1章4話 シルヴィア

 *** 


 シルヴィアの生家であるエヴァンズ家は、ヒルベリーの中でも特に古い家系だ。


 その由緒ある一族の一人娘として育った彼女は、幼い頃から両親に厳しく育てられた。

 いずれこの家を背負っていかなければならないからだ。


 同じ年頃の子供たちのはしゃぐ声が、窓の外から聞こえてくる。

 シルヴィアはそれを横目に、ガヴァネスの個人授業に集中した。


 今でこそ、おとなしく勉強に励んでいるシルヴィアだが、少し前までは頻繁に授業を抜け出す子供だった。


 遡ること3年前、シルヴィアがガヴァネスから教育を受けるようになったばかりの頃のこと。 


 勉強漬けの日々に嫌気が差すと、よく祖母の小さな温室に逃げ込んでいた。


 祖母が趣味で作らせた温室は、ドーム状になったガラスの小屋で、冬でもたっぷり陽の光が差し込んで暖かい。

 シルヴィアがドアを開けると、太陽にあたためられた空気とともに、季節の花の香りがふわっと広がった。

 

 花を眺めるために設えたベンチで居眠りするのが、シルヴィアはお気に入りだった。


「おやおや、また抜け出して来たの?」


 花の手入れにやって来た祖母は、片眉だけ器用に持ち上げて、いたずらっぽく笑う。


「だって、勉強つまんないんだもん……」


「ふふふ。じゃあ少しだけ、おばあちゃんとお花を眺めましょうか」


 あれほど勉強は嫌いだったのに、祖母が教えてくれる花の名前は、不思議とすらすら頭に入った。


「お友達と遊べなくて寂しいわね……。でもねシルヴィア。お父さんもお母さんも、将来あなたが大変な思いをしないように準備をしているの。だからあまり嫌わないであげてね」


