九話

「くそっ、くそっ、くそっ、くそうっ!」


目につく物を手当たり次第に投げつけ、叩きつけて壊していく。割れた花瓶や破れた絵画、他時計やよく分からない調度品までボロボロだった。ベッドのシーツからカーテンまでズタズタに引き裂かれている。

元々室内は綺麗に整えられていたというのに今は見る影もない。床は最早、足の踏み場もないほど破片が散らばっていた。

だが、そんなものはバリーの目には入らない。ただただ苛立ちに任せて室内の物を無茶苦茶に壊しまわしていった。

ここは領主の敷地内の別館。三階にあるバリーの寝室だった。

バリーはずっとこの部屋にいた。部下に変異種の捜索を命令したあと、自室に籠もって酒を飲みながら朗報を待っていた。

それがこんなに荒れ果てた原因となったのは、回復薬の使い道のことを考えほくそ笑んでいた時だった。

轟音と強烈な光が窓から差し込み慌てて外を見遣れば、余り役に立たない少年の魔法使いと警備兵第一隊長が敷地内で交戦している姿だった。

いずれ自分の物になる敷地内で戦っていることも腹立たしかったが、それよりも戦闘不能に追い込んだという第一隊長が正面から堂々と戦っている姿に驚愕した。

付近にはアラゴンが見えるが、フーナルや他の部下がいるようには見えない。一体他の奴等は何をしているんだと、自分の下した命令の内容に思いを馳せることなく歯噛みした。

それがまた驚きに塗り替えられたのは、少女を連れ出した件の変異種が屋敷から出てきた時だった。

もしも、ロイドが三階の部屋まで足を運んでいたらレティを傷付けていた張本人を発見できていたのだ。

ただ、ロイドはレティを救出したことと、外の騒ぎを優先して屋敷から出てしまったこと。

そして、バリーの寝室は他の部屋と違い、使用人の作る雑音が届かないように扉や壁が重厚に造られているため、ロイドの侵入に全く気付くことがなかったのだ。

少女は警備兵に預けられ、変異種と少年が戦い始めた。それが段々と敷地から飛び出し、街道に向かっていくのは別にどうでもいい。

バリーが殊更腹が立ったのは、警備兵の意識が交戦している二人に向いた時、アラゴンが何の迷いも見せずに脱兎の如く逃げ出したのだ。

警備兵の数人が何拍か遅れて追い掛けていたが、身体能力の高いアラゴンは既に闇に紛れて見えなくなっていた。

第一隊長はアラゴンを追わずに何やら残った部下達に命令を下していたが、やがて少女を抱えていた警備兵を伴って何処かに消えていった。

窓から見える範囲には誰もいなくなり、時々遠くで小さな光だけが窓を照らしていた。

アラゴンが逃げたことでワナワナと震えていたバリーは、波々と酒が入ったコップを窓に投げつけた。

二つのガラスが呆気なく割れたのが契機だった。

テーブルに近付き、酒瓶を握り締めて叩きつける。

それでも気分が晴れず、目に付いた物を片っ端から八つ当たりしていった。

ありとあらゆる物が破壊されていくが、別に気にしていなかった。壊れた物は使用人が片付ければいい。無くなった物はまた新しく買い直せばいいだけの話だ。回復薬はそのためにも必要不可欠だった。

