六話

結果的に見れば、ロイドは余り役に立たなかった。

薪を探すというからどのようにしているのかと疑問があったが、あっさりと切り倒している姿を見た時は正直唖然とした。

影の魔法を使ったのだ。

手頃な太さと高さの木を見つけた時、レティの足元の影が暗い闇の色に変色したと思ったらズルリと這い出した。

まるで薄っぺらい紙を拾い上げたように見えた。平面のまま持ち上がった闇の影は不定形に変えながらどんどん細長くなっていく。

やがて先が細い剣くらいまで伸びた時にヒュンと、木の根本近くを通過したのだ。

たったそれだけで木は横に倒れてしまった。更にレティはそのまま木を幾つかに分割してしまい、地面に広がった黒い影が薪になった木材を全部飲み込んでしまったのだ。

恐らく十分も掛かっていない。最適な木を探している時間の方がもしかしたら長かったかもしれなかった。


「…………もう、終わったのか?」

「え、はい……じゃなくてうん。もう終わりま、ったよ」


喋り方がかなりぎこちなくなってしまったが、意識して変えようとしてくれているからロイドからは何も言うことはない。

寧ろ、他人行儀に接していられる方が壁を感じてしまう。その理由が、どうやらロイドと別れる日がくるためと思っていた予防線だったみたいだが、生憎ロイドは当分消えるつもりはない。

というよりも、帰る気が全く無いと言った方がいいのかもしれない。騎士の証は売っぱらったし、元々帝国には忠誠なんて微塵もなかった。向こうもロイドを使い潰す気満々だったので、これで律儀に帰投するほうがどうかしている。

帝国に居場所など無かった。だが、目の前の少女は変異種のロイドを気にもせず、人も異形も変異種も平等に接してくれている。

居場所、と思っていいのかは分からないが、少なくともロイドはたった数日過ごしただけの少女を相手に安らぎを感じていた。

離れる気がない、というよりも離れたくない、と言った方が正しいのかもしれない。それを馬鹿正直に口に出せるほどロイドの心臓は強くないが、いつか少女に言えればいいなと思った。

王国ーール・エルゼがロイドに対して何かをしてくるまで、もうしばらくはここにいるつもりである。

ロイドがレティを見ながら思考に耽っていたので疑問に思ったのだろう。細い手がヒラヒラと顔の前にかざしてきた。


「ロイさん、どうかしたの?」

「いや、何でもない」


そう、と呟いてレティは辺りを見回した。

何をしているのかと思っていたが、そういえばここにはもう一匹いたヤツのことを思い出した。


「……あの犬は何処に行ったんだ?」

「さあ。昼はいつも気ままにしているみたいだから私も知らない。家に来たのも本当に珍しかったな」

「なら探さなくてもいいのか」

「そうだね。呼べば来るとは思うし、来たいならまた来るだろうし」


それに、とレティは続けた。


「夜になればまたラフィが来るから、それまでは、好きにすればいいと思うよ」


そう言いながらレティが踵を返した。ラフィは放っておいて帰るつもりらしい。

ロイドも遅れて後に続く。

レティの言葉に気になる点があったが、それよりもレティが少しだけ早足になっていることに気が付いた。レティの速さ程度ではロイドには苦にもならないが、急いでいることだけは分かったので黙って一緒に歩く。

そろそろ森を抜けて石橋が見えてくるくらいだろう。ロイドがそう思いながらレティの後ろを歩いているとーー。

突然、上から大きな物体が振降ってきた。


「……っ!」

「……え、わっ!」


ロイドが慌ててレティを抱えて前方に跳躍した。丁度レティとロイドの真後ろに物体が落下し、大きな音が辺りに響き渡った。


「え、何っ!?」


腕の中でレティが驚いて落ちた物体の方向に目を向ける。ロイドも何が起きたのかと確認するために顔を向けた。

落ちたのは鹿だった。しかもかなり大きい。角まで立派な牡鹿だ。


「………………何で?」


レティが呟くがそれはロイドも同じ思いだった。何で鹿が上から降ってくるのか。

ロイドとレティの頭の中にはてなマークが乱舞していたが、続いて上からスタッと着地した動物を見て何となく疑問が氷解した。


「……ラフィ?」


呼ばれた犬は尻尾を盛大に振りながらワン、と一声だけ鳴いた。

紅い瞳がキラキラと輝いている。動作がどう見ても褒めて欲しいと訴えいていた。


「……危ねぇだろうが、この、クソ犬」


だから、ロイドが冷徹に切り捨てて言ってやった。人語を理解していることを前提に、これでもかとクソ犬を強調してやる。

案の定、レティに褒められると思っていたラフィがロイドの罵倒に怒りで唸りだした。如実に邪魔をするなと目が言っているが、ロイドだけでなくレティまで危ない目にあったのだ。あの角が少しでも彼女に当たっていたらと思うと、とてもではないが許容できない。

静かな怒りで犬を睨みつける。レティが普段通りに接している数少ない相手だから殺意は出さないように気をつけてはいるが、沸々と込み上げてくる衝動に任せて一層紺碧の瞳に力が入る。

