第4話 美少女作家と相合傘

 ――かったるい。


 午後の英語の授業で、ネイティブからは程遠い英語教師(52歳・男性)のさび付いた発音を聞き流しながら、俺はそんなことを思っていた。


 特に今日みたいな雨の降る日のかったるさは強烈だ。

 窓から見える景色は、暗く曇っていた。

 普段なら運動場で体育の授業を行っているクラスもあるが、今日のこの天気だと体育館での授業となっていることだろう。


 はぁ、今日はバイトもないし、早く家に帰って小説読も。

 それがクソ作品なら、思いっきり叩いてネットに批評をアップしよ。


「んー、クエッチョン5は……ミス綾上、アンサーをプリーズ」


「はい」


 唐突に、俺の耳に届く少女の凛とした声。

 返事をして立ち上がったのは、美少女JK作家の綾上だ。

 俺の前ではデレッデレな綾上だが、普段の学校では物静かで、大人しい少女なのだ。

 周囲にはあまり笑顔も見せず、無表情なことが多い。

 俺の席は窓際の後ろから二番目、綾上は廊下側の前から二番目。

 距離は結構離れているが、こうして授業中に立ち上がれば、その姿も良く見える。

 彼女の佇まいは楚々としており、教師に指名されても堂々とはっきりと軽やかに答えを返すさまは、このどんよりとした雨の空気を振り払ってくれる、と錯覚してしまうような清涼感があった。


「グッドゥ! グレートェなアンサーですね、ミス綾上」


「ありがとうございます」


 いつの間にか、綾上は回答を終えていたようだ。満足気な教師の声が耳に届いた。


 ていうかいつも気になるんだけど、なんで英語教師は英語を織り交ぜた日本語で話すのだろう、やはり強烈なキャラ付けをしたいのだろうか、とそんなことを思いつつ、着席する綾上を見ると。


 綾上もこちらに視線を向けた。

 結果として、バッチリと目が合った。


 俺は咄嗟に視線を逸らそうとしてしまうが、それも意識しすぎと思われるのではないかと思い、強固な意志を持って彼女から目を逸らさないことにした。


 すると、綾上は控えめに、にこりと笑う。

 授業中、不意にそんなことをされるとドキッ、としてしまう。

 が、やはりここで俺が視線を逸らすと意識をしているみたいで嫌だった。


 強固な意志を持って、そのまま俺と綾上は見つめ合った

 ――そして数秒後、綾上は顔を真っ赤にして視線を逸らした。

 横顔でも、幸せそうに表情を緩めて、口元をふにゃふにゃさせているのが分かった。

 自分がだらしない表情をしているのに気づいたのか、ハッとしてからごまかすように口元を手で隠す。


 そんな綾上をみて、俺は思う。

 

 え、なにそれ可愛いんだけど――と。


 そんな俺の耳にはもう、英語教師の声は全く届いていないのだった――。



 その日の放課後。

 HRも終わり、さっさと帰ろうと思っていた俺に、


「ちょ、ちょっと待って」


 と、後ろから声がかかった。

 振り返ると、そこには綾上がいた。

 学校で声をかけられたのは、実はこれが初めて。

 珍しいな、と思っていると、クラスの連中も同じように、不思議そうに綾上を見ていた。

 

