5章:慣れないのは誰

一話

急いで石橋を渡って小島に辿り着いた。

庭にはさっき切った乾いていない薪がゴロゴロ転がっている。後で回収して薪棚に積まないと、と考えるがまず優先するべきは調合だった。

レティはこの後の手順を組み立てながら家に入った。ロイさんがまだ追い付いてこないのが気になったが、取り敢えずは自分の仕事を早く済ませてしまおうと流し台に載った薬草を一瞥した。

脱いだローブを取り敢えず椅子に引っ掛けた。ラフィの毛がかなりついていたから後で洗濯しようと心に決める。

棚から乳鉢と乳棒を取り出し、そこに薬草を少しずつ入れてすり潰していく。

部屋にゴリゴリと音が響く中、やっとロイさんが家に戻ってきた。


「おかえりなさい」


顔も上げずに言うが、ちょっと失礼だったかなと思い直して扉を見ると、そこには誰もいなかった。


「……あれ?」

「どうした?」

「へっ、……わっ」


吃驚して声を上げてしまうと、ロイさんも驚いた顔をして一歩後ずさっていた。


「どうした?」

「い……いつの間に、後ろに?」全く気付かなかった。足音もしていなかった、ように思う。

「いつの間に、て……そんなに集中していたのか」


でもロイさんから返ってきたのは呆れたような声だった。

そんなに集中していただろうか。いつも一人で作っているから自覚がなかった。


「……で、何をしているんだ?」

「あ、そうだ」


ロイさんに驚いた余りに手が止まっていた。手元を見るとまだ乳房はちゃんと持っている。うっかり落とさなくて良かった。

またゴリゴリと乳鉢の中の薬草をすり潰していく。

ロイさんの質問に答えていないことは頭から抜けていたが、彼は気を悪くした様子もなく興味深げにレティの作業を見ていた。


「それは、さっきの薬草か?」

「え、うん……」

「潰した後はどうするんだ?」

「あ、えっと……」


手を止めてロイさんを見る。相変わらず後ろに立っている上にレティの手元を確認するために顔の距離がかなり近い。ついさっき森でロイさんに抱き締められた時と同じくらいだろうか。街の人達が評価する端正な顔立ちが何度も至近距離にあるのはどうも気持ちが落ち着かない。表面上には出ないが、内心では恥ずかしさでどうにかなりそうだった。

またロイさんの問い掛けに答えていなかったが、手を止めたレティを見てどう思ったのか、身を引いて悪かったと呟いた。


「作業の邪魔だったな。俺は適当にしているから続けてくれ」

「え、あ……ごめんね」

「気にするな。……何か用事があればやっておくぞ。先に昼の用意とか」

「あ、ごめん。火はこれから使うから熱物は……」


回復薬を作る時はいつもサラダとパンぐらいだった。時間がズレて昼を越してしまった時なんかは食事自体を抜くことも珍しくなかった。


「……そうか。なら、まだ時間はあるな。悪いが本でも読ませてもらうぞ」

「うん、いいよ。ゆっくりしてて」


そう言いながらまた手元の作業に戻った。もう少しロイさんものんびりすれば良いのにと微かに思いながら。

またしばらくはゴリゴリという音が部屋に木霊していた。ロイさんが時折視線を向けていたことにも気付かず、レティは無心に同じことを繰り返していた。

やがて葉が粉々になり小さな汁が底に溜まった頃、乳鉢を置いて次の作業に取り掛かった。

湖から水を汲んできて小さな鍋に移す。ストーブの火を弱くしてから鍋を置き、その中に潰した葉を丁寧に入れていった。

後はひたすら掻き混ぜるだけだ。聖水の色が変わるまで木べらでゆっくり混ぜていく。

後ろの方ではロイさんがゴソゴソと何か動き始めた。何となしに後ろを見遣ると貯蔵庫の方へ向かって行っていた。窓の外を確認すると太陽はかなり高い位置にあった。もうお昼が近い。

ロイさんは直ぐに貯蔵庫から出てくると次は棚や流し台を探っていた。横目で見ると皿を取り出していたから、多分これから食事をするのだろう。

ボンヤリと考えながらも、目と手は止めずに作業を続けていく。ここで手を抜くと思った通りの色にならず一からやり直しになってしまう。最初の頃はちょくちょく失敗しては夜遅くまで時間が掛かったこともあった。

鍋の中の聖水は少しずつ色が変わり始めていた。もう少しだな、と思いながらも焦らずゆっくりと混ぜ続ける。後ろではロイさんも何かをしていたらしいが、今は音も止んでいた。ご飯でも食べているのかもしれない。

そしてやっとレティの望む色に変わった。満足気に一つ頷くと手を止めて濡れ布巾を用意する。鍋をストーブから布巾の上に載せ替えて一息ついた。後は熱が取れるのを待つだけである。


