六話

化粧室の鏡の前でレティは深呼吸を何度も繰り返していた。

ロイさんと、バノン隊長と呼ばれていた男性の遣り取りでかなり驚いてしまったが、ようやく落ち着いてきた。

魔物相手はともかく、人と人が争う場面はどうにも慣れない。特に剣戟となれば尚更だ。

早まっていた動悸が徐々に平静に戻ってきた。レティは軽く頭を振って、嫌な思考を無理矢理追い出した。

鏡の自分を見て、何とかマシになったと判断して化粧室から出たら、何故かずっと待っていた女性の店員と話すことになってしまった。

主な内容はロイさんについてで、彼とは何処で知り合ったのか、切っ掛けは何だったのか、どうして強いのだとか、回復薬の噂は本当なのか。

立て板に水とばかりにまくし立てられてレティはホトホト困ってしまった。他人と話すことには余りーーいや、全然慣れていない。以前もこの店で大勢に囲まれた時も右往左往するだけで碌な返事ができなかった。

しかし店員は口下手相手にも慣れているのか、レティが訥々と語り出すと黙って相槌を打っていた。

と言っても詳細に話す訳にはいかない。森のこととかを話すと翻って自分の事についても説明しないといけない。

それは流石に躊躇する。変異種のロイさんは受け入れられつつあるから、もしかしたらレティも魔女だと告げても大丈夫かもしれない。が、ロイさんとレティの魔法には大きな隔たりがある。綺麗な氷の魔法と恐ろしい影の魔法を見せられた時、果たしてこの街の人達はどういう反応をするのだろうか。

それを考えると気持ちが踏み出せず、結局はロイさんが怪我をしていたところを手当したのだと簡単に伝えた。

それでも、店員は目を丸くして感心していた。


「へー凄いね。で、そっからずっと付き合っているんだー」


店員の言葉に、何かこう、勘違いが多分に含まれているような気がするが、変に正直に話してボロを出すのは困るから曖昧に頷く。かと言って嘘をつくことは余計に無理なので、適当に話を合わせることも出来ないが。


「それでそれでー、最近は警備兵に凄い回復薬を売るようにしたみたいだけど、どうして急に彼が街に出てくる気になったのー?」

「……さあ」


更に店員の内容がレティにとって明後日の方向へいっているような気がするが、それに対しても返事をぼかして誤魔化す。


「フーン、彼女さんでも彼氏さんの心境は分からないのかー。まあ確かに彼氏さん、仏頂面だもんねー」


ケラケラと笑っているが、別に悪意があっての言葉ではないのだろう。確かにレティも、ロイさんの仏頂面や呆れ顔以外は殆ど見たことないから擁護できない。

因みにレティも大概ポーカーフェイスだ。二人揃って感情が表に出難いということはお互い気付いてなかった。

レティが無言のままでいると、気を悪くしたのかと思った店員は慌てて言い繕った。


「でもでも、彼氏さんって凄く格好良いよねー。強いし魔法も使えるし、凄い回復薬を作れるなんて!」

「……は、…………はい?」


聞き間違いだろうか。ロイさんが凄い回復薬を作る?いつからそんな話になっていたのだろうか?

思わずレティは誤解を解くため口を開いたが、上手く言葉が出ずにそのまま噤んでしまう。

弁明しようにも、それなら回復薬を作っているのか説明が必要になる。そうなるとやはりレティが魔女であると告げなければならず、さっきと同じでその勇気がどうしても湧かない。

