三話

二人並んで数分間ロイドは黙々と歩き、隣のマースは相変わらず色々話しながら歩いていた。

ここまで来るといっそ感心する。返答が全く無いのにここまで根気よく話しかけてくるとは。

ロイドはそう思っていたが、マースは違った。ロイドは決して聞いていないわけではないと確信していたからだ。その証拠に無視している癖に時折マースをチラリと見てくれる。それが何だか嬉しくてマースは益々口が滑らかになっていった。

ある程度歩いていると突然ロイドの足が止まった。マースが不思議に思ってロイドの視線を追うと、目印にしていた青い看板が目に入った。

ロイドは店の中を眺めている。何か目についたのだろうか。

黙ってロイドと店を交互に見ていると、マースは急に閃いてポンと手を叩いた。


「ああ、彼女の服を探しているんですね」


ギクリ、とロイドが強張り図星に顔が苦虫を噛み潰したようになっていた。

マースは微笑ましく思った。ロイドは基本口数が多いわけではないし口調もどちらかというとぶっきらぼうだ。おまけに全然笑わない上に、時折見せる怜悧な気配は魔法以上に周囲を凍りつかせる。

そんな彼が女性の服を見ているのだから和まない方がおかしい。

確かレティと呼ばれていただろうか。テオ少年を庇ったためにローブがドロドロに汚れていたのをマースは思い出していた。


「どうせなら中に入りましょう。ここからでは全部は見えないですよ」


マースはそう提案するが、ロイドは躊躇しているのか中々入ろうとする素振りを見せない。

どうしたのだろうと思っていると、何かを決心したようにロイドは顔を上げた。


「悪いが、もう一軒案内を頼めないか?」


意外な申し出でだ。頼られるのは嫌ではないがマースはキョトンとしてしまう。


「別に構いませんが、どちらに?」

「……質屋だ」


意外過ぎる名前に今度こそ、マースは目を白黒させた。






マースの先導の下、ロイドは質屋に向かった。

場所は大通りから外れてどちらかというと住宅街だった。レンガ造りの家々が等間隔に並んでいる。

マースはさも分からないというような顔をしながらも案内してくれる。それもそのはず。つい先程屯所で金銭を得たばかりだ。十七銀貨もあればそこそこの服を手に入れられる。

だけどロイドはその金に手を着けるつもりは毛頭なかった。

あれはレティの金だ。レティが作った回復薬で得たものだ。

それにロイドは自身の金で服を買ってあげたいと思っていた。が、手持ちが五銀貨と二十銅貨。ある程度の服なら見繕えるが、そうなると今度はロイドが無一文になる。それだけは避けたい。

そうなると後は手持ちの物を売るしかない。ロイドの持ち物で売れるかどうかは甚だ疑問だが、多少なりとも売れれば儲けものである。

というかロイドは気付いてしまったのだ。バノン隊長との会話やマースとの遣り取りで。

騎士なんて身分、別にいらないな、と。

昔は少しだけ拘っていた……ような気がするが、ここ数年ほどは煩わしいと思うことはあっても執着は皆無だった。

それもしかし無理もない。騎士の身分を賜ってから、騎士団と行動を共にしたことはなく、常に単独行動。

任務も暗殺染みたものから共倒れ、または切り捨てられるのを狙った危険なものまで色々あったが、ロイドが描いた騎士らしい仕事は一度もなかった。

今回の、魔の森いる魔女の排除も、解決すれば儲けもの。失敗しても変異種が一人死ぬだけだという理由から、簡単にロイドに命令が下りてきたのだろう。帝国が本気だったら今頃は大軍が森の中を進軍しているはずだ。まぁ、大軍を送ってどれだけの兵士が生き残るのかはロイドの知ったことではないが。

折角だし、良い機会かもと思う。

ロイドにとって帝国には何処も居場所がなかった上に、騎士を辞めれば処分は確定されていた。逃げようにも肌と髪はやたらと目立って隠し切るのは不可能だ。帝国内は広大だが、それに比例して警察や兵士の数も無駄に多い。

いっそのこと、死んだことにして帝国に戻らなければ、少なくともしばらくの間は自由に行動できる。

セン・リオーネ王国も変異種に対する扱いは似たりよったりだろうが、バノンやマースにそしてこの街、ル・エルゼの人間達を見て、今すぐロイドを国に引き渡すとか、殺そうと考える輩はいないと判断したのだ。

