第6話 自由

 明け方、カリルたちは作戦の準備をしていた。

「カリル、弾はあるな?」

「ああ」

「ニーナ、お前は?」

「あまり上手くないですが、一応銃も背負っておいて……一応籠手もつけておきます」

 三人が戦闘用具を整えていく。

「なあ」

 その様子を黙ってみていたマルコが口をはさんだ。

「いつまで続けるんだ、こんなこと。狼が俺を狙っている。俺を殺すまでは引き下がらない。さらに言えば、その狼を殺したところで、この世界の筋書きだったか?そいつは乱れたままだ。俺が殺される以外に手はないだろ?」

 その言葉に、カリルが顔を向けた。

「マルコ」

「……っ、何だよ」

 カリルが黙って近づいていく。

「何だよ、文句があんなら言ってみろよ。俺は運命の書のとおりに死ぬのなんて怖くも何とも――」

「生き延びよう」

「……何だと?」

「これを乗り越えたら終わりじゃない。その後も、生き延びよう」

「……お前……」

 マルコがカリルにつかみかかった。

「出来るわけねえだろそんなこと!」

「!!マルコさん、待って――」

 止めに入ろうとしたニーナを、クルトが腕を前に出して止める。ニーナに顔を向けると、無言で小さく顔を横に振った。

「出来るさ」

 カリルがこともなげに言う。

「これさえ終われば、お前はもう運命に囚われることはない。自由なんだ」

「自由だと!?ふざけやがって!!そんなもの――」

「望んじゃいない。そうだろ?」

「――っ!?」

 マルコがここで初めてたじろいだ。

「最初俺は、お前が強がってるか、運命の書に囚われて、運命に逆らうって発想がないんだと思ってた。でも違ったんだな。お前は本当に生き残ることを望んでなかったんだ」

「だったらどうして――」

「ここで生き残れば……生き延びれば、まだその先があるんだ」

「……」

「俺はお前に、自由ってものを知ってほしいと思ってるんだ。それは必ずしも良いものじゃないってことも分かってるし、そもそもこれは俺のわがままだけどな」

「分かってるなら、お前のわがままに俺を巻き込むな……」

「まあ、そりゃそうだよな」

 カリルはそう呟くと、マルコに背を向けた。

「マルコ、生き残ったら……いや、生き残ろう。そしてその後に、運命の書に何も書いてないってのはどんな気持ちか教えてくれ。文句はその後いくらでも聞いてやる。だから、今は俺のわがままに付き合ってくれ」

 カリルは小屋の外へ向かって歩き出した。

「待たせた。行こう」

「……ああ」

「はい!」

 三人は外へと歩き出した。

 扉が閉まり、静寂に一人取り残されたマルコが呟く。

「いきなり自由だなんて言われたって……どう生きていけっていうんだよ……くそっ……」




「脆弱だな」

 小屋から少し離れたところで、クルトがカリルに向かって吐き捨てた。

「皆があんたたちほど強くないんだよ」

 カリルがどこか寂しそうな声色で応えた。

 二人は森の奥の方へ歩いていた。マルコを守るのはニーナに任せてある。

「運命の書に何も書いてないってのは、どんな気分なんだ?」

「どんなと言われてもな……。俺は生まれた時からこうだった。だからこれが俺にとっては当たり前としか思わねえよ。お前らにとっての運命の書と同じことだ」

「そうか……やっぱり強いな」

「俺からすればこれが普通だ。逆にあのガキみたいな連中が弱いんだよ。運命の書に従っているだけじゃない。従うことが当たり前になりすぎて、自分の考えで生きていくことができないなんてのは、どうかしてる」

「……今まで当たり前だったものが、急になくなるんだ。怖くもなる」

 俺だって怖い、とカリルは消え入りそうな声で呟いた。

 運命の書には、持ち主が生まれてから死ぬまでの生き方が記されていた。持ち主はその内容に何の疑問も持たないまま、それに従って生き、死んでいく。

 だから運命の書には

「マルコは狼に喰われて死ぬ。ならその後は?」

「死にその後なんてものはない。死んだらそこで終わりだ」

「そうだよな。だからあいつの運命の書の最後の一文は『狼に喰われて死ぬ』なんだろう」

 そこで記述は終わりを迎える。

「だから、そこで生き残ったら、その後は何も指標のないまま生きていくことになる。どこで誰と出会うのか、何をするのか、いつ病気になって、いつ死ぬのか」

 マルコは死ぬことは怖くないと言っていた。だがどちらかというと、生き残ることが怖かったのだ。

「俺はさ、ずっと勘違いしてたんだよ。あいつが狼に喰われないようにする。喰い殺される運命を乗り越えられれば、それで終わりだと思ってた」

 だが、マルコからしてみればそれで終わりではない。

「その後、あいつは今まで従ってきた運命の書に続きの運命が何も書かれてない状態でこの世界に放り出されるんだ。俺はあいつが生き残った後のことを考えてなかったんだ。本当にあいつを助けるつもりなら、もっと先のこと……その後どうやって生き延びるかを考えるべきだったんだ」

