第20話 本部読幸と綾上鈴(上)
――思えば、俺が『三鈴彩花』の小説を叩いてから、ずいぶんと色々なことがあったように思う。
作品を叩いたことにより、何故か綾上に惚れられてしまった俺は、ことあるごとに彼女から熱烈なアプローチを受け続けた。
雨の日には二人で相合傘をして。
昼ご飯をお互いに「あーん」して食べさせ合う。
一つの飲み物をハート形のストローで二人で飲んだりしたし。
カラオケボックスで、俺の膝の上に座った綾上の歌を聞いたこともあった。
――今思い出しても恥ずかしいが、綾上が家に泊まりに来たことすら、あった。
しかし、俺は鋼の精神でそれらをすべてはねのけた。
……はずだったのだが。
俺は、自分の気持ちを自覚することとなった。
俺は、綾上鈴が好きだ。
言動が少々ぶっ飛んでいるものの、好意を向けてくれる美少女に惚れるなというのが、土台無理な話だ。
俺は、
彼女の笑顔が好きだ。
彼女の声が好きだ。
彼女の温かさが好きだ。
彼女の全部が。
気がつけば大好きになっていた。
――しかし、それでも。
俺は彼女の気持ちに応えるわけにはいかないのだ――。
☆
『ていうか、君ってまだ『恋人補正がかかって綾上の作品を正しく評価できないかもしれないから』っていう意味の分からない理由で、私と結婚してくれないの?』
「意味わかんなくないって。あと、付き合ってもいないのにどうして結婚の話になるんだよ?」
とある夜。
俺は綾上と電話をしていた。
こうして、毎日寝る前に彼女と電話で話すのは、ここ最近の日課になっていた。
『付き合ってもいない? 何を言っているの? こうして毎晩寝る前にお互いの声を聴くため電話をするなんて、普通は恋人くらいのものだよ』
「いやいや、友達同士でも夜に電話をすることあるだろ?」
『そうかもだけど、毎晩寝る前に、しかも異性同士でってなると……恋人くらいのものだと思うの』
「……一般的にはそうかもしれないが、俺は決して認めない」
これが電話で良かった。
もしも対面していたら、照れ臭くて真っ赤になった俺の顔を見て、綾上が大はしゃぎするに違いないだろうから。
「もー、あんまり意地悪言わないでよねー、そろそろ刺されても文句言えなくなるよー」
いじけたような口調の綾上。
ちょっと本気で言ってそうなところが怖い。
その後、
「そうだ、さっきの話なんだけど」
「さっきの話って。……なんだっけ?」
「私と付き合ってくれない理由のこと。つまり君は、レビュアーとしての誇りが邪魔をして私と付き合えないだけで、特別私のことが嫌いなわけでもないんだよね?」
少しだけ不安そうな綾上の声音。
「……綾上と一緒に遊んだり、話したりするのは、楽しい。料理上手なのも、めちゃくちゃポイント高い。それに、綾上は美人だから、彼氏になるやつがうらやましいとも思う」
……て、いうか。
ぶっちゃけ俺は綾上に彼氏ができてほしくない。
しれっと彼氏とか作ってたら、普通に泣くと思う。
そんなことを頭では理解しているつもりだけど。
やっぱり、綾上が作家として小説を出すというのなら。
……くだらない意地に過ぎないと分かっていても、彼女と付き合うことができないのだ。
「きゅ、急に、そ、そういうのは……卑怯だから!」
俺の考え事を遮るほどの大音量を、突然発したスマホから、俺は瞬間的に耳から離した。
「オホン! ……つまりこれまでの話をまとめると。恋人補正とか関係なく、君が面白いと思う作品を私が書いたら。結婚をしてくれるってことだよね?」
「違うよ」
俺は当然の事実を言った。
結婚って、飛躍しすぎじゃなかろうか?
「違わないよ」
綾上は当然のように言った。
「違わないの!?」
あれ!? ……もしかして本当に違わない気がしてきたぞ!?
