六話


さっきの喧騒は何処へやら、嘘みたいな静寂が周囲一帯を支配していた。この辺りだけでなく市場が、ひいては街そのものが静かになったのではと錯覚してしまいそうだ。

しわぶき一つ聞こえてこない。無音を作り出した原因の一角に間違いなくロイドも含まれるからかなり居た堪れない。

完全に肌と髪を晒しているから誰もがロイドに近寄ることはないだろう。変異種というだけで直接的なことはされないが、その分遠巻きに白眼視されるのはいつものことだ。

浅く溜息を吐いてレティを助け起こそうと動き始める。

だけどロイドより先に、レティに転ぶように走り寄る者がいた。


「テオっ、テオ!!」


先程まで男共に押さえつけられていた女性だ。母親なのだろう、必死で子供の名前を呼びながら容体を確認している。

それが呼び水となってあちこちから医者を、だとか、どうすれば、とか聞こえてくる。近くの何人かは警備兵にどうにかできないかと聞いている。

ただ、話し掛けられた警備兵の内、負傷した一人は声を出そうにも苦痛で出ないらしい。残る警備兵はまだ若いのかオロオロするばかりで全く役に立ちそうにない。

誰もが為す術もなく、テオと呼ばれた少年の顔が今や真っ白になりつつある。


「ロイさん」


ざわつきの合間にレティの掠れた声が耳に届いた。

何故かまた静寂が訪れる。レティの目線の先。レティがロイドを見てもう一度ロイさん、と囁いた。


「回復薬を、貰ってもいいですか?」


何故に疑問形?と思ったが、ずっと片手に持っている周りから見たらロイドが持つには場違いな籠の中を思い出し、慌てて包んでいた布を取り外す。

綺麗に並べられた、割れないように間に布が挟まれたかなり安っぽいガラス瓶。一本を取り出せば中身はロイドも見覚えのある薄桃色の液体が満たされていた。

レティに手渡そうとするが、レティは未だに少年を支えていて受け取れそうにない。

仕方なく少年の元に近付いてしゃがむ。瓶の蓋を開けた。


「飲めるか?」


瓶の口を唇にそっと押し当てる。まだ微かに意識があったのかテオは薄っすらと目を開けた。

瓶を少しだけ傾けて液体を口内に注ぐ。あの時を思い出しながらゆっくりと流しこんでいく。

得体の知れない液体を飲ませる変異種という構図に、周囲は固唾を飲んで見守っていた。

効果は劇的だった。白かった少年の頬に赤みが差し、「母さん」と案外ハッキリとした口調で親の名前を呼ぶのが聞こえた。

それを見ていた周りからおおっ、と感嘆の声が上がる。

ロイドもホッと一息をついたのも束の間。

いきなり警備兵の中で一番若そうな男が凄い勢いでロイドの側に寄り、ガシッと思いっ切り両肩を掴まれた。


「頼む!その薬を分けてくれっ!」


いや俺の薬じゃないからと、レティの方を見れば何故か彼女は肯定も否定も見せずに、ただジッとロイドのことを見ていた。

若い警備兵も見ている。ついでに周囲からも。

何で決定権が俺にある?と言いたいが、この場の雰囲気では言えそうにない。

「あぁ」と短く返して籠の中からもう一本取り出す。

差し出した瓶を警備兵が受け取ると、すぐさま負傷した警備兵の下へ駆けていった。

負傷した警備兵は震える手で受け取ると、しばし躊躇していたが、決心がついたのか勢いよく中身を呷った。

飲んだ直後、警備兵の驚いた顔が見えた。こちらも効果は直ぐに表れたようで、信じられないのか己の身体をまさぐって確認している。

ロイドはその様子をボンヤリと見ていたが、いきなり両手をギュッと掴まれて驚いて振り向けばテオの母親が滂沱の涙を流しながら頭を下げていた。


「ありがとうございます。本当に、ありがとうございます」


何度も何度も感謝を伝えてくる。ロイドは困惑しながら母親を見つめていたが、


「ありがとうございましたっ!!」


今度は警備兵達が直立の姿勢から深々と頭を下げた。

それが、契機となった。

それまで遠巻きに見ているだけだった人だかりの中から、誰かが一人拍手を始めた。

それからまた一人、また一人。段々と伝播していき、やがて万雷の拍手と喝采がロイドを中心に巻き起こった。


「なっ…………」


余りの展開に呆気に取られる。そんなロイドを余所にどんどん人が集まってくる。


「助かったよ兄ちゃん」「あいつらを倒してくれてありがとうございます」「凄い魔法だったね」「この回復薬、貴方が作ったのですか?」「変な目で見て悪かったな」


老若男女が口々にロイドに話しかけてくる。笑みを浮かべている者もいれば申し訳なさそうなバツの悪そうな顔をした者もいた。でもその中にロイドに向けて不快げな視線を送る者は誰もいなかった。

