第2話 訪問者

「ひとまず手当はこんなもんかな……」

 カリルは一息つくとそう呟いた。

 カリルは森の奥で見つけた小屋にいた。誰も使わずに放置されていたのか、人の気配はなかった。

 目の前のベッドに横になっているのは、狼に襲われていたあの少年だ。腕、腹部は包帯で止血しておいた。幸い傷は浅く、大人しくしていれば命は助かるだろう。

――まさか本当に助けちまうとはな――

 少年を見ながらカリルは考える。

 助けたのは良いとしても、これからどうするべきだろうか。死ぬはずだった人間が生きているとなれば、村の人間はどうするのだろうか……。

「…………ぐっ……!!」

 考えているうちに、少年が目を覚ました。しばらくあっけにとられながら周囲を見回していたが、やがて視線はカリルの方を向いた。

「目が覚めたか」

 少年はしばしカリルを見つめたままだったが、やがて口を開いた。

「あんた、一体……?それにここはどこなんだ……?どうして俺はこんなところに……」

 少年はしばらく俯いていたが、やがてはっと声を漏らした。自分が狼に襲われていたことを思い出したのだろう。

「あんた、俺を助けたのか?」

「ああ、そうだ」

「何故だ?」

「何故?お前、あのままだったら狼に殺されてたんだぞ?」

「知ってる。俺の運命の書にもそう書いてあったからな。だからあんたのしたことの意味が分からないんだ。あんたの運命の書にも『狼に襲われている奴を助ける』なんて書いてはいないだろ?それなのに、どうして俺を助けたんだ?」

「それは……」

 運命の書に書いていないことをする理由。カリルには未だに分からなかった。ただ、この少年を助けなければならない気がしたというだけだった。

「こんなことが村の連中に知れてみろ。運命の書から外れた行動をするなんて、おかしくなったのかと思われるぞ?ましてや俺みたいな嘘つきを助けるなんてな……」

――そうか、運命の書に書かれていないことが起きたら、こういう反応をするものなのか――

 的外れな非難をしているように思えたが、少年にとってみれば無理もない話だった。今まで何の疑問も持たずに運命の書の通りに生きてきたのに、よく知りもしない他人の介入でそこに水を差されたのだ。困惑するのは当然かもしれない。

「たしかにそうかもしれない――だが――」


「なるほどな。まぁ大抵のやつならこんなもんだろう」

「……!?」

 威圧的な声が背後から聞こえた。カリルがふりむくと、入り口のすぐ横に一人の青年が立っていた。白いワイシャツの上に着た黒いロングコートにズボン、威圧感をもった鋭い瞳が特徴的だった。