「つまり、君が私の小説を読んで、贔屓目、色眼鏡なしでこれ以上の点数がつけられないっていう作品を書けたら。君が意地を張る理屈が通らなくなる。分かるよね?」
「……それは、まぁ。毎回そのクオリティの本を出されたら、その通りなのかもだけど」
「だから、君が本当に面白いと思える小説を私が書き続けられたら。私と結婚、ということだよね?」
「違うよ。やっぱりそれは、違うと思うよ」
「よし、そうと決まれば、君に認められる面白い作品を書かなくっちゃだめだよね! それじゃ、おやすみなさい!」
……通話が切れたスマホを眺めて、思う。
やべぇ、綾上可愛いすぎ……、と。
だめだ、自分の好意を自覚してから、これまで通りを意識しすぎて、逆に変な感じになってしまう。
ああ、綾上が作家じゃなければ、今すぐにでも付き合うのに。
と、思ってから。
もしも綾上が作家じゃなかったら、俺に叩かれて惚れることもなかったので、やっぱり付き合うことなんてなかったのだろう。
はぁ、と俺は一つ溜め息を吐いた。
――ああ、恋っていうのは、なんてままならないものなんだろう。
俺は綾上のことを想いながら溜め息を吐いたのだった。
……そういえば最近、もう一つ。
少し気がかりなことがあった。
彼女の声や表情が、以前よりも固く緊張しているように感じたのだ。
それは、今日の電話でも同じだった。
何か無理をしているようだったが、一体どんな無理をしているのか。
俺には、予想も想像もできなかった。
その理由が何なのか――俺は、この後知ることになるのだった。
☆
あの電話から、一週間。
これまで綾上は、ことあるごとに俺に接触をしようと試みていた。
だけど、今週に限って。綾上から学校や放課後、土日の時間、俺に絡みに来ることがなかった。
☆
そして、ある日の放課後。
俺は綾上に久しぶりに誘われて、駅から少し離れた公園に来ていた。
周囲には、人がいない。
二人でベンチに腰かけている。
顔自体は学校で合わせていたものの、こうして行動するのは久しぶりで、お互いにどこか遠慮があった。
ただ、いつまでもこうしていてもらちが明かない。
俺は、綾上に尋ねた。
「今日は、どうしたんだ?」
俺の言葉に、綾上は弱々しく笑ってから、頷いた。
「君に、伝えたいことがあったの」
ドキリ、と胸の鼓動が高鳴った。
これまでのような感情任せに好意を伝えられるのも、かなり危険なのだが。
今みたいに普段見せない表情で来られるのも……こう、ぐっとくるものがある。
「私。書けなくなったみたいなの」
「……え?」
綾上の視線が俺に向けられる。
何を言われたかわからなかった俺は、ただ呆けた声を漏らしていた。
「この一週間、ずっと書こうと思って、パソコンに向き合ってた。でも、書けなかった。取材にたくさん付き合ってもらったんだから、書きたいことはあるはずなのに。……それでも、書くことができなかった」
どうやら綾上は、小説執筆について話をしているようだ。
「スランプ……ってやつか?」
「どう、なんだろう。……でも、書こうとすると、思い出すの」
「思い出すって、何を?」
俺の問いかけに、綾上は俯いて答える。
「私の小説を、つまらないって言った人たちの言葉を、どうしても思い出すの。私の小説を読んで楽しくなる人なんかいないんじゃないか。……ううん、そもそも誰も読んでくれないんじゃないか。そんな風に思えて……どうしようもなく怖くなって。結局、一文字も書き進められなかった」
だから、私ね。
――小説を書くの、やめようと思うの。
続く言葉を聞いて、俺は唖然とした。
「本気で言ってるのか?」
「……うん」
彼女の俯いた横顔から、辛そうな表情をしていることに、俺は気づいていた。
綾上は、本当に書くのをやめたい、と思っているわけじゃないのだろう。
ただ、書けなくなってしまった。
どうしようもなく、書くことが苦しくなってしまった。
彼女の小説を叩いた俺にも、その責任の一端があるのだと思う。
――じゃあ、どうする?
俺は読者だ。
作者として同じように悩みを分かち合うことはできない。
編集者のように、一緒に企画を考えて、次回作を作り上げることもできない。
俺がするのは、完成された作品の良し悪しを見極めて批評するだけ。
だから――力になれることは、きっとない。
それなら。
それならば。
「小説家なんて、やめたらいい」
――そうだ。
俺は以前、「綾上が小説家じゃなかったら」と。
そう望んだはずだ。
「俺、最近気づいたことがあるんだ」
俯いたままの綾上に、俺は続ける。
「綾上が苦しむだけの小説なんて、もう書かなければ良い。俺は、今みたいに苦しそうな綾上が見たくない。小説を書くよりずっと幸せになれる様に頑張るから」
顔を上げた綾上と、お互いの視線がバッチリと合う。
俺が今から言うことは、きっととてつもなくズルい言葉だ。
だけど、それが分かっていたとしても。
弱々しい表情を浮かべる綾上を、少しでも励ましてあげたくて。
そのきっかけが、間違っているのだとしても。
――この気持ちを言葉にして、まっすぐに伝える以外。
俺には、どうすることもできない。
「好きだ、綾上。俺と付き合ってほしい」
俺の言葉を聞いた綾上は、しばし呆然としていた。
「……はい」
そして、彼女は一筋の涙を流し、頬を濡らした。
その涙が、喜びのものでないことくらい。
俺にも、すぐにわかった。
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