しかし、破壊しながら幾ら待っても誰も報告にやってこない。

逃げたアラゴンはともかく少年も、フーナルも、他の部下達も。

それが余計にバリーの癇癪に障った。壊すだけでは飽き足らず、引き出しからナイフを取り出しベッドのシーツやカーテンまで気が済むまで切り裂いた。

最後には燭台まで手を伸ばして棚に向けて壊していった。流石に火事になっては困るからと無意識に燃える物からは避けて叩きつけていたが、飛び散った油が床に広がっていく。

不快な臭いが鼻につく。暗闇が部屋を支配して初めてバリーは手を止めた。

先程の騒音が嘘みたいだった。ただバリーの荒い呼吸だけが静寂を乱している。

割れてヒビが広がった窓の外に目を向けると、微かな光さえ見えなかった。あの少年は変異種を捕まえたのだろうか。

そう考えていると扉からコンコン、とノックの音が聞こえた。

丁度良く戻ってきたのだとバリーは喜色を表す。「入れ」とぞんざいに言うと、重い扉は音もなく滑らかに開いていった。

しかし、そこに現れたのはバリーにとって意外過ぎる人物だった。


「久しぶりだね、バリー。ーー少し部屋が散らかっているようだが、お邪魔するよ」

「なっ!?……ヘンリー?」


キィキィと小さな車輪の音が廊下から室内に移動していく。

そこに座った人物が穏やかな物腰で眉を下げて微笑んでいた。

ヘンリー・アシェル・ル・エルゼレン。

バリーの兄であり、父である領主と長兄が不在である今、代理で領地の管理を一手に引き受けている人物だ。

兄弟なだけあって容姿はとてもよく似ている。しかし、肉体的な差から見間違う者はまずいなかった。

元々の健康的な身体に贅沢を重ねた筋肉の無いバリーと。

元々が病弱な上に多忙を極めて骨と皮しかないヘンリー。

更に言えば内面の性格が外見以上に顔に顕著に出ているため、初めて会う者もまず二人を間違うことはなかった。

思慮の浅さと傲慢が滲み出たバリーの顔と。

思慮の深さと謙虚さを兼ね備えたヘンリーの顔。

正に対極に位置する二人だった。


「何しにきたっ!?ここは俺の屋敷だぞ、貴様は貴様の屋敷で引き籠もっていろっ」


ヘンリーが居住としている別館は、本館を挟んでバリーの別館の反対の位置にある。彼は普段その屋敷で、ベッドの上で日夜書類仕事に追われていた。


「本当ならそうしたいところなんだけど…………、君に用事があってね。無理を言って、ここまで運んできてもらったんだ」

「いいえ、滅相もございません」


答えたのはヘンリーの車椅子を押す若い青年からだった。

彼の姿をみてバリーは驚く。領主不在の間、本館を管理する執事がヘンリーの側に侍っていたからだ。

更に後ろには複数の使用人の姿も見えた。

僅かしかいない私兵に庭師に厨房を任されたコック。全員がまだ年若いが、いずれも敷地内では屈強な肉体を持つ者達だった。

ヘンリーが車椅子に乗ったまま三階の部屋まで来れたのも、彼等のお陰だろう。


「用事、だと?」

「うん、そうだよ。……バリー、君を反逆罪で拘束する。抵抗はしないでくれると助かるよ」

「……はぁ?貴様に何の権限があってそんなことができる?」

「ーーここに」


ヘンリーは手元の丸めていた羊皮紙を開いて見えるように掲げた。


「随分前からね、父上が王都に逮捕状を申請していたんだ。届いたのも一月も前だしね。……でも、これを見せれば君はまた癇癪を起こすだろう?君の部下の戦力だとバノン警備兵第一隊長がいても太刀打ちできなかったからね」


ヘンリーは寂しく笑いながら「でも」と続けた。


「さっき、警備兵の方が教えてくれたんだ。君の戦力は壊滅した、と。だから悪いけど行動に移させてもらったよ」

「なっ!?」


ヘンリーは今、バリーの配下は壊滅した、と言った。

ということは全員捕まったというのか。アラゴンはともかくとして、少年の魔法使いも、フーナルも。


「……どいつもこいつも役立たずがっ!!」


歯噛みして吼える。そんな無能な部下共に金を支払っていたことに無性に腹わたが煮えくり返ってくる。

その様子をヘンリーは悲しそうに見つめていた。けれど口を開いて何かを言うつもりもなかった。

幼い頃から他人を顧みないバリーの行動をずっと見てきたのだ。成長しても変わらなかった弟の性格に今更言及する気はない。


「すみませんが、お願いします。抵抗するようでしたら多少手荒でも構いません」


ヘンリーが静かに指示すると、後ろに控えていた使用人達が行動を開始する。


「なっ、離せ止めろっ。平民風情がっ!」


案の定バリーが喚き反抗するが、私兵も含め家の中で従事する使用人も手加減することなくバリーを締め上げていく。

彼等は普段からバリーに対して鬱憤を溜めていた。悪党共の影に怯え、バリーのヒステリーに辟易していたのだ。勤め以外はこの屋敷に近付くことなく、本館に逃げていた。

ロイドが侵入した際、使用人が誰一人いなかったのはそれが理由だった。

バリーが破片が散らばる床に押し倒され、縛られていく様子をヘンリーは目を逸らさずにずっと見届けていた。

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