七話

乳鉢で薬草をゴリゴリ潰しながらレティは何回目かの溜息を吐いた。いつもなら擦り潰す作業さえ集中しているというのに、ついつい他の事を考えてしまう。

チラリと後ろを見るとロイさんが椅子に座って本を読んでいる。

それだけを見るなら気兼ねなく寛いでいてくれているみたいで何よりだ。だけど、目を離しているといつの間にかーー本当にいつの間にか、食事の準備やら掃除やら雑事をしているから気が抜けなかった。

心の整理が全く追い付かない。ロイさんが住むようになってから今日で六日目だが、レティの日常が日に日に変わっていくのをまざまざと体験させられて落ち着かなかった。

最初の日課で滅多にない失敗を見せてしまったのが良くなかったのかもしれない。あの日の夜の事を思い出すだけで羞恥に呻きそうになった。


*************


暗い森の中でもレティの視力では問題なかった。いつも行っていることだから魔物がどの方向から襲ってきても冷静に対処する程度の自信があった。

いつもは適当に歩いて魔物と遭遇すれば魔法を使って倒していた。中々見当たらない時はラフィが匂いを辿って追跡したり、誘き寄せてきてくれた魔物に止めを刺して目標の数をこなしていた。

今回はロイさんの話を聞いて、帝国近くの森に移動した。余り帝国の近くには行きたくないが、魔物が外に出るのだけは避けないといけない。くれぐれも魔物が溢れ出ないようにと師匠にも言われていたから迷いなく転移した。

そのままいつも通りに気分の赴くままに足を運んだ。途中からラフィの姿が見えなくなったが、レティは特に気にしなかった。あの子の役目は陽動と索敵だ。相性にもよるがラフィは多数の魔物との戦闘には向いていない。

どんどん進むが中々魔物と会わなかった。ロイさんの言葉が本当なのかと疑問に思い始めた頃、ようやく魔物と相対した。

だけどその種類も数も少しだけ厄介だった。

出てきたのはドロドロの液体のように見える不定形の物体だった。レティも本を読んで知っている、スライムと呼ばれる魔物だ。それが見える範囲だけで五体もいる。


「面倒な奴が出てきたな。何か対策はあるのか?」


気付けばロイさんが横に並んで訊いてきた。左手は剣の鞘を握っているが右手はダランと垂れていて抜く気配は無い。


「いつもなら影に沈めて湖に落とす、かな。浄化の湖の水を浴びると蒸発するから」


物理攻撃は効き辛く、下手に攻撃すると分裂することもある。スライムと言えば炎や酸が有効らしいが、レティはそんな魔法は使えないので影に放り込んで浄化の湖に叩き込んでいた。


「なるほどな、…………あっちの半分は貰うぞ」


えっ、と思う間もなくロイさんが動いた。

ロイさんの魔法は氷以外見たことないけど、他のも使えるのだろうか。氷魔法だとスライムには効き難く思えた。

しかしその考えは杞憂に終わった。ロイさんが右手をスライムに向けて指を鳴らすと一瞬で二体のスライムが凍り付き、そのまま拳を握ると氷漬けのスライムごと粉々に砕け散った。

あっという間の出来事でレティは呆気に取られた。レティも毎晩魔物を狩っているから戦闘慣れしているつもりだが、ここまで早く倒せるかと言われれば自信が無い。


「凄い……」知らず声に出していた。

「動きが鈍いからな。素早い奴相手だとこうはいかない」

「へぇ……」


レティが感心している間に残りの三体も動き出した。

ロイさんの言う通り動作は鈍い。地面をズルズルと這っているが、人が歩くよりゆっくりとしている。と、思ったらいきなり三体のスライムの粘体が勢いよく跳ねた。

先程の鈍さは何処へやら。物凄いスピードで極限まで身体を広げて襲ってくる。あのドロドロに触れれば恐らく服も肌も溶かされてしまうだろう。

届けばの話だが。

レティの足元の影が立体の壁を作り上げた。三体のスライムがそれぞれ影の壁に阻まれてベシャリと影にへばりつく。反射的に溶かそうと何か液体を出しているみたいだが、影は影。魔法で実体があるように見えるが影は本来物理的に触れることは敵わない。どんなに頑張って溶かそうとしても影は全ての物理攻撃を無効化する。が、レティが念じると途端に鋭い武器に置き換わった。