「終わったのか?」


後ろからロイさんが声を掛けてきた。レティの手が止まったのを見て作り終えたのだと思ったのだろう。だけどレティはかぶりを振ってううん、と否定した。


「まだ、最後の仕上げが残ってるの。熱が冷めるまで、何もできないけど」

「そうか。ならそれまではどうするつもりだ?」

「……えっと、うーん……取り敢えず、外の薪を片付けようかな」

「……その前に飯でも食え。昼もとっくに過ぎているぞ」


呆れ返ったロイさんの声にようやくレティは振り向いた。

そこには渋面のロイさんがいた。椅子に座って片手には本を持っている。ずっと読んでいたのか頁は大分後ろの方になっていた。

そしてテーブルの上の光景にレティは目を瞠った。

そこにはパンとサラダ、昨日食べたケーキがチョコンとお皿に載っている。数は二つ。もしかしなくてもずっと待っていてくれたみたいだ。


「な……先に、食べていればよかったのに」

「……俺も本に熱中していたからな。気にするな」


嘘だ、と思った。集中して読んでいたのなら昼食の支度なんてできるはずがないし、レティの作業が終わったなど見計らえるはずがない。


「いいから、さっさと食べるぞ。……もう火は使ってもいいか?」

「え、うん大丈夫」


レティがそう答えるとロイさんは本を置いて立ち上がった。

何をするんだろうと見つめていると、ロイさんは薪を追加してから薬缶を置いた。中には水が満たされているのだろう。勢いよく燃えだしたストーブで直ぐに薬缶から煮始める音が聞こえてきた。


「いつまで突っ立っているんだ。早く食べるぞ」


再度ロイさんに急かされて、ようやくレティは椅子にそろそろと座り込む。遅れて着席したロイさんが早速パンに手をつけ始めた。

まだレティがテーブルのお皿を眺めていると、ロイさんが手を止めて怪訝な表情をした。


「どうした?」

「いえ、すみません。……いただきます」

「あぁ」


レティがフォークを持つとロイさんも食事を再開した。その様子を見ながら改めてお皿に載った料理を見る。サラダもパンもロイさんと同じ量があった。ケーキに至ってはロイさんより少し大きいような気がする。


「ロイさんはそれで足りるの?」

「あ?ああ、余り動いていないからな」


本当だろうか。体格にかなりの差があるのに。というよりもレティがいつも食べている量より多い気がする。


「こんなに食べられない、かも」

「取り敢えず、食べれるだけ食べとけ。……ケーキは残すなよ」


パンやサラダは残しても良いのにケーキだけは全部食べろとはこれ如何に。不思議な要求に首を傾げるが、ロイさんはこれ以上取り合わなかった。

仕方なくサラダを突き刺して頬張る。昨日食べたサラダと違ってドレッシングなんて掛かっていないから、いつもの野菜の味しかしなかった。

朝食の時も思ったが、ロイさんにとっては味気なくて物足りないのではないだろうか。少し申し訳なく思う。

レティがモソモソと食べていると、ロイさんが何気なく訊いてきた。


「それで、あとどれくらいでできるんだ?」

「ん。……もう少し、だよ。夕方頃には完成するかな」


何気なく言ったつもりだったが、それを聞いたロイさんはピタッと動きを止めてしまった。


「……もう少し?」

「うん、もう少し」

「それで、出来上がるのは二本分、なのか?」

「うん、そうだよ。良く分かったね」教えた覚えはないので素直に感心する。

「……もし、数を増やしたらどうなる?」

「時間は掛かるけどできるよ。でも……」流石に集中力が持たない。

「いやいい、愚問だった」


ロイさんが顔を顰めて遮った。

何だろうと不思議に思ってロイさんを見遣るが、ロイさんは残っていたケーキを口に放り込んで水で流し込んでいた。そのまま立ち上がると玄関に向かってスタスタ歩いていく。


「薪は片付けておくからゆっくり食べてろ。食べ終わっても食器は置いておけ」

「……へ?」


意味不明な内容に思いっ切り間抜けな声が出てしまう。次第にロイさんの言葉が脳内に浸透していくと、レティは慌てて立ち上がった。


「ロイさんは休んでていいよ。薪は私がするから」


影の魔法を使えばそんなに時間が掛からずに終わらせることができる。


「……魔法を使う気か?いいから、少しは休め」


有無を言わせぬ口調と、それ以上のロイさんの態度に思わず圧倒される。

え、何でどうしてと疑問が渦巻いていくが、ロイさんの無言の圧力に屈してストンと椅子に座り直した。

それを見届けたロイさんが小さく息を吐いて、少し目を細めた。


「直ぐに熱は冷めないだろ。その間、なるべくしっかりと身体を休めておけ」


そう言い残してロイさんは出ていってしまった。

一人ポツンと取り残されたレティは、ポカンとしたままロイさんを見送った。

今のは一体何だったのだろう。身体を休めろと言われても別に無理をした覚えはないので、ロイさんの言葉は今一つ理解できなかった。

テーブルにあるお皿を見る。まだ半分も料理が残っていた。ケーキに至っては手つかずだ。


「……取り敢えず食べてればいいの、かな?」


独りごちてまたフォークを手に取る。ケーキ以外は残していいと言われたが、折角ロイさんが用意してくれた物を残すのは気が引けた。

普段そんなに食べる方ではないから食べ切れるかな、と思いながらパンを口に入れた。

そう言えば食べ終わっても食器は置いておけと言われたのを思い出し、ロイさんの言動に半ば混乱しながらも言われた通りゆっくりと食事を摂ることにした。

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