第1話 猟銃を持つ少年

 ――死ぬのか?俺は――


 朦朧とする意識の中、草原に傷だらけで倒れていた少年はどこか他人事のように、自分の辿る結末について思いを巡らせていた。


 ――そうだ……そういう『運命』だったじゃないか……初めから分かってたことだ……今更……何も――


 少年は目を瞑った。そうして考えることをやめ、自らが持つ『運命』に身を任せようとした。


 だが。


 ――い――――おい――――しっかり――ろ――――


 ――……なんだよ……うるせえな――


「――い!おい!しっかりしろ!もう大丈夫だ、やつは追い払った!待ってろ、すぐ傷の手当てを……」


 ――なんだ、こいつ……?こんなこと、俺の『運命』にはなかったぞ……?だって、俺は――


「……何で……こんなことを……」

「話は後だ!ほら、あいつが戻ってこないうちに逃げるぞ!」

 声の主である青年は、応急処置を施して少年を担ぐと、そのままどこかへと歩いて行った。




「狼が出たぞー!」

 草原にある小さな村に、少年の声が響く。

「……またか」

 自分の家で猟銃を磨いていた青年――カリルは、ちょうど磨き終えた猟銃を手に、ゆったりと外へ出た。

 大あくびをしながら村の中を歩き回り、あたりを見渡す。カリルと同じように猟銃を持って外を駆け回っている青年が他にもちらほらと見えた。だが、出たと言われた狼は一匹も見当たらなかった。

「……まあ、『運命の書』の通りだな」

 そう呟くと、踵を返し家へ向かう。

――今までもそうだ。狼が出たという叫び声が聞こえる。俺たちはそれを信じて猟銃を持って外へ出る。だが狼は見つからない。たしか明日も同じようになるはずだ――

 カリルは懐から一冊の小さな本を取り出し、その中身に目を通した。

――ああ、明日じゃない、明後日だったか。まあいつだって構わんがな。どうせ狼は来ないんだから――




 この世界に住む人々は、生まれたときから一冊の本を持っている。

 自らの辿る運命が記されているそれは『運命の書』と呼ばれ、人々はそれに従って生きる。

 この村の近くには広い草原があり、村人たちは羊の放牧をしていた。だが、その草原には時折狼が出ることがあった。そこで狼が出たらカリルのように猟銃を扱える者が狼を追い払うようになっていた。

 だが近頃、狼が出たと嘘をついて村人を困らせる者がいた。それが誰なのかは分からない。だが、その嘘のたびに村人たちは律儀に外へ飛び出し狼を探し、結果一匹の狼も見つけることなく戻っていった。全て運命の書に書かれていたことだった。

 「狼が出た」という声を聞く。それを聞いて家を出て狼を探す。狼に出会うことなく家に戻る。カリルは運命の書に書かれている通りに行動していた。

 だから、彼には分かり切っていた。

 狼が出ないことも、後に「狼が出た」という声を聞くことがなくなることも。




「狼が出たぞーー!!」

「……はあ」

 何度目か分からない声が外に響くのを聞いて、カリルは立ち上がる。そして、猟銃に手をかけてからふと考えた。

――どうせ狼になんて出くわさないのに、猟銃を持っていく必要があるのか?――

「……いいか」

 カリルは猟銃を持たぬまま、手ぶらで外へ出た。一応外をふらふらと歩きながら、周囲を見回した。だがそれは、もはや狼を探すなどというものではなく、ただ視線を向けるだけの、中身のない作業だった。

「……そろそろ帰るか」

 回数を経るたびにこの一連の作業も適当になっていた。狼が来ないことが分かり切っている以上、カリルはどうにも真剣になれなかった。

 家に帰り、ベッドに背を預ける。そして、運命の書を開き、今日の出来事の後に起こることを読んだ。

「……いよいよ明日か……」

 明日、自分は狼が来たという叫び声を聞くことになる。だが、明日は声を聞いても決して外に出ない。明後日になり、村人たちが一人の少年が狼に襲われて死んでいるのを見つけることになる。運命の書にはそう書かれていた。

「……ようやくこの面倒な日々が終わるのか……」

 カリルはそう呟くと運命の書を閉じ、目を瞑った。

――どこの誰のいたずらか知らないが、散々村に迷惑をかけたんだ。死んで当然だろう。ただ、そいつが正直に生きれば済んだこと。つまりは自業自得だ――

 そう考えて、ふと思った。

――そいつも、運命の書に従ってるんだよな?――

 狼が来たという声の主も、運命の書を持ち、その記述に従っているはずだ。狼が来たと嘘をつく。そうして人々を騙す。そうして終には誰からも信用されなくなり、本当に狼が現れた時に叫んだ言葉も信じてもらえない。その結果、狼に襲われて命を落とす。そんな運命をもっているのだろう。

