、彼女の薬なら間違いないだろう。ありがたく使わせてもらうよ。よくよくお礼を言っておいてくれ。ライラたちは元気だったかい?」


 二人同時に頷き、ルーセントが話を引き継ぐ。


「ええ、妹のミーナも今は健康そのものでした」


「それは良かった。あの花を作った後、しばらくして仕入先が変わってしまってね。そのせいで扉の結びが切れてしまった……。彼女たちがどうなったのか気になっていたんだよ」


 元気なら良かったよと、セーブルは懐かしそうに目を細めた。


「まさか、自力で工房を探してやってくるとは思いませんでしたが……」


「そういう口ぶりは昔から何ら変わらないな」


 ルーセントの少しトゲのある言い回しに、セーブルは声を上げて笑った。

 デイジーもつられて笑ったところ、ルーセントにじろりと睨まれたので、すぐさま口をつぐむ。


 そのやりとり微笑んで見守っていたセーブルは、懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、ルーセントの前にゆっくりと差し出した。


 デイジーの座る位置からは少々見づらいが、箇条書きでいくつかの鉱物の名前が書き付けてある。


「あの青いヒナゲシの作り方だ。手順通りにやれば、褪せた色を塗り直せるだろう」


「……ありがとうございます。師匠」


 しかし、セーブルは羊皮紙にのせた指を離そうとはしなかった。

 デイジーが困惑していると、セーブルは柔和な笑みを浮かべたまま、低い声でルーセントに尋ねる。


「この程度のことならわざわざここに来なくても済む話だね。……僕のおバカな弟子は一体何を隠しているんだい?」


 穏やかだった室内がしんと静まる。


 やがて、ルーセントは覚悟を決めたように長い息を吐くと、真っ直ぐにセーブルを見た。


「申し訳ありません師匠。私は理を破りました。……反動で目を患い、大事な絵筆も失いました」

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