二話

家に帰った時は既に夜が迫っていた。だから燭台に火を灯してからストーブの中の炭を取り出し、薪を足して火をつけていく。ただレティが燭台に火をつけて回っている間にロイさんが残りの炭を掃除してくれていた。

部屋が仄かに明るくなる。暗い森で、暗い所で生活していたレティにとっては十分な明るさだ。

レティがローブを脱いで椅子の背もたれに掛けるとロイさんもマントを脱いで同じように掛けていた。後でロイさんのマントを掛ける場所を確保しないと、と思いながら次の行動に移した。

紙袋から食材を取り出して食事の支度を始める。レティが朝に水を入れた桶に野菜を入れて洗っていく。取り出して切っている間に、ロイさんが新しい水を入れに行ってくれた。

持ってきた水を鍋に入れてストーブの上に置いてくれた。そこに切った野菜を入れていく。

ロイさんは流し台の上に置いた紙袋をガサガサ探っていたが、やがて干し肉を取り出した。そして包丁を拝借して鍋の上から器用に削り入れていく。

その間にレティはもう一つの紙袋から日持ちするパンを出した。お皿を用意するために棚を漁っていると包丁を洗ったロイさんがパンを綺麗に切り分けていた。

クツクツと鍋の中の食材が踊りだした。テーブルの上にお皿を置くと、ロイさんが切ったパンを載せている間にレティは深皿を台に一旦置いて壺を持った。

中の塩を少しだけ鍋に入れようとするーーと思ったらロイさんが今日だけは要らないと言われた。

壺を置いた後は残った水を薬缶に移し替えた。ポットに茶葉を入れている間、ロイさんは焦げないように鍋をかき混ぜてくれていた。

やがて簡単なスープが出来上がった。レティが深皿にスープをついでテーブルに持って行っていると、ロイさんが鍋を流し台に載せて、代わりに薬缶をストーブの上に載せてくれた。

そうしてそれぞれの外套を掛けた椅子に座る。先にレティが。次にロイさんが。

香草も入っていない塩だけのスープだが、いつもよりも深い香りが湯気から漂ってくる。

どちらからともなくスプーンを取ってスープを口に含んでいく。

最初に感じたのは、え?だった。いつもと同じ野菜で作ったスープなのに、素朴な味の中に深い味わいがあった。塩を入れたわけでもないのに微かに塩辛さも感じられる。

いつもと違うスープを見ているとロイさんがどうだ、と尋ねてきた。


「肉が少し入っているだけで大分違うだろ?」

「……はい、本当ですね」まさかここまで変わるとは。


対面に座るロイさんがパンを千切りながら微かに笑っているように見えた。……目を凝らしてよく見る。ロイさんはいつも通りの何処か恐い仏頂面だった。

目の錯覚だったのだろうか?夜目は利くはずなのに。

ロイさんをジッと見ていると、気になったのかロイさんが眉間に皺を寄せてレティを一瞥した。


「……どうした?」

「あ、いえ」


特に何も考えずボンヤリ見ていたなんて言えなかった。


「ロイさん、って凄いですね。まるで私の行動を読んでいるみたいで」


実際物凄く手際が良かった。テキパキと動いているのにお互い全然邪魔になることはなかった。でもレティは意識してあれこれ作業していた訳ではないのでロイさんが合わせてくれたのだろう。思ったよりも早く食事が出来上がったのもロイさんのお陰だ。


