第2話 贖罪のために
「さてと……昨日言っていたとおりなら、あの狐はまた兵十さんのところへ来るはずですよね……」
翌日、ニーナは一人で兵十の家の傍で狐が来るのを待ち伏せていた。クルトは昨晩言った言葉通り、ニーナに協力せず独自に想区の調査や日用品の買い足しをするようだった。
「……あ、来た!」
ニーナの視線の先には、昨日も会った狐がいた。運命の書の記載通り、栗やきのこを抱えている。
「……よいしょっと。こんなもんでいいかな」
どさり、と玄関前に置くと、すぐに立ち去ろうとした。
「狐さん!」
「どわっ!……って、なんだ。またあんたか」
狐は振り返るなり呆れたような声を出した。
「今日はあの暴力男は一緒じゃないんだな?何の用だ?」
「私、狐さんのことを助けたいんです」
「……なんだって?」
「狐さんは数日後に兵十さんの家に来たときに誰かに殺されてしまうんですよ!私はそれを止めたいんです!」
「殺される……ってのは、運命の書が途切れてるところのことか。確かに殺されるなら運命はそこで終わるな……」
「そうなんです!だから、そうならないように……」
「何言ってるんだ?殺されるのが運命なら仕方ないだろ」
狐はニーナと対象的に、ひどく冷めた態度で言い放った。
「死ぬのが嫌じゃないんですか……?」
「嫌に決まってるだろ。けど仕方ない」
「そんな……」
「話はそれだけか?じゃ、俺はもう行くから――」
「わぁっ……待って!待ってください!」
「どわっ」
ニーナがあわてて狐にしがみつく。
「何だよ一体!」
「ええっと……ええと……そうだ!私が狐さんが兵十さんのところへ色々なものを持っていくの、私も手伝います!」
「……なんでまたそんなことを……」
「その……手伝いたい気分なんです!それに、ほら、どこかの街で……猫の手がなんとかかんとか……」
「いや、俺は狐でお前は人間だろ。何言ってんだ……」
「と……とにかく!手伝いたいんです!いいですよね?」
狐は運命の書に記されていなかった事態に困惑していたが、ニーナの熱意に負けたようだった。
「……まあいいか。勝手にしろ。明日の朝、また森で栗とかをとってるから、来たければ来ればいい」
「分かりました。じゃあその時私も手伝います!」
「そうかい。まぁ勝手にしな。じゃあな」
「はい!また明日!」
ニーナは狐が去っていくのを手を振って見送った。
「さてと、じゃあ今日は……そうだ!狐さんの死因を調べましょう!」
そう意気込むと、ニーナは街へと駆け出した。
「狐?ああ、あのいたずらっ子のごんのことかい」
「あいつには迷惑してるよ。誰かとっちめてやってくれねえかねぇ」
「この前畑の大根を盗られちまってよぉ……憎らしいったらねえや」
狐と別れた後、ニーナは狐について知っている村人がいないかと聞き込みをしていた。
だが、その結果分かったことは、多くの村人からいたずら者と認識されていることと、誰がつけたのか、ごんという名で呼ばれていることだけだった。
「これだけいたずらしてると、誰かに退治されてもおかしくないですね……」
これでは誰があの狐――ごんを殺すのか特定できないだろう。
「何か……手がかりないですかね……」
そう呟きながらとぼとぼ歩いていると、二人の村人の会話が耳に入った。
「おや、兵十じゃないか。また魚でもとってきたのかい?」
「!!兵十……って……!!」
ニーナはすかさず声の方向へ振り返る。露店の前で、どこか覇気のない顔をした若い男が立っている。
「いや……弾と火薬を買いに来た……」
「ああ、例の狐退治かい?あんたも大変だねえ、運命の書に書かれていることとはいえ……」
「これが俺の運命だからな……」
――狐退治……!――
ニーナはその単語に驚いた。おそらくごんのことだろう。あの男、兵十がごんを殺す犯人だというのか。
そう考えていて、前日のクルトの言葉が頭に浮かぶ。