――分かった上でやってるのか?――

 そう考えると、声の主は運命の書に従っているだけなのだから責められるべきではないのだろうか。自業自得という評価も間違っているのだろうか。そんな考えが頭をよぎる。

「……知ったことか」

 だが、自分の運命の書には『狼に襲われている人間を助ける』とは書かれていない。だから助ける必要もないし、そうである以上あれこれ考えても無駄だ。

 そう自分に言い聞かせると、カリルは運命の書を傍のテーブルに放り投げた。




「狼が出たぞーーーー!!」


「……今日で終わりだな」

 今日は猟銃を持って外へ出る必要はない。カリルは椅子に腰かけたまま外からの声をぼうっと聞いていた。


「本当なんだよ!!本当に狼が出たんだ!!」

「ああ……そうだな。今日は本当に狼が出るんだよな」

 それは分かっている。だが、運命の書に『外に出る』と書かれていない以上、外に出る必要はない。


「お願いだ!!信じてくれ!!本当に――」

「…………」

 声が途切れた。声の主が狼に襲われているのだろうか。だが、自分は外に出る必要はない。

 ……そのはずだった。


 カリルは猟銃を手にすると、扉に手をかけた。

――いや、待て。俺は何をしようとしているんだ?――

 自分は今外に出ようとしている。しかし外へ出てどうしようというのか。自分は今まで運命の書に従っていただけだ。運命の書に書いていないことをしようとしたことなど今までなかったし、その結果どうなるのかなど自分にも想像がつかない。

 運命の書に書いてある通り、今日は外に出ずにいれば良い話ではないか。何故そうしないのか。

 答えの出ないまま、カリルは家の外へ出た。自分以外に外へ出ている人間は見当たらない。ひとまず、いつも羊が放牧されている村はずれの草原へ向かうことにした。


――一体どうしちまったんだ?俺は……――

 何の考えもなく草原に向かいながら、カリルは考える。

――あの嘘つきの様子でも見に行こうってのか?それで、一体どうするつもりなんだ?あいつの死にざまを嘲笑うのか?それともあいつを襲ってる狼を追い払うつもりか?そんなことをして何になる?嘘をつくのも、その結果誰にも信用されなくなるのも、狼に襲われるのも、全部あいつの運命だろ?俺には関係ないはずだ――

 草原に着き、猟銃を構える。姿勢を低くしながら、周囲を窺った。

 羊が倒れている。白い毛が一部赤く染まっていた。

「……やっぱり狼が出たのか……」

 警戒しながら進んでいく。血の臭いが鼻に纏わりついてくるが、気にしてはいられない。そして、

「……!!いやがった……!!」

 狼だ。こちらに背を向けた一匹の狼がいた。すかさず猟銃を構えるが、ふと気づいたことがあった。

 少年が狼の下敷きになっている。既に襲われていたらしく、腕や腹からは血が流れていた。

「う……ぐ……」

「あれは……」

 まだ息はある。今ならまだ助かるだろうか、と考えかけたが、散々村に迷惑をかけた人間を助ける道理も、運命も持ち合わせてはいない、と自分に言い聞かせる。余計なことはしない方がいい。自分も巻き添えを食らわないうちに帰ろうか――

――そう考えているうちに、少年がかすかに洩らした声が聞こえた。


「ぅ……いたい……」

「……」


「助……け……」



「くそっ!!」

 何かが吹っ切れた。すかさず狼に銃弾を撃ち込む。

 頬をかすめた銃弾に一瞬ひるみながらも、狼はすぐさま逃げていった。

「おい!おい!しっかりしろ!」

「ぐっ…………」

 まだ意識がある。噛まれた部分の止血をすれば助かるかもしれない。

「おい!おい!しっかりしろ!もう大丈夫だ、やつは追い払った!待ってろ、すぐ傷の手当てを……」

「……何で……こんなことを……」

 まったくだ、とカリルは思う。運命の書に書かれていないことをしている理由も、散々嘘をついて村人を困らせた人間を助ける理由も、カリルには分からなかった。

「話は後だ!ほら、あいつが戻ってこないうちに逃げるぞ!」

 迷いを振り切り、腕と腹に服をきつくまきつけてから少年に肩を貸す。

――こいつを連れて村に戻ったらどうなるか分からねえ。そうだ、ここから少し進んだところに昔猟に行ったときに見つけた小屋があったはずだ――

 カリルは少年を連れて小屋を目指してゆっくりと歩き出した。

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