勿論、ずっとこの辺をウロウロしていればいつかは危険に晒されるだろうが、短い時間だけでもロイドの好きに動ければ構わなかった。

あの、危なっかしい少女の側に、少しだけでもいられるのなら。

知らず知らずレティのことが気になったのが最大の理由だった。華奢な見た目といい無謀にも無茶することといい売っていた店のことといい、どうにも彼女は放っておけない。

更にレティが言ってくれた言葉がずっとロイドの心を解してくれていた。


ーーロイさんはロイさんで私は私……。


その言葉がロイドの背中をそっと後押ししていた。

そうして思考が彼女のことについてばかり占めていた時、マースが立ち止まってある家を指差していた。

気付いたロイドもその家を見る。そのまま改装したのか扉はガラス張りだった。中は薄暗くて見通せないが、誰かが作業しているのが見える。


「ここですね。ル・エルゼで唯一やっている質屋は。噂によりますと親戚に行商人がいるために成り立っているみたいです」

「そうか。ここまですまなかったな。礼を言う」

「いえいえ、とんでもありません。どうしましょう?一緒に中に入っても?」

普通そこは外で待ってるとかじゃないのか。どうして何処までも同行しようとするのか。

まぁ、別に、


「構わない」


嫌ではないので頷いた。

マースは嬉しそうな顔をして率先して扉を開けた。

中に入ると思ったよりも広かった。白い壁がガラスの扉から入り込む陽光に照らされて清潔そうに見える。裏路地にあった店と雲泥の差だ。

何かの商品を磨いていた四十絡みの男性が少し驚いた顔をしていたが、目をゆっくりと細めて柔和な笑みを浮かべた。


「いらっしゃいませ。当店にどのようなご用件でしょうか?」


ロイドが変異種だというのは見た目で直ぐ分かりそうなものなのに、嫌な顔一つせず丁寧に対応してくれる。本当におおらかだなこの街は。


「あぁ、すまない店主。買って欲しい物がある」

「そうですか。それではその商品を見せて頂けますかな。鑑定致します」


店主は商品をカウンターに置きながらロイドに近付く。その間にロイドはポーチに入れていた青い宝石を取り出し、店主に手渡した。

鮮やかな色彩を放った青い宝石だ。湖よりも更に濃い色合いは、深い海を思わせる。内部から光っているのかキラキラと輝き、夜の中でも一目で目に付きそうだった。

手に取った店主は少し見ただけでそれが何か分かったらしい。宝石を一度ロイドに返しながら困ったように笑った。


「これは……魔法の輝石ですね。製法が最も難しいと聞いております。王国ではまず滅多にお目にかかれない貴重な代物です。稀に帝国から流れてきますが、再加工した中古でもかなりの価値がありますが……本当に売るつもりで?」

「あぁ」

「そうですか。噂……あくまで噂ですが、帝国では高位の騎士に叙勲されると聞きました。それ以外は皇族か、上位の貴族しか手に入らない、と。私も……偶々、知り合いがツテで手に入れたのを一度だけ見ただけです。その後は、多分王都に流れたと思いますが」

「…………」


店主の説明にロイドは無言で聞いていたが、隣のマースは驚愕で固まった。

ロイドが騎士であるというのはバノンの説明で決めつけてはいたが、魔法の輝石が授与される程の人物だとは思っていなかった、というところか。もしくは貴族とでも勘違いしたか。

ただ説明する気はさらさらない。

ロイドは一応、魔法騎士に位置づけられる。魔法使いも騎士も帝国ではそれなりにいるが、両方を修めた者は数少ない。理由は中途半端に学ぶよりも、一つを極めた方がより高みに到れるからだ。

だが、一部の魔法に秀でた者が、更に高い剣技を磨いて認められた者が魔法騎士と名乗ることを許される。

それを言ってしまうと、ロイドも高い技術を持った凄い剣士だと思われそうだが、そんな訳がなかった。

単に元々、膨大な魔力を持っていたところに騎士団に放り込まれた結果だった。

剣技なぞ基礎も殆ど習ったこともなく、ほぼ自己流だ。おまけに戦闘では魔法を優先していた。それも、持って生まれた氷の属性しか使ったことはなく、一般の魔法使いと違い基本的な魔法すら覚えていない。

両方を扱える稀有な存在として、またロイド自身の出生が関係して捨て置くこともできずに仕方なく渡されたのだろう。

もしくは首輪の代わりか。はたまた価値を見出したから恩を被せてきたか。何にせよ、碌な理由でないことだけは確かだ。

しかし、店主が帝国の事情を多少なりとも知っているのが問題だった。


「…………できれば売りたい。店主、値段はつけられるか?」


店主はしばらく悩んだ様子で、あちこち視線を彷徨わせていた。

だけどそれもほんの僅かな間で、ニッコリと微笑んで首を縦に振った。


「はい。……ですがお支払いとなると難しいです。私の知り合いで、聞いた取引の値段は中古でも金貨十枚。ですが、当店では金貨二枚までしか用意できません」


金貨、とマースは言葉を失っている。

平民の大体の年収は四百銀貨が平均だ。金貨は一枚で銀貨千枚分に相当する。それが二枚ともなると慎ましやかに暮せば五年は働かなくても大丈夫な計算だ。商人や富裕層、貴族や王族でないとまずお目にかかれない。

絶句しているマースを余所にロイドは問題ないと首肯する。


「それで構わない……すまないが、買ってくれないだろうか」

「こちらとしても売って頂けるのは嬉しい限りです。ですが……申し上げました通り、直ぐに払える値段は金貨二枚です。買い取った後は当方で好きに扱わせて頂きますが宜しいでしょうか?」