――いたずらされたことを根に持った奴が殺しにかかるのかもしれない――
確かに兵十は、母親に食べさせようと思っていたうなぎをごんに逃がされている。恨んでも仕方がない。ニーナはもう、兵十がごんを殺すとしか思えなくなった。
「なんとかして兵十さんを止めないと……でも、どうやって……」
考えてみても、親の仇への恨みを解消する方法など、ニーナに分かるはずもなかった。
その晩、二人の旅人は徐々に慣れてきた空き家で夜を凌いでいた。
「……で、あとは火が消えないようにときどき薪を入れればいい」
「だんだん分かってきました」
「火は旅をする上で飯や寝床にも関わってくるくらい重要だ。現地で汲んだ水はまず火にかけろ。動物の肉を食うときも、生焼けになるくらいなら多少焦げてる方がマシだ。夜に森で野宿することになっても、少し大きめに焚き火をしておけば野生動物への対処もしやすくなる。今後、お前にも火の番を頼むことがあるだろうから、今のうちに覚えておけ」
「はい」
クルトは旅をする上で必要な知識を教えていく。薪にする木の選び方、火のつけ方、簡単な調理の仕方など、日頃から少しずつニーナに教えていた。
「で、どうだ。あの狐の方は順調か?」
火の大きさが安定し、水が入った鍋をかけたところで、クルトがニーナに尋ねる。
「それが……」
ニーナは兵十と村人の会話の内容を話した。
「……というわけなんです。ごんを殺そうとしているのって、兵十さんなんでしょうか?」
「おそらくはな。だが……ふむ……」
クルトは少し考えこむ。
「どうかしたんですか?」
「ああ、この想区の物語がどうなってるか考えたんだが……。いたずらをする狐を人間が懲らしめる……って話なら、勧善懲悪の物語なんだろうってことになるんだが、罪滅ぼしをしようとしているところを撃ち殺すってのは、少し珍しい筋書きだと思ってな」
「なんだか……可哀そうじゃないですか?ごんは毎日頑張って森の中で栗やキノコを集めまわってるんですよ?」
ニーナが不満げに口にする。
「確かにそうなんだが、そういう不幸な結末を迎える物語もありえないわけじゃない。ただ、その狐――ごんだったか?そいつが撃ち殺されてはいおしまい、ってのはどうもしっくりこないな……」
「なら、その続きがあるんじゃないですか?神様がごんを生き返らせてくれるとか――」
「もしそうなら狐の運命の書にそう書いてあるはずだ。あいつは確実に殺されるし、その後生き返るなんてこともない。これは確かだろう」
「そんな……」
やはりそう都合の良い展開は訪れないようだ。それでもニーナはごんが助かる方法はないかと考える。
「あの……クルトさん――」
「言っておくが、運命を変えるってのはあまり勧めんぞ」
縋ろうとするニーナに、クルトが冷たく言ってのける。
「前も言ったが、運命を変えようとすればヴィランが現れ、運命の流れを矯正しようとする。そうなれば、俺たちもただでは済まない」
クルトは以前忠告した通りに説明する。
「でも、ごんを助けるためには、それこそ運命を変えでもしないと……」
「それこそ、当人が望んでないと厳しいし、本来他人が口を挟むことじゃない」
クルトの考えは、あくまで干渉しないことが基本だった。『運命の奴隷』が相手だからだろう。
「だが、お前が自分の意志であの狐を助けたいと言うなら、止めはしないし、助言くらいはしてやる」
「助言……ですか」
「想区の物語をよく理解しろ。特に、主要人物に直接関係する部分は細かいところまでな。そうすれば、運命の流れを変える糸口が見つかることもある」
その言葉は、糸口が見つからない場合もある――と暗に示していた。
「あの狐が死ぬまで数日間、狐自身や、周りの人間の運命をよく調べてみろ。そこから何か掴めるだろう」
「分かりました」
それきり二人は特に話すこともなく、囲炉裏の火を挟んで夜を過ごした。
