第2章 運命の奴隷
第1話 一匹の狐
「つまり、想区を管理する者――ストーリーテラーがいる限り、想区の物語の流れが変わりそうになれば、それを訂正しようとする力が働くようになってる」
「じゃあ、前の想区に出てきたあの黒い化け物、ええと……」
「ヴィランか?」
「そうです!ヴィランは、ストーリーテラーが生み出しているんですか?」
「そういうことだ。だからな、俺たちが想区に干渉することで物語が大きく変わってしまうなら、俺たち自身がヴィランに襲われることになる」
「うぅ……気をつけます……」
真っ白な世界の中を、二人の旅人が歩いていた。
一人は細身の青年。白いワイシャツの上に着た黒いロングコートにズボン、鋭い瞳が威圧的な雰囲気を漂わせていた。
もう一人は、青年の後ろを歩く小柄な少女。肩にかからないくらいの長さの金髪と、対照的な暗めの碧い瞳、そして赤を基調としたワンピースが特徴的だった。
「そういえば、クルトさん」
クルトと呼ばれた青年は、振り返ることもなく歩き続けている。
「どうした?ニーナ」
クルトに背を向けられたまま、背後を歩く少女、ニーナは訊ねる。
「前にクルトさん、私たちみたいに空白の書を持っていない人のことを『運命の奴隷』って言ってたじゃないですか」
「ああ、そうだな」
「あれ、どういう意味なんですか?」
ニーナの問いに、クルトは少し声色を重くしながら答える。
「運命の書に何かしら書かれている人間ってのはな、基本的にその内容に従うことしか頭にないんだよ。そこには何の不満もなければ、そもそも疑問を挟む余地もない。ただ機械か何かのように、与えられた命令に従うだけだ」
「だから、奴隷だと……?」
「そうだ」
「うーん……でも、クルトさん」
ニーナは納得がいかないと食い下がる。
「想区の人々を見てると、みんな自分の生活を持っていて……私たちと変わらない人に見えるんですが……」
「一見するとそうだろう。だが、そこには『意志』がない。その点で無価値な連中だ」
「無価値って……!」
クルトの極端な表現にニーナが驚く。
「まぁ、これはあくまで俺の考えだがな。だが、間違ったことを言っているつもりは一切ない。意志のない行いは、すべて無価値だ。無意味で脆弱で醜悪で……とにかく、あれは人の行いの中で最低なものだ」
クルトの憎悪を含んだ言葉が続く。
「そこまで言わなくても……」
徐々に背後からの言葉が弱まっていることに気づいたクルトは、適当に話をまとめ始めた。
「まあ、これは実際に経験した方がよく分かる。身に沁みて、な。お前はまだ旅をし始めたばかりだから、今すぐに分からなくていい」
そう言っている間に、徐々に霧が薄くなってきた。
「おっと、次の想区に着いたか」
「どんな想区なんでしょう?」
「それは見てみないと分からん。ともかく、行ってみるか」
二人はかすかに光が差す方向へ歩きす。それにつれ霧は薄くなり、白以外の色が現れ始めた。
霧を越えたところに現れたのは、小さな村だった。
木造の藁葺き屋根の家がぽつぽつと立ち、その間には畑が広がっている。
「これは……また不思議なところですね」
「不思議……?ああ、ニーナはこういう想区に来るのは初めてか」
「珍しい造りの家ばかりですけど、どういう想区なんですか?」
「ああ、こういう木でできた家が多い想区もあるんだよ。俺が今までに訪れたところだと、物語の舞台が『カン』とか『ニホン』なんて国の想区がこんな風だな」
「へぇ…」
「もっとも、それだけじゃここがどういう物語の想区かは分からないけどな」
そう言いながら村の中を歩いていると、先の方に続く行列が目に入った。
「……っと、行列か……。あれは……葬列だな」
「ソウレツ……お葬式ですか」
「ああ。その辺の人間に誰が死んだのか聞いてみるか。想区の手がかりになるかもしれない」
二人は近くで葬列を眺める村人に声をかけた。
「なああんた、一つ聞きたいんだが」
「んん?何だおめえさんら、見かけねえ格好だな」
「ああ、遠い国から来たものだからな。ところで、この行列は一体何なんだ?」
「ああ、これは
「兵十……その人の母親か、死んだのは」
「ああ。兵十はな、この村で知らねえ奴はいねえほどの親孝行ものさ。二人で暮らしてたってのにおっかさんが死んじまって、可哀想なもんだ」
「ふぅん、なるほどね……。いや、よく分かった。ありがとう」
