1章5話 シナンの光

 デイジーにとって、シナンは目を凝らすと色がついて見える。


 ルーセントの作った絵の具、お店に並ぶ工芸品、通りを行く人が持つ魔道具。どれもデイジーの目には少しずつシナンの輝きが違って見えた。


 香水の匂いを嗅ぎ分けるように、デイジーは空中にわずかに漂うシナンを見分けてシルヴィアの痕跡をたどる。


「だめだ。どんどん薄くなる」


 古い町は区画整理がされていない場所が多く、道が複雑に入り組んでいる。

 

 素直にシルヴィアの通った跡をたどっているだけでは、追いつく前にシナンが風に流され、痕跡が消えてしまいそうだった。


 そこでデイジーは壁のわずかな凹凸を足がかりにして、ひらりと塀の上に飛びあがった。

 密集した家々の屋根伝いに移動し、水路を飛び越え、大胆に近道をする。


 身軽に町中を駆けながらデイジーはセントラルでの暮らしを思い出した。



 セントラルでこんな風に走っているときは、たいてい誰かに追われていた。相手は悪い大人の時もあったし、警官たちの日もあった。


 母が居なくなってから預けられた孤児院。あそこでずっとおとなしく暮らしていたら、そんな目には遭わなかったかもしれない。


「うーん、どっちみち無理だったかな」


 子供の方が第六感的なものが優れているのだろうか、異物に対して敏感だった。


 施設の子供たちはデイジーの目を不気味がって遠巻きにした。

 その噂が広まり、まったく引き取り手の現れないデイジーは、大人たちからも厄介者扱いされた。


 やがて成長したデイジーは孤児院を飛び出し、セントラルの街中で野良猫のように暮らしていた――。




 苦い記憶を思い返しているうちに、シナンの残した光の筋がだいぶはっきりしてきた。   


 シルヴィアは近くにいる。


 風よけのために並んだ木立を抜け、水路に沿う側道に出た。デイジーは足を止めて遠くに目を凝らす。


 この水路は湧き水が流れているものらしい。その水路の始点である湧き水の池のほとりに、目立つ色の髪が風になびいているのが見える。


「……よかった、見つけた!」


 シナンを見続けるのは、かなり体力を消耗する。

 力尽きる前にシルヴィアを見つけられてよかった。大きく息を吸って呼吸を整えると、デイジーはゆっくりと池に向かって歩き出した。



 ***



「それで。なんでデイジーはずぶ濡れなのかしら?」


 腰に手を当てたルフナが、満面の笑みで問いかけてくる。目だけはまったく笑っていない。


 【裏口】の扉がある工房のバックヤード。


 そこでデイジー達はルフナとルーセント、そしてエヴァンズ家の使用人・エドワード、大人三人に囲まれていた。


 エドワードの足はルフナが処置したようで、もうすっかり回復している。


 ほっと息をついたデイジーだったが、ルフナの恐ろしい笑顔に姿勢を正す。

 彼女の背後に立っているルーセントは、頭痛でもこらえるかのように手のひらで額を押さえていた。


「これは、その。ちょっと池に飛び込みまして……」


「ええ?!」


 エドワードが大げさに驚く傍らで、ルフナとルーセントは揃って溜息をついた。

 デイジーは思わず頭からかぶった毛布の中で小さくなる。


「デイジーはあたしを助けてくれただけよ」


 隣に座っていたシルヴィアが椅子から立ち上がる。何か言おうとするエドワードを手で制して事の次第を話しはじめた。



「最初から話すわね……」


 小さく深呼吸してからシルヴィアが口を開く。


「今日はおばあさまの温室が取り壊される日だったの……」


 両親に厳しく育てられたシルヴィアは、温厚な祖母をとても慕っていたそうだ。

 祖母のお気に入りの温室で、二人で花を見ながらおしゃべりするのがシルヴィアは大好きだった。


 その祖母が3ヶ月前に亡くなった。


 祖母は自分の体を蝕んでいく病に早々に気づいていたらしい。

 育てた花々は知人たちに譲り、温室の取り壊しも生前からすでに準備していたそうだ。

 シルヴィアの両親は仕事で家を空けることが多く、余計な負担をかけたくなかったのだろう。


「ずっと前に、あたしはおばあさまの一番の宝物をもらったの。今思うとあの時にはもう、自分の病気のこと知っていたのかもね」


 シルヴィアは小さな手でその宝物を大事そうに握りしめる。

 祖母の宝物は、若い時に祖父から貰ったブローチだという。


