第11話 美少女作家とハートの形

 翌日。


 テストという重荷から解き放たれた学生の無敵さを噛み締めながら1日を過ごした俺は、いつもの喫茶店で読書に興じていた。


「よくフィクションで、ハート形のストローでカップルがジュースを飲むシーンってあるよね?」


 そして、対面には当たり前のように、綾上が座っていた。


「よくあるかはわからないけど、確かにあるな」


 何言ってんだこいつ? 

 その言葉を飲み込んで、俺は無難な感想を答えた。


「あれって、なんの意味があって、あんなことをするんだろうね? 飲みにくいだけだと思うのに」


 うーん、と唇の端にまっすぐに伸ばした人差し指を当てて首を傾げながら、綾上は言う。

 よく手入れされた艶のある唇に目を奪われ、ドキッとしてしまう。

 その心境を悟られないように、俺は努めて冷静に言葉を返す。


「知らんよ」


 と。

 ……動揺しすぎて、かなりぶっきらぼうになっていたかもしれない。

 

「そうだよね、分からないよね。うーん、なんでそんなことするのかなー、どうしたらわかるのかなー」


 綾上はそんな俺の動揺に気づかないのか、そんなことを言った。

 ……ていうか、かなり棒読みで、俺の方をちらっちら見ながらそんなことを言うのだ。


 うっわー、ちょっと嫌な予感がするのだが。


「と、いうわけで、実際にやってみない?」


 ウキウキの表情で、綾上が言う。

 その痛い発言に、俺は頭を抱えながら応える。


「ごめん、綾上ってそんなにバカだったっけ?」


「君のこと考えすぎてバカになっちゃったんだよ?♡」


 照れ笑いを浮かべながら、綾上は言う。

 間違いない。すげーバカだぜ、こいつ。

 俺は、顔が真っ赤になることを自覚しながらそう思った。


「……ていうか、ハート形のストローで飲み物を提供する頭の悪そうなお店、この近くにあるのか?」


「うーん、ちょっと調べてみたんだけど、実際にはないみたい」


「ないのかよ! いや、まぁそりゃそうだろ、とは思うけど。じゃ、ハート形のバカップル専用ストローは、諦めるということで」


 俺は安心しながらそういうのだが、


「心配はご無用だよ!」


 綾上が胸を張りながら、自慢げに言うのだった。

 そんなことをすれば、綾上の胸部が強調され、目のやり場に非常に困る。


「買っちゃいました!」


「……はぁ?」


 俺は綾上が何を言っているのかよくわからなかった。

 綾上は俺のその様子を無視して、カバンの中をガサゴソ探し始める。

 そして、パック包装された棒状の何かを取り出して、


「じゃーん、これ!」


 俺に見せてきた。

 掲げられたそれは……二つ飲み口のある、ハート形のストローだった。


 実際に見ると、想像以上に頭の悪そうな形してんな、これ。


「これ使って、一緒に飲み物飲んでみよ♡」


「……はぁ?」


 なにこいつ、ひょっとして頭ん中空っぽなの?

 

「……もしかして、乗り気じゃないの?」


 不安そうに、俺の顔色を窺う綾上。

 俺は無表情のまま、告げる。


「乗り気じゃないに決まってるだろ。ここ、お気に入りの喫茶店だぞ? お店の人に見られたら、恥ずかしすぎて来られなくなるっての」


 至極当然のことを言ったつもりなのだが。


「じゃあ、他のところならシテくれるの?」


 上目遣いで問いかけてくる。

 その言い方は、その……ダメじゃね? アウトじゃね?


「……ほかのところでもしない。ってか、そのストローっていくらくらいするの?」


 俺は話を逸らそうとして、尋ねる。

 綾上はというと、自然な感じに応えた。


「ネット通販で買ったんだけど、三本入りで1,300円だったよ」


「うわ、マジか! 結構いいお値段するな……」


 一本あたり、400円超えるのか。

 買って使わないってのは、もったいないかもしれない。


「うん、でも、受賞作の賞金と印税が入ったから懐には余裕があるし」


 と、ストローから話題がそれた!

 これに乗っかって、うやむやにしよう!


「あー、たしか特別賞の賞金は50万円だっけ? 気前良いよな」


 その上印税収入もあれば、高校生が手にするには相当のお金だろう。


「うん。……まぁ、私のデビュー作の売上よりもよっぽど、私の手元に入ったお金の方が多いからね。懐に余裕があっても、申し訳なさ過ぎて精神的には余裕がない、みたいな状態なんだけどね……」


 虚ろな目で、手元のハート形のストローに視線を落とす綾上。

 

 嘘だろ、地雷だったのかよ今の話題……。

 三鈴彩花先生出版にトラウマ抱えすぎぃっ!

 一読者である俺は、なんて声をかけたら良いんだよ?