 カリルは猟銃を構え、身を伏せた。

「この作戦で、俺は死ぬわけにはいかない。あいつを助けるために、あいつと一緒に未来を生き延びるために、絶対に生きて帰る。クルト、頼んだ」

 一切の戸惑いもなく言い放つカリルの様子に、クルトはため息をついた。

「無茶な作戦だ」

「分かってる」

「そこまでする意味が分からん」

「あいつを自由に……してやるなんて恩着せがましいな。自由にしたいと俺が勝手に思ってる」

「そんなことのために命を張るのか」

「俺にとっては意味があるんだよ」

「そこまで言えれば上等だよ。協力はしてやるが高くつくぞ」

「……覚悟しとくよ」

 クルトも猟銃を構え、前方を見渡した。

 少し先に一匹の狼の後姿が見えた。

「あのガキを襲ってた狼か?」

「ああ。やっぱり来てたな」

「前に俺たちの前に現れたのと似てるな。確か、頭に傷があった」

「傷……そうか。最初にあいつに会ったとき、銃弾が頬をかすめたんだ。あのときのやつだったのか」

 ゆっくりと、銃口を向け、狙いを定める。

「逃がすなよ」

「分かってる」



「……ふわあ……」

 小屋の前、見張りに立っていたニーナがあくびをする。

「誰も来ませんね……思い切って私もクルトさんの方へ行ってみても……でもマルコさんを一人にするのもなあ……」

「……なあ」

 寝床から出歩いてきたマルコに後ろから声をかけられた。

「マルコさん。もう体は痛くないんですか?」

「……おかげさまでな」

 そう答えるとマルコはニーナの横に座りこんだ。

「お前よくあの男と一緒にいられるな」

「ひどい言われようですね。確かにクルトさんは口が悪いし大抵の人には冷たいしがめついし基本的に暗いですけど――」

「……そこまでは言ってない」

「根は優しいし強い人なんですよ?」

「お前の方がよっぽど強いだろ?あの化け物どもを素手で倒せるじゃねえか」

 そう言われて、ニーナは困惑する。

「あー……私のこれは……何というか、生まれつきなんですよね。どうしてこんな力があるのかもよく分からなくて……」

「……?ふうん」

 何か事情があるような気がして、マルコはそれ以上のことは訊かなかった。

「生まれつき……か」

 ふと自分の運命の書を開く。最後のページ、自分の最期の記述。その後の真っ白なページが目に入った。

「これでもさ、昔は自分の運命が嫌だったんだ」

 マルコが今までの記憶を語り始める。

「ひでえ死に方することも最初から分かるしな。なんでつまらねえ嘘なんかついて、挙句殺されなきゃならないんだって……」

「でも、今は違う。そうですね?」

「ああ」

 今までの態度とは対照的に、素直に指摘を受け入れていた。

「ずっと運命の書の通りのことが起きるとさ……次はこうなるって分かっても、嫌だとか逃げられないかとかより、諦めて受け入れた方が楽だとか思い始めちまうんだよ」

 そうして運命の書の記述を受け入れることに慣れていった。だが、最期になって、記述通りにいかないことがあった。

「確かに俺は死ぬ寸前に助けられたんだが……あの後から俺の人生は運命の書があてにならなくなっちまった。死んだ後のことなんて何も書いてないんだからな」

「マルコさん……」

「怖えよ。この後どうやって生きるんだって。あいつ……カリルは一緒に生き延びようなんて言ってたけどさ、あいつがいたところでどうなるかなんて分からねえじゃねえか」

 この世界の人間は、ほぼ全員が運命の書をもっている。

 運命の集まりによってできる筋書きが維持されるのは、一人ひとりが運命の書に従っているからだ。周囲の人間も運命の書に従うからこそ、自分の身にも運命の書の通りのことが起こる。マルコも例外ではない。

 だから、自分に関わることであれば、他人がどうするのかも想像がついたのだ。

「途中で裏切られるかもしれないし、どっちかが病気か何かで急に死ぬかもしれない。そういうこと色々思い浮かんでさ、怖くもなるだろ……」

 マルコが消え入るような声で弱音を吐いていた。

 その様子を見たニーナは、一冊の本を取り出した。

「マルコさん、これを」

「お前の運命の書か?何でそんなもの――」

「これが、私の運命です」

 中を開いて見せる。空白のページが姿を現した。

「なっ……!?何だよこれ!?」

「私とクルトさんは、運命の書に何も書かれていないんです」

 自分の運命の書を閉じながら、ニーナは続ける。

「生まれつきこうだったっていうのもあると思うんですけど……何が起こるか分からなくても、誰がどんな人なのか分からないですけど、そんなに嫌じゃないですよ。旅の中で立ち寄った街では何があるんだろうってわくわくするし、どんな人に会うのかも楽しみですから!!」

「……強いな、お前は」

 マルコは遠くを見るような目でニーナの言葉を聞いていた。




「……当たった……」

 カリルとクルトの目の前には、件の狼が倒れていた。腹部に銃弾がめりこみ、起き上がる気配はない。

「何を呆けてる。これは第一段階だろ」

「あ……ああ」

 カリルは狼の腹を裂いて血を出すと、それを服に塗り付けた。

「これで手負いに見えるか?」

「ああ、悪くない」

「そうか。なら次は――『代役』との勝負だな」

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