影の壁の左右から鞭状の影が三体のスライムを串刺しにする。更にそのままスライムを覆い繭にして閉じ込めた。

地面に新しい影を作り出し、そのまま繭を押し込んでいく。

ズブズブと影の繭ごとスライムが沈んでいった。今頃は浄化の湖の中にいるはずだ。直ぐに浄化されて消えているだろう。


「……やるな」


一部始終を見ていたロイさんから称賛の声が掛けられる。実際、彼から見れば驚愕の一言だった。レティは指先一つ動かさず視線だけで魔法を発動させて倒したのだから。

でも褒められ慣れていないレティにとっては、これ以上ないほど恥ずかしい一言だ。特に影の魔法に関してはずっと恐ろしい悍ましい醜いと言われ続けたため耐性なんか全くなかった。

綺麗な氷の魔法を使うロイさんとは対極に位置するのに、褒められたことで身体が熱くなり咄嗟に顔を俯けた。


「そう、かな……」

「あぁ、その努力は誇っていいと思うぞ」


更に追加の殺し文句だ。ロイさんは単純にレティの今までの頑張りを褒めたつもりだったが、魔法を褒められたと感じたレティは地面をウロウロと視線を彷徨わせるだけでまともに答えられなかった。


「じゃ……」思わず無様にも声が上擦ってしまった。

「じゃあ……次、行こうか」


そう言ってロイさんに背を向けて歩き出す。何故か顔を見るのが恥ずかしかった。バレないで、と思ったが何に対してそう考えたのか分からず、レティは自分に少し呆れた。

丁度良く、遠くから狼の遠吠えにも似た声が轟いた。ラフィの合図だ。近くに新しい魔物が出たらしい。

森中から響いたが、慣れているレティは凡その位置が掴める。その先に向かうと後ろからはロイさんが遅れて歩く音が聞こえた。

十メートルも歩かない内に次の魔物と遭遇した。先程と同じスライムがウゴウゴと動きながらあちこちに点在している。

周囲を素早く観察すると、先程の倍の数がいた。おまけに一体一体の間隔が離れている。木の幹にへばり付いている個体もいて、かなり面倒な状況だった。これだけの数を見た時は今日のノルマは早く終わりそうだと思っていつもなら喜ぶのに、スライム相手だと転移の魔法も使わないといけないから先に面倒が勝ってしまう。

けれど、見つけたからには倒すしかない。心の中で気合を入れ直して近くの一体から順番に相手をしていく。

やり方は先程と同じ、スライムを影に包んで地面にできた影の穴に放り込んでいく。同時に二つの魔法を発動させるから手間な上に集中力も結構使う。

そしてそれ以上に表面上はともかく、内面は冷静ではなかった。

影の魔法を使う度に、先程のロイさんの言葉が思い出されて集中が途切れそうになる。斜め後ろからはロイさんが他のスライムを相手しているが、見られているかもしれないと思うと余計にレティの心が乱れていった。

