五話
前の時と同様、嵐のように過ぎ去ったバノン隊長が遠くで他の警備兵を強襲している姿を見ないようにしつつ、レティ、と声を掛けた。向こうからの悲鳴は聞かなかったことにする。
「……え、ごめん何?」
遠くで巻き起こる阿鼻叫喚から目が離せなかったレティが慌ててロイドの方に向いた。
「いや、昼飯の話だが前に食べた店で……」いいか、と続ける前にレティの様子がおかしいことに気付いた。
顔色が少し悪い。元々肌は白いがいつもより更に血の気がないように見える。目の動きも落ち着きがない。
「どうした?気分でも悪いのか?」
心配になり訊いてみる。知らず早口になってしまう。
レティはフルフルと首を横に振って否定した。
「大丈夫だよ。少し吃驚しただけ」
「そう、なのか……?」
「そうだよ。……お昼御飯の話だよね?うん、そのお店でいいよ」
彼女にしては珍しく早口でまくし立て、これまた珍しくロイドの袖を引っ張って行こうと無言で促してくる。
それにロイドも無言で首肯する。引っ張られるままに足を動かして店を目指した。
だが、歩きながらもレティの奇怪な行動に内心で首を傾げて疑問に思う。
驚いた、と言っていたがロイドとバノンとのやり取りのことだろうか。たった一撃の応酬だったが、レティの目には恐怖に映ったのだろうか。
レティは魔物相手でも怯まず戦える胆力があるというのに。
もしかして、街では魔法が使えないのが関係しているのかもしれない。森では魔物に対しても無類の強さを誇るが、街ではか弱い一人の少女なのだ。
もう少し気を付けるべきだなと心に留めておきながら、直ぐに店の目の前に辿り着いた。
レティが扉を開けて先に中に入って行った。ロイドも遅れて入ろうとするが、直前に変な気配がないか周囲を探る。バノンが露骨に敵意を向けてくれたお陰か、ロイドに向けて刺さる視線はなかった。
ロイドも中に入ると、店内は活気に満ち溢れていた。
満席なのかと思うくらい客がいた。前に来た時は店主一人で料理を運んでいたが、今日は若い女性二人が店内を駆け回って料理を運び注文を聞いていた。
パッと見ただけでは空いている席は見当たらない。ロイドとレティは顔を見合わせる。
また次回にするかとロイドが何かを言う前に、来店に気付いたのか一人の女性がこっちに走り寄ってきた。
「いらっしゃいませー……って、あら?」
女性店員がロイドとレティを見て目を白黒とさせている。にこやかだった表情も驚いたように固まっていた。
だがそれも一瞬だった。直ぐに笑顔に戻るとペコリと頭を下げてきた。
「失礼しましたー。二名様ですね。さっき空いた席があるので片付けるまで少しお待ち下さーい」
少し間延びしているがハキハキとそう言うと、途端に踵を返して去ってしまった。
置いてけぼりになったロイドとレティは互いに目を合わせる。
「…………えっと、この場合、どうすればいいの?」
「……店員が待ってろってことはいずれ席が空くだろ。それまで待っていればいい」
「……うん、分かった」
レティの困った気配に答えていると、直ぐに店員が戻ってきた。
しかし、先程の女性ではなく、以前に世話になった店主だった。
「いらっしゃいませ。お久しぶりですね、また当店に寄って頂いて嬉しいです」
前と同じように朗らかな笑みで対応してくれる。表面上だけなのかもしれないが、それでもロイドが変異種だということも何ら気にしていない態度は、ロイドにとっても安らかな気にさせられる。
「忙しいのにわざわざすまないな店主。……直ぐに空くと聞いているが」
「ええ、そうです。今姪達が片付けていますのでもう少しお待ち下さい」
その時、タイミング良く「おじさん綺麗になったよー」と呼んでくる大声が聞こえた。
だが店主のタイミングは悪く、近くの客から追加の注文が届いた。
「すみません。そのまま少しお待ち下さい。……おおいっ!席に案内してくれっ!」