「いや、……だから、…………やすい」

「へ?何ですか?」


ロイさんが珍しくかなり小声で呟くものだから聞き逃してしまった。


「……気にするな。さっさと食べるぞ、冷めてしまう」


そう言うとロイさんはパンを口に放り込んだ。

確かに、昼食もそうだったが食べるスピードはロイさんが早かった。レティも慌てて食事を摂ることに専念する。

薬缶の口から湯気が立ち始め、シュンシュンと蒸気の音が鼓膜を震わせてからしばらく経った後、レティもやっと食べ終えた。ロイさんはとっくに食べ終わっている。

レティはお茶の準備を始めると、ロイさんはその間に食器の片付けをしてくれた。

カップに二つ、お茶を注いでテーブルに置く。食器を洗い終えたロイさんも後に続いた。

小さい明かりの中でお茶を啜る音と、薬缶の蒸気の音だけが空間を支配した。湯気からいつもの甘い爽やかな香りにレティはホッとした。

カップを持ちながら対面のロイさんを確認した。彼も落ち着いて寛いでるみたいだった。が、チラチラと何かを気にしている。

レティはロイさんの視線を先を追う。見るとロフトの下、奥が覗けないようにドカンと置かれた高い本棚が並んでいる。本が気になるのだろうか。


「……本、読みますか?」


言われてロイさんはバツが悪そうな表情をした。視線が本棚から外れる。


「……いいのか?」


でも正直に言う辺りやはり気にしていたのだろう。


「ええ、構いません」

「どんなのが置いてあるんだ?」

「ええ、と。色々ですね」


レティの知る範囲ではあの棚は題名を読んだ限り空想物が多かったような気がする。壁際の本棚は哲学とか古典とか良く分からない本も数多くあるけど。


「……お前が集めたのか?」

「違います。師匠が集めていた本です」

「レティは、全部読んだのか?」

「いえ、残念ながら」


蔵書の内、半分どころか殆ど読んでいない。

日々の雑務が忙しいのもある。夜は夜で日課があるのでゆっくり読書をする暇など中々できなかった。

レティの返事をどう受け止めたのか、ロイさんはいつも見せる渋い顔つきになった。


「……もう少し読んだほうがいい」

「そうですね。読めたらそのうち」


レティだって本を読むのは嫌いではない。が、如何せん要領が悪いのか晴耕雨読とはいかなかった。

ロイさんはそのままレティを見ていたが、やがて立ち上がると本棚に向かった。何冊か本を取り出してパラパラと頁を捲っては戻していく。何回か繰り返したあと、気になる本でも見つけたのか一冊を持って席に着いた。