「なんだ、あんた……?」

 カリルの問いに答えず、青年はつかつかと近寄ってくる。

「お前、狼に殺される運命を持ってるんだな」

「……?ああ……」

「それで、そいつに助けられたのが納得いかないと……」

「当然だ。運命の書に書いてない生き方をすることになるなんて――っ!!」

 少年は続く言葉を発することができなかった。青年が一気に距離を詰めたかと思うと、喉元に手を突き出してきたのだ。

「なら運命の書の通りにしてやろうか?殺されるのは狼にじゃないが、死んじまえば大して変わらないだろ?」

 青年の手にはナイフが握られていた。既に少し当たっているのか、少年の喉元が赤くにじんでいる。

「こいつ――!!」

 カリルが制止しようとするが、青年は視線だけを向けた。

「手を出すな。俺はこいつと話しているんだ」

「っ――!!」

 自身に向けられた鋭い視線に、カリルの動きが止まる。

「さあ選べ。運命の書に逆らって生きるか?それとも運命の書に従ってここで死ぬか?」

「お……俺は……」

 震えながらもかすかに声を振り絞る。

「俺は……」

「……」

「い――」

「クルトさん!」

 緊迫した空間に少女が一人飛び込んできた。肩にかからないくらいの長さの金髪と、対象的な暗めの碧い瞳、そして赤いワンピースが特徴的な小柄な少女だった。

「!!」

「君は……?」

「もう、またそんなことをして!」

 カリルの困惑もよそに少女は未だにナイフを下ろさずにいる青年に駆け寄った。

「邪魔するな、ニーナ。こいつの意志を確かめるにはこれが一番早いってのに……」

 青年――どうやらクルトという名前らしい――は悪態をつくとナイフを懐にしまった。

「すみませんでした、大丈夫ですか?」

 ニーナと呼ばれた少女が声をかける。

「何なんだよ、あんたら……」

「私はニーナといいます!この人はクルトさん。通りすがりの旅人です」

「……こいつは駄目だな」

 クルトと呼ばれた男は警戒心を向けてくる少年をしばらく見てそう呟くと、やがてカリルの方へと顔を向けた。

「お前か、『狼少年』を助けたのは」

「『狼少年』……?」

「……ここではそう呼ばないのか?なら、『嘘をつく子ども』……か。まあ何でもいい。とにかく、あの村の連中の様子からだいたいの状況は分かる。お前は狼が来たと嘘をついていたこいつを助けたんだな」

「あ、ああ……そうだが……。お前、村の連中に言われて俺たちを追ってきたのか?」

「村には寄ったがそうじゃない。俺は単なる興味でここに来ただけだ」

「興味?」

「お前の運命の書には、このガキを助けるなんて運命は書いてなかったはずだ。だが、お前はそれをやった。そうだな?」

「……その通りだよ」

「何故だ?」

「……」

「普通、この世界の連中は運命の書に書かれている以上のことなんざしないんだよ。だがお前はそれをやってのけた。何故だ?」

 同じ質問をされたばかりだった。その時と同じで、まだカリルにははっきりとした答えは出ていない。

「……あんたもそれを訊くんだな。上手く言えないけどな、なんだか放っておいたらいけない、って感じがしたんだ。それだけのことだ」

「……そうか。だが、運命の書に逆らうってのは、そう簡単にできることじゃない。逆らおうとすれば、それを抑える力がどこかで働くようになっている」

 運命を矯正する力……そんなものがあるのなら、自分がしたことはどうなるのか。カリルはすかさず問いかける。

「なら、俺がこいつを助けたのは無駄になるのか!?」

「まぁ、恐らくな……。しかし、そうだな……」

 そう言いながら、クルトはあごに手を当てて何か考え始めた。

「クルトさん」

 ニーナ、と名乗っていた少女がクルトに問いかける。

「助けてあげましょうよ」

「また面倒なことを言い出したなお前は……。いつも言ってるだろ。運命の書に逆らうってのは――」

「でも、手がないわけではないんでしょう?」

「それはそうだが――」

「何か方法があるのか!?」

 カリルがニーナの言葉に食いついた。

「教えてくれ!どうすればこいつを助けることができる!?」

「答えるのは構わんが、上手くいくとは限らないぞ?」

「可能性があるのなら、やってやる!」

 クルトはカリルをしばらく見ていたが、やがてため息をついて言った。

「……まあ、いいだろう。少しだけ手を貸してやるが、責任はとらないぞ」

「じゃあ――!!」

「クルトさん……!!」

「おい、待て!!」

 ベッドの上から少年が立ち上がる。

「誰がそんなこと頼んだ?俺の運命は――」

「黙れ」

 クルトが少年を睨みつける。

「小僧、これは――」

「小僧じゃない。俺はマルコって名前が――」

「どうでもいい」

 クルトは冷たい目線で少年――マルコを睨みながら吐き捨てた。

「これはお前のためにやることじゃない。お前の意見には興味がないし聞く気もない」

「なっ……」

「おいおい、そんな言い方はないだろ……」

 クルトはカリルに向き直った。

「普通に考えれば、『狼に食われる』という運命をもつ人間は死ぬ。そういう風に周りの人間の運命も作られているし、この世界の神も運命に逆らうことを許しはしない。だから普通は運命から逃れるなんてことは無理なんだ」

 クルトはカリルに向かって説明を始めた。マルコのことは視界に入れてすらいない。

「だが、運命に変化がないように見せかけることが出来れば、運命の書とは異なることをすることもできる。俺が考えているのはそういうやり方だ」

「……ええと……どういうことだ?」

。あの村の連中にそう思わせることが出来れば、一見すると運命の書のとおりの生き方をしたことになる。つまり、だ。そうだな、俺はこう表現しているんだが――」


「この世界の『筋書き』を維持することができるんだ」

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