八話
店主が手の平ほどの大きさの包みを持ってきたのは、飲み物も無くなってしばらくしてからだった。
ロイさんは包を受け取ると籠の一角に丁寧に入れていった。
「そろそろ、行くか」
そう言ってロイさんが立ち上がる。遅れてレティも立ち上がったが、隣に掛けていたローブを見て動きを止めた。
ローブを手に持つが、着ようか止めておくべきか迷った。お気に入り、というわけではないが普段街にいるときは、常にローブをフードまで被っていた身としては少し心許なく感じてしまう。かと言って、着たら着たで汚れているから普段よりも目立ってしまうだろう。
レティがウジウジと悩んでいると、ロイさんの方からゴソゴソと籠を探っている音が聞こえた。
ふと籠の方を見るのと、目の前に一つの紙袋が差し出されるのは同時だった。
ロイさんの意図が掴めず紙袋を見つめていると、ぶっきらぼうなロイさんの声が聞こえた。
「……やる。代わりに着ればいい」
後は何も言わず、ん、と紙袋を突き出してきた。
レティは咄嗟に受け取った。よく分からないままにおずおずと袋の中身を確認する。
布、だろうか。深い青色の生地が覗いていた。細いながらもクリーム色の刺繍が施されている。
「これは?」
「……ローブだ」
「……えっ」ローブ?
袋から取り出して広げてみる。確かにローブだった。まるで湖のような、ロイさんの瞳のような紺碧色。刺繍は袖と裾に付いていた。
本当に綺麗なローブで、レティは思わず見惚れてしまった。家に帰ってもこんなローブなんて持っているはずもない。
ロイさんに声を掛けられるまで、食い入るようにローブを見つめていた。
「気に入ったか?」
「え、はい。でも、これ……」
「どうした?」
「これ、幾らだったんですか?」
「……やると言っただろ。気にするな」
やると言われても。
見るからに高価そうなローブだ。レティだって衣類を買ったことがない訳ではない。でも、いつも安い物を選んで買っていた。場合によっては一銀貨すらしないのだ。
尚も食い下がろうとするレティをロイさんは手を上げて制した。
「いいから受け取っておけ。贈り物だと思えばいいだろ」
贈り物。そんなことを言われたのは初めてだった。
バッと顔を上げてロイさんを見ようとすると、何故かロイさんは顔を背けてしまい、どんな表情をしているか分からなかった。
仕方がないのでもう一度ローブを見る。良く見れば刺繍には小さな花が模してあった。
その花の種類が何なのか分かると、急に胸に温かいものが込み上げてきた。
「ありがとう、ございます。ロイさん」
小さく呟くとロイさんは横目でレティを見てきた。彼は途中ハッとして息を呑んでいたが、レティは嬉しい気持ちが後から後からやってきて、ロイさんの驚いた様子を見ていなかった。
レティが新しいローブを着込み、フードを被って古いローブを畳んで紙袋に入れた時には、ロイさんは既に店の扉の前で待っていた。いつの間にかマントまできちんと羽織っている。
慌ててロイさんの側に行くと近くに居た店主がまた来て下さいね、と笑って見送ってくれた。
二人して外に出たが、何か違和感があった。何だろうと考えてロイさんを見たが、ようやくそれが脳裏をよぎった。
「あ、ロイさん。私会計をしていません」
そうだ。食事をしたのだから普通はお金を払わなければいけない。
買い物はしたことあるが、食事を取ったのは初めてだから失念していた。店主も言ってくれればいいのいと思いながら扉の取っ手に手を伸ばそうとする。
だけど伸ばした手は、ロイさんの手で止められた。
「いい、もう済ませてある」
「え、なっ……」
流石に狼狽した。ローブのみならず食事までロイさんが支払う必要は何処にもない。
「そんな……悪いです。食事ぐらいは私が支払います」
そう言いながらもあれ?と、更に妙なひっかかりがあってレティは動きを止めた。