翌日、ニーナは朝早くからごんのもとへ向かった。
「ごんの運命……どういうものなのか、改めて訊いてみたほうがいいかも知れません」
そう言いながら森の中へ入り、ごんの姿を探す。
「いた……ごん!」
ごんはすでにいくつか栗を集めているところだった。
「ん……?なんだお前か。本当に来たのか」
「もちろんです!栗集めですか?私も手伝います」
「好きにしな。……それとお前、さっき俺のことなんて言った?」
「え?村の人たちに『ごん』って呼ばれているみたいだったから、それが名前なのかと思ったんですけど……」
「いや、俺に名前なんてものはないし、そう呼ばれてたってのも初耳だよ」
「そう……ですか……」
――そうか……村の人たちが知ってても、ごんが知らないことだってあるんだ……――
「ねえ、ごん」
ごんが栗やキノコを集めるのを手伝いながら、ニーナが尋ねる。
「何だよ?」
「ごんのこれから先の運命について、詳しく教えてもらえませんか?」
「なんでそんなこと……まあいいか」
ごんは栗を集めながら語り始めた。
「俺はこれからあと二日、兵十のところへ栗やキノコをもっていくことになる。けど、その途中に兵十と村人が話をしているのを聞くんだよ」
「何を話しているんですか?」
「『誰がもってきたのか知らないが、最近自分の家の玄関に栗やキノコが置いてある』『それはきっと神様の仕業に違いない』なんてことを話しているんだとさ。俺がもっていってることは知られてないんだよ。それでも俺はこうやって償いをするのをやめずに兵十のところへ行くわけだ」
「それでも数日後、死んでしまう……と……」
「そうみたいだな。確か……そう、三日後だ」
狐はあっさりと認めた。
「ねえ、ごん。その……ごんを殺すのは……」
ニーナが言い淀む。
「何だよ?」
「その……兵十さんなんです……」
「……そうか……」
「……これでも驚かないんですね」
「まぁ、あいつが俺を恨むのは仕方ないだろ。それも運命だ」
すべてを受け入れ、諦める言葉しか口にしないごんに対して、ニーナは次第にいら立ちを覚え始めていた。
――どうやってもごんは運命を変えようとは思わないんですね……どうすれば……
「さてと、あとは兵十の家の玄関に置いてきたら今日の分は終わりだ」
「これから何日かはこうしているんですか?」
「まあそうだな」
二人は荷物を抱えて兵十の家へ向かう。
――ひとまずごんの様子を見ますか……まだこの想区のことは知らないことばかりですし……
ニーナは数日間、朝はごんの手伝いをし、その後は街を歩き回って情報を集めた。だが、ごんのしていることは毎日変わらず、村の住人もごんのことは単なるいたずら好きの狐としか見ておらず、特段詳しいことを知っている人間はいなかった。
兵十を直接説得できないかとも考えたが、クルトに忠告されたようにヴィランに妨害される可能性があると考えると、中々近づくことが出来なかった。
「そろそろ兵十さんが来るんですか?」
「そうだが……お前、こんなときまで俺と一緒にいるつもりか」
「当然です。ごんが死なずに済む方法が何か思いつくかもしれませんし……」
ある晩、ニーナとごんは街道の脇にある草むらに隠れ潜んでいた。今夜はごんが兵十と村人の会話を聞くことになると運命の書に書いてあったのだ。
「その会話の内容は、前に言っていた……」
「ああ。俺が持ってきている栗とかの話さ。もっとも、俺が持ってきていることは知らないみたいだがな。……おっと、来たみたいだぞ」
「……!!」
二人が息をひそめていると、二人の男の話し声が聞こえてきた。
「じゃあ、誰がもってきてくれているのか、なんててんで分からねえのかい」
「ああ。そうだな……」
「不思議なこともあるもんだなあ……」
一人は兵十だ。もう一人は、ニーナもこの数日で二、三度顔を見た村人だった。
