第8話 二人の決意

「くそっ!厄介なことをしやがる!」

 狼がカリルに向かって襲いかかる。クルトがいつでも援護できる状態で襲われようと考えていたカリルにとって、ひどくタイミングが悪いことだった。ひとまず猟銃で牽制しつつ木々の合間を縫ってどうにか避けているが、それも時間の問題だ。

「おいカリル!少し時間を――寄るな!――悪い!少し時間を稼いでくれ!」

 クルトは援護の妨害に徹するヴィランを蹴散らしているが、数が多く未だにカリルを援護する余裕は現れなかった。

「そうは言うが……」

「こうもヴィランが多いと狼までどうにかできない!今お前が襲われても助けられる自信はないぞ!」

 そう口にしている間にも、あちこちからヴィランが襲いかかってくる。

「クルアァッ!」

「しまっ――」

 死角から飛び出したヴィランに、反応が遅れる。その一瞬は戦闘においては致命的なものだった。

 クルトに化け物の爪が突き立てられる瞬間――

「でやぁぁっ!!」

 叢から小さな影が飛び出す。それはヴィランに直撃すると、すぐさまクルトの側へと着地した。

「クルトさん!」

「ニーナ!お前、あのガキの方はどうした!」

「それが――話し中です!……マルコさん、いつの間にか小屋からいなくなってたんですよ!!それで私まさかと思って……邪魔っ!……急い……でっ!……ここまで来てみたんですが……」

 会話中もクルトの周囲に集るヴィランを叩きのめす。

「何だと……?あのガキ何考えて――ん?」

「どうしました?クルトさん」

「あのガキ……一人で抜け出したのか?」

「……ええ」

「周りにはヴィランがいるってのに、抜け出せたのか?」

「確かに……そうですね」

 そもそもの筋書きからすれば、死ぬ運命なのはマルコの方だ。だというのに、何故この世界はマルコを放置して、クルトとニーナばかり排除しようというのか。

「まあ、そこは今考えても仕方がない。ニーナ、カリルの方を手伝ってくれるか?狼に適当に襲われた後に離脱できるようにしておいてくれ」

「分かりました――って……クルトさん、なんかヴィランが増えてません……?」

 二人がかりでも手こずりそうな数のヴィランに囲まれたニーナが困惑する。

「お前がこっちに来たから増えたんだろ。ここは俺が引き受けるから、お前はカリルを――」

 そう口にしていた途中、クルトは目を見開いた。

「カリル!!後ろだ!!」

「……後ろ?何だ――」

「クルァア!!」

「何っ――」

 背後から忍び寄っていたヴィランがカリルを羽交い絞めにする。

「こいつら……!!」

「カリルさん!!すぐ行きま――きゃっ!?」

 気を取られていたニーナの背にヴィランの爪が突き立てられた。

「……そういうことかよ」

 周囲のヴィランの相手をしながら、忌々し気にクルトが呟く。

「おいカリル。この世界はあのガキじゃなくお前を犠牲にするつもりらしい。役者交代ってわけだ」

「何だと!?くそっ、こいつら……!!」

「そんな!!」

「狼の傍にいる以上、お前を代わりに始末した方が手っ取り早いってわけだろうな、クソっ――」

「お願いです!!どいてください!!」

 ニーナが背中の痛みをこらえながら目の前のヴィランに殴りかかる。だが、その力は今までのものより弱まっていた。

 その間にも、狼は素早くカリルに飛び掛かる。


「ぐああああああっ!!」

 カリルの悲鳴が森にこだまする。鋭い牙が肩に突き立てられていた。

「くそっ!!くそっ!!こいつら……」

「クルトさん!!すぐ……助けないと……」

「このタイミングで助けられれば予定通りだったんだが……邪魔をするな!!ストーリーテラーの傀儡どもが!!」

 二人はヴィランの相手をしながらカリルのもとへ向かおうとするが、多くのヴィランに囲まれては手の打ちようがなかった。

「グルルルル……」

 狼の前足がカリルの腹部に振り下ろされる。

「くっ……結局このザマか……」


――一緒に生き延びようだとか言っておいてこれか……だけどまあ、これであいつの代わりに俺が死ぬことになる。筋書きとやらは保たれるだろ……なら……まだいいか……。すまねえがマルコ、後はお前ひとりで――