先程と同じ距離から「はぁーい」と元気な挨拶が返ってくる。しばらくも経たない内に出迎えてくれた女性がいそいそと走ってきた。
「お待たせしましたー。案内するのでどうぞこちらへー」
心地良いくらいにハキハキと動く様子に、レティは呆気に取られた様子で見ていた。ロイドがポン、と肩を叩くと慌てて我に返って女性の後に付いていく。
レティの背後にロイドもまた、ゆっくりと付いて行く。案内された席は窓からは絶妙に死角になっていた。二人掛けでテーブルも小ぢんまりとしている。
良く見れば、テーブルと椅子を動かした形跡があった。代わりに室内に飾られた植木鉢がギッチギチに並んでいる。その床を見ると四脚の跡があった。
女性店員を見遣ると、彼女はウィンクをして応えた。恐らくは前の事情を汲んで急いで移動させたのだろう。
店主と店員の心配りに迂闊にも胸が熱くなった。ロイドも表情に出るタイプではないが、無言で小さく頭を下げて感謝の意を示した。
荷物は足元に置いた。ロイドとレティが腰掛けたのを見計らって別の女性店員がメニューを置いてくれた。
「さて、ご注文は何にしましょうか?」
忙しいはずなのに、何故か二人揃って聞いてくる。改めて見れば二人の顔立ちが似ていた。姉妹なのだろうか。
「あ、えっと。……その前に」
珍しくレティが先に口を開いた。が、何故かモジモジとしていて中々先を続けようとしない。
「どうした?」
ロイドが聞いてもレティは口を開いては閉じるを繰り返している。本当に滅多にない挙動に、ロイドは先程のことかと心配になってきた。
だが、女性店員は何かを察したらしい。ロイドが口を開くよりも先にレティに話し掛けた。
「あ、私がご案内しまーす。どうぞ付いてきて下さいー」
そう言われてレティがホッとした気配を漏らしたのをロイドは見逃さなかった。
座ってまだ時間も全然経っていないというのに、レティが直ぐに立ち上がるのを見て、店員の一人がこちらでーす、と案内していった。出入り口に向かっている訳ではないから心配は不要だが、厨房の中に入ってしまった。
意味が分からないまま後ろ姿を見送っていると、残った女性がプッと吹き出していた。
「ちょっとお客さん。あんまりジロジロ見ちゃ駄目ですよ。彼女さんだって恥ずかしいと思いますよ?」
その言葉を聞いて、ようやくロイドも理解が追い付いた。要するにソウイウコトか。
そう言えば紅茶にはそういう成分が含まれていたなと思い出す。うろ覚えの知識だが、その後もずっと連れ回していたから言い出せずにいたのだろう。もしかしてかなりの長時間、我慢をさせてしまったのだろうか。
居た堪れなくなって視線をフイ、とメニューに向ける。先に決めてしまうのも悪い気がしたが、頼まない限りずっと笑っている女性店員が立ち去りそうにないので、仕方なく適当に決めてしまうことにする。
「……すまないが、何か軽い物を適当に頼みたいのだが」
「あれ?彼女さんは待たなくていいの?」
「……問題ない」多分だが。
「それと、甘い物があればそれも出してやってくれ」
「……えっと。彼女さん、何がお好きなのでしょう?」
「…………以前ここに来た時はケーキを気に入ったみたいだが」
「はい?ケーキですか?」
そんなのあったっけと言う店員に怪訝に思って簡単に説明すると、店員は納得いったように両手をポンと叩いた。
「あ、そのケーキですね。それなら直ぐにお出しできます。……でも彼女さん、あんな素朴なお菓子が好きだなんて普段どんなの食べてるんですか?」
「……もっと、質素だな」
「あーうん。まあそうですか……家でお菓子を作ったりとかは?」
「見たことない」
ロイドの態度に何か悟ったのだろう。女性店員は十数秒天井を睨んで考え込んでいたかと思うと、急に悪戯っぽい笑みでロイドを見てきた。
「ならお客さん。後でお土産にケーキを包んであげますから彼女さんに渡してあげて下さい。それでさっきの根掘り葉掘り聞いたのはなかったことにしてくれると嬉しいわ。ついでに彼女にも内緒にしといてね」
