第21話 本部読幸と綾上鈴(下)
「あれ、兄さん。なんか今日はちょっとお洒落してるね。……鈴ちゃんとデート?」
「うん、そうなんだ」
幸那ちゃんと、玄関の前で言葉を交わす。
綾上と付き合ってから、初めての休日だ。
今日は、彼女――そう、恋人になった綾上と一緒に、動物園にデートをしに行く予定なのだ。
俺はネットで、「爽やか白シャツがデート服にはイチオシ!」という情報を仕入れていたのだが、幸那ちゃんからも受けが良いみたいで、少し安心した。
昨日は背伸びして美容室で髪も切ってもらったし、セットの仕方も教えてもらった。
なんだか気合が入りすぎだと思われるかもしれないが……気合が入りすぎているのは事実である。
そういった指摘は、甘んじて受け入れよう。
「それじゃ、行ってくるよ」
と、靴を履いてから立ち上がると、
「あ、ちょっと待って、兄さん。襟、曲がってるよ」
そう言って、幸那ちゃんは俺の襟を正してくれた。
「頑張ってね」
そして、背中をポンと押して、微笑みかけてくれる。
……天使だ。
「ありがとう。それじゃ、今度こそ。行ってくるね」
「うん、行ってらっしゃい」
☆
動物園の最寄り駅の改札付近。
俺はそこで、綾上を待っていた。
行きかう人を見て、綾上が来ないかをキョロキョロ探すのだが、まだ集合時間の20分前。
しばらく来ることはないだろう、俺の到着が早すぎた。
俺は、待ち時間に今日の目的(・・)を頭の中で確認しようとして……。
「あ、あれ? ……君、だよね?」
聞きなれた声。
俺が振り返ってみると、そこには文学少女風の清楚な恰好をした女の子。
綾上がいた。
……何度か綾上の私服姿を見たことはあるものの、改めて見ると……やはり、可愛い。
普段は薄く化粧をしている程度だと思うのだが、今日はナチュラルさを崩さないまま、普段よりも気合の入ったメイクをしてくれているようにも見える。
……可愛い。
それ以外の言葉が出てこなかった。
「うん、俺だけど。……やっぱ、変かな?」
俺は頬を掻きながら、綾上に問いかける。
綾上みたいな美少女の隣を歩くのだから、多少はマシな恰好をしなければ、と思っていたのだが。
肝心の彼女にはどう思われただろうか。
「……格好よくって、別人かと思いました。やっぱり幸那ちゃんのお兄ちゃんなんだね」
頬を朱色に染めつつ、俯いて告げる綾上。
「あ、ありがとう。……綾上も、めちゃくちゃ可愛いよ」
「うぅ……」
俺が言うと、綾上は恥ずかしがって
付き合う前はあんなに積極的だったのに、付き合ってからというもの、綾上はこんな感じで恥ずかしがってばかりだ。
そんな綾上の手を握ってから、俺は尋ねる。
「実は俺、ちょっと不安なことがあってさ」
「え、不安? どんなこと?」
手を繋いだことでさらに顔を赤くした綾上が尋ねる。
「綾上、付き合う前はあんなに積極的だったのに、最近は恥ずかしがってばかりだから。……釣った魚にエサはやらない、的な考えなのかな、と不安に思って」
「き……、君のデレ方の威力が高すぎるせいですから……っ!!! 私はペースを崩されっぱなしです!!!」
顔を真っ赤にして、俺の言葉に対して怒った綾上。
「で、でも。……幸那ちゃんに対するデレ方を考えれば。これでもまだ控えめ、なのかも」
ちらり、と俺を横目で伺う綾上と目が合う。
さらに顔を真っ赤にした。
そして、繋いでいない方の手で、俺に見られないように綾上は顔を隠そうとするのだが……それが、本当に可愛らしい。
俺は幸せな気持ちになって、
「さ、行こうか」
と、照れ屋な彼女とともに歩き始めるのだった。
☆
天気は快晴。
動物園に遊びに来るには、絶好の日だ。
今日は休日なだけあって、家族連れや俺たちのような若いカップルで園内はにぎわっていた。
「さて、とりあえずぐるっと一周してみようか?」
「うん、そうだね」
俺たちは案内板をみて、園内を一周することに。
「わー、ゾウだ、おっきいね!」
「キリン、首なげー」
「わぁ、パンダだ! ……全然動かないね」
「うぉ、ライオンだ! やっぱ迫力あるなぁ」
「あ、パンダだ!」
「もうみた」
俺たちは色んな動物を見て回った。
動物の生態を見て回るだけだと思っていたが、これがいかんせんテンションが上がる。
カバとかサイとかゾウとか、でっかい生き物をみると、「すげー、喧嘩になっても絶対勝てねーよ!」みたいな頭の悪い感想が次から次に出てきて、そのたびに綾上にはくすくすと笑う。
ちなみに、動物園デートの最中。
綾上のポンコツっぷりは、なりを潜めていた。
俺は正直、少し心配になった。
綾上からポンコツ可愛いを取ったら、一体何が残るのだろうか?
……あれ、もしかしてただの美少女になっちゃう!?