レティの返事に僅かな抑揚があったのことには気付かなかったらしい。肯定と捉えた店員は、ウンウンと一人頷いて羨ましいなとレティに微笑んでいた。


「こらこらまだお話していたの?彼氏さんが待ってるわよ」


突然、厨房の入り口から声を掛けられた。声の方向に目を向けると、もう一人の女性店員が入ってくるのが見えた。


「あ、お姉ちゃんちょっと聞いてよー」

「ん?それは後でね……ゴメンねお客さん。この子ちょっとお喋りが過ぎるのよ。それにしても、彼氏さんって素敵ね」


お姉ちゃんと呼ばれた店員も、そのまま同じようにロイさんについて色々と聞いてきた。内容が殆どさっきの店員と被っている。 

お姉ちゃんズルいーと、もう一人が一緒になって話に加わってきた。二人揃ってキャラキャラと無邪気に聞いてくるが、レティは最早タジタジだった。交互に矢継ぎ早に話しかけられて目が回ってくる。


「……こらこらお前たち、何を遊んでいるんだ?度が過ぎると給料減らすぞ」


レティの窮地を救ってくれたのは、この店の店主だった。厨房に入るなり状況を把握したらしい。呆れた口調に、少し厳しい眼差しで二人の店員を見ていた。

それに二人は気にしたふうもなく、はぁーいと返事をしてそれぞれの仕事に戻っていく。

まるで反省していない様子に店主はやれやれといった感じで溜息を吐いたが、一人置いてけぼりになったレティを認めて苦笑した。


「すみませんね。うちの姪達が失礼しました。普段はもう少し真面目なんですが、どうにも面食いでして」


めんくい、の意味が分からず目をパチパチさせるが、何となくロイさんが気になったからお喋りに興じていたらしい。

はぁ、と曖昧に返事をしていると、お連れさんが待っているはずですよ、と言われて慌てて踵を返す。直ぐに戻る気でいたのに、かなり油を売っていたみたいだ。

厨房を出て二人掛けの席を見た。少しだけ薄暗い奥の席だからか、白味が強くなっている白金色の髪が目に入った。

ロイさんは何をするでもなく、ある一点をジッと見つめている。視線を追えば出入り口のある扉や窓の方向みたいだ。植木鉢や壁のせいで殆ど死角になっているが、彼はずっとその方向を凝視している。

何かあるのだろうかと思いながら静かに近付くと、気付いたロイさんが顔をレティに向けてきた。

先程の、店員の言葉が脳裏によぎった。


「遅くなりました」

「ああ」


レティはローブを脱いでオズオズと座る。何でか分からないけど、ロイさんを直視できない。


「どうかしたのか?」

「ううん、何でもないよ」

「……そうか」


ロイさんは何か言いたげにしていたが、レティが俯いている先に目を留めると気まずそうにした。


「すまない。先に注文を済ませた。何か食べたい物があったか?」

「あ、いえ、……ううん、大丈夫」


メニューなんか読んでも何の料理なのかレティには全然分からない。寧ろ有り難いとすら思った。

ロイさんはもう一度そうか、と呟いて再び視線を向こうに向ける。座っていると扉や窓は全く見えないが、何かあるのだろうか。

ロイさんの横顔を見ていると、店員が言っていたことをまた思い出した。

格好いい。素敵。

前にも聞いた言葉だった。レティがこのお店でロイさんを待っている間、口々に彼の容姿を褒めていた。

最初はピンとこなかったが、そうなのかと思ってここ何日か一緒に暮らしていると、確かに綺麗だと思うようになっていた。少なくともレティよりかは顔立ちがずっと良い。

ロイさんの顔が近いとドキドキしてしまうのは、もしかして顔が良いのが原因だったのか。少し引っ掛かりがあるが、納得のいく答えだった。

そうやってボーッと考えていると、直ぐに料理が運ばれてきた。

大きなお皿の上にはジャムを塗られたパンと目玉焼きとサラダ。店主の気配りなのか、ロイさんの方にはパンが二枚載せられている。別の小さなお皿には以前も食べたことある四角いケーキがあった。こっちには、レティの方が少しだけ分厚く切られている。