それだけ聞くと、クルトはさっさとその場を立ち去った。その後ろにニーナが続く。
「クルトさん、その兵十って人、この想区の主役なんですかね?」
「村ではそれなりに知られてるようだが、それだけでそう決めるのは早い。それに、誰の親だっていつかは死ぬもんだ。そう珍しいものでもない」
「とりあえず、もう少し聞き込みしてみますか」
「ああ、そうするか」
こうして二人は辿り着いた想区の情報を求め、手分けして村での聞き込みを始めたのだった。
「うーん……皆さん兵十さんのお母さんのお葬式の話でもちきりですね……」
ニーナはあちこちを歩き回り、村人たちの会話を聞いていたのだが、兵十の母親の葬儀の話ばかりで、ほかに参考になる話題はなかった。
「やっぱり兵十さんがこの想区の中心人物なんでしょうか?」
そう考えると、ニーナは兵十の家へ向かった。場所は村人たちの会話から大まかな予測がついている。あとはそのあたりを適当に歩き回っていれば、近くの住人から聞きだせばよい。そう考えて、ひとまず兵十の家があるらしい村はずれの山のふもとへ向かった。
「このあたり……ですかね」
村人に教わった場所へ訪れてみると、一軒の小さな家がぽつんと建っていた。周囲は草が生い茂り、家の傍には赤色の井戸がある。
「うーん……見た目は他の家と変わりませんし……もしかしたら主役じゃないのかも……」
そう呟いていると、ふと家の裏手にある草陰で何か動いているのが目に入った。
「……?」
気になって覗いてみると、そこにいたのは一匹の狐だった。子供なのかまだ小さく、ただ一匹で兵十の家の中に目をやり、様子を窺っているようだった。
「狐……?」
「!!」
「わっ!!」
ふと出た呟きで初めてニーナの存在に気付いたらしく、狐はすぐさまニーナの真横をすり抜け山の中へと逃げて行った。
「……何だったんでしょう?」
ぽつりと呟いたその言葉に答える者は誰もいなかった。
「……というわけで、兵十さんの家に行ってみたんですけど、普通の家でした」
「分かった。まあ、まだ兵十が主役かどうかは断言できんな」
その日の夜、二人の旅人は村はずれで見つけた空き家で夜を明かしていた。
「他に兵十の家のあたりで変わったことは?」
「特にないですね……狐が家の中をのぞいていたくらいで――」
「……狐?」
クルトがニーナが出した言葉に反応した。
「その狐、何か言っていたか?」
「いえ、何も……。というか、狐がしゃべるんですか?」
「想区によってはあるんだよ。中には人を祟る狐の幽霊が出る想区や、狐が神になってる想区なんかもあるくらいだからな」
「狐が……神様……?」
ニーナが困惑する。それを見てクルトは補足をした。
「いや、お前が思っているような神じゃない。何というのかな、幽霊というか、精霊というか……そういう存在だ」
「全然違うんじゃ……」
「そう思うだろうが、そういうのを皆神呼ばわりする想区もあるんだよ。ヤオヨロズ、とか何とか言ったか。神がたくさんいるんだとよ」
「……?えーっと……?」
「まあ、想区によって考え方は色々あるってことだ。それだけ分かればいい」
そう締めくくると、クルトは普段から使っている鍋に何か緑色のものを入れ、そこに水を入れていた。
「……?クルトさん、何ですか、それ?」
「ああ、これか?茶だよ」
「お茶……緑色のお茶ですか」
「ああ、茶っていっても紅茶じゃなくてな……まあ、飲めば分かる」
そういいながらクルトは、鍋を目の前にあった灰がおかれた場所の上にぶら下げた。
「さっきから思っていたんですけど、この灰は何なんですか?」
「
説明しながら、実際にやってみせる。ニーナはそれを興味深そうに見ていた。
「ええと……こんな感じだったかな……おっ、点いたか」
小さな火がつき、鍋を温め始める。
「今日はそこまで寒くもないが、暖炉としても使えるらしい。あとは灰の中で蒸して料理を作るとか、色々使い道があるな……そろそろか」
クルトは温まった鍋を取り外し、コップに中身をとりわける。
「ほらよ。こういう想区でいうところの茶ってのは、こんな風だ」
「ありがとうございます。へえ……本当に緑色だ」
「ああ。色は変わってるが、心配するな。ちゃんと飲める――」
そう言っている途中にも、ニーナは茶に口をつけた。
「うぐっ……。結構苦いんですね」
「いや、それは多分、俺の淹れ方の問題だ……。無理して飲まなくても――」