「どうしたの? 疲れちゃった?」
柔和に微笑む綾上が問いかける。
俺は首を振ってから――。
「いや、大丈夫だよ。鈴は疲れてないか?」
「うん、私も大丈夫だよ。……ふぇ? え、鈴?」
ワンテンポ遅れて反応した鈴。
……俺の今日の目標は、綾上を「下の名前で呼ぶこと」だった。
こう、自然な感じで受け入れてもらえないだろうか、と思い今のタイミングで読んでみたのだが、かなり引っかかったようだ。
そうなると、俺も照れくさくなってしまう。
「や、やっぱり。綾上って呼んだ方が「鈴で良いよ! ううん、鈴が良い!」お、おう」
俺の言葉に食い気味で言ってきた鈴は、自分の行動に後から照れてしまったのだろう。
「でも、その……いきなり呼ばれたら、びっくりするんだからっ! 君は、ホント……もう! ときめき独占禁止法違反で逮捕されても知らないんだからっ……」
すごいバカな法律を作ってしまった鈴。
ポンコツっぷりは健在そうで、俺は少し安心した。
「さて、それじゃ結構時間も経ってるし、ご飯でも食べに行こうか」
「……はい」
照れくさそうに頷く鈴と、俺はもう一度彼女と手を握り直して、動物園を後にした。
☆
「別に、駅までで良かったのに」
二人でご飯を食べた後。
俺は鈴と同じ方向の電車に乗り、彼女の家の近くまで送ることにした。
「鈴みたいな可愛い女の子が暗い中一人で歩いていたら、危ないだろ?」
「大丈夫だよ、人通りの多い道で帰っているし。て、いうか。……君と一緒にいる方が、危ないよね?」
試すように尋ねる鈴に。
「……ごめん、否定できない」
俺は正直に応えた。
「……ば、ばかっ! ホント、君デレすぎだからっ!」
顔を真っ赤にして、鈴は俯いて言う。
可愛い。
「鈴が可愛すぎるのが悪い。俺は何も悪くない」
「う、うぅ……なにそれ、嬉しすぎるよぅ。でも、心臓がバクバクして、大変だよ」
ぎゅ、と俺と繋いだ手に力が込められた。
「……ちょっとだけ、寄り道しませんか?」
「……うん、あんまり遅くならないんだったら、良いよな」
鈴は俺の返事に、にこりと頷いた。
そしてしばらく歩いた後、案内されたのは遊具もほとんど無いような小さな公園だった。
夜の暗い時間なこともあってか、周囲には誰もいなかった。
互いの身体が触れ合うくらいの距離で、俺たちはベンチに腰掛けた。
そして、手を握ったまま、話す。
「誰もいないし、すっごく静かだね。世界に、私たち二人だけみたい」
「……でも、近所のご家庭が晩ごはんと思われるカレーの匂いが、その雰囲気を台無しにしてるよな」
「……確かに」
クスリ、と無邪気に笑う鈴。
俺もおかしくなって、思わず笑ってしまった。
「今日は、すっごく楽しかったです」
俺の肩にしなだれかかり、鈴は言う。
「うん、俺も楽しかった」
「……私、すごく幸せだな」
「俺も」
本当に、幸せだと思った。
これから先も、二人でならきっと幸せでいられる。
そう思っていた。
だけど、鈴の続く言葉を聞いて、俺は――。
「動物園、良い取材になりました。……あっ」
しまった、というような表情を浮かべてから、
「ごめんなさい」
鈴は、辛そうな表情で俯いて、そう言った。
俺はその表情を見て、思い知る。
きっと彼女は、まだ迷っている。
吹っ切れていない。
だから――こんなに、辛そうな表情を浮かべるのだろう。
俺は、鈴にこんな表情をさせたくない。
そう思ったから、彼女と付き合うことにしたんだ。
――鈴。
俺は彼女の名前を読んで、肩を掴んだ。
華奢な肩は、びくりと跳ねる。
でも、驚いただけで、抵抗するような感じではなかった。
どうすれば彼女の不安を取り除けるかはわからなかった。
どうすれば彼女の迷いを忘れさせられるのか、わからなかった。
でも、きっと。
今の俺にできるのは、これだけだ。
「キス、しても。良いか?」
緊張して、思わず上ずった声。
ちょっとキモかったかもしれない、けど。
俺もこれが限界だ。
めっちゃ、緊張する。
鈴は少しだけ困ったような、でもどこか幸せそうに笑ってから。
瞳を閉じた。
俺はそのまま、彼女の唇と自分のそれを重ねようとして――。
彼女が涙を流していることに気づいて、やめた。
「あ、あれ?なんでだろ。嬉しいはずなのに……ごめんね、目に、ごみでも入ったのかなぁ」
あはは、と努めて明るく振舞おうとする鈴を見て、俺はどうしようもないことに気づいてしまった。
肩を掴む手に、力が籠ってしまう。
「……あのさ、鈴。本当は、まだ小説を書きたいんだよな?」
「……それは」
言葉に詰まる鈴の目元の涙を拭う。
「ちゃんと、考えてほしい」
「え?」
「俺はただの読者だから、詳しくはわからない。だけど、多分。鈴の小説で傷ついた心は、小説を書くことでしか癒せない。……いや、ごめん。小説を書いたって、癒せないのかもしれない。それでも、今の鈴に必要なのは、俺と一緒にいることじゃないんだと思う」
ここまでで、ようやく気付いた。
「俺から告白しておいて、こんなこと言うのは、無責任なんだと思う。でも、ごめん。俺には、鈴の悩みも迷いも、取り除くことができそうにない。だから――無責任なことを、言わせてくれ」
俺は、彼女の――『三鈴彩花』の助けになることは、何一つとしてできそうにない。
それは、すごい悔しいことだった。
「小説を書くこと、辛いなら辞めたらいい。今でも俺は、そう思っている。だけど、それだけじゃないのなら。心のどこかで燻っている火種がまだあるのなら。――もう一度、その気持ちとしっかり向き合うべきだと、俺は思う」
まっすぐに俺は鈴を見つめる。
だけど、彼女は俺の方を見ようとはしない。
俯いたまま考え込み、そして――。
「少しだけ、考えさせてください」
鈴は、ただ一言応えた。
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