ロイさんが怪訝そうにレティを見てくるがそれどころではない。何がおかしいのか必死に違和感の正体を手繰り寄せていると急に閃いた。
バッとロイさんを見る。正確にはロイさんが未だに持っていてくれている籠を。
ロイさんが少しだけたじろいだのも頓着せず、思うままに口を開いた。
「そうです、ロイさん。薬を売ってくれて、ありがとうございます」
「あ?ああ」
「それも、とても高く売ってくれて……。ロイさんのお陰です。だからそのお金はロイさんがどうぞ」
「……は?」
「でも、すみません。今は手持ちがないので、食事代がお返し出来ません。家に帰れば少しは蓄えがあるのでその時にお返しします」
「……待て、何でそうなる。売れた金はお前が作った回復薬だからだろ」
「でも、高額で売れたのはロイさんが色々してくれたお陰です。私だったらいつも通りになっていたので」
「気にするな。学んだのなら今度から取り敢えず警備兵に卸しに行け」
「はい……でも本当に、今回はロイさんが手を回してくれたからだし。それに、ローブも頂いてしまいましたし」
「だったらっ」急にロイさんの語気が荒くなった。
レティが驚いて少し怯んでしまうと、ロイさんは渋面を作って声を落とした。
「だったら、これから厄介になる費用はお前が払ってくれ。これだけあれば当分問題ないだろ?」
ロイさんの提案に思案する。が、直ぐにコクコクと頷いた。
「……なら買い出しに行くぞ。場所は何処だ?」
「あ、はい。ここの通りを通ると……」レティは自分が通っている商店街を思い出しながら説明する。
いつも買い物に行っている商店街は大通りの綺羅びやかな店と違い、日用品が主で値段もそれなりに安い。
建物を改装したものが多く、表からでも中が良く見えるようになっていた。必要な物以外は買わないが、見ているだけで楽しめるくらいには様々な物が置いていた。
レティの説明を聞いて頷いたロイさんと一緒に横に並んで歩き出した。
通りを見ると、既に市場は終わっていて露店の跡など何処にもない。道の真ん中には馬車が時々通っていて、徒歩の人は建物の脇まで寄って歩いていた。
人の数も市場の時と比べるとかなり減っていた。といっても今がかき入れ時なのか、レティがいつも来ている時間と比べて人通りはまだまだ多かったけど。
いつもなら人にぶつからないように隅のほうを選んでいるのだが、今は横にロイさんがいるのでそれもできない。
朝の時と同じで、ロイさんの歩調はゆっくりとしていた。横目で見るとロイさんの肩が見えた。少し見上げると白金の髪も。
そう言えば、ロイさんはフードを被っていなかった。朝の時はあった周囲からの嫌な視線も殆ど無くなっていることに気付いた。それでも偶に刺々しい視線が突き刺さるけど、ロイさんは気にした風もなく颯爽と歩いている。
涼しげなロイさんの顔を見るともなしに見ていると、急に肩を掴まれ引き寄せられた。
へっ、と思う間もなく隣で通行人が通り過ぎていくのが見えた。どうやらぶつかりそうだったらしい。
「あんまり、ボンヤリするな」
「あ、はい。すみませ……」今度は急に手を取られてしまい、吃驚して言葉が止まってしまった。
いきなりどうしたのだろうと、ロイさんの顔を見ようとするが、何故かいつの間にかロイさんが一歩だけレティの前に出ていた。少しだけ引っ張られる形になる。
レティはしっかり握られた手を見る。
大きな手だった。ゴツゴツして固く感じる。男の人の手ってこうなんだ、と漠然と思った。
大きな手はレティの手を包み込んだまま、離す気配もなかった。
仕方なく引っ張られるまま、ロイさんの後ろ姿を見た。今は太陽に照らされて金色に近い白の髪と、湖のような青のマント姿の背中。
表情は全く見えなかったけど、何となく機嫌が良いような気がした。
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