「いえ、飲みます。温かくておいしいです」
「ならいいが……。しかし、よく抵抗なく飲めたな。紅茶の方が慣れてる人間からしたら緑の茶なんて奇妙に見えるだろうに」
「そうですか?確かに不思議な感じはしますけど……」
そう言いながらニーナは茶を飲んでいた。
「……そうか。……明日はまた、このあたりを散策してみるか。お前が見た狐ってのも気になるしな」
「分かりました。……あの、クルトさん。このお茶、もう一杯いただけますか」
「ああ、いいぞ。……そうだ、お前もそのうち、火の起こし方とか料理の仕方とか……色々覚えておいたほうがいいな。どこで暮らすにしても必要なことだ」
クルトの言葉に、ニーナの表情が曇る。
「そう……ですよね」
「今回はやって見せたから、次は自分でやってみろ。お前も、ずっと俺について来るわけにはいかないだろうからな」
「……はい」
――翌日。
「さてと……今日は兵十の家のあたりを探ってみるか。兵十が主役かは分からんが、何かしらの手掛かりはあるだろう」
「分かりました」
今日も二人の旅人は村の散策を行っていた。昨晩決めた通り、兵十の家の周辺を重点的に調べることにしていた。
「あの……クルトさん」
「何だ?」
兵十の家に向かいながらニーナがクルトに問いかける。
「この想区って、王子さまもお姫様もいませんけど、どういう物語の想区なんですかね?」
「……別に、すべての物語にそういう華やかな人間が出てくるわけじゃないぞ」
「そうなんですか?」
「ああ。中には民衆の間で起こった出来事の物語もあるし、それこそ人間が出てこずに動物だけが出てくる物語もある」
「へえ……そういう物語もあるんですね」
想区を支配する物語について話しているうちに、二人は兵十の家にたどり着いた。
「ここです」
「ここか……。昨日来ていたっていう狐が気になるな。俺は山の方も探ってみる。お前はこっちを探っておけ」
「分かりました」
昨日と同様、二人は手分けして想区の物語を調べることにした。
「さて、兵十さんは今日も留守ですかね……ん?」
兵十の家を探っていたニーナは、一匹の狐が家から出てくるのを見かけた。
「昨日の狐……ですかね?」
何の気なしに狐に声をかける。
「あの――」
「うわっ!?」
ふとどこからか叫び声がした。
「……?えっと、誰でしょう、今の」
「見つかっちまった!こんなこと『運命の書』にはなかったのに……仕方ねえ!」
声に気をとられているうちに、狐は家の裏手から山の方へと駆けていった。
「……え?今の声、もしかして……」
――想区によっては、狐が話すこともある。
昨晩のクルトの言葉を思い出したニーナはとっさに、山の中へ狐を追いかけた。
「うーん……どこへ行ったんでしょう」
森の中で狐を探し回る。だが、木の根が多い山中は、人が歩くのに不向きな地形だ。探し求めていた狐はなかなか見つからなかった。
「森の中ってどうにも走りづらいですし……どうしよう……」
「何してるんだ、こんなところで」
困っているニーナのところへ、一人の青年が現れる。
「クルトさん!このあたりで狐を見ませんでしたか?」
「こいつだろ?」
森の中から現れたクルトは背中に白い袋を背負っていた。それを目の前に下ろして開けると、中には足を縛られた一匹の狐が入っていた。
「昨日お前が言っていた狐を獲ろうと思ってな。罠を張っていたら見事に捕まってくれたよ」
「……クルトさん、ここまでしなくても――」
「いいんだよ。運命の書の持ち主なんざ大抵は運命の奴隷だ。さてと……」
クルトは屈むと、狐に向かって声をかける。
「答えろ。兵十の家で何をしていた?」
「……」
「答えない、か。上等だ。ならこっちも力づくでも――」
「ちょっ、クルトさん!」
懐から短剣を取り出したクルトを、ニーナが慌てて制止する。
「邪魔するな。これが一番手っ取り早い」
「暴力はダメだと思います!」
「分かった!喋る!喋るから!」
二人の様子を見かねた狐が口を開いた。
「最初からそうしてればいいものを。で、兵十の家で何をしていた?」
「……イワシ」
「……え?」
「イワシをな、あいつの家に放り込んだんだよ」
「何故そんなことを?」
「それは――」
狐は運命の書にも記されていた自分がしてきたことを話し始めた。
「俺の運命の書には、村人に色々いたずらをすることが書いてあるんだよ。その中の一つに、兵十ってやつが川でとったうなぎを逃がしてやるっていうのがあった」