出会った時と同様、二人の敵意を散らしたのはやはりレティだった。


「そうだよラフィ、今のは危なかったよ。ロイさんが怪我したらどうするの」


平坦な声なのに、微かに咎めているのが分かるぐらいに口調に鋭さがあった。

しかも、ロイドを庇う形になったからラフィにとっては堪らない。急速に耳と尾が垂れてキューンと小さく鳴く姿は、落ち込んでいる以外の何者でもなかった。

溜飲が下がったロイドはラフィから牡鹿に視線を移す。首筋に抉られた噛み跡以外は綺麗な状態だった。一撃で仕留めたのが一発で分かる。

体格もかなり立派だ。かなりの重量がありそうだが、これを咥えて上から降らすとなると相当の力が必要だろう。


「こんなことはしょっちゅうなのか?」

「……ううん、流石にこれは危ない」


レティも困惑しているのが雰囲気で分かった。悩ましげに小首を傾げて鹿を一瞥している。


もしかして、


「お前へのプレゼントか?」

「へっ?……そうなの?ラフィ」


ワフッとかなり弱々しい返事がきた。怒られたのが余程効いたのか、窺うようにレティを見上げている。


「…………ありがとうラフィ。……でも、何で?」


レティが更に疑問を投げるが、ラフィが喋れるはずもない。ただ先程からチラチラとレティの胸の辺りを見ていた。

レティの胸というよりひょっとしてローブを見ているのか。


「……対抗心か?」

「……何の?」


レティの当然の疑問に何と答えるべきかロイドは言い淀んだが、ラフィを見遣るとあの犬、かなり悔しそうにロイドを睨んでいるので直感が当たったのだと悟った。

新参者のロイドに負けじとする、そのいじらしい姿に気持ちに少しだけ余裕ができた。改めてこの鹿をどう処理すべきか考えるくらいには。


「……これを、どうする?」

「どうする、って?」

「ラフィからの貰いもんだろ……解体とか」

「全然、やったことないよ。ロイさんはどうなの?」

「俺も流石に、これだけデカいとな」食うに困って野兎など小動物くらいなら仕留めて捌いたことはあるが、大型となると自信は余りない。


このまま放っておくと直ぐに悪くなるからどうするか。いっそ氷漬けにして置いておくか。……保ちはするだろうが家の中だろうと外だろうと景観が物凄いことになることは想像に難くない。

レティも妙案が浮かばないのか、ロイドの腕の中でうんうん考えている。レティの魔法なら解体作業ぐらいできそうな気がしないでもないが、未経験で皮剥ぎから内臓の取り出しまでやるとなると重労働だし血の匂いは不快なはずだ。頼むにも抵抗がある。

はぁ、と嘆息して鹿を指差した。


「……これはラフィ、お前が食べろ」


え、と言うレティと険しさが増したラフィがロイドを注目する。


「これは大き過ぎる。レティには無理だ。次からは兎とか鳥とか小さなやつにしておけ。そっちの方がレティも喜ぶ。……よな?」

「えっ?うん、そう、はい…………ラフィ、小さい方が嬉しい、かな?でも、これも嬉しかったよ。ありがとう」


レティも追従すると、あの犬はパッと顔を輝かせた。あれだけ萎れていた尾も復活し、ピンと誇らしげに立っている。

現金な犬だが機嫌が良くなったみたいで何よりだ。ロイドとて彼女に贈りたい気持ちを無下にするのは忍びない。……例えそれが畜生相手であっても。

ラフィは牡鹿の首を咥えたと思ったらそのまま全速力で森の奥に向かっていった。レティに言われた獲物を探す気なのだろう。ついでに鹿はラフィの食事かおやつか。まあ、放置されても困るので敢えて黙っておく。

消えていったラフィを見送ったあと、ソロソロとレティが顔を上げてきた。


「……あれで、合ってたの?」

「あぁ、完璧だ。よく合わせてくれた」


ロイドがそう言うと肩から力が抜けていくのが分かった。多少緊張していたらしい。


「でもあれ、今度は兎ばっかり獲ってくるかも」


有り得る。毎日兎ばかり持ってくる光景を夢想してげんなりしてしまった。


「まあ、その時はまた言えばいいだろ」それまでは精々、レティが食べて肉が付けばそれもいいかもしれない。

「……何か、考えてるの?」

「いや、何も」

「…………ふーん」


珍しい返事にレティを見ようと見下ろすがーーその時になってようやくロイドの腕の中にいたままだということを思い出した。

顔が熱くなる。今まで手や肩は触れたことがあるが、この構図はどう見ても抱き締めている。森の木々の匂いに紛れて彼女の林檎のような香りが微かに鼻腔をくすぐっているのを感知し、大慌てで手を離した。

急に支えがなくなったレティがよろめいたが、何とか踏ん張っていた。


「どうしたの?」

「っ!何でもないっ」


少し声量が大きくなってしまった。

彼女の肩がピクリと動いたのをロイドは見逃さなかった。どうもレティは急に大声を出されるのが苦手らしい。


「……それより、この後は?」

「あ、そうだ。薬を作らないと。鮮度が落ちちゃう」


誤魔化されてくれたらしい。レティは小走りで家に向かっていった。

その後ろ姿を見ながら、ロイドは落ち着くまでしばらく深呼吸していた。

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