第5話 覚悟
「どういうことだ?」
カリルがクルトに詰め寄る。
「狼少年が死んだことを疑っていたのは、村人じゃなかったんだ」
クルトとニーナがヴィランを撃退すると、狼は森へと姿を消した。その後、クルトはカリルたちに説明を始めた。
クルトがマルコを指さして言う。
「そいつは『狼に殺される』という運命をもっていた。だがお前が助けた。そうだったな?」
「そうだが……それが?」
「それでも村人たちが狼少年は死んだと思い込めば、筋書きは大まかには変わらない。『同じような目に合わないよう、嘘をつかないようにしましょう』となって、めでたしめでたしだ」
「めでたいのか、それは」
「大抵の奴らはそういう話が好きだし、納得するもんさ。……だが、狼少年はまだ生きていると確信している奴がいる」
クルトが苦虫を嚙み潰したような表情をする。
「狼だ」
「……狼?」
「ああ、『狼に喰い殺される』運命を持つ人間がいるんだから『人間を喰い殺す』運命を持つ狼だっているんだよ。そいつからすれば――」
「おいおい、ちょっと待て!」
カリルが来るとの説明を止める。
「狼が運命の書を持っているのか!?」
「ありえない話ではないですよ」
ニーナがそれに答える。
「私達が今までに旅をしたところでは、アリやキリギリスが運命の書を持っているところもありましたから」
「……そんなものなのか……」
カリルは驚きながらも事情を理解した。
「なら、マルコを喰い殺そうとした狼からすれば『嘘をついていた子供を喰い殺す』という筋書きを俺に邪魔されたことになるのか」
「そうだ。物語の主要人物……いや、人ではないが、ともかくそいつに筋書き通りに話が進んでいないとばれているのはまずい。だから修正のためにヴィランが出てきたわけだ」
「じゃあクルトさん、マルコさんを助けるためには……」
「村人に続いて狼も騙さなきゃならん。狼少年は死んだ――とな。迂闊だった」
「……どうすればいいんだ?」
クルトが左手で頭を抱える。
「あいつの偽装死体でも作るか、誰かがあいつの身代わりになって狼に喰い殺されるか……そのあたりだな」
「どっちも難しくないですかね……」
「村の連中を騙したように、猪の肝だったか?あれを使うのはどうだ?」
「人間はともかく狼は同じ手で騙せないだろ」
「そんな……」
三人の言葉が詰まる。
「やっぱり無理だったんだ」
何も言わずにその光景を見ていたマルコが口を開いた。
「運命の書に逆らおうなんて考えるからだ。結局お前らだって困ることになってんじゃねえか」
「諦めるなよ……何か手があるはずだ」
「どんな手があるっていうんだよ?そっちの旅人が言った方法以外に、何か名案でもあるのか?」
「っ――」
「ないじゃねえか。初めから運命の書の通り、俺を見捨てておけばよかったんだ。俺は死ぬ。嘘の報いとして狼に殺される。それだけの話だ。それでいいじゃねえか。なのに変な気を起こすから――」
「……せえよ」
「は?」
「うるせえよ」
クルトは黙って二人の口論を眺めていた。
絞り出すような声でマルコの言葉を遮ったのはカリルだった。その様子に、ニーナは二人の顔を見比べながらおろおろしている。
「誰のためにやってると思ってんだよ!!それを他人事みたいに否定しやがって!!」
「誰も頼んじゃいねえだろこんなこと!!俺からしたら、運命の書に逆らうお前たちの方が訳分からねえんだよ!!」
「てめえ――!!」
「待て」
クルトが二人を止めにかかる。
「カリル、気持ちは分かるがこれはお前が悪い」
「何だと!?」
「クルトさん!?」
カリルとともに、ニーナも驚く。
「クルトさん、カリルさんはマルコさんを助けようと――」
「それは分かってるさ。だけどな、さっきそいつが言ったことの方に理がある」
クルトがマルコを指さしながら続ける。
「そんなこと頼んじゃいない。つまりはカリル、これはお前が自分の意志で勝手にやったことだ。当人がそれに反発しても仕方ないことだろ」
「命を助けようとしてるってのにこんな言われようしなきゃいけないってのかよ!?」
「それすらも本人が望んでないことだろ。だからな――」
クルトはナイフを取り出した。
「俺たちが最初に来たときに訊いたのはそういうことなんだよ。当人が運命の書に従うって言うなら、さっさと死ねばいい話だ」
ナイフの持ち手をカリルに向けながら続ける。
「改めて聞くが、お前はどうしたい?自分の意志で――言い換えれば自分の勝手な考えでそのガキを助けるのか。逆に今からでもそいつを見捨てるのか。どうする」
「……」
「自分で始めたことだ。いつやめたって構わないだろう。今すぐにこの小屋を出てヴィランの襲撃から逃れるでもいい。ガキを今ここで殺して狼のところへ持っていくことで筋書きを直すでもいい。当人が望んだ運命の書の通りの結末だ」