運んできたのは女性店員だった。また何か言われるかなと内心で身構えるが、店員はごゆっくりーと言っただけで直ぐに何処かへ行ってしまった。

ジャムはとても甘かった。レティも稀にジャムを作っているが、それよりも遥かに甘い。ロイさん曰く砂糖が入っているとこれぐらいになるらしい。

目玉焼きとサラダも美味しかった。サラダは前と同じレモンのドレッシングが掛かっていたし、目玉焼きに至っては随分と久しぶりだった。卵料理は師匠の好物だったから、それ以来かもしれない。

朝に食べたお菓子のこともあって食べ切れるか不安があったが、量を調節してくれたらしく難なく完食できた。

ケーキを食べるタイミングで店員が飲み物が入ったカップを運んできた。見計らっていたのか、絶妙なタイミングである。

空になったお皿は下げられて店員は颯爽と厨房に戻っていく。必要最低限しか喋らなかったが、去り際にロイさんに片目を瞑っていた。ロイさんは気にしてなかったが、あれは何だったのだろう。

取り敢えず、ケーキの前に飲み物を口にする。

途端に、いつも飲んでいるお茶に近い香りが鼻に抜けた。

レティは驚いて口を離す。ロイさんを見ると、彼も一口飲んでほう、と呟いていた。


「味は少し違うが、確かにこれだな」

「……ロイさん、これって……」

「ああ。カモミールという花で作ったお茶らしい」


カモミール。勿論、レティは知らない名前だ。だけど、花だと言うのならレティが作っているお茶と同じかもしれない。


「どうやって、分かったの?」

「いや、聞いただけだ。林檎の香りのするお茶はないかと」

「……へっ?……林檎?」

「……気付かなかったのか。お前が淹れるお茶はいつも林檎の香りがする」


林檎の香りと言われても、殆ど食べたことないから匂いも味も覚えていない。久しぶりに買って紙袋に入っているが、わざわざ顔を近付けて嗅ぐこともないから分からなかった。

カップの中の液体を見る。レティが作る物よりも薄い黄色をしている。家で作っているお茶は花以外に葉も入っているから違いが出ているのかもしれない。

もう一口をゆっくりと啜る。家のお茶よりも甘みが強く苦味が少ないような気がした。

でもやっぱり同じ香りで、レティは味わうように少しずつカップを傾けた。


「美味いが、少し甘いような気がするな。俺はレティのお茶の方が好きだな」


ロイさんの好き、という突然の発言にレティは思いっ切りむせた。お茶を噴き出さないように我慢した結果、かなり気管に入ってしまった。

ゲホゲホと咳き込んでいるレティを見て、ロイさんは目を白黒させていた。珍しい表情だが、残念ながらレティに見る余裕はない 。


「おい、大丈夫か?」

「え、うん、だ、だいじょう……」


まだ喉に突っかかる感じがするが、何とか答える。余りにも咳き込みすぎて涙目になっていた。

彼から見ると、レティの滅多にない行動と表情に驚いていたのだが、レティがそのことを知ることはなかった。

何とか落ち着いたが、まだ肩で息をしていた。


「……本当に、大丈夫か?」

「……うん、もう大丈夫。ちょっとむせただけだから」


何でむせたかまでは言えないが。まさかここまで好き、という単語に過剰に反応してしまうとは自分でも思わなかった。

ロイさんはいつもする渋面の表情でレティを見ていたが、やがて何も言わずにケーキに手をつけ始めた。

その様子にレティは内心で安堵する。追及されても恥ずかしくて答えにくい。そもそも、何でそんなに狼狽えたのかと、冷静を取り戻すと疑問が残る。

改めて考えると、多分だが師匠のお茶を褒められて嬉しかったのだと思う。それ以外に理由は思い浮かばなかった。

レティも気を取り直してケーキを食べ始めることにする。

フォークを手に取りながら、無意識にひっそりと、ローブに目を向ける。

彼からレティにプレゼントされた、ローブの袖に縫われている、レティが好きな花の刺繍に。

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