第18話 美少女作家とお泊り会(下)

 深夜零時を少し過ぎたころ。


コンコン

 

 という、俺の部屋の扉をノックする音が聞こえた。

 幸那ちゃんか母さんなら、ノックも無しにいきなり入ってくる。

 だから、多分。

今、扉の前にいるのは綾上だろう。


 出るかどうか、しばし逡巡した。

 それから――俺は、結局扉を開けた。


 そこにいたのは普段見ることのない、パジャマ姿の綾上で、少しだけ不機嫌そうにむっつりとしていた。


「……どうした?」


「ちょっと、お話がしたくて」


「……昼間のことだよな? ええと、お見苦しいところを見せて、悪かった」


「……別に、さっきのことは怒ってないよ。ちょっと、妬きもちしちゃっただけ」


「妬きもちしたから不機嫌そうなんですか、綾上さん?」


 俺が伺うと。

 

「そうじゃないよ。ただ、私――」


 躊躇うようなそぶりを見せてから、言う。


「君に。ちゃんと好きって言ってもらえたことなかったな、って思って!」


 ……


「……付き合ってもいない女子に、高校生男子がそう簡単に『好き』とか言うわけないだろ?」


「付き合ってないけど、幸那ちゃんにはすぐに好き好き言うじゃんか!」


「幸那ちゃんは妹だから!」


「じゃあ、私も君の……妹になる!」


 何言ってんだこいつ、深夜のテンションとはいえ、ぶっ飛びすぎじゃないか!?


「よ、読幸お兄ちゃん……。鈴のこと、好きって言ってほしいな?」


 上目遣いに俺を伺う綾上が、甘えたような声で言った。

 すごいバカみた可愛い。

 ……じゃなくて!


 すごいバカみたい――だけど可愛い!

 あ、くそ、思考が可愛さに侵食されている。


 ああ、もう!

抱きしめたくなるくらい、可愛い、ちくしょう!


 しかし。

 俺は幸那ちゃんのお兄ちゃんだ。

 他の妹に、現を抜かしてはいけない。


「俺は、妹だったら誰でもいいわけじゃない。幸那ちゃんが妹だから、俺は可愛いと思うんだ。……だから、その作戦は意味がないぞ」


 俺は照れる綾上に、無慈悲に告げる。


「……妹になると結婚できないし、確かにこの作戦は失敗でした」


 しょぼん、と肩を落とす綾上。


「だ、だったら! 今日は君に、『好き』って言ってもらえるまで、君の部屋でお話をします!」


 と、立ち直った綾上は、第二の作戦を告げる。


「は、はぁ!? 何言ってんだよ。ていうか、綾上を独り占めしたい幸那ちゃんが怒るぞ!」


 俺はそういうのだが。


「幸那ちゃんは、もう寝てるよ。確かに、君が前言ったように、すっごく可愛い寝顔でした……。ただね、幸那ちゃんに独り占めされるのは、もうおしまいなんだよ?」


 そう言って、スマホの待ち受けを俺に見せてきた綾上。

 日付は変わった零時過ぎの時間が表示されている。


「幸那ちゃんに独り占めされるのは、あくまで昨日のお話! 今日は、私。君に独り占めされます!」


 と、無自覚にすごいことを口走った綾上。

 冷静になって対応しようとしたのだが――。



 俺は思わず、胸を張る綾上に視線を奪われる。




 上気して赤くなる肌。

 漂うシャンプーの甘い香り。

 そして、こちらを熱っぽく見つめる、綾上の視線。


 ――綾上の全てが、俺を誘惑し、虜にしようとする。



 やばい。

 まずい。

 どうしようもない。


 これは、もう止まれない。


 俺はそう思って綾上に手を伸ばし――


 












「悪い、綾上」














 俺は一言告げてから、伸ばした手で綾上を廊下に突き放し、急いで扉を閉めた。

 バランスは崩していたようだが、特に大きな物音はしていない。

 転んだりはしていないだろう、と俺は安心する。


「ちょ、ちょっと! 私まだ、好きって言ってもらってないのに! このままじゃ眠れないよ!」


 扉越しに聞こえる慌てた抗議の声。

 俺は、その言葉にゆっくりと応える。


「あのさ、綾上。俺の話をちゃんと聞いてほしいんだ」


「……うん?」


 俺の声のトーンが変わったことが分かったからだろうか。

 綾上は、扉の向こうで大人しく話を聞いてくれるようだ。


「普段からちゃんと言っているわけじゃないけど。綾上は、綺麗だし。すごく可愛い」


「……ふぇ?」


「そんな女の子が、積極的に俺みたいな奴を好きって言ってくれて、普通に嬉しい」


「…………ふぇ」


「いつも、ドキドキしている」


 こつん、とドアに何かが当たったような音が聞こえた。


「だから、そんな綾上が。深夜、自分の部屋にいたとして。これまでみたいに好意を向けられたら……ごめん」


 俺はここにきて、最後の言葉を躊躇うが。

 それでも、ちゃんと伝えることにした。


「俺は綾上に、変なことをしない自信が、ない」


 俺が言い終わると……しばらくの間、静寂が訪れた。


 一体今、綾上はどんな表情をしているのだろうか。

 見当がつかない。


 しかし、鏡を見たわけでもないが、俺自身は顔を真っ赤にしていることだろう。


「……君に大切にされているみたいで。綾上鈴はとっても幸せです」


 扉越しに聞こえる、微かな声。

 普段ならば雑音にかき消されてしまいそうなほど小さなその声は、しっかりと俺の耳に届いていた。


「いっつも、わがままばっかり言って、ごめんなさい。幸那ちゃんに妬きもちばっかりしてごめんなさい」


 弱々しく、震えた声で告げられる綾上の言葉。


「でも、私のわがままも妬きもちも許して、なんだかんだで付き合ってくれるのが、すごく嬉しいです」


 俺は、一言も返さないまま、ただ耳を傾ける。


「お昼は言えなかったけど、君の真面目で誠実なところが、私は――大好きです。惚れなおしちゃいました」


 心臓が跳ねる。

 高鳴る鼓動が止まらない。


「もう、寝るね。……おやすみなさい」


 綾上はそう言って、扉の前から隣の部屋に向かう足音が聞こえた。

 俺は、誰もいないことが分かっている扉に向かって、


「うん。おやすみ」


 と、一言呟いていた。

 


 布団にもぐり、俺はめちゃくちゃになる感情と向き合う。

 何だか嬉しいような、苦しいような、気恥ずかしいような。


 言葉にするのが難しい感情。



 なんだこれ。


 どうしたんだこれ


 いつもと同じはずだ。


 いつも通り、綾上から好意を伝えられただけだ。

 

 なのに、なんでここまで――俺の心はかき乱されるんだろうか?



 そこまで考えて、俺は単純な答えに気が付いたのだった。


 ああ、俺は――


「綾上のことが好きなんだ」

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