「……動物にも運命の書があるんですか?」
「あることもある。それが物語の登場人物であれば、動物どころか、虫や植物が運命の書をもつことだってあるくらいだ」
「ああ。運命の書をもつのは何も人間だけじゃない」
運命の書は、想区の物語の流れに従う台本のように存在する。物語によっては、動物や植物に割り当てられる台本もあるということだ。
「それで、さっきお前がやったイワシを投げ込むってのもいたずらの一つか?」
「違う。罪滅ぼしさ」
「罪滅ぼし?」
「お前たち、昨日の葬列は見たか?」
兵十の母親の葬列のことだ。すぐさま二人は頷く。
「あれは兵十のおっかあの葬列さ。兵十は親孝行者らしくてな。きっと病気のおっかあに食べさせたくてうなぎをとってたのさ」
「だが、お前がそれを逃がした、と」
そうだ、と狐が続ける。
「だから、これは罪滅ぼしなんだよ。……もっとも、あのイワシは魚屋から盗ってきたものだから、明日には兵十は魚屋のオヤジに濡れ衣着せられるんだけどな」
淡々と語られるその言葉にニーナがむっとする。
「それ、あなたのせいなんですよね?」
「ああ、そうさ」
「どうしてそんなことを?」
「どうしてってそりゃあ――」
「『運命の書に書いてあるから』……だろ?」
クルトがつまらなさそうに答えた。
「その通りだ」
「運命の書に書いてあるからって、そんなことしちゃ駄目じゃないですか」
「駄目って何だよ?これが俺の運命なんだから仕方ないだろ」
「そんなの――」
さらに言葉を続けようとするニーナに、クルトが片手をあげて制止する。
「無駄だ。言ったろ。想区の連中ってのはほとんどがこんなもんだ。運命の書の内容に従うだけ。そこに何の疑問も挟まない」
クルトが吐き捨てるように言う。だが狐はそれを意にも介さなかった。
「そういうこった。これが俺の運命なんだよ。まあ次からは森の中から栗とか茸なんかをとってくることになってるけどな」
「そうやって『罪滅ぼし』をやって……その後はどうなるんだ?」
「それがさぁ……」
狐の声色が曇る。
「俺の運命の書を読んでみると、何日かは兵十の家に栗やら茸やらをもっていくって内容が続いてるんだけど……そこで内容がぷっつり切れちまってるんだよな」
「内容が切れてる?」
「ああ。最後の文章読んでやろうか?『持ってきた栗や茸を玄関に置く。』だぜ?なんか中途半端だよな」
「どういうことなんでしょうか?クルトさん」
「簡単なことさ」
クルトはニーナの問いにあっさりと答える。
「おい狐。お前の運命はそこで終わりなんだ」
「終わり?こんな半端なところで?」
「そうだ。続きはない」
「……ふーん。そういうもんか」
狐は今一つ腑に落ちない様子だったが、特に追及はしなかった。
「そういうもんか、って……どういうことか気にならないんですか?」
「別に。今まで運命の書のとおりにしか生きてこなかったからな。運命の書に書いてあるならそういうことなんだろうさ」
「……ふん」
クルトはその返答に眉をひそめながらナイフを取り出し、狐の足を縛っている縄を切った。
「これだけ話が聞ければもう用はない。失せろ」
「言われなくてもそうさせてもらうよ。ったく、乱暴な連中だ。しかも運命の書に載ってないなんて気味の悪い……」
文句を言いながら狐がその場を後にする。
「気味が悪いって……ひどいなあ……」
ニーナの不満げな言葉に、クルトが答える。
「いや、奴らからすればそうさ」
「どうしてですか?」
「あいつらが経験することは、すべて運命の書に載っているはずなんだよ。想区の住人は、基本的には運命の書の通りに行動するし、それを見越した内容が書かれているからな」
想区の物語は住人一人ひとりの運命が合わさってできている。他人の運命が自分に影響を与えるとき、その影響は運命の書の記述に現れることになる。
「だが、俺たちのように運命をもたない人間は、想区にとってイレギュラーだ。だから、誰の運命の書にも存在が載っていない」
「私たち自体が、運命の書に書かれていないこと……なわけですか」
「そういうことだ。運命の書がすべての奴らにとっては、まあ気味が悪いだろうさ」
クルトが何とも思ってないかのようにさらりと締めくくった。
「この想区の物語もだいたい分かった。戻るぞ」