 シルヴィアが祖母の膝でうとうとしていると、骨ばった細い指で白金色の髪を撫でてくれた。


「うーん……わかった」


 普段は負けず嫌いなシルヴィアも、祖母が言うことには素直にうなずいてしまう。

 その様子に祖母はやさしく微笑んだ。


「シルヴィアがいい子だから、おばあちゃんの大事な物をあげるわ。どうか大切にしてね」


 そう言って、祖母はシルヴィアの小さな手のひらに、彼女の宝物をそっと載せた――



 ***


 昼下がり、早めに店を閉めたルーセントとデイジーはヒルベリーの町へ出た。


 レンガを敷き詰めた道の両脇には様々な店が並ぶ。職人たちの暮らす町らしく、工芸品やその材料を売る店も多い。


 セントラルとは全く違う町並みに、デイジーは興味を引かれた。右へ左へと目移りしているうちに、目が回ってしまい軽くこめかみを揉む。


 その様子をルーセントが呆れた表情で眺めていた。


「そういえば、この町って水路と井戸が多いね」


 人通りの多い目抜き通り等に水路はないが、一本脇道に入れば網目のように大小さまざまな水路があり、澄んだ水があちこちで流れている。建物の裏に井戸がある家も多い。


「この辺りは水源が豊かだ。昔から細工師が多く住む土地柄、ヒルベリーでは魔道具用の水と生活用水を分けて使っている」


「へぇ……。あ、たしかに工房の裏にも井戸があったね」


「あの井戸水を蒸留して顔料作りに使う。普段使う水には魔力がほとんど含まれていないからな」


「そっか。結構手間がかかるんだね」


 雨の国は北部と西部の降水量が多い。


 西端に位置するヒルベリーの町は、北の霊峰から流れてくる魔力を含む地下水脈と、近くの山々がもたらす清涼な川に挟まれ、とても水に恵まれた地形らしい。


 ルーセントからヒルベリーの事を色々と聞きながら町はずれまで歩く。


 賑やかだった町並みは徐々に建物の数が減り、その代わりに木立が増えていく。軽く飛び越せそうな川幅だった小川は、向こう岸がずいぶんと遠くなった。


 やがて、川のほとりに大きな水車の回る赤茶色の建物が見えてきた。

 建物に隣接した高い塔のようなものは、先端から黒い煙を吐いている。


「あれって、煙突?」


「高炉だ。水力を利用した製鉄所がある」


「絵の具って金属も使うの?」


 デイジーの問いかけにルーセントは小さく頷く。


 この建物は製鉄所を併設した鉱物屋らしい。二人はそこで顔料の素になる金属の粉末をいくつか仕入れた。


「急な依頼ですまなかった」


 会計を済ませ、品物を受け取りながらルーセントが礼を言う。

 熊みたいな体格で髭面の主人は大きく首を横に振った。


「気にすんな。それより、その子はルーセントさんの娘かい?」


 がははと笑いながら髭男は軽口を叩く。ルーセントは渋面で軽く咳払いをした。


「……親戚からしばらく預かっている子だ」


 実は道中に立ち寄った店の人々にも、同じような反応をされた。


 常に一人で行動するルーセントが、子供を連れているのがよほど意外らしい。


「よかったじゃねぇか。いつも人手不足で困ってただろ?嬢ちゃん、この男はすぐ無理すっからよ。色々助けてやってくれ」


「はいっ」


 元気よくデイジーが返事をすると、髭男は満足そうにうなずく。


「へぇ、素直で良い子じゃねぇか。あんたとは大違いだな」


「まったく……余計なお世話だ」


 ルーセントが少しふてくされたように言うと、髭男はふたたび豪快に笑った。


 必要な材料の仕入れが終わり、二人は工房へと戻ることにした。


 あまりのんびりしていると、絵の具の完成前に依頼主のクロフトが工房に来てしまうかもしれない。二人とも足早に先を急ぐ。


 ◇◇◇


 再び賑やかな町の中心地に出ると、ちょうど買い出しの時間帯だったようだ。


 精肉店などが並ぶ通りでは、女性たちが小鳥のようにお喋りを交わしながら、今夜の夕食の材料を買い求めている。


 人ごみをぐねぐねと避けながら歩くと、遠くから誰かを呼ぶ男の声が聞こえてきた。


「ちょっと待ってください!止まって!!」


 なにか白くて小さいものが、こちらにやってくる。白金色の髪を二つ結びにした少女が、人垣を縫うようにして通りを走っていた。


 決して速くはないが、小さい体を活かして通行人の隙間を難なくくぐり抜ける。


 周囲の人が何事かとざわめいているうちに、少女はデイジー達の前をぱたぱたと走り去っていった。


「シナンの光だ……」


 その少女が手にしているものに、魔力があるのをデイジーは見逃さなかった。


 シナンに気を取られているうちに、背後から足音が近づいているのに気がつくのが遅れた。

 少女を追ってきた男が、デイジーの目の前で石畳の凹凸に躓く。デイジーも見事に巻き込まれた。


「うわっ!」


 勢いを殺しきれず男が地面にすっ転ぶ。デイジーは一瞬反応が遅れたものの、男の下敷きにならないように、前転しながら体勢を立て直す。


「……何をしているんだ」

 

 ルーセントが呆れつつ、デイジーに怪我がないかを確認する。咄嗟に受け身を取ったデイジーは無傷だ。


「ごめん。あの子に気を取られて、気づくのが遅れた」


「あの少女はシルヴィア・エヴァンズだ。ならばこの男はエヴァンズ家に仕えている人だろう」


 倒れた男を助け起こしたあと、額に手のひらを当てたルーセントが溜息をつく。

 ひょろりとした男は、制服のようなものを着ており、確かに大きな屋敷の使用人で間違いなさそうだ。


「あの……。大丈夫ですか?」


「いえ、こちらこそ。ぶつかってしまって申し訳ないです。主人のシルヴィアさんが屋敷を出ていくのを見かけて、仲間と手分けして探していたのです。敷地の外にあまり出ないので、道に迷ってないと良いのですが……」


 早く見つけないと、と言いながら一歩足を踏み出した男が顔をしかめる。


「っ。少し足をひねったかもしれません」


「ええっ」


 転んだときに足首を痛めてしまったようだ。

 彼の言うとおり、早くシルヴィアを探さないと迷子になるかもしれない。お嬢様ならば、不届き者に金目的で誘拐でもされる可能性だってある。


 デイジーは勢いよくルーセントを見上げた。


「ルーセントはその人と工房で待ってて!」


「待ちなさいデイジー」


 ルーセントの声を無視してデイジーは走り出す。


「大丈夫。必ずシルヴィアを見つけてくるから!」


 シルヴィアが走り去る時、デイジーは彼女が手に何かを握りしめているのを見た。魔力を放つ何かを。


 その証拠にシルヴィアが通った後には、魔力の素であるシナンが光の筋になって僅かに空中に残っていた。


 この光をたどってシルヴィアの行方を追えるのは、シナンが見えるデイジーだけだ。


「光が消えちゃう前に、あの子を追わないと!」


 ヒルベリーは初めての場所だが、ルーセントと一日歩きまわったおかげで、少しは道を覚えている。あとは野生の勘だ。


 デイジーはシナンの光の筋が続く先へと向かった。

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