チラリとレティを見てくるので無言でどうぞと促すと、ロイさんは静かに本を読み始めた。

その姿をレティはボンヤリと眺める。

テーブルの燭台に照らされて褐色の肌も白金の髪も揺らいで反射している。光に当たると金の色が強くなるのはお昼の太陽の時と一緒だ。

顔立ちも端正、だと思う。

レティが店で囲まれていた時に何人か格好良いとかハンサムとか言ってたけど、美醜を気にしたことなかったレティにはピンとこなかった。

湖と同じ色の目が文字を追って細かく動いている。光量が乏しいのに読んでいて疲れないのだろうか。視力が悪くならなければいいのに。

集中しているのか、レティが見ていても特に何も言わなかった。

取り留めもなく考えながらロイさんを見ていたら、いつの間にかカップのお茶が無くなっていた。

そろそろ時間だろうかと窓から外を確認する。立ち上がってカップを流しに置き、新しいローブをクローゼットに入れて古い鼠色のローブに袖を通した。


「……何処か行くのか?」


集中していたはずなのにレティがローブをーーしかも違うローブを着たのを見て訝しげに訊いてきた。


「はい。今から少し」

「何処へ?」

「森です」


ロイさんの読書の邪魔にならないように端的に返していく。

しかし読書も良いが、もう少し過ぎれば休む時間なのではと思い、言い足した。


「ロイさんは気にせず、先に休んでいて下さい」


二階に、と続けるとロイさんの身体が動かなくなった。

呼吸まで止まったのかと思うくらい微動だにしない。


「……どうしました?」

「あ……あぁ、いや…………二階の寝室は、お前が使え」

「それではロイさんは何処で寝る気ですか?」

「俺は何処でも寝られる」


キッパリと言うが一体何処で寝るのだろう。野宿でもするのだろうか。


「あの、ロイさん」

「……いや、俺が寝た後だったな。シーツや毛布の予備はないのか?」

「いえ、ロイさん」

「予備がないなら悪いがそのまま……、明日もし洗うのなら手伝うから」

「ロイさん」


三度読んでやっと気付いたらしい。意味は分からないが珍しく動揺していることだけは分かった。

レティはチョイチョイと手招きをする。そのまま本棚の向こう、ロフトの真下に案内する。

本棚に隠れて燭台の光も届かないひっそりとした奥にはチョコンとベッドが鎮座していた。


「……これは?」

「私が以前使っていたベッドです」

「やたらと荷物があるが?」


ベッドの上にはシーツも毛布もなかった。代わりに衣装箱や布、その他よく分からない私物が雑然と置かれている。


「師匠の物です。亡くなる前、全部師匠のはここに置いてしまって」


それ以降、レティが二階を使うようになった。

師匠が居なくなる数日前に、自分の物を全部このベッドの上に置いていた奇妙な行動は今でも鮮明に覚えいている。今日から上の階を使え、と言われてレティが使っていた布団も全部移動させたのだ。


「なら、これは形見だろう?どうする気だ?」

「師匠はもう居ないので、荷物を全部片付ければここが使えます」

「俺にここを使え、と?」

「いえ。このベッド、少し小さいのでロイさんは二階でお休み下さい」


レティならまだ余裕があるが、多分ロイさんが寝ると少し狭く感じるはずだ。


「……で?」

「帰ってきたら片付けますので、ロイさんは気にせずゆっくりしていて下さい」

「……あのな」ロイさんがハァーと溜息をついた。

「見た限り重い物もあるぞ。どうやって運ぶつもりだ」

「どうにかなりますよ」

「……俺がやる。取り敢えず脇に置いておけばいいだろ?」


そう言いながらロイさんは早速手近な箱を持ってベッドから下ろしていく。


「……本は読まなくて良いんですか?」

「厄介になるんだ。本ならまた後で読ませてもらう」


次々と荷物が退けられていく。テキパキとしているのに手付きは慎重で、丁寧に置いてくれる。結構几帳面な人だな、と思う。

止めても拒否されそうだったので、レティはしばらく考えてから頭をペコリと下げた。


「では、お願いします」


あぁ、とロイさんの返事を聞いてレティは踵を返す。そのまま玄関まで行って外に出ていく。

途端に澄み切った空気が身体を包んだ。吐く息は真っ白で溶けて消えていく。空を仰げば満天の星。湖に反射してキラキラと輝いている。

湖を眺めながらレティは魔法を発動させた。ロイさんにも見せた影魔法での転移。

視界が一瞬で暗転するとそこには湖など既になかった。あるのは密集する森の木々。枝葉が邪魔して星も見えない、殆ど完全な闇の中にレティは佇んでいた。

ここは湖から数キロ離れた境界線だ。これ以上進むと魔物が姿を現し始める。

けれどレティは気にする様子も見せず、周りをゆっくり確認すると小さな声で呼んだ。


「ラフィ」


少しだけ待つ。すると木々の向こうからガサガサと音が立ち始めた。

やがて闇の向こうから紅い、血のような瞳孔が浮かび上がった。それはレティに近付き、徐々にその全身が顕になってくる。

パッと見た目では灰色狼に近い。だけどその大きさは異常で、頭がレティの胸近くまである。

完全に姿を現したソレは、フンフンとレティの匂いを嗅ぐ。尻尾がパタパタと左右に振られていた。


「今晩は、ラフィ。今日も宜しくね」


そう言いながらラフィと呼んだ狼の頭を撫でていく。いつもなら気持ちよさそうに目を細めてくれるのに今日は違った。


「どうしたの?」


短く問うが、ラフィはレティの服を嗅ぐのを止めない。それどころかあちこちと嗅ぎ回っている。

好きにさせていると今度は頭をグリグリと押し付けてきた。


「ラフィ、そんなに擦られると毛だらけになっちゃう」


軽く窘めても構わずラフィは身体を擦りつけてきた。普段余りない珍しい行動に首を傾げる。


「まあいいけど。ラフィ、近くにはいないの?」


問うとやっとラフィの擦りつけは止めてくれた。

クゥーンと一鳴きすると身を翻してある方向を歩き始めた。

レティも後を追う。深い闇が漂う森の中、一人と一匹は気負いもなく進んでいった。

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