 ……あんまり目立ちたくはない。

 そう思いつつも、無視をしてこのまま立ち去るわけにもいかない。


「……ちょっと、こっち来てくれ」


 俺は、綾上を先導して、普段使われることのない非常階段へと向かった。

 扉を開けて非常階段に出てみると、そこには誰もいない。

 今日は雨も降っているし、微妙に床が湿っているから尚のこと当然か。


 というわけで、ここでなら二人で話しても目立たないだろう。


「それで、どうしたんだ?」


 改めて周囲を確認した後、俺は綾上に問いかける。


「あの、君にお願いがあって」


「お願い?」


 綾上の言葉を聞き返す。

 改めて「お願い」と、神妙な顔つきで言われると、思わず身構えてしまう。




「うん。私の取材に、付き合ってほしくって」


 綾上の言葉に、俺はほう、と声が漏れた。


 取材。

 作家はアウトプットはもちろんのこと、インプットも重要だ。

 単に資料を読み込んで作品に落とし込むよりも、実際に経験した物事の方が、より小説に役立たせることが可能だろう。

 それくらい、読者の俺にもわかる。


 そして、綾上は俺に、その取材に付き合ってくれと言っているのだ。


「……それ、結構興味あるかも。俺にできることなら、協力する」


 おもしろそうだと思った俺は、協力を申し出た。

 すると、綾上はわかりやすくぱぁっと表情を明るくさせた。


「本当にいいの!?」


「ああ、俺にできる範囲でなら、だけどな」


「ありがとっ! うん、大丈夫だよ。今日お願いしたいことって、すごく簡単なことだから」


「へー、どんなことなんだ?」


 俺が問いかけると、綾上は少し照れくさそうに、


「君と、相合傘をして帰りたいな、って」




 ……。




「ごめん、俺そういえば今日用事あるんだった。取材の協力はまた今度な。じゃ!」


 俺はとりあえず逃亡を選択。

 ……したかったのだが、俺の腕をがしっと掴んで離さない綾上。


「すまん綾上、その手を放してくれ」


「協力してくれるって言ったよね?」


 頬を膨らませて、ジト目を俺に向ける綾上。


「言ったよ、俺に協力できる範囲なら、って。だがすまんな綾上。それは、無理だ」


 じゃ、と言い残して立ち去ろうとする俺に、


「むー、分かった……」


 と、残念そうに言う綾上。

 思いのほかあっさりと引いてくれて、助かった。

 話は終わったので、俺たちは2人そろって靴箱へと向かうことに。

 途中、廊下で2,3人程度クラスメイトとすれ違いったが、俺と綾上が一緒にいることに反応を示す奴はいなかった。

 まぁ、たまたま一緒にいるんだろうなー、と思われた程度なのだろう。


 そして、あっという間に靴箱に到着した。

 上履きから土足に履き替えて、


「そんじゃ、また明日」


 別れの挨拶を口にするのだが、


「せっかくだから、一緒に帰ろうよ!」


 と、楽しそうに言う綾上。

 クラスメイトに見られたら面倒だろう、と思うものの、俺と綾上が一緒にいたところで、深く勘繰るような奴もいないか。

 それくらいには、俺と綾上が釣り合っていないことくらい、分かる。

 ここで強く否定するのは、自意識過剰というやつだろう。


「まー、そうだな。綾上も電車通学だったよな?」


 俺は傘を開きつつ、綾上に聞く。


「うん、そうだよ」


 そう言ってから。

 ――綾上は俺の隣のポジションに飛び込んできた。


「は?」


 俺は不意を突かれたため、何が起こったのかわからなかったのだが、


「無理じゃなかったね、相合傘」


 綾上の悪戯っぽい表情に、してやられたことを理解した。


「……なんつー強引な奴だよ」


 俺は呆れて、そして諦めを浮かべながら言った。


「強引な女の子は、嫌いかな?」


 上目づかいで聞いてくる綾上。

 ぶっちゃけ嫌いじゃない。ていうか好きだ。

 だけどそれを言ったら、綾上はおそらく……いや絶対に調子に乗る。


「ノーコメントで」


 俺はそう言ってはぐらかすのだが、


「へー、そっかぁ。……えへー」


 と、だらしない笑顔を浮かべる綾上。

 ……少しときめいてしまったことを悟られないように、ポーカーフェイスを気取る俺。

 そのまま、駅に向かって歩き始める。

 非常階段での密会の時間があったため、下校時間から少し外れている今、周囲にはあまり生徒がいない。

 お互いにこの距離感に緊張しているのか、降り注ぐ雨が傘を叩く音ばかりが耳に届いている。


「私、雨の日ってあんまり好きじゃなかったけど。今日、大好きになりましたっ!」


 唐突に綾上は言った。


「そう? 俺は気が滅入るばっかだけど」


 この相合傘も、俺の理性を保つのに必死になるばかりで辛いっす。


「むー、君って意地悪だよね」


 唇を尖らせて、不満をアピールする綾上。


「このくらい愚痴らせてくれよ」


「やっぱり、意地悪だ。だけど……すっごく、優しいよね」


 そう言って、綾上は俺が傘を持つ手に、自らの手を重ねた。

 こいつ、またドキッとするようなスキンシップをしやがって……。

 俺の身体は緊張に強張り、ポーカーフェイスは崩れ、視線もキョロキョロ泳ぐ。

 そうしていると、綾上は俺との距離を詰めて、そして傘に重ねた手に自然と力を込めて、俺の方へと傾けたのだった。


「こうしてくっつかないと、雨にぬれちゃうね」


「……無性に雨に濡れたい時ってあるよな


「へー、左肩だけ濡れたい時があるんだ」


「ああ、さすがに全身濡れたいのはシャワーやプールの時だけだしな


「当たり前のことだよね、それってー」


 くすくすと笑う綾上。

 雨に濡れた左肩は少し冷たかったが、制服越しに彼女と触れ合う右肩は、なんだかとても暖かく感じた。


「そういえば、取材にはなってるのか、これ?」


 間近にいる綾上に、俺は聞いた。

 もともと、この相合傘は取材という話だったしな。

 綾上は俺に視線を合わせないまま、照れたように呟いた。


「うん。好きな人のことを、もっと好きになる女の子の気持ちが、すっごく良く分かったかな」


 ――それ別に相合傘関係ないじゃん。

 そう言いたかったのだけれど、もじもじと照れる綾上の美少女っぷりに狼狽えまくってしまい、


「そっか、そりゃ良かったな」


 と、一言応えるのが精いっぱいの俺なのだった。

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