レティは自分で思い至らなかった。内心では影の魔法を褒められた余りに舞い上がっていたことを。

だから頭上にいたスライムの対処に遅れた。

木のかなり高い所からスライムが降ってきた時、慌てて影の壁を展開して攻撃を防ぐ。そのまま直ぐにスライムを捕えて地面の影に叩き込もうと目を地面に向けるとーー、

上から更にもう一体が落ちてきた。

気付いてもう一度頭上を見れば既に数メートルも無かった。ギャワンと吠える声が何処かで聞こえるがそれに気を払う余裕も失われていた。

無意識に影を展開するが、途切れがちな集中力だといつもより発動が遅い。間に合わない。

あと少しで接触する。やけに進む時間が緩やかだな、と場違いなことを思った。

現実に引き戻されたのは、大きな手がレティの腕を掴み力強く引っ張ってきた。


「きゃ、あっ」


有り得ない方向からいきなり引っ張られたことで大きくバランスを崩してしまうが、倒れることはなかった。

背中がトン、と何かにぶつかるのと、氷の槍が降ってきたスライムを横から串刺しにするのは同時だった。

貫かれたスライムはそのまま吹っ飛んでいき、木の幹に縫い留められる。直ぐに分裂を開始するが、二つに分かれる前にピキッと凍り付き、そのまま粉々に砕け消えていった。


「大丈夫か?」


呆けていたレティに後ろというか上からの声に我を取り戻す。見上げればロイさんが覗き込むように見下ろしていた。


「えっ。……はい」

「そうか……」


それだけを言うとロイさんは直ぐに腕を離してくれた。そのままレティを後ろに前へ出ると、氷の弾丸が複数射出された。

豪快な音と共にスライムが飛んでいくのが見えた。まだ戦闘は終わっておらず、ロイさんはどんどんスライムを片付けていく。

その光景にレティはしばらく間抜けにも眺めていたが、大分数が減った辺りで何をしているんだと己を叱咤して無理矢理平静に戻した。参戦するために深呼吸を繰り返し、もう一度影の魔法を起動させるために意識を集中させた。


*************


またあの時のことを思い出して突っ伏してしまいそうになる。あの後は失敗もなくいつも通りのノルマを達成できたが、あんな失態を演じたのは初めてだ。一回目の初討伐の時でさえやらかしたことは無かったと言うのに、ロイさんがいる時に限って。


「どうかしたのか?」

「いえ別に何も」


後ろからロイさんが声を掛けてくるが、ついつい早口で返してしまう。恥ずかし過ぎて後ろを振り向けなかった。

ロイさんは特に気にもせず読書に戻ったみたいだが、それが何だか余計に恨めしかった。

深く考えればーーそんなに考えなくても別にロイさんは悪くない。全然悪くない。単にレティ自身の問題だ。

気持ちを落ち着かせようとロイさんに悟らせないように何度も静かに深呼吸するが、やっぱり上手くいかない。最初の失敗の件もそうだが、その次の日以降のロイさんの提案も関係していた。

失敗した翌日の日課は滞りなく終わったが、レティにとっては予想外の提案をロイさんがしてきたのだ。


ーー明日からは交代制にしないか、と。


聞いた時は理解できなかった。時間を掛けて意味を咀嚼して、ようやく頭に浸透した時は驚きの余り声も出せなかった。

最初に思ったのはえ、何で、だった。あの最初の失敗が関係しているのかと問い質してしまったくらいだ。

それは関係ないとロイさんはキッパリと言った。じゃあ何でなのかと聞くと以下の答えが返ってきた。


「負担を減らすためだ。俺の居る間だけ少しは寝て休め」


その言葉を聞いてレティはポカンとしてしまった。さぞかし間抜けな顔をしていたに違いない。……彼からしてみれば気配は伝わったが表情は微塵も変わっていなかったが。

いつかは分からないが、いずれは居なくなるはずのロイさんにそこまで甘えるつもりは毛頭なかった。即座に断ったがそうはラフィが許さなかった。

何と、更に翌日の日課の時にラフィが協力しようとしなかったのだ。レティが幾ら呼んでも現れず、ロイさんが呼ぶと颯爽と森から出てきたのは心底驚いた。その上レティのローブの端を咥えて家まで引っ張っていった。ラフィが本気を出せばローブが容易く破れるのは目に見えていたので引っ張られるままに橋を超えるて小島に着くと、ラフィは口を離してそのままレティを放置して森に入ってしまった。

レティは棒立ちのままラフィを見送ってしまったが、そのあと幾ら待ってもラフィもロイさんも戻ってくる様子はなかった。

影の魔法を使って気配を探ればロイさん達の位置は把握できるが、果たして追い掛けてもいいものか本気で迷った。またラフィに引っ張られる可能性を思うと中々踏ん切りがつかず、結局散々迷った挙げ句に家に戻った。

椅子に座り、まんじりともせず待っていると、日付が変わってしばらくしてからロイさんが戻ってきた。起きているレティを見て眉を顰めていたが問題なく終わらせた、と言って。

いつの間にロイさんとラフィはあんなに仲良くなったのだろう。最初は悪いように見えていたから余計に謎だった。

昨夜はレティが行ってもラフィは何もせずに行動を共にしたが、今晩は行ったらまた追い出されるのだろうか。逆にロイさんは何も言わず留守番をしていた。家に戻ると既に彼の姿はなく二階で寝ているみたいだったが、今日は行くのだろうか。

ロイさんもラフィの通常運転の中、レティだけ全く変化に対応できず、知らず知らずまた重い溜息を吐いてしまった。

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