1章6話 助手

 絶妙な登場の仕方をしたクロフトが修繕を快諾してくれたので、シルヴィアとエドワードには一度屋敷に引き上げてもらった。

 明日修繕したものを屋敷に届けることになっている。


 幸い必要なものは工房の在庫でまかなえた。クロフトには階下のバックヤードを使ってもらい、デイジーたちは2階の作業場で、クロフトに依頼された絵の具を作っている。

 小さな窓から見える空の色は、茜色から藍色に急速に変わろうとしていた。


 デイジーは今日入手したいくつかの金属の粉をそれぞれふるいにかけ、ルーセントに言われた分量と寸分違わないよう慎重に重さを量る。


 体に毒となる物質もあるので、二人ともしっかりと目や口を保護している。手袋も装着済みだ。


「計量終わったよ」


 白い小さな皿に粉末を入れ、ルーセントの前に並べていく。

 ふと、作業台に置かれた小さな水差しに目を留めた。デイジーにはシナンの光が密集しているのが見える。


「この水、魔力が凝縮してる……」


「それは井戸の水を蒸留して魔力を濃縮したものだ。顔料にその水を適量混ぜる」


「へぇ、なんだか実験みたいだね」


 デイジーは使い終わった器具を片付けながらつぶやいた。ルーセントは手元に集中しながら説明する。


「細工師の多くは大昔に錬金術師から派生したものだ。魔術と化学の中間にいる存在だな。水に含まれる魔力を直接使うことはできないし、道具を介さなければ誰も魔力を使えない……。いずれ、機械が普及したら淘汰されるだろうな」


 それは少し淋しいな、とデイジーは思う。今日一日ヒルベリーを歩きまわって、この古い町と細工師たちがだんだん好きになってきていた。


 デイジーが物思いに耽っていると、ルーセントがぴたりと作業の手を止めた。

 

ぼんやりしていたのを怒られるのかと少し身構えたが、ルーセントの様子がおかしい。

 ゴーグルから覗く灰色の瞳がわずかに揺れている。


「ルーセント。大丈夫?」


「ああ。……デイジー、この瓶の中のシナンが見えるか?」


「うん。見えてるよ」


 今更確認することでもないのに、と不思議に思いつつデイジーは応えた。


「魔力と顔料が適切な分量で混ざりあうと全体が淡く輝くんだ。それを見逃さないでくれ」


 デイジーが大きく頷くと、ルーセントは軽く息をつき、口の端だけで笑った。


「すまないな。本来は普通の人間にも見えるものなんだが……。私の目は少しずつ色が見えにくくなっている」


「え?」


 思わずデイジーが見上げると、そこにはどこか諦めた表情のルーセントがいた。



 ◇◇◇



 理を超えた魔力を使ってはいけない。



 それが雨の国に生きる細工師の決まりだという。強すぎる力は自身の身に跳ね返る。


 ルーセントは過去に一度、その規則を破ってしまった。それ以来、少しずつ色が見えなくなってきているという。



 作業を終え、換気のために開けた窓からは涼しい夜風が吹いてくる。


 完成した絵の具を作業台に置いて、二人は窓辺の椅子に向かい合って座っていた。自ら淹れたお茶をゆっくりと啜りルーセントが口を開く。


「調色は正しい知識と正確な分量で調合すれば、ほぼ失敗はしない。微調整は長年蓄積した感覚を頼りに今までやってきた。しかし、いずれ見るもの全てが白黒の世界になる日がくる」


 ルーセントはカップの白い湯気を見つめながら、なんでもない事のように言う。何かしらの代償を支払うことは覚悟していたと。


 なぜそんな事をしたのか、どんな事をしたらそんな風になるのか、ルーセントは教えてくれなかった。

 それよりも、ルーセントの冷静な言葉がデイジーには切なかった。


「なにか治す方法はないの?ほら、ルフナさんの薬とか」


「ない。これは呪いのようなものだ。別に失明するわけではないから心配ない」


「でも……」


 かける言葉がうまく見つからないまま、デイジーは食い下がった。

 ルーセントは小さい子供をなだめるように、大きな手でデイジーの麦わら頭を軽く撫でる。


「余計な話をしてしまったな。クロフトの様子を見てきてくれるか?絵の具ができたと伝えてくれ」


「わかった」


 はぐらかされた、とデイジーは思った。頭を撫でられて嬉しいはずなのに、少し悔しく感じる。

 作業場の扉を静かに閉め、階段の手前で立ち止まっていると、あたたかくてふわふわしたものがデイジーの足元を撫でた。


「オニキスか。そうだね、クロフトのところに行こう」


 言葉がわかるのか、猫のオニキスはふんと鼻を鳴らすと、茶色のしっぽを振りながらさっさと階段を降りていく。

 デイジーは気持ちを切り替えて後に続いた。


 バックヤードでは、クロフトが柄にキレイな彫りの入った筆を持ち、真剣な眼差しでブローチを修繕していた。

 普段の軽薄な態度とは別人のように見える。


 デイジーはクロフトの作業が落ち着くのを見計らって声をかけた。


「……そっか。デイジーも知っちゃったんだね。ルーセントの目のこと。僕も最初は知らなかったんだ」


 沈んだ顔をしていたのをクロフトに真っ先に指摘され、デイジーは先程の出来事をクロフトに話した。


「先生も水くさいよなぁ。僕が違和感に気づくまで、絶対に自分から教えてはくれなかったんだ。僕が工房を出てからの出来事みたいだから、何があったか詳しい事は知らないけど」