「二日かけて調べて、おおまかな結論は出たな。この想区の物語は『いたずら好きな狐が罪滅ぼしをしようとするも、最後には殺される』という話だろう」
昨夜と同じ空き家へと戻ったクルトはそう結論づけた。
「殺される……ってどういうことですか?」
「あいつの運命の書の最後が途切れるように終わっていたからな。死ぬ自覚すらする間もなく死ぬってことだろ。だから記述がそこで途切れてるんだよ」
「そんな……いくらいたずらしてたからって、殺されるなんて……!」
「誰が書いた筋書きかは知らんが、そういうものなんだろう。この想区には狐の肉を食うやつでもいるのかもしれないし、いたずらされたことを根に持った奴が殺しにかかるのかもしれない。どの道、あの狐が死んでこの想区の物語は終わりだろうさ」
「あの……クルトさん」
「言っとくがな、助けないぞ」
クルトが鋭い視線をニーナへ向ける。普段から冷徹な雰囲気をまとっていると思っていたが、ニーナにとって、このときのクルトはまた異なる冷たさをもっているように見えた。
「あいつは『運命の書に書いてあるんだから仕方ない』と言っていたろ?本人に不満がないなら、俺たちが手を出すようなことじゃない」
「本人が望んでないからって、見捨てるんですか!?」
「ああ、そうだ」
はっきりと答えられてもなお、ニーナは食い下がる。
「クルトさんはそうでも……私は助けるべきだと思います!それで助かる命があるのなら、私は……!」
それを聞いて、クルトは大きなため息をついた。
「……この想区に入る前に話したことを覚えているか?」
「想区の住人は、意志がない……運命の書に従うだけの奴隷……ですか?」
「その通りだ。意志のない行いに価値はない。あいつをどうにかする必要性はないんだよ」
「私には、そうは思えません。あの狐だって、想区の人々だって、私たちと変わらない人間です」
「そこまで言うのなら分かった。こうしよう」
ここまで言われても、ニーナは引き下がろうとしなかった。その様子にクルトは、呆れたようにニーナを睨みながらもある提案をした。
「お前、あの狐を助けてみろ。ただし、条件がある」
「……何ですか?」
「一つ、この想区に滞在するのは、沈黙の霧が出て、俺たちが次の想区に行けるようになるまでだ。そうなったら、途中だろうがここを出るぞ」
「沈黙の霧が出るまで――って、いつまでになるんですか?」
「それは俺にも分からん。だが、あの狐が死ぬのは数日後だろ?それまでなら出ないかもしれない」
「……分かりました」
クルトたちはあくまで旅人だ。そして、長く同じ想区に留まっているとその想区の物語の流れに影響を及ぼすことがある。だからこそ、普段から想区の滞在は短めにしていた。
「二つ、もし運命を変えようとしてヴィランが出るようなら、俺に言え。狐の手助けはしてやらないが、お前に危害が及びそうになったら多少は手を貸してやる」
「ヴィランって、運命を変えようとすると出てくるあの化け物ですよね?」
「前に一度姿は見たが、戦ったことはないだろ?あいつらとの戦い方はまだ教えてないからな。襲われそうになったらまず逃げて、俺と合流することを優先しろ。いいな?」
「はい」
狐を助けることには反対していたが、ニーナの身の安全には多少は配慮しているようだった。自分が空白の書をもっているからだろうか、とニーナは思う。
「そして、三つ目なんだが……」
ここで初めてクルトが言い淀んだ。
「……三つ目は?」
「この想区でのことは、所詮は他人事だ。だから、あまり首を突っ込むな。本来お前が背負うことじゃないんだからな」
「でも、私はあの狐を助けたいんです」
「それは分かってる。だが、あまり背負い込まないようにしろ。いいな?」
「……分かりました」
ニーナはクルトが提示した三つの条件をのむことにした。
「なら、数日間せいぜいがんばってみろ。俺はこの想区についてもう少し調べているから」
「……本当に手伝ってくれないんですね」
「悪いが……いや、別に悪くもないな。そこは譲れない」
「……そうですか……」
ニーナはがっくりと肩を落としながらも、一人でどうやって狐を助け出すか考え始めた。
「……運命の奴隷について知っておくには、この想区あたりがちょうどいいだろう」
考え事をするニーナを横目に見ながら、クルトはぼそりと呟いた。
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