「俺は――」
カリルが声を振り絞る。
「今更引き下がれるかよ……」
「それは自分のためか?」
「それは……」
「それとも単なる意地か?」
「っ……」
答えられずにいるカリルを見て、クルトはため息をついた。
「覚悟が決まったかと思っていたが、まだ迷いがあるな――」
クルトはナイフをしまうと立ち上がり、外へと歩き出した。
「地形を見てくる。ニーナ、留守は任せた」
「……はい」
「カリル。……狼たちに居場所がばれた以上、ここから移動する必要がある。今夜には動くから、それまでに改めて考えておけ。自分が何をしたいのか、それが何のためなのか」
そう言い残し、扉を閉めた。
「すみません。クルトさんは結構厳しいことも言う人なので……」
「いや、いいんだ。あいつの言っていることは……滅茶苦茶なようだけど、俺には反論できなかった」
カリルが消沈しながら応える。
「俺はさ、俺なりに正しいことをやってるつもりだったんだよ」
けど、と続ける。
「確かに、それはマルコの意志もなにもない。俺が勝手にやってることなんだよな」
「カリルさん……」
「……駄目だな。見捨てないなんて言い張ったクセにこれだ。もう迷いが出てる」
「……っ!」
ニーナはマルコに向き直った。
「マルコさん!!」
そのまま距離を詰める。
「……何だよ」
「マルコさんはこのままでいいんですか!?誰にも信じてもらえずに!狼に殺されて!それでいいんですか!!」
「……運命の書にそう書いてあるんだ!仕方ないだろ!」
「仕方ないとかじゃなく!!」
ニーナがまだ食い下がる。
「マルコさんがどう思うか訊いてるんです!!」
「っ……」
「このままでいいんですか!?生きたくないんですか!?そんなの……そんなの!!」
「……いいんだよ、別に」
マルコが絞り出すように答える。
「どう思うとか、別にそんなものはない。運命の書に従って……それだけだ。今までずっとそうだったし、これから……いや、最期までそうってだけだ」
「そんな……」
「……運命の書か……」
運命の書。誰もが疑うことなくそれに従って生きる台本。自分だって、ついこの間までそれに従うことが当然だと思っていた。
カリルはふと自分の運命の書を開いた。自分が今まで送ったきた人生が書いてある。いや、カリルがただ何も考えずに従ってきた台本がそこには綴られていた。
ある日、狼が出たという声を聞く。この日はそれでも外へ出ない――。
翌日、外へ出ると一人の少年が狼に喰い殺されているのを見つける――。
そして、その後は――。
「俺は、こんな人生を歩むはずだったんだな……」
そう呟き、ぱらぱらとページをめくった。
「……?」
そのままページをめくっていく。
やがて、それは最後のページにたどり着いた。
「……これは……」
「戻ったぞ。あまり良くない状況だな」
夕方、クルトが小屋へ戻ってきた。
「おかえりなさい、クルトさん」
「ああ。この辺一帯を見てきたんだが、ヴィランがここを囲ってやがる。隣村にでも逃げられないかと思ったが、そうもいかないな」
「そう……ですか……」
「もっとも逃げられたところで、筋書きに矛盾が生じている以上どこかしらでまた狼とヴィランが襲ってくることになるだろうが……」
「じゃあ、解決策はないんですか?」
クルトが苦々しい表情をする。
「少なくとも今は現実的な手段が思いつかん」
「そんな……」
ニーナが消沈する。そこへカリルが声をかけた。
「なあ、クルト、ニーナ」
「どうした?これからどうするか決まったのか?」
「それなんだが……一つ考えがあるんだ。その……何だ、ちょっと広いところで説明したい」
「……分かった。ニーナ、留守は任せる」
「……?はい……」
クルトとカリルは小屋を出た。
「もう少し自然な嘘はなかったのか」
「思いつかなかったんだよ。仕方ないだろ」
小屋から少し離れたところで、二人は話を始た。
「で、あのガキに聞かれたくない話か」
「ああ。あいつに聞かれたら頭がおかしくなったと思われるだろうからな」
「……ほう」
その言葉にクルトが少し微笑んだ。
「面白そうだな、聞かせろ」
「ああ、考えたんだが――」
「……お前、頭がおかしくなったか?」
「……お前もそう思うか」
「そりゃそうだろ。そこまでする気が知れん。だが……」
悪態をつきつつも、クルトは何か楽しそうな表情をしていた。
「本気ではあるようだな?」
「ああ」
逡巡する間もなくカリルが答えた。真っ直ぐな目をクルトに向ける。
「いい意志だ。協力してやる」
「いいのか?無茶なことを頼むが……」
「分かってるよ、その上でさ」
気にも止めずにクルトが応える。
「上手くやろう」
「ああ……ありがとう」
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