店員の提案にロイドは首肯した。別にレティに告げ口する気はさらさら無いが、貰えるのなら有り難く頂いておく。……ロイド自身も素直に答えてしまった後ろめたさも大いにあったが。
しかしこの店員、ロイド相手でも良く気楽に接してくる。
朝から街の住人達を見て思っていたが、変異種が相手でもおおらかとか通り越して度が過ぎている感じがする。別け隔てなく扱ってくれるのは嬉しく思うが、反面どうしても今までの経験から疑いもジワジワと湧いてくる。
知らずポツリと溢していた。
「お前は……俺が気持ち悪くないのか?」
殆ど口の中で転がした言葉なのに、店員は耳ざとく聞いていた。
「へ?お客さんのこと?……んー、どうでしょう。確かに見た目は変わってるけど彼女さんに優しい普通の人だと思いますよ」
「……は?」
「だっておじさんも言ってたし、他のお客さんからも聞いてたのよ。彼女さんを大切にしてそうなイケメンだって。今朝だって見掛けたって人が言ってたわよ。久しぶりに見たと思ったら手を繋いでラブラブにデートしていたって」
店員の言葉の羅列に呻きそうになったが寸前で堪えた。だが、形容し難い羞恥に顔面が完全に固まった。
手を繋いでいたことは否定するつもりも無いが、イケメンだとかデートだとかラブラブだとか、一体何処から突っ込めばいいのか最早分からなくなるほどおかしな単語が並びまくっている。レティが聞いたらどんな反応をするのか全然想像できなかった。
そもそもこの街はそんなに狭くないはずだ。噂話がここまで一気に広がっているのは一体何故なのか。
「……聞いていいか?その、デートと言った客のことを」
「え、っと最近良くこの店に食べに来てくれるんだけど。マースって言う警備兵の人、さっきも食べに来ていたわよ」
ーーアイツか。
思い返せばあの時、デートという単語は否定していなかったのを思い出した。主な原因はレティのデートとは何かという追求から逃れるためだったが。
……同時にロイドもデートという言葉を否定したくない気持ちがあったことには思い至らなかった。
ともかく、犯人は分かったとロイドは気持ちを切り替える。今度会えばあの男には痛い目を見てもらうと心に固く誓った。
内心では百面相をしていたが、表面上は殆ど変化のないロイドを見てどう思ったのか、女性店員は同じ口調で元の話題に戻してきた。
「まあそんな訳で、お客さんを気持ち悪いと思わなかったわ。そもそも私達、お客さんみたいな人を見るのって初めてだったし。昔の人から聞いたことそのまま鵜呑みにしてた感じがするのよね。まー先入観に縛られてたら商売なんてやってられないし、ね」
「……そうか」
「そうそう。それでお客さん。飲み物を聞くのを忘れていたのですが何にしますか?」
「あぁ、そうだな」
思わず珈琲を頼みそうになったが、レティは余り得意でないことを思い出す。ロイドも朝の内に堪能したし、レティのようにならないとも限らない。
考え込んだが、ロイドも飲み物にはそんなに詳しくない。精々が紅茶と珈琲くらいだ。
メニューを読もうかと手を伸ばしそうになったが、ふと足元の紙袋が見えて急に閃いた。
店員に尋ねてみる。
「林檎の香りがするお茶が欲しいのだが、あるだろうか?」
「へ?林檎の?……アップルティーですか?」
「いや違う。色はその、少し黄色掛かった茶色なんだが」
「え?…………あ、あーあれですね。ありますあります。分かりました、少しお待ち下さいね」
心当たりがあったのか店員が朗らかに答えてくれた。
あるのかと驚いたロイドは考えるより先に口を開いていた。
「その、お茶の名前なんだが……何ていう名前なんだ?」
「あ、そのお茶はですね」
店員が笑いながら答えてくれた。
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