しゃがんでいるロイドの肩に親しげに手までかけられて困惑から一気に混乱にまで陥った。

過去どれだけ記憶を掘り返してもこんなに好意的な反応は見たことがないからだ。昔、他の場所でも何度か諍いに巻き込まれたことがあるが、いつも最後は憎しみと侮蔑の目しか向けられなかった。

動揺の余り硬直して動かなくなったロイドを救ってくれたのは、聞き慣れた平坦な声音だった。


「ロイさん、大丈夫ですか?」


一瞬で平常心に戻った。誰よりもまずレティに大丈夫だと返そうと、まだロイドの手を握っている母親の後ろの彼女を見れば、


「……っ、どうした?」


ロイドの焦りに、集まっていた全員がレティを見た。

彼女は真っ青だった。抱いている少年とは対照的なほど、唇まで青褪めている。

声も掠れている。いや、さっきからずっと掠れていた。何故忘れていたのか。

母親の手を振り解きレティに慌てて近寄る。怪我でもしたのか彼女のローブもあちこち血で汚れている。


「大丈夫か?何処か怪我でもしたのか?」


問いかけに彼女はフルフルと首を横に振る。だがどう見ても本調子からはほど遠そうだ。

丁度、担架を持った者が何人か少年と負傷していた警備兵の元にやってきた。誰かが連れて来たのだろう。シャッキリした警備兵と顔色の良い少年を見て面食らっていたが。

ロイドの周りに集まっていた人が何人か説明していた。

理解はしても納得は、なのだろう。一応検査のために少年と警備兵は医者のところまで運ばれることになった。警備兵は固辞していたが、念のためと言われて渋々少年と共に市場を後にした。

母親も担架に運ばれた少年に付き添い、一名の警備兵も状況説明のために同行していった。

残った警備兵達は意識を失っている男達を運んでいった。余程恨みでもあるのか、念入りにギュウギュウに縛っていた。

それらを合図に次第に人だかりも散開していく。

皆が皆、晴れやかな顔をして後から流れてきた住民に何が起きたかを興奮気味に話している人も見える。

そんな中で残ったのは、先程薬を頼んできた若い警備兵と数人の男女。

立ち上がったはいいのだが、一向に顔色が戻らないレティを心配してくれていた。

隣にロイドがいても彼等は何も言わない。フードも脱いだままだ。遠くではロイドを見かけて眉を顰めた事情を知らない住民を諌めている者さえいる。こんな好意的な態度を受けたことないロイドとしてはぶっちゃけまだ多少混乱していた。

だけど今はレティのほうが問題だ。


「本当に大丈夫なのかい?」

「はい、ご心配をかけてすみません」

「でも顔色が良くないよ。何処かで休んだ方がいいんじゃない?」

「いえ、でも本当に…………大丈夫ですから」


先程から中年の女性とレティが言い合っているが、並行線で全然前に進んでいない。女性がどうにかして休ませようとするが、レティが頑なに首を縦に振らないものだから彼女もホトホト困っていた。

横から女性と同じくらいの年齢の男性も助け舟をだす。


「まぁまぁお嬢さん、あんたもさっき大変だったんだから。うちの店で少しは休んだらいい。まだ店は開けてないから静かだし、落ち着くまでゆっくりしていけばいい」


女性もそうねそうしなさい、と促してくる。

有り難い申し出だが、レティは余計に恐縮した気配を漂わせて困ったように顔を傾けた。


「えぇっと、でも私……」


その続きはロイドには分かった。店と言われて多分金銭のことを気にしているのだろう。考えたらレティは今、金を持っていない。

ここへ来た本来の目的を果たせば確かに金は得られる。途方に暮れたレティは救いを求めるようにロイドをチラリと見た。

だから、ロイドは答える。


「……そうだな。店主、ご厚意に感謝する。彼女を宜しく頼む」


ロイドが軽く頭を下げれば、どうぞどうぞと男性は朗らかに笑ったが、レティはそれどころではない。

思わぬ追撃に目を白黒させていた。まさかロイドまで賛同するとは予想だにしなかったらしい。


「え、でも私」


更に何か言い募ろうとする彼女に、ロイドはなるべく穏やかに遮る。


「いいからお前は少し休んでおけ。どのみちその服では街を歩けないだろ」


え?と、レティはパチクリと瞬かせ、急いで自分のローブを確認しだした。

彼女のローブは黒いが、それでもテオという少年を抱いていたからベッタリと血糊で汚れているのが分かる。見ようによっては泥にも見えないこともないが、それでもその辺をウロウロすれば嫌でも注目を集めるだろう。


「用事は俺が済ませてくる。その間、しばらく待っていてくれ」


有無を言わせぬ口調に最早レティは口をパクパクするだけだったが、何故か中年の男性と女性、そして若い警備兵までもがニコニコと二人を暖かく見守っていたのにはロイドとレティは気付いていなかった。

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