「もしかすると狐に化かされたなんてことはねえか?」
「狐……?」
村人の言葉に兵十がどこかひっかかったように反応した。
「ん?何だよ?」
「いや、別に……。大丈夫だ、化かされてなんかいない」
「本当か?」
「ああ。なんなら今から俺の家に来て見てみろよ。ここ数日で結構な量になるんだぜ」
二人はそのまま兵十の家へ向かっていった。
「ここで兵十たちに着いていく、と……」
「それがごんの運命ですか」
「ああ。お前も来るのか?」
「もちろん!」
「勝手にしろ」
二人の後を、一人と一匹もこっそりとついていった。
「いやあまさか、本当にこんなことがあるとはなぁ」
「俺の言ったことが本当だと分かっただろ?」
「ああ、たまげたよ、こいつは」
ごんとニーナが兵十の家の前に張り込んでいると、二人が家から出てきた。すかさず聞き耳を立てる。
「なあ兵十よ、こいつは神様がお前さんに送ってくださったんじゃねえか?」
「神様……?」
「ああ。おっかあが死んじまって一人になったお前さんを憐れんだのさ」
「……そうかな」
「ああ、そうに違いねえよ」
「な?兵十は俺がやったとは思ってないのさ」
「ごん……このままでいいんですか?」
「そういう運命だ」
ごんからすでに何度が聞いた、諦めの言葉。最期が近づいている中でも、その答えは変わらなかった。
「でも……ごんはこんなに頑張っているのに伝わらないなんて……」
「それも運命だ。というか、だからこそ俺は兵十から恨みを買ったまま撃ち殺されるんだろ?」
「……!!そうだ……」
ニーナはハッとすると表情を明るくした。
「この方法なら……ごんが殺されずに済むかも……」
ニーナはすぐさまごんに向き直る。
「ごん!確か三日後が運命の書に記述がある最後の日ですよね?」
「ん?ああ。そうだが……」
「明日もまた山へ来ますから!そのとき話があります!」
何か閃いたニーナは、すぐさま踵を返して走り出した。
「また明日!」
振り返り、大きく手をふると、また背を向けて走り出す。
「……何なんだ、あいつは……」
ごんの小さな呟きは、誰にも聞こえることなくぽつりと漏れただけだった。
「クルトさん!」
すっかり慣れた空き家に戻るなり、ニーナはクルトに声をかける。
「なんだ突然。何かあったのか」
「思いついたんですよ!ごんを助ける方法を!」
「……聞くだけ聞いてやる」
ニーナは自信ありげに説明を始めた。
「ふっふっふ……それはですね……」
「どうですか?」
「……あの狐が死ぬのは三日後だったな?」
「え?ええ、そうですけど……それで、どうですか?この作戦なら――」
「……なあ、ニーナ。一応聞くが、手を引く気はないか?」
「……えっ?」
ニーナが語った作戦に対する評価は一切口にせず、手を引くという提案をされ、ニーナは困惑する。
「どうしてそんなこと……何かまずいですか?この方法……」
「まあ、考え方自体はおかしくない。だが、想区の人間がどういう存在か理解してないから作れた作戦だよ、これは」
クルトはようやく説明を始める。
「何度でも言うが、想区の住人は『運命の奴隷』だ。兵十も、それ以外の村人も。人間だけじゃない、ごんとかいう狐もだ。『意志』をもたないクズどもだ」
「そんなことありませんよ!どうしてクルトさんはそこまで運命の書を持つ人たちを嫌うんですか!」
「実際クズだからだよ。……こうなったら、口で説明するより実際に目の当たりにした方が良さそうだな……」
そう呟くと、よし、と前置きして、ニーナに告げた。
「三日後、手伝いはしないがついていってやる。よく見ておくといい。運命の奴隷ってのがどんな連中なのかをな」
グリムノーツ Anecdote 霧葉 @lostory
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