 分かんねぇよ……。


「だから、君と一緒にこのストロー使いたいなぁって思ってたんだよね。そうすれば、精神力も回復するし……でも、そこまで付き合わせるのも悪いよね……」


 しょぼん、と肩を落として俯く綾上。

 なんて儚く、消えてしまいそうな弱々しい笑みなのだろうか……。


 こんな弱った綾上を、このままにしていいのか?


 ……良くない、と思う。


 だからと言って、俺たちは付き合っているわけじゃない。

 ハート形のストローを使って、バカップルよろしく飲み物を頂くというのは、できない。


 俺がどうすれば、綾上を元気づけられるのか考えていると。

 

 綾上は、上目遣いで俺に告げた。


「でもきっと、君と一緒にこれを使ったら、すっごく良い取材になると思うんだよね……」








 ……。








「取材なら仕方ないなっ!」 


 そう、取材なら仕方ない……っ!

 俺たちは別に付き合っているわけではない。

 しかし、これはただの取材だ。カップルがするようなあれではない!


 俺の力強い言葉を聞いた綾上は、


「いいの……?」


 不安そうに尋ねた。


「ああ、気にするな」


 と一言応えて、笑いかける。


 すると、綾上は幸せそうに、表情一杯に笑みを浮かべる。

 ……この笑顔が見られるのであれば、ちょっと恥ずかしいのくらいは我慢しよう。

 俺はそう思いつつも、店主のいるカウンターを一瞥する。


 店主のおっさんは、カウンターで新聞を読んでいたのだが、俺の視線に気づいたのか目が合うと、何かを察したように、口元に笑みを浮かべた。

その後立ち上がり、カウンタースペースから、奥のキッチンスペースへと無言のまま移動した。


 なに今の、渋っ……。

 

 俺が店主の渋さに痺れていると、


「はい、用意できたよっ!」


「わぉ……」


 綾上がストローをアイスコーヒーのグラスにさし終わったようだ。

 なにこのルックス、アイスコーヒーってこんな偏差値低そうな飲み物だったっけ?


 中々インパクトのあるそのグラスを前に、俺は先ほどの決心が揺らぐのだが……


 パクっ、と。


 綾上は何のためらいもなく片側のストローの飲み口を咥えた。


「……あんまり見られてると、恥ずかしいよ……」


 ……なんか今日の綾上さん、エロくね?

 俺はそう思いつつ、覚悟を決めてもう片方のストローに口を付ける。


 そして、正面を見た。

 見てしまった。


 綾上がこちらを見ていて、超至近距離で見つめあう。

 なんだよこのシチュエーション、恥ずかしすぎるのだが。

 俺は泣き言を心の中で漏らしてから、意を決してコーヒーを飲み始める。


 綾上も、惚けた表情をしつつ、コーヒーを吸い上げていく。


 これ、恥ずかしすぎて全然味分かんねえ。

 コーヒーってこんな甘い飲み物だったっけ?

 そう思いつつも、この一杯を飲み干せば、この気恥ずかしさから解放されるのだと信じ、一心不乱にコーヒーを飲み続けた。


 そして、二人ともがそうした結果、あっという間にグラスには氷が残るのみとなったのだ。


 ストローから口を離す。


「っ、ふぅ…」


 ……コーヒーを飲んでいる間呼吸を忘れていたためか、僅かに息が乱れる。


「はぁ、っん」


 それは、綾上も同じだったらしい。

 空気を求めて、艶かしく呼吸を乱す綾上。

 俺はそんな彼女を見るのが、どこか罪悪感を感じて、殻になったグラスに視線を落としながら問いかける。 


「……どうだった? 取材にはなったか?」


 綾上は、うーん、と悩まし気な声を漏らす。


 俺は顔を上げて、彼女を見た。

 すると、バッチリと目が合った。


「うまく言葉にできないけど……良いものだと思う!」


 頬を朱に染め、照れ笑いを浮かべながらも満足そうな表情をしたのだった。

 ……元気になってくれたようで、俺も安心した。

 作家なのにそんなざっくりした感想でいいのかよ、と言いそうになったが、とりあえず恥ずかしい思いをした甲斐はあったようだ。


「そうか、そりゃ良かった」


 おそらく、綾上に負けず劣らず顔を真っ赤にさせながら、俺は一言だけ答えたのだった。


「でも……もう一度したら、何がいいのかよくわかるかもしれないなー」


 ちらっと、こちらを窺う綾上。

 そして、俺の飲みかけのグラスに、ストローを差し込もうと身構えている。


 ……もう、綾上は十分に元気になった。

 であれば、ここで俺が応じる必要もない。

 あまり彼女を甘やかすのも、俺たちが付き合っていない点を考えれば、良くないだろう。


 故に、俺は毅然とした態度で告げるのだった。



「……もう一回だけだからな」



 取材だから仕方ない。

 俺は可憐な笑顔を浮かべる綾上を見ながら、胸の内でそう繰り返すのだった――。 

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