「目のこと、他に知っている人いるの?」


「隣人のルフナさんくらいかな。先生自分のことは全然話さないからね。デイジーには自分から言ってくれたんだろう。それって、少し気を許しているってことじゃないの?」


「そうなのかな?わたしが何もできない子供だから、油断したのかも……」


「あははっ。デイジーは素直だから、つい本音が出ちゃったんじゃないかな?いずれにせよ、僕たち大人には出来ないことだよ。ちょっと羨ましいな」


 修繕用の筆を置いたクロフトが伸びをしながら顔を上げた。

 デイジーとデイジーが膝に抱えているオニキスを交互に見比べる。


 すると突然、ぷっとクロフトが小さく吹き出した。何だろうとデイジーが眉をひそめていると、クロフトが笑顔で言う。


「デイジーの目って、オニキスにそっくりだね。そうやって並んでいると姉妹みたいだよ。いや母娘かな。だから先生も気を許したのかもね」


「それはちょっと、素直に喜べないんですけど……」


 オニキスも不服だったのか、デイジーの腕をするりと抜けてどこかに行ってしまった。


「ありゃ、怒らせちゃったかな。半分冗談だったんだけど。とにかく、困ったことがあったら僕もできる限り力になるよ。約束する。僕はきみの兄弟子でもあるしね」


「わたしは弟子じゃないけど。でも、ありがとうクロフト。頼りにする」


 デイジーがそう言うと、クロフトは嬉しそうにデイジーの肩をばんばんと叩いた。


 修繕したブローチは、高温で焼けばガラス質を含んだ絵の具が定着し完成するという。


 焼き上がりを待つ間に三人で夕食をとった。クロフトは帰るのが面倒だからとそのまま工房に泊まるらしい。

 きっと二人を心配してくれたのだろう。自分の仕事もあるはずなのに、デイジーは内心クロフトに感謝した。




「完璧に修復というわけにはいかなかったけど、ほとんど元通りだよ」


 翌日、デイジーたちと共にシルヴィアの屋敷を訪れたクロフトは、修繕したブローチを自ら手渡した。


「すごいわ……。ヒビが見事に蔦模様で隠されてる!」


 クロフトはもともと描かれていた花の絵を活かして、ヒビを継いだ部分に蔦を描き込んだ。蔦に囲まれて花の絵が引き立つ。

 修繕したブローチを見て、ルーセントも関心しているようだった。


「喜んでもらえてよかった。あと、ちょっと面白い仕掛けをしてみたんだけど」


 クロフトに言われたとおりに、シルヴィアがブローチにそっと息を吹きかけた。

 すると、描かれていた花々の色が一斉に別の色に変わっていく。


 まるで風にそよぐ花畑のようだ。


「本来の細工は再現できなかったから、すこし変えてみた。どうかな?」


「……ありがとう!とても素敵だわ。いろんな色の花が咲いてた、おばあさまの温室みたい……」


 花の色の変化を目にしたシルヴィアは、笑顔のまま瞳から大粒の雫をぽろぽろとこぼした。慌てて後ろを向き、皆に見えないようにして目元をぬぐっている。


「クロフトってすごいね。こんなことできるなんて」


 デイジーがそう言うと、クロフトは照れ笑いしながら肩をすくめる。


「僕は少し絵を描き足しただけ。ほとんど先生の絵の具の力だよ」


 当のルーセントは無言で首を振っていたが、灰色の目はどこか嬉しそうに見えた。



 ◇◇◇



「ねぇデイジー、今度は仕事じゃなくて家に遊びにきて」


 同年代の友達を作る機会がなかったからなのか、デイジーはシルヴィアのお気に入りになったらしい。別れ際に固い握手を交わし、エヴァンズ家の屋敷を後にする。


 クロフトはデイジーたちが協力して作った絵の具を手にし、上機嫌で自宅へと帰っていった。大急ぎで新作に取り掛かると息巻く。


 気がつけば、帰り道はデイジーとルーセントの二人きりだった。小さな水路が並走する並木道を無言で歩くと、ちろちろと流れる水の音と、小鳥の鳴き声しか聞こえない。


「なんか、一気に静かになったね」


「昨日が賑やかすぎたんだ。これでやっと落ち着ける……」


 長い溜息をつくルーセントを見上げながら、デイジーは足を止めた。

 やや遅れて、デイジーがいない事に気がついたルーセントが、ゆっくり後ろを振り返る。


「どうした?」


 大きく深呼吸をしてから、デイジーは意を決してルーセントに告げた。


「わたし決めた。あなたの助手になります」


「何を言い出すかと思えば……。突然何だ」


「昨日の夜からずっと考えてたの。セントラルでは、自分の力を悪いことにしか使えてなかった……。だけど、ここに来てからは、ちゃんと人のために使えてる気がする。何より、わたしはルーセントの力になりたい。だから居候じゃなくて、ルーセントの助手にしてください!」


 デイジーは気持ちが伝わるように、強い意志でルーセントを見つめた。


 しばらく、じりじりとした睨み合いが続く。端から見れば奇妙な親子喧嘩に見えるかもしれない。


 やがて、ルーセントは根負けしたように長い溜息をついた。眉間のシワのおまけ付きだ。


「……まずはお茶の淹れ方からだ。それが工房での決まりだからな」


 そう言って、ルーセントは困ったように少しだけ笑った。


 明日から、きっと世界が少し変わって見えるだろう。デイジーはそう確信した。



〈2章へつづく〉

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