 死ぬ直前だからか、カリルには狼の動きがゆっくりに見えた。目前の前足に鋭く生えた爪が胸元に少しずつ近づき――


――刺さる直前で、横へとそれた。

「…………?」

 何があったのか、少し遅れて理解が追いつく。そしてそれと同時に、一つの銃声があったことに気が付いた。

「何……だ……?」

「クルトさん……ですか?」

「いや、俺じゃない……これは……」

 クルトは銃声がした方向に目を向けた。


「……ざ……けんな……」

 一人の少年が、猟銃を抱えて立っていた。

「どいつもこいつも……気に食わねえんだよ……!!」

 そう呟きながら、狼に向けて照準を合わせる。

「嘘ついて誰にも信じられなくなるとか……狼に喰われるとかふざけた運命押し付けやがって……」

「……マルコ……」

 タンッ、と乾いた発砲音が響く。その直後、カリルの目の前の狼の頭部から血が飛び散った。

「しかも、何だ?助けてやるだの、生き延びようだの、頼んでもねえこと色々と……しかも……」

 狼がよろよろと立ち上がる。なおもカリルに襲いかかろうとするが、銃弾が入った身体は上手く動かせていなかった。

「そのくせ勝手に死のうとして……ふざっけんなよ!!何なんだよどいつもこいつも!!俺の気も知らないで!!」

 マルコが銃を降ろし、狼に一歩一歩近づいていく。

「お前らの……思い通りになってたまるか……。言いなりの生き方なんか……してやるかよ……」

 そのまま銃口を狼の頭に突きつける。

「くたばれ!!」

 三度目の銃声が、森に響き渡った。



「カリルさん……カリルさん!!しっかりしてください!!」

「お、おい……大丈夫なのかよ?」

「……息はある。おいマルコ、ここから一番近い医者はどこだ?」

「ここからなら、隣村の方が近い――えっ?」

「隣村……こっちか。ニーナ、さすがにさっきの怪我の後に一人担ぐのは無理か?」

「傷ならもう塞がったし大丈夫です。よいしょっと」

「待……て……」

 ニーナに担がれたカリルが消えかかった声で呟く。

「カリルさん、無理に話しちゃ――」

「おい……クルト……俺の上着……血……」

「……そうだったな」

 クルトはすぐさまカリルの上着をはぎ取った。

「さっきの狼は死んだ。新しい代役がどう動くかは半ば賭けだが……偽装はしておこう」

「頼んだ……」

「マルコ、ニーナの道案内を頼む」

「分かった。それとアンタ、さっきから俺の名前――」

「いいからさっさと行け。そいつを死なせたいのか」

「あ、ああ……ニーナ、こっちだ」

「はい。クルトさん、そっちは任せました」

「おう」

 カリルを担いだニーナとマルコがその場を離れていく。クルトは作戦通りの偽装のために一人残った。

「……いい意志だった」

 静かに微笑みながら、クルトは呟いた。




「ぐっ……!!」

 痛みに目を覚ます。瞼を開くと、見覚えのない天井が目の前にあった。

「……ここは……?」

 カリルはベッドから上半身を起こしあたりを見回した。そうしながら自分に何があったのか思い出そうとする。森の中で狼やヴィランと戦い、傷を負い、そして――。

「……!!そうだ、マルコは!?狼の連中はどうなって――」

「……うるせえな」

 ぼそりと呟かれた声に、すぐさま視界を向ける。部屋の入口に一人の少年が立っていた。

「……目、覚めたのか」

 そう言いながらマルコが部屋へ入ってくる。

「マルコ!!無事か!?狼に襲われたりは――」

「だからうるせえって。……大丈夫だ。あの後は何もねえよ。狼もあの黒い化け物も、全然見かけなくなった。あの旅人が上手くやってくれたらしい。……もう大丈夫だ」

「……そうか……。よかった……よかった……」

 マルコの言葉に、カリルはようやく安堵した。


 マルコが狼を撃ち殺した後何があったのか、マルコは説明した。

 ニーナがカリルをこの病院へ運び込み、ひとまず一命はとりとめた。その後クルトも合流し、代役の狼が血まみれになったカリルの上着を見つけ、その後森の奥へと姿を消したことを聞いたのだった。

「だから、これでもう俺もお前も襲われることはないだろうよ」

「そうか……上手くいったんだな」

「そんだけ怪我しといてよく言うぜ」

「……まったくだ。……なあ、一つ訊いていいか?」

「……何だ?」

「まだはっきりした答えを聞いてなかったからさ。お前、どうして俺を助けたんだよ?」

 言われてから気づく。確かにクルトには説明したが、マルコに面と向かって話したことはなかったか。

「そのことか。……最初は運命の書に書いてあるとおりにお前のことを見捨てようと思ってたんだよ。けど、お前が狼に襲われてたところを見てさ、何というか……たとえ嘘つきだろうと何だろうと、苦しんでるんだから助けなきゃ……って思ったんだ」