「問題ない。こちとしても処分したかったところだ。金貨二枚ともなれば十分だ」

「畏まりました。それでは金貨二枚で取引させて頂きます」

「あぁっと、すまない。一枚は百銀貨十枚に両替できないか?」

「百銀貨ですね。畏まりました」


そう言って店主はカウンターから奥の部屋に引っ込んだ。ほどなく戻ってくると両手にはトレイと箱をそれぞれ持っていた。

トレイの上には一枚の金貨と十枚の百銀貨が綺麗に並べて置かれていた。


「それではご確認下さい。商品はこちらの箱の上にお載せ下さい」


ロイドは宝石を箱の上に置いた後、トレイの上の金貨と銀貨を受け取った。


「ありがとうございました。またのご利用をお待ちしております。そしてーーありがとうございました」


店主は両手を揃え、折り目正しくお辞儀をした。

最後の礼の意味が分からず、ロイドは心の中で首を傾げながら扉を潜る。マースは固い動作で後に続いた。

それを店主は優しげな笑みで見送った。

ロイドの懸念していた通り、本来であれば輝石であろうと帝国の物であれば売れるはずもないのだ。盗品かもしれないしあらぬ疑いをかけられてしまえば今後の商売どころか人生さえも左右される。

それでも店主は宝石を買い取った。彼なりのささやかな感謝を込めて。

最後の礼はロイドが倒した悪漢共について。

憤懣遣る方なかった彼も市場にいてーーあの一部始終を見ていたのだった。






店を出て住宅街を歩き大通りが見えてきた頃。ロイドは流石に気不味くなって後ろを振り向いた。

そこには宝石を見て、吃驚して固まったままのマースがいた。足だけは動いているが顔はカチコチでさっきから一度も口を発していない。

大方の予想はつく。ロイドは何も言っていないが、バノンのことといい先程の店主の発言のことといい、十中八九、騎士についてだ。

だが本当に、ロイドは騎士についての教育や礼儀作法は学んでいない。名目上と言うだけで、公言できるようなものではないのだ。

しかし、翻って言えばロイドが帝国の騎士だと仮定しても、それはセン・リオーネ王国から見ると敵になる。

何を考えているのか、帝国は予々王国を占拠しようと虎視眈々と狙っているから、余計にロイドの事情はややこしくなってくる。

今まで見たこともない変異種であるロイドが唐突にル・エルゼに来るなどと、スパイと思われたかもしれない。

バノンの前で姓が無いと嘘も言った。

巡り巡って回復薬もロイドが作ったことになっているが、もしもそれが懐柔のための手段だと曲解される可能性も出てくる。……もしそうなったらレティに何て詫びよう。

マースがロイドの視線を感じたのだろう。俯いてブルブルと震えている。

これは、もしかして怒りなのか。


「おい……さっきからどうした?」


尋ねるが、何処か白々しい。

マースには何も話していないのだ。上辺だけだと思われても仕方がない。あれだけ愛想が良く話し掛けてくれていたマースが、黙って震えているのが関係が壊れた証拠に見えて、本当に微かにだが胸が痛んだ。

徐々に大きく震えていたマースがとうとう飽和したのか、急に顔を上げてカッと目を見開いた。


「す………………」

「…………す?」


ロイドは咄嗟に身構えた。マースの目が異様に充血している。

しかもそこで終わらなかった。頬もみるみる紅潮し、赤い目もどんどん潤んでくる。口がこれでもかと大きく開いた。


「す、凄いじゃないですかっ!凄い回復薬が作れて凄い魔法が使えて、おまけに輝石を賜われるほどの騎士なんてっ!!ほんとっ、凄いですっ!!」


そっちかっ!ってか騎士を確定させるなっ!!


残念ながらロイドの内心の全力の突っ込みの絶叫は、マースには届かなかった。


「ロイドさん、是非剣術を指南してくれませんかっ!?私ずっと騎士に憧れていたんですよっ。何卒」

「……何が何卒、だ。断る」

「そんなこと言わずにー。いやあロイドさん、私とそんなに歳に差がないと思ってたんですが一体何歳なんですか?」

「……二十一」

「あ、何だ僕より一歳下なのか。ロイドさん肌のせいで分かり難いです。年下だったのかそうだったのかー」

「……おい、口調が少しおかしいぞ」

「あ、気にしないで。仕事柄なるべく気をつけているんだけどどうしてもまだ慣れなくて。で、ロイドさんいつだったら教えてくれるんですか?」

「さっきの話を聞いていなかったのか?断る」

「そんなこと言わないで下さいよ。もしかして体術の方が得意なんですか?それならそれで教えて下さい」

「何がそれなら、だっ!断ると言ってるだろっ」


つい語気が荒くなってしまった。しまったと少しだけ後悔するがーー。


「そんなこと言わずに教えて下さい。ね?警備兵の戦力向上のために」


マースは全く滅気ていない。それどころか興奮した少年のようにキラキラした瞳をロイドに向けてくる。

ギャアギャア言い争う姿は何処かジャレ合っているようにも見えて、周囲の住民達がホッコリしているのを終ぞ二人が気付くことはなかった。

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