「一番の宝物をもらっても、やっぱり思い出の場所が無くなるのはさびしくて。壊れていくのを見たくなくて、思わず屋敷を飛び出しちゃった」


「まぁ、すぐにエドたちに見つかったけど。皆に謝らなくちゃ」


 エドワードの代わりに、デイジーはシナンをたどってシルヴィアを追いかけた。

 湧水の池のほとりでシルヴィアを見つけ、エドワードの元へ戻るよう彼女を説得した。


「見知らぬ女の子に話しかけられてびっくりしたけど、デイジーと話しているうちに気持ちが落ち着いたわ。誰かに話を聞いてほしかったのかな。それで、二人で工房に戻ろうとしたら……」


 不運にも急な強風が吹いた。


 風にあおられたシルヴィアは、体勢を崩した折に大切なブローチを池に落としてしまった。


 池の水は湧水なので澄んでいる。しかし、水深が深く水底は光が届かなくて暗い。


「あたしが呆然と沈んでいくブローチを見ている間に、デイジーはもう水に飛び込んでた」


 悩むまもなく体が勝手に動いていた。

 デイジーは凍えるような湧き水の冷たさの中、必死に水をかきわけ水底に沈んだブローチを回収したのだった。


「宝物を見つけてくれて本当ありがとう。デイジーには感謝しかないわ」


「ううん」


 少し照れながらデイジーは首を振る。暗い水底でシナンの光を頼りにしたことはシルヴィアには内緒だ。



 あの水の中で、デイジーは古い記憶を見た気がした。



 急に冷たい水に飛び込んで、白昼夢でも見たのだろうか。

 目が覚める直前に見る夢のように、今はもう霞がかってはっきりとは思い出せない――



「もう、昨日からデイジーには驚かされてばかりよ」


 シルヴィアから一通り話を聞いたルフナは、眉を下げながら肩をすくめた。


「……まったくだ。デイジー、君はもう少し考えてから行動しなさい」


「う、反省してます……」


 ルーセントの忠告に、デイジーはぐうの音も出ない。


「とにかく、皆様が無事で良かったです。僕の足もルフナさんに治してもらいましたし。これで一件落着ですね」


 エドワードが場をとりなすように明るく励ましてくれた。しかしシルヴィアの表情は浮かない。エドワードは不思議そうに首をかしげた。


「それがね……」


 デイジーが目線で合図すると、シルヴィアが大事に握りしめていた手のひらを開いて、ブローチを皆に見せた。


 色とりどりの花が絵付けされた陶器の周りを、金色の繊細な装飾が囲んでいる。


 古いけれど見事な細工品だ。デイジーの目にはそのブローチからきらきらとシナンが溢れているのが見えた。


 ただし、残念なことにその光はどんどん弱くなっている。

 ブローチの陶器の部分には稲妻のように大きなヒビが入ってしまっていた。


「きっと、池に落とした時に岩にぶつけたのね。打ちどころが悪かったみたい。かなり古いものだったし……」


 しょんぼり肩を落としたシルヴィアは、悲しげな目でブローチを見つめた。

 デイジーはシルヴィアからそっとブローチを受け取ると、ルーセントの前に差し出す。


「ねぇ、ルーセント。なんとかこのブローチ直せないかな?」


 ルーセントは胸のポケットからルーペを取り出し、ブローチについた傷を慎重に確認する。


 検分が終わり、ルーセントは渋い表情で口を開いた。


「修繕することは可能だ」


「本当!?良かったね、シルヴィア」


「良かったですね。シルヴィアさん」


 エドワードも自分のことのように喜んでいる。少々頼りない印象だけど、主人思いの優しい人だ。


 しかし、とルーセントが静かにシルヴィアに告げる。


「私には無理だ。私は絵を描くことができない」


「そんな」


 シルヴィアは残念そうにぽつりと呟いた。

 ルーセントはいつもどおりの無愛想な表情だったが、デイジーにはなぜか少し悲しそうに見えた気がした。


 希望が見えたと思ったのに、ルーセントの思わぬ一言で、一瞬部屋の中に沈黙が降りる。


 その時、【裏口】の緑の扉が勢いよく開いた。


「実に面白そうな話をしているじゃないか。その仕事、僕に任せてくれないか」


 いつの間に工房に来ていたのだろう。

 密かに盗み聞きをしていたクロフトが、得意満面の笑顔で扉の前に立っていた。

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