「嘘つきだろうと……って、それは天罰ってやつじゃないのか?ほっとくのが普通な気がするけどな」

「それを言うなら、困っている人がいたら助ける、ってのも普通じゃないか?」

「……お前の場合命まで賭けてるじゃねえか、どこが普通だよ」

 マルコが苦笑いで反論する。

「……まあ、それはもう意地だったな。ここまでやったのに運命の書の通りに戻ってたまるか、って」

「ははは、何だよそれ、無茶するなぁ」

「……今思うと確かに無茶だな、これは」

 そう言うと、二人はしばらくそのまま笑いあっていた。


「さてと、これからどうするか」

「……これから?これからって言ったって……」

 マルコはそう言いながら運命の書に手をかけて、すぐその手を止めた。

「……そうか。こいつはもう」

「読んだところで何の役にも立たなくなったな」

「何というか……変な気分だな」

「正直、俺も今一つ慣れない。けど、これから先のことは自分で決められる、って考えたら悪い気はしないだろ?」

「そう……かもな」

 マルコは未だに戸惑う様子を見せながらも、カリルの言葉に同意した。

「……やっぱり不安か?」

「不安……って言えば確かにそうだけどさ。これから何が起こるか分からない……違うな、自分次第でどうにでもなるってのは、悪くないな」

「……そうか」

「……ありがとうな」

「え?」

 唐突な礼の言葉にカリルが不意を突かれる。

「色々言ったけどさ……その……ここまで来れてよかった、って思ってる。だからさ……その……これから先も、よろしく頼む。……いや違うな。力を合わせて生きていこう、か」

「マルコ……ああ、そうだな。改めてよろしくな」

「おう」

 二人が握手を交わす。自分がやったことには確かに意味があったのだ、とカリルは改めて思うのだった。



「そういえばあの旅人……クルトとニーナは?」

 思い出したように、二人の旅人についてカリルが尋ねる。

「少し前までは何度か様子を見に来てたけどな、お前の容体が落ち着いたと分かったらもう別の街に行っちまったよ。自分たちがいるとまたあの黒い化け物が出てきちまうことがあるらしい」

「そうか……なら仕方ないかな。今度会うことがあったら礼くらい言いたいが」

「どうだろうな、多分もう戻ってくることはないだろう、って言ってたぜ」

「そうなのか?残念だな……」

 あちこちで運命の書に逆らおうとしている人間の手助けをするためには、一つの場所に戻ったりしていられないのだろうか、とカリルは思った。

 思い返してみると、奇妙な二人だった。運命の書に従う人間を軽蔑し、運命に逆らうことを良しとするような男。そして、あの黒い化け物――ヴィランを素手で退治する力をもつ少女。

 今彼らはどこにいるのだろうか、と思いながら、カリルは窓から見える空を見上げた。


「そういえば、別れ際に変なことを訊かれたな」

 マルコがふと思い出して口にする。

「変なこと?」

「ああ。『グリムノーツ』って旅人のことを何か知らないか、って訊かれたよ。カリル、お前何か知ってるか?」

「グリムノーツ……?いや、知らないな」

「だよなあ。俺も聞いたこともない。何でも、そいつらを探すのが旅の目的らしい」

「……ふーん」

 人助けの旅だとばかり思っていたが、別の目的もあったのか、とカリルは思った。

「グリムノーツ……グリム、ねえ……」

 初めて聞いたその単語が、妙に心に引っかかった。




「この想区でも収穫はなし、か」

「……まだ、諦めてないんですね」

「これが俺の目的だからな」

 真っ白な霧の中を、二人の旅人は歩いていた。

 二人の会話以外に、足音も、風の音も、何も聞こえない。どこまでも真っ白な空間だった。

「それにしてもニーナ、お前また想区の連中に手を貸そうとしたな」

「……クルトさんは、何だかんだ助けてくれるじゃないですか。だから――」

「ニーナ、やっぱりお前は俺の旅についてくるべきじゃない」

 クルトが立ち止まり、ニーナに向かって言い放つ。

「俺はお前が思っているような善人じゃないんだよ。お前は、どこか安全な想区を見つけたら――」

「クルトさん」

 ニーナは真正面からクルトに向かい合う。

「確かに私はクルトさんに賛同できないところもあります。でも私は、あなたについていきます」

「ニーナ……」

「それが私の意志です」

「……分かった」

 その答えを聞くと、クルトはまた霧の中を歩き始める。